うたかたショートストーリー、またはやる気のない短編集 作:塩崎廻音
自分が遭難したことに気づいたのは浜が全く見えなくなってからだった。点検は欠かさなかったはずなのだが何か見落としがあったのだろうか。突然エンジンが異音を発して動かなくなり、陸に戻る手段がなくなってしまったのだ。よほど沖まで流されていたのか無線も通じず、万事休すといった感じであった。
船には一応万一の時のための食料が積んであったのでしばらくは生き延びることができるが、救助される当てがないのであれば死を先延ばしにする以上の意味はない。そんな絶望的な状況にまいっていたとき、それは現れた。
山のような巨躯が波を掻き分けて進む。『島クジラ』だ。そのあまりの大きさに圧倒されながらも、僕は自分が助かったかもしれないと感じていた。島クジラは海に潜る能力を失ったクジラが進化したものだといわれているが、最大の特徴としてその背に地上と同じような環境があり、そこに住む人間が観測されているというものがある。もしこの島クジラの背にも誰か住んでいる人間がいるのであれば、その人たちに助けてもらえば死なずに済む。さらに、本土との通信手段があれば家に帰ることもできるだろう。
そうとなればこちらに気づいてもらうために色々手を打たなければならない。僕はさっそく備え付けの発炎筒を取り出して火をつける。ここで助けが来なければいよいよ終わりだ。僕は祈るような気持ちで発炎筒を掲げ、島クジラからの救助を待った。
そして10分ほどたったころ、島クジラの上からボートが現れて僕の方へ近づいてきた。ボートに乗った二、三人の人たちは間違いなくこちらに気付いているようだし、助けに来たと見ていいだろう。助かったという安堵で気が緩み、僕は甲板の上へ崩れ落ちてしまう。船が壊れたときはどうなるかと思ったが、島クジラの航路にぶつかったのは不幸中の幸いだった。ほどなくしてたどり着いた島の人たちに事情を説明しながら、僕は自分の幸運をかみしめていた。
***
意外にも、島クジラに住む人々は僕をとても歓迎してくれた。こういった閉ざされた環境に住んでいる人間はともすれば閉鎖的になりがちだと思うのだが、島の人々は基本的に楽観的でこちらに対する隔意を全く感じない。
ちょっと聞いたところによると、島クジラの上は非常に住みやすい環境になっているらしく、衣食住の心配をする必要が全くないためおおらかな性格になるらしい。昔から島の人々はこんな感じなのだそうだ。
今も、村長の家に通されたかと思えば焼き菓子と紅茶でもてなされている。単なる漂流者相手に随分な歓待ぶりだ。
「それにしても、久しぶりの来客が漂流者だとはね。大変だったでしょう」
「いえ、こうして早々に助けてもらえましたし。最初はどうなることかと思いましたが、もう大丈夫です」
「それは良かった」
村長は朗らかに笑ってそう返す。この人も人がいい感じだ。こういった閉ざされた集落の村長ともなれば最早王様のようなものであるだろうに、ただの好々爺といった風で毒気を感じない。やたらと焼き菓子を勧めてくる当たり、田舎のおじいちゃんみたいだなと思う。
「それにしても、僕みたいなよそ者は扱いに困るんじゃないかと思ったんですが、意外と皆さん好意的ですね?」
「ええ、基本的に皆楽観的だというのもありますが、久々に外の話を聞けるということで喜んでいるのですよ。ここは住み心地はいいですが娯楽が少ない」
「ははあ、なるほど。普段はそんなに外の人は来ないんですか?」
「ほとんど。一応多少の交易はしているのでその時に外の人と触れ合う機会はありますが、あちらも仕事で来るのであまり長居はしてくれないのですよ」
「観光とかで来る人はいないのですか?」
「『島クジラ』は絶えず動くので気軽に行き来するのが難しいというのと、何よりあまり見所があるわけではないので…」
なるほど。全く外と断絶された空間というわけではなさそうだが、一方でそれほど外との交流が活発な訳でもないということか。確かに、僕も島クジラの存在こそ知っていたが、今まで訪れたこともなければ行ったことがある人にもあったことはない。
「となると、僕が家に戻るためには交易の船に乗せてもらうことに?あるいは、無線か何かで救助を呼ぶとか」
「そのどちらでも良いでしょう。後で電話をお貸ししますので、本土に連絡をつけてどう帰るかの指示を仰げばいいでしょう。ちょうど交易の船も数日後に来る予定になっています」
「ありがとうございます」
それを聞いて安心した。電話で連絡が取れるのであれば、ともかく家に帰ることはできるだろう。助かったはいいがこの島クジラに永住することになった、なんて言ったら流石にちょっと困ってしまう。
「とはいえ、数日の間はここに住むことになるでしょう。開いている部屋をお貸しします。そこでお過ごしください。他にもご入用なものがあれば、どうぞ遠慮なさらず言ってください」
「いや、何から何まですみません。なんとお礼を言ったらいいか…」
「いえいえ、構いませんよ。たまにはこういう変わったことがないと年を取るのが早くなってしまいますし。ああ、そうだ。もしよければ、村の皆に外の話をしてやってください。喜びますよ」
「分かりました。そんなことでよければ、いくらでもお話ししましょう」
そういうわけで、数日間だけ島クジラの上の村で暮らすことになった。
初めの印象通り村の皆はとても好意的だ。外の話が聞けると分かるとわらわらと集まってくるため、ずっとしゃべり通しになってしまいのどが少し痛い。最初はせっかく島クジラに上陸したのだから、どんなところなのか見て回ろうかと思ったのだが、ちょっと歩いたところで遊んでいた少年たちにつかまってからあれよあれよと話が進み、最終的に一日丸ごとの独演会となってしまったわけだ。しかも、途中から人が入れ替わって同じ事を何度も説明する羽目になるから質が悪い。とはいえ、自分の話で人をこんなに喜ばせることができるのであれば悪い気はしなかった。
さて、そんな風に島クジラでの一日目を過ごしていたわけだが、村のみんなの前でしゃべるうちに一人の少女に目が留まった。他の子どもたちは入れ替わり立ち代わりで話しを聞いているのに、その少女は一人だけずっと僕の前から離れないのだ。
「一日中聞いていたけど、飽きなかった?他の子たちは途中で帰っちゃったけど」
夕方になって他の子たちが帰った後、まだ帰らないその子――アイラというらしい――に僕はそう問いかける。
「はい。他の子は家の手伝いがあるのであまり遊んでられませんけど、私はそういうのは免除されているので」
「免除?」
「はい。何というか、ちょっと特別なので」
そう言って苦笑いする。あまりつつかないほうがいいのだろうか?さっきから帰る気配がないことも合わせて気になるが、とりあえずは置いておくことにする。
「それに、外の話が聞ける機会って滅多にないので、どれだけ聞いても新鮮で飽きないですよ?他の子たちも手伝いがなければもっと聞きたかったと思います」
「そうなんだ。テレビとかで外の様子を知ることはできないの?」
「ん~、この村ってあんまり特産品みたいなものがないので、そういう高級なのは村長の家にしかなくって」
「じゃあ、村長に頼めば見せてもらえる?」
「どうでしょう。他の子は手伝いがあってあまりそういう時間は取れませんし、私もそこまで贔屓してもらうわけには行かないので…」
「そういうもんなのか。でも、そうなるとつまらないんじゃない?」
「だから今日は楽しかったんですよ?外の話はいつでも一番の娯楽なんです」
そう言って楽しそうに笑う。アイラのその笑顔はとても魅力的で、思わず僕もつられて笑ってしまった。
「そうか、それは良かった。普段自分のことをああやって語る機会なんてないから上手く話せているか不安だったけど、楽しんでもらえたなら良かった」
「はい。ありがとうございました」
「それじゃあ、明日もこうやって色々話してあげた方がいいかな?まだ十分に聞けてない子もいるだろうし」
「…それなんですが、もしよければ、明日一緒に島を回りませんか?あまり見所は多くないですけど、ご案内しますよ?」
その申し出に少し驚く。もともとは僕も島を回ろうと思っていたところにこれだったので、願ってもいない申し出だ。
「僕としてはそれはありがたいけど、でもいいのかな?皆明日も話を聞かせてって楽しみにしていたけど」
「ロバートさんも、今日一日しゃべり通しで大変だったでしょうし、お客さんに島の紹介もせずに捕まえたままというのも気が引けますから。明日だけは皆に我慢してもらいます」
「だったらいいけど…」
「では、そういうことで。村長さんの家に滞在されているんですよね?明日の朝にお迎えに上がりますので、村長さんの家でお待ちください」
「うん。わかった」
ちょっと強引な気もしたけど、別に不利益もあるわけではないので了承する。実際島クジラの上がどんなふうになっているのかはそれなりに気になるので、今から明日が楽しみになってくる。
「それでは、今日はこれでお暇させていただきます。また明日、お会いしましょう」
そう言って一礼をしたアイラは、夕闇の中家路に着く。家まで送っていこうかとも思ったが、帰り道が分からず逆に送られることになりそうだと思って思いとどまる。ここには猛獣の類はいないらしいし、暗くなってもそれほど危険はないのだろう。
そんなわけで、完全に暗くなって道が分からなくなる前に村長の家へと向かう。明日のために早く寝て明日に備えておきたい。
――それにしても、どうしてアイラはあんなに僕に好意的なんだろう?
そう、不思議に思う。この村の住人が朗らかなのは聞いているが、果たしてはじめて会ったよそ者と一緒に外出するほどなのだろうか?あるいは、彼女が言っていた「特別」であるということが関係しているのだろうか。
あれこれと考えるが、現状では特に考察の材料があるわけでもない。結局は妄想にしかならないなと考えを打ち切り、僕は村長宅へと足を進めていった。
***
次の日の朝、アイラは意外な程に早くやってきた。朝があまり強くない僕は朝ご飯を食べながらフラフラとしていたわけだが、アイラの方はというと朝一番とは思えないほどパワフルだ。
「おはようございます、ロバートさん。それでは、早速散歩に参りましょうか」
「ちょっとまって」
僕の手を引いて歩き出そうとするアイラを制止する。体が起きるまでもうちょっと待ってもらわないと流石につらい。あと30分くらい出発を延ばせないかと聞いてみると、すんなりと了承された。
「代わりといっては何ですけど、表でちょっとお話しませんか?」
「それくらいなら問題ないよ」
部屋に戻るとうっかり二度寝してしまうかもしれないし、むしろちょうどいいくらいかもしれない。そんなわけで、村長宅の手前にある木椅子に腰かけ、色々と話をすることになった。
今日もまた色々外の話を聞かれるのかと思ったが、どうも今日は僕の案内に徹する日に決めたらしい。僕もこの村のことを色々聞いておきたかったので、ちょうどいい機会だと次々質問を投げかけた。
そうして聞いたところによると、この村は特産品の類はないみたいだが、島クジラが環境を整えてくれるおかげで作物の育ちがよく、品質のいい野菜が不作知らずで良く採れるといういうことだ。あるいは、海端らしく海産物の類も良く採れるらしい。ただ、島クジラ自体が動いているから、あまり沖まで出ての漁はできないようだが。
交易でも、そういった野菜や海産物を出しているらしい。とはいっても、この村で自給自足が成り立つため、あまり外からものを得る必要はないらしい。村長宅にある電話やテレビなんかは例外だが、基本は村の中のもので生活が成り立つとのことだ。
「でも、そうなると若者にとっては退屈なんじゃない?」
「まあ、人によっては。一応、島の外に出ようって人もいないではないんですけど…」
あまり長続きしないらしい。まあ、この村はのんびりしていて住みやすいみたいだから、色々とせわしない外の世界とは気性が合わないのかもしれない。
さて、作物が育ちやすい気候であるのと同時に、人間が過ごしやすい気候でもあるらしい。若干の四季の変化はあるものの一年を通して温暖な気候であるのに加え、水害や台風などの災害とも無縁らしい。
「どうやら、島クジラがそういった脅威を察知して、上手いこと航路を選んでいるみたいなんです」
「なんというか、何でもありなんだね」
もはや、関心というか呆れてしまう。気候の操作に加えて災害の予知だなんて、世の人間からしたら垂涎ものではないだろうか?もしかしたら、どこかの島クジラではそういう能力の調査が行われているかもしれない。
「地震なんかも起きませんし。だから、災害が実際にどんな感じの被害を及ぼすのかってことは、この島にいるとよくわからないんですよね」
「いやあ、地震とか台風とかは良く体験してるけど、あれはかなり大変だよ?」
ちょっとうらやましくなる。ここは本当に地上(?)の楽園といった感じで、外の世界の大半の悩みとは無縁のようだ。
「やっぱりそうなんですね。話しには聞いているんですけど、実感がわかなくて」
「まあ、こういうのって体験しないと分からないよねえ」
「ですね。まあ、そういう心配がないっていうのが恵まれているのは分かりますけど」
と、ひと段落。しばらく話していたことでだいぶ体の調子も上がってきたので、いよいよ島の散策に移ることにしようと思う。
「じゃあ、そろそろ行こっか」
「はい。それでは、ご案内しますね」
そうして、アイラに連れられて歩き出す。朝の陽ざしが僕たちを照らす。今日も雲一つない青空と朗らかな陽気で、絶好の散歩日和だ。
***
さて、島を回るとは言っても観光名所があるわけではないので、まずは村の中を案内してもらうことになった。島クジラは生物として考えると破格の大きさであるが、島として考えるとそれほど大きいわけではない。村になっている部分を除けば、後はちょっとした森といくつかの入り江、後は少し小高い丘があるくらいらしい。実際のところ、村を回ってしまえば後はそんなに見るべきものはないみたいだ。
「森はこれといった生き物はいないですし、入り江は外海に直結で固有の魚類もいませんから」
「変わった植物とかは?」
「うぅん、外の世界の植物がどのようなものかはあまり分かっていないんですけど、村長が言うには特に珍しい植物もないそうですよ?それで観光事業を諦めたんだとか」
確かに、島クジラ固有の環境があるなら、もう少し世間で話題になってもいいかもしれない。
「まあ、私たちからすると木の実なんかを取りに行くために見慣れているから面白味がないだけで、外から来たロバートさんが見たら面白いのかもしれないですけど」
「どうなんだろう、綺麗な光景は地元で見てもそれなりに感動するものだし…」
「だとすると、あまり大した景色はないでしょうね」
そうらしい。
とにかく、そういった理由でまずは村の中を歩いて回っているわけだ。僕はいわゆる「村」を見たことがないので普通どういうものであるのかは分からないが、この村はお話でよく出てくるような「村」の光景そのものといっていいかもしれない。
均されてはいるが舗装されていない道路に道端に生える雑草、ちょっと見渡せばいくつもの畑が目に入り、その間にぽつぽつと木造の家屋が散見される。漆喰くらいは使っているようだが、普段見慣れているコンクリ製の家は一つもない。外界から隔絶された空間ではないとはいえ、外から建機を持ち込んで家を作るようなことはできない(する必要がない)から当たり前といえば当たり前か。今いるとことからは見えないが水路も張ってあるようで、どこからかさらさらと水が流れる音が響いてくる。
――原風景というのは、こういうものを言うのだろうか。
すこし、ノスタルジックな気持ちになる。田舎の出でもない僕からしてみればこういう光景は子供のころにも見たことはないわけだが、それでも本能的な部分で懐かしさを感じるのかもしれない。
隣ではアイラがあれこれと村の要所を説明してくれているが、正直あまり耳に入ってこなかった。
「良い、村なんだね」
ぽつりと、自然に言葉が出た。アイラにそう伝えようとしたというよりは、無意識のうちに感想がこぼれだしたといった風。自分でも少し驚いた。
「……はい。とってもいい村で、大好きなんです。私も」
アイラが、そう返す。その瞳は、自分の故郷を誇るというには少し寂し気で、思わず何か悩みでもあるのかと聞こうとする。
「ねえ、アイラ…」
「さあ!どんどん生きますよ!あまり大きくない村とはいえ、全部紹介していくとなるとそれなりに時間がかかります!」
「あ、ちょっと待って」
だが、そんな僕の様子を察したかのように、アイラは強引に歩を進める。昨日の「特別」と同じで、あまり聞かれたくないことなのだろうか。
「ほら、あっちの家はクリスさんのお家で、お母さんが作るスープが絶品だって評判なんです」
そう説明を続けるアイラの横顔を見る。最初から距離感が近かったから気にしないでいたけど、僕はこの子のことを何も知らない。なんでアイラは、こんなに僕に親切にしてくれるんだろうか?特に何かしてあげたわけじゃない。というか、漂流していたところを助けてもらったのは僕の方だ。それに、昨日はじめてあったときから、アイラは僕に興味を持ていた風だった。
一目ぼれ?いや、さすがにそれは考えづらいけど…
「…お父さんに、似ていたんです」
不意に、アイラがそうつぶやいた。
「うん?」
「どうしてこんなに親し気にしてくるんだろうって、そういう顔をされていましたよ?」
「…そうだった?」
「はい。結構あからさまに」
「えぇ、なんだか恥ずかしいな…」
「それで、私がいきなりロバートさんに近づいた理由です。早くに亡くした父とロバートさんの雰囲気がどことなく似ていたので、なんだか気になってしまったんです」
「…それってオヤジ臭いってことにならない?」
「ふふ、いえ、そういう感じではなくって。何というか、安心できる感じでしょうか?」
なんだが腑に落ちない。というか、それっていわゆる「優しい人」ってやつなのでは?
「私、結構お父さんっ子だったので、父が早くに亡くなって以来かなり落ち込んでいたんです。最近は持ち直しましたけど、それでも時々寂しくなってしまって」
「そうなんだ…」
「そこにお父さんと似た雰囲気のロバートさんが現れた者ですから、妙に気になってしまって。ごめんなさい。ちょっと強引でしたよね?」
そう言って謝ってくるアイラ。その雰囲気は、今までの強引なものとは打って変わって、今にも消え去ってしまいそうなほどに儚い。
「いや、島を見て回りたかったのは確かだし、案内をしてもらって助かったよ」
それは、まぎれもない本心だった。アイラは初め単なる慰めの言葉だと思ったみたいだが、僕の言葉が本心だとわかると安心したようで、元の元気な表情に戻った。
「そうですね、案内もまだ途中でした。最後まで見て回ってしまいましょう」
そうして、再びアイラの案内が始まる。その様子に僕は安心して、アイラの後をついていった。
***
「最後に、神社に寄っていただけませんか?」
村の案内を追え、森・丘・入り江と回った後に、アイラはそう切り出した。僕は異論もなく了承したが、すぐに少し妙だと気付く。神社は当然村の中にある。順番から言えば最初に村を案内していた時に訪れるのが無駄のないルートであるはずだ。
もちろん、村の人間であるアイラからしたらもっともな理由があるのかもしれない。だけど、神社に行くという話を切り出したときの、アイラの何かを決心したような表情が、どうにも気になって仕方なかった。
「ここが、この村唯一の神社である『大鯨神社』です」
初めに感じたのは、「異様な」雰囲気。
家の近くにも神社はあり、何度か訪れたことはある。そこでは、神社にいるというバイアスもあったのかもしれないが、どこか神聖な雰囲気があるような感じがしたし、厳かな社殿や神主さんたちの振る舞いによって、どちらかというと落ち着く雰囲気であったことを覚えている。
だが、ここは違う。
何よりもまず『落ち着かない』。何かがこちらを見ているような雰囲気、生々しい生き物の気配。そうとしか言えない何かが大気に充満し、今にも逃げ出したい気分に駆られる。
――被捕食者の気分って、こんな感じなのだろうか…
無意識のうちに、そう感じる。そう、これは何かがこちらを捕食せんと睨んでいる、その空気だ。
「…大丈夫ですよ。雰囲気こそ物々しいですが、実害はありません」
そう、アイラが告げる。見ると、今にも逃走しようかと身構える僕とは違って、アイラは涼しい顔をしている。
「いつも『ここに住んでいる』私からすると慣れたものではありますが、やっぱり不慣れなロバートさんからしてみたら、恐ろしい気配ですよね、これ」
「ここに住んでる?」
「はい。実は私、この神社の一人娘、つまりは『巫女』なのです」
なるほど、この神社を最後に回したのはそれでか?ただ、それはそうとしてこの異様な雰囲気が何なのかが気になる。落ち着かない。それに、神社の中央に備えつけられた、あの祭壇のようなものは一体?
嫌な想像が頭をよぎる。この神社に立ち込める『捕食者の雰囲気』、そしてその神社にある祭壇。どう考えても、答えは一つしか思い浮かばない。
――いや、そんなはずはない。そんなものが、あるはずがない。
そんな嫌な思い付きを頭の中で否定しながら、アイラに一つ問う。
「アイラ、あの祭壇は一体…」
いや、それは質問というよりは否定を期待した確認であり。
「……あれは、生贄の祭壇ですよ、ロバートさん。私を生贄に差し出す、そのための祭壇です」
しかし、その問いへの答えは望まない肯定であった。
「どういうことですか、村長…!!」
村長宅へと舞い戻ったボクは、すぐさま村長を問い詰める。そんな僕の剣幕に、村長は半ば予想が出来ていたかのように受け応える。
「そうですか。やはり、アイラから生贄のことをお聞きになったのですね?」
「ええ、聞きましたよ。生贄だなんて、一体何を考えているんですか!」
そう、怒鳴り倒す。この対応からして、村長が生贄に関わっていることは間違いない。だったら、ふざけている。今の世に生贄だなんて、一体人の命を何だと思っているのか!!
そう憤る僕に対して、村長は意外な言葉を放つ。
「ロバートさん、今の時代に生贄の儀式が行われない理由は、なんだと思いますか?」
「…ふざけたことを!お前の問答に付き合うつもりは…」
「これは、この島での生贄の儀式に関わることです」
生贄を正当化するための問答でもするつもりか。だが、どんな理由があっても生贄が許されていいはずがない。
「…普通に考えて、許されないでしょう。人の命を軽視しているし、法律でも許容されるものではない。人倫にもとる行為だ」
「そう。倫理的にも法律的にも、生贄は許されません。しかし何よりもまず、生贄が廃れた直接的な理由がありますよ?」
「はあ?何を一体?」
「外の世界における生贄は宗教的な儀式であり、具体的な効果を持たないということです」
村長の言葉に、しばし時が止まる。最初、村長が何を言っているのか理解できなかった。いや、したくなかった。だって、裏を返せばそれは、この村の生贄には具体的な効果があるということであり…
「生贄のことについて説明する前に、島クジラの生態と、それに至った経緯を説明する必要があるでしょう」
そう言って、村長は語る。島クジラという楽園の、恐ろしい実態について。
***
島クジラは、海中に潜ることができなくなったクジラが進化した種だといわれている。では、どのような進化により島クジラはもぐれないというハンディキャップを克服したのだろうか?
それは、島クジラの上に作られた村が地上の楽園となっている理由の能力と同じ力。その、普通の生物では到底なしえない超常的な力を、島クジラは『魔力』や『霊力』としか表しようがない不可思議な力をもって成し遂げるようになった。
この霊力によって、餌を追うのではなく引き寄せ、周囲の環境を都合よく書き換え、近くに迫る脅威を予知してそれを避ける。そうして、島クジラは潜ることができないハンデなどものともしないほどの強大な能力を手にしたのだ。
しかし、この力には一つ落とし穴があった。それは、霊力の絶対量が生物の体格に比例しないということ。
自身の巨躯を維持するための膨大な餌の確保、周囲の環境の恒久的な改変、常時行う危機の予知。島クジラの霊力の素養は決して低いものではなかったが、それらの力をすべて賄うためには十分ではなかった。
その問題に対応する為にはどうしたらいいだろうか?体を小さくすれば必要な餌の量は少なくなる。しかし、今だ遠方から餌を誘導すること自体は必要であるし、何より環境改編と危機察知は変わらず行使しなくてはならない。それでは、必要な霊力を大きく削ることはできない。
では逆に、体を大きくしたら何か別の対策ができないだろうか?それが、島クジラが霊力を確保するために遂げた進化の軌跡。島クジラは、自身の体の上に他の生物が棲息できる環境を作り出し、その生物たちの霊力を捕食することで、自身が必要とする霊力を賄うよう進化を遂げたのだ。
そして、数ある生き物の中で最も霊力の素養が高く、数多く繁殖し成長も比較的早い。そんなおあつらえ向きの生き物こそが、人間であったのだ。
だから、島クジラはその体の上に人間が住みやすい環境を作り出した。温暖で作物が育ちやすい気候、台風などを避けて地上に被害が出ない航路。それらの人間に都合がいい環境はすべて、人間を効率よく繁殖させ、大量の霊力を得るためのものであったのだ。
「それが、地上の楽園『島クジラ』の真実。島クジラと人間は共生関係だという表現もありますが、実質的には『飼育』。人間は、島クジラの餌として生かされているのですよ」
「そ、んな…」
愕然と、崩れ落ちる。人間が飼育されている?それは、人間の立場からしたら到底承服できない、絶望的な事実。
「…で、でも、それに気づいているのであれば、島クジラから逃げ出せばいいのでは?馬鹿正直に、生贄を差し出す必要なんてないじゃないですか…」
「そう言われると思いました。何を隠そう、私も若いころはそう思っていましたから」
「…え?」
「意外に思われるかもしれませんが、この村では生贄の事実をありのままに伝えています。古の文明のように、神への供物であり誇るべきことであるとか、天界へ転生する儀式であるとか、そういった教育はしていないのですよ。そのせいで、生贄の巫女にはつらい思いをさせてしまっているのかもしれませんが…」
「…そうだったんですか」
「なので、私も小さいころから生贄の儀式には疑問を持っていて、だったら外の世界で生きていけば生贄なんて要らないんだと、そう言って村を飛び出したことがあるんですよ」
それは、衝撃的な言葉であった。この、生贄の儀式を是とする村長が、昔は否定的な考えだった?にわかには信じられなかった。
「そう考える若者は、今でも一定数います。そのこと自体は喜ばしい。まだ、この村の倫理観は崩壊していないということですから。でも、現実は甘くないというべきか、今日これまで、村の外で生きることに成功した村人は、ただの一人もいません。もちろん、私も」
「…なぜですか?まさか、この村の住み心地がよすぎて、戻ってきてしまうからなんて言いませんよね?」
「そういった心理がないとは言いませんが、原因はもっと直接的なものです。この村の人間は、外の世界で生きるには『弱すぎる』。それが理由です」
「弱い?それは一体…」
「簡単な理由ですよ。この島クジラの上の環境は、島クジラの超常的な能力によって最高の状態で維持されています。気候は安定し、災害は起きず、作物は豊かに実り、魚だって良く採れる。そんな環境で育った人間がどうなるか、わかり切ったことでしょう?」
「環境が整えられているから、外の日々移ろう気候に適応できない。病気にも抗体がない。」
「災害が起きないから、何かの災害や事故が起きたときに対処できない」
「豊かな食料を常に手に入れられるから、競争心も向上心も持たない」
「この楽園で育った私たちは、外の世界ではどうしようもない弱者なのです。私もかつては自分なりに精いっぱい頑張ったつもりです。でも、知識どころかそれを磨くための向上心も足りず、何か起きればおろおろと慌てるだけで、終いにはすぐに病気になり動けなる人間が、どうすればあの競争社会を生き抜くことができるというのか」
そう語る村長の顔は、先ほどまでのあきらめの表情とも違う、深い悔恨の表情。村長は、一度この現実にあらがおうとして、既に挫折した人間であったのだ。
「いっそ笑えますよ?外の世界で何とか生きようと足掻いた数年の中で、健康体でまともに生活をおくれた期間は通算でおよそ一か月とちょっと。医者の先生にも、元の環境以外では到底生きることができない体だと言われてしまいました」
「だから、この村の生贄は、仕方のないことなのです。私の人生の半分をもって、そのことを知りました。生贄を拒否したところで、生きる場所はない。下手に島クジラを弱らせてしまえば、全員が死ぬことになる。だから、仕方がないんです」
僕はその言葉を、思考停止した愚か者の諦めだと切り捨てることはできない。だって、この村長は、かつてその運命にあらがおうとした。ただ、現実が重すぎて、折れてしまったから。だから村長は、そしてこの村の皆は、仕方がないことだと言っているんだ。
『どうか哀れまないでください、ロバートさん。これは、そういう風に決まったものなんです』
神社で、アイラが僕に告げた言葉を思い出す。アイラは、生贄が嫌だとか、逃げ出したいという言葉は一度も言わなかった。それは多分、どうしようもないことを知っているから。
『これは、運命で決まったことなんです。だから、いまさら連れ出してほしいだとか、そういうことを言うつもりはないんです』
『幸いというべきか、生贄になるからって労働免除とかの配慮をしてもらったので、心残りを消化する時間はありました。だから、あれをやっておきたかったみたいなのは、もうそんなに無いんです』
『ただ、今回ちょっと心残りができちゃいました。お父さんに似た雰囲気の、どこか気になるロバートさんに、私のことを知っておいてもらいたかったんです。ずっと、覚えておいてほしかったんです』
『だって、ロバートさんが帰った後に、この島のことがただの思い出になって、私のことを忘れられたりしたら、悔しいじゃないですか。私の人生は何だったんだって、思っちゃうじゃないですか』
『だから、私の思い出をロバートさんに刻み付けるために、これは呪い(のろい/まじない)です。ふふ、これ、ちゃんと巫女さんみたいでしょ?』
アイラの言葉と、その笑顔が頭に浮かぶ。あの顔を見て、僕は、絶対に助けなきゃって、そう思ったんだ。あんな、笑顔の下で泣いているような顔を、止めなきゃいけないって。
でも、僕は無力だ。生贄は、伝統という名の惰性でもなく、宗教という名の洗脳でもない。れっきとした生存戦略のなかで定められた最小の犠牲。これをなくすことは、できない。
「アイラじゃなければ、ダメなんですか?他の子じゃ…」
それは、言ってはいけない言葉だったのかもしれない。生贄を止めることもできず、さりとてアイラを死なせたくない。だから、他の子を犠牲にする。
アイラの犠牲だって、苦渋の決断として決められたものなのだろう。だから、部外者の僕のその言葉は、村の皆の決断に対する侮辱でしかない。
「…今の言葉は聞かなかったことにしましょう。一応忠告しておきますが、その言葉は村の皆の前では言わないほうがいい」
「はい。申し訳ありませんでした」
村長は、僕の失言をなかったことにしてくれた。でも、その痛みを耐えるような表情を見れば、僕の言葉がどれだけ村長の心をえぐったのかはよくわかった。
「…私だって、彼女の忘れ形見を、こんな風に…」
最後に、村長がつぶやいた言葉は僕にはよく聞こえなかった。村長も、僕に聞かせるように言ったつもりはないだろう。
もう話すべきことは終わった。そのことを理解した僕は、村長の部屋を後にする。
この話は、既に『終わった』話なのだ。
***
数日後に僕は、本土に戻った。あの日以来、アイラとは合わなかった。僕の方からも会いに行かなかったし、アイラも僕のもとを訪れなかった。未練を残したくなかったからか、もうすべきことがなくなったのか。結局、別れの言葉も言えないままに僕と彼女との関係は終わった。
見殺しにした、というべきだろうか。死すべき運命であるとわかったうえで何もできなかったことは僕の心に深い傷となって残り、これからもアイラのことを忘れることはできそうにない。これが、アイラの言った呪いなのだろうか。
彼女は、彼女たちはあの島クジラに縛られていた。島クジラに人生のすべてを依存し、その思惑通りに生きて死ぬことが彼女たちの運命であったのだ。僕はその運命を、ただ傍観することしかできなかった。
だから、これは彼女の分まで生きるとか、そういうことではない。そんな風に彼女の何かを受け継げるほど、僕は彼女と深い関係を築くことができていない。ただ、彼女たちの生き方をみて、そうなってしまってはダメだと、自分の人生は自分の思う通りにしなければいけないと、そう思ったんだ。
彼女は、定められた運命の通りに、生きて、死ぬ。でも僕は、運命で決められたとおりになんて、生きてやつるつもりはない。あれが運命の出会いであったとしても、彼女の死が運命の死であるとしても。
僕は、僕の人生を、生きる。
タイトルは「運命の死」と迷った。