うたかたショートストーリー、またはやる気のない短編集 作:塩崎廻音
僕の友人にはプロ志望のゲーマーがいる。プロを目指しているだけあってそいつのプレイはとても巧みで、しかも魅せるプレイを信条にしているらしくとても華々しい。曰く、「観客あってのゲーマー」とのこと。その信念の是非はともかく、彼のプレイは隣から見ているだけでもとてもワクワクするものであるから、自然を僕はゲームを自分でプレイするよりも他人のプレイを眺める時間の方が多くなった。
そして、そんな友人に影響を受けて、僕もゲームに関わる仕事につくことを夢見るようになった。友人を違ったのは、僕が目指すのはプレイする側ではないということ。僕は、ゲームプログラマを目指すことにしたのだ。
ゲームプログラマを目指すようになった僕はプログラミングの勉強を始めたわけだが、だからといって学校の勉強を疎かにするつもりはなかった。なにせ、ゲームはプログラムが動けばそれでいいというものではない。しかしながら、今までそれほど熱心に勉強に取り組んできていなかった僕が突然やる気を出したからといってすぐに成果が出るものではなく、テストの結果は散々なもの。地道な努力が大事だと自分に言い聞かせはするものの、正直なところ勉強してもあまり理解の進まない現状に焦りは感じていた。
ともあれ、劇的な解決策があるではなく。とりあえず、何かと誘惑の多い自分の部屋で勉強をすると気が散って効率が悪いと判断した僕は、放課後の教室で勉強を進めることにした。図書館でもよかったのだが、ちょっと移動が面倒だったのと、授業後の復習からそのまま勉強へとスムーズに移行できる無駄のなさから最終的に教室になった。
ある日、いつものように放課後の教室で勉強していると、ふと後ろに人の気配があることに気づいた。初めはだれか忘れ物を取りにでも来たのだろうかと放っておいたのだが、なかなか立ち去る様子がない。何だろうと後ろを振り返ると、クラスメイトの小柳さんが僕の様子をじっと観察していた。
ぱちくりと、僕が振り向くことを予想していなかったらしい彼女は目を瞬かせる。ちょっと間抜け面で固まっているのが妙にかわいらしい。僕も、まさか自分を見ていたなどとはおもわなかったので、思わず固まってしまった。
数秒、奇妙な沈黙があたりを支配する。沈黙を破ったのは小柳さんだ。
「ごめんね、ジロジロ見ちゃって。でも、どうしても気になっちゃって…」
「気になったって、何が?」
「ねえ、石田君。あなたの夢を、教えてください」
いきなりの質問にドキリとする。その質問は、明らかに僕が何かの夢を目指して勉強していることを理解した問いかけだった。
僕の夢は、きっかけとなった友人以外の誰かに話したことはない。というか、夢を持っているということを話したことがない。今までろくに勉強してこなかった僕がいきなりゲームプログラマを目指すという無謀さからちょっと気恥ずかしさを覚えていたというのもあるし、周りに具体的な夢を目指す友達がいないので話す機会がなかったというのもある。流石に放課後こうやって勉強していることに突っ込まれはしたが、テストの点が悪くて怒られたとかでごまかしたら特に疑われもしなかった。
ゲーマーの友人は学校が違う。だから、僕が夢に向かって努力していることを小柳さんが知る図べはないはずなのだ。
――これは一体、どういう状況なんだ?
酷く混乱する。小柳さんはどういう意図をもってこの質問を投げかけてきたのだろうか。
「お願い…」
ただ、小柳さんの真剣な顔を見ると、適当にごまかしてこの場を凌ぐ気にはなれなかった。意図は分からないが軽い気持ちではなさそうだ。
意を決して、正直に夢を語ることにする。無謀と笑われようが、目指すと決めた夢だ。ここではっきり宣言できなければ、真剣に目指しているとは言えないのではないか。そう思ったのだ。
「ゲームプログラマになりたいと思ってるんだ。友人の影響で」
「ゲームプログラマ…」
「そ。でも、今まであんまり勉強してこなかったから、正直厳しいとは思うけどね」
本当に。プログラミングの勉強をしていても、今までサボっていたツケが重くて大変に苦労している。
「それで最近いつも勉強しているの?」
「そういうこと。正直、あまり成果は上がっていないけど」
「なるほど…」
そう言って小柳さんは考え込む。何だろう、聞くだけ聞いて考え込まれると、対応に困る。
しかし、その戸惑いは長くは続かなかった。ほどなくして考えが纏まったらしい小柳さんが、こう切り出してきたのだ。
「だったら石田君、私が勉強を教えよっか?」
それは、意外な申し出だった。僕と小柳さんとの間に特別な交友関係はない。ただのクラスメイトだ。だから、小柳さんがわざわざ友人でもない僕に勉強を教えようとしてくれる理由に、心当たりがない。
「いいの?」
混乱の中、その言葉だけが口をでる。意図は分からないが、申し出はありがたい。詳しくは知らないが、小柳さんは毎回テストで上位の成績を維持しているらしい。そんな小柳さんの協力が得られるのであれば頼もしい限りだ。
「うん。精一杯、協力するから」
「迷惑じゃない?」
「迷惑だったら自分から言い出さないよ?」
確かにその通りだ。だったら、答えは一つしかない。
「ええと、じゃあ、よろしくお願いします」
「はい。こちらこそ、よろしく」
そう言って小柳さんは手を差し出す。握手を求められていることを理解するのに、数秒の時を要した。
差し出された手を握る。何が楽しいのか、ニコニコと笑う小柳さんの表情が印象的だった。
こうして、僕は小柳さんの協力のもと勉強を教えてもらうことになった。この時はまだ、小柳さんが本当は何をしたいのかを理解していなかったけど。
***
小柳さんの申し出はクラスメイトに対する善意の協力だと最初は思っていたわけだけど。どうやらそればかりではないらしいと気付いたのはそれからほどなくしてのことだった。
嘘をつかれたわけではない。申し出通りに小柳さんは勉強を教えてくれたし、その教えは非常に分かりやすいものだった。僕が通っている学校は進学校というわけでもない普通の公立校であるので、教師の質もそれほど良いわけではない。一部の教師なんかはほとんど教科書をそのまま読んでいるだけの授業をしており、それが夢に目覚めた僕の頑張りを阻害していた面もあった。
それに比べて、小柳さんの教え方は非常に分かりやすいものだ。小柳さん自身が学習範囲の内容をしっかり理解して話しているというのもあるが、それ以上に相手の理解度に合わせた説明をする能力が非常に高いのだ。僕が何を理解し何をなぜ理解できないかを読み取りそれに合わせて説明してくれるおかげで、それまで全然理解できなかった数式や解釈がスムーズに理解できるようになった。小柳さん様様だ。
ただ、ちょっと不思議に思うことがある。小柳さんが明らかに熱心すぎるのだ。
僕に合わせた説明をするくらいだったら普通の頑張りの範疇である。しかし、小柳さんは僕の理解に合わせたテキストや小テストを毎日作っているのだ。その出来はかなりのもので、どう見てもちょっとした時間で作られたようなものではないことが分かる。どうしてここまでしてくれるのだろうか?
可能性として最初は男女の意味での好意でもあるのだろうかと思ったが、お礼もかねて一緒に出掛けようかと誘ったら秒で断られたところからすると、そういった意図はないように思える(ちょっと残念)。
小柳さんに聞いてみても、「夢のためだから!」の一点張りで何も教えてくれない。自分の夢のために頑張るならわかるが、これは他人の(しかもただのクラスメート)夢のための頑張りだ。小柳さんが特別優しいとしても、ちょっと行き過ぎなように思える。
微妙に、気持ち悪い。小柳さんに悪意がなさそうなのは分かるが、逆にここまで好意的に接される意味も分からない。疑問を持ったまま、もやもやとした日々が続く。そんな内心の葛藤とは裏腹に勉強の方は絶好調で、テストの成績もどんどん向上している。
そしてまたこれが良くわからないのだが、結果が出るごとに小柳さんまでものすごく喜んでくれるのだ。これで(おそらく)好意はないというのだから、もはや不気味なくらいだ。洗脳でもされているのではないか。
そんなわけで、ついに耐え切れなくなっていつもより少し強めに小柳さんの頑張りの理由を聞くことにした。このままでは勉強に手がつかないとまでは言わないが、一抹の不気味さに集中力を欠き気味なのも事実。
「というわけで、教わってる立場でこういうのもあれだけど、どうしても気になるから。なんでこんなに頑張って手伝ってくれるのか、教えてもらえる?」
ちょっと詰問みたいになってしまった。ただ、あまり軽く聞くと今までのように躱されてしまうかもしれない。
僕は少し覚悟を決め、じっと小柳さんを見つめる。
「…夢の、ためだから」
「それは聞いた。でも、他人の夢のためにそんなに頑張るのって、普通じゃないよね?」
「石田君は友達だから…」
「ありがとう。でも、友達でもここまでしないってば」
「……」
すこし、強く聞きすぎたか。小柳さんのおかげで勉強が進んでいるわけで、気にはなっても不利益を受けているわけではない。非難したいわけでもない。ちょっと言い過ぎたかと、だんだん不安になってくる。
ややあって、小柳さんは語りだした。
「その、私は、人が夢を追いかける姿が好きなの。だから、夢を追いかけている人を見ると応援したくなって」
嘘ではないのだろう。ただ、すべてを語ったわけでもないのだろうなと思う。そこの言葉を口に出した小柳さんは、どこか迷っているような雰囲気だった。他にも、語ろうか迷って隠していることがあるに違いない。
ただ、今日はここまでだろう。小柳さんのこの雰囲気から言って、今はこれ以上語る気がないのは間違いない。これ以上は今の関係では踏み込みすぎだ。まっとうに関係を深めていけば、あるいはいつか話してくれる気になるかもしれない。それくらいで十分だ。
「ありがとう。ごめんね、問い詰めるみたいになっちゃって」
「ううん、いいの。私も張り切りすぎてたし…」
そして、再び沈黙が場を支配する。ちょっと不用意だった。今日はもう勉強を教えてもらうこともできないだろう。ちょっと気まずすぎる。
「…じゃあ、今日はこれで」
そう言って、席を立つ。そんなすっかり変えるつもりの僕の袖を引いて(ドキッとした!)、小柳さんは意外な言葉を投げかけた。
「ねえ、今週末、一緒にどこかに遊びに行かない?」
なんですと?
***
小柳さんからのデートのお誘いを受け、その週末に僕と小柳さんは待ち合わせて街へと繰り出した。デートのお誘いとはいえ色っぽい意味はなかったようで、行ったのはゲーセンやショッピングといった所で普通に友人同士が遊ぶような内容であった。いや、僕としては異性と一緒にというだけで特別楽しかったけれども。
小柳さんの方は特に何か意識した感じはなかった。クラスでも友人が多い小柳さんにとって、男友達と遊びに出かけるというのはそこまで珍しいものでもないのかもしれない。
そんなわけで、小柳さんとの初めてのデートはつつがなく終わった。今回も意図は読めなかったが、この前の詰問事件のことは気にせずに仲良くやっていこうということだろうか?相変わらず小柳さんは分からない。
それからも、小柳さんから勉強を教えてもらい、度々一緒に遊びに出かけて。光陰矢のごとく毎日が過ぎていく。今では小柳さんと僕はすっかり友達といっても差し支えない関係だと思う。
さて、そんな風に小柳さんとの関係が上手く進んでいくのに合わせて、僕の勉強もこれまで以上に順調に進んでいた。最初の何がわからないのかが分からない状況を脱し、自分が理解していない箇所を把握できるようになってきたのが大きいのだろう。今では小柳さん抜きでもそれなりに勉強が進む。
いや、小柳さんの解説があるとずっと捗るのは確かなんだけど、ずっと小柳さんを拘束する必要がなくなったのは大きい。そんなわけで、用事があればそちらを優先してもらっても問題ないという趣旨の言葉を伝える。
その言葉を聞いた時の小柳さんの表情は、予想だにしないものだった。まるで、何か大切なものが逃げて行ってしまうかのような悲痛な表情に、僕はぎょっとする。小柳さんはしばし耐えるような表情をした後、僕にこう切り出した。
「石田君、プログラミングの勉強もしていたよね?」
「え?ああ、うん。もちろん、ゲームプログラマには必要だし。独学だから、ちょっと難航してるけど」
プログラミングの勉強は、他の勉強に比べてあまりうまくいっていない。まあ、学校での勉強に加えて小柳さんの指導がある他の勉強に比べて、プログラミングは完全に独学。周りに経験者もいないようだからアドバイスを聞くこともできない。一応、小柳さんの指導を応用することでプログラミングの理解もちょっとだけ進んだけど、それでも進展はいまいちだ。
「じゃあ、今度からプログラミングについても、教えてあげる。お父さんがそういう仕事をしてるから、どうやって勉強すればいいのか聞いてみるよ」
「あれ、小柳さんってプログラミングができたんだ?」
「ううん、私はできないよ。だから、お父さんに聞いて私も勉強する」
それは、歪な申し出だった。今まで小柳さんから受けた指導は小柳さんが授業で理解したことを元にして行われたものだ。つまり、小柳さんがわかっているから説明できたということ。当たり前だ。
しかし、今回の申し出が意味することは、小柳さんが理解していないことを教えるために、これからそれを勉強するということ。例え小柳さんの理解力がことごとく僕を上回っているのだとしても、流石にそんな付け焼刃の知識による指導で学習が進むわけがない。
「いや、それはちょっと流石に。プログラミングに関しては独学で頑張るから」
「待って、じゃあ、お父さんに頼んで勉強を見てもらうように…」
「いやいや、そんな訳にいかないでしょ」
同級生(しかも異性)の親に勉強を教えてもらうとか!地獄か。
「お父さんも忙しいだろうから、そこまでしてもらうわけにはいかないって」
「でも、だって…」
ぐずる小柳さん。一方で僕は、ちょっとだけ状況を呑み込めていた。多分、小柳さんは僕に勉強を教えるという機会がなくなることを恐れている。理由は分からない。ただ、頼んでいないプログラミングの指導をかなりの無茶をしてでもしようと言ってきたことから、そこは間違いないと思う。
問題は、なんでそんなに僕に勉強を教えることに固執しているかだけど。
――隠していた何かに、関係があるのかな?
以前「問い詰めた」時に何か隠している風だった、そのこと。多分そのあたりの事情が、この小柳さんの様子の原因になっているんじゃないかと思う。そこに、踏み込んだ方がいいのだろうか。
「あの、小柳さん…」
でも、多分「それ」は小柳さんにとってとても重要なことなのだと思う。だとしたら、今の不安定な小柳さんにそれを聞いてしまっていいのだろうか。だて、まるで弱みにつけこんだみたいで、不誠実だ。
「プログラミングの件はあれだけど、他の勉強はもうちょっと見てもらわないと不安だし。今日もこの後、教えてもらっていい?」
「…!うん、もちろん!頑張るからっ!」
ちょっと露骨すぎる誘導だと思ったが、小柳さんは気にしていなかった。というか、そんな余裕がなかったのか。とりあえず、小柳さんは元の調子に戻ったように見える。
ただ、先ほどの狼狽は。僕に勉強を教える必要がなくなるという事実に対する拒否反応は。僕に、なんとなく嫌な予感をもたらしていた。
***
それからしばらくは、何事もなく時間が進んだ。あの後は特に小柳さんが精神的に不安定になることもなく勉強会が進んでいるし、一緒に遊びに出るときも問題なく楽しんでいる。
ちょっと意外だったのはプログラミングの勉強に関してで、なんと小柳さんと一緒に勉強することになった。教えてもらうのはムリにしても一緒に考えながらやってみたら何か発見があるかもしれないと提案してみたのが始まりだったのだが、小柳さんの理解力は思っていたよりも高く、僕が何度も悩んでいた部分をサクっと解決してしまったのだ。それ以来、プログラミングの勉強をするときは小柳さんの助力を得ることになった。正確には、遠慮したが押し切られた。
そんなこんなで日々勉強を進めていったわけだが、やがてその勉強会も終わりの時が近づいてきた。前回のテストで、ついに僕の数学の点数が小柳さんの点を上回ったのだ。他の教科も、いまだ小柳さんを追い越してはいないが、かなり近いところまで近づいている。プログラミングの勉強に関してはその限りではないが、こちらはもともと僕が自力で勉強すべきもの。小柳さんとの勉強会が不要になるのは、時間の問題だ。
最近はそのことを意識してか、小柳さんの表情は暗いことが多くなった。僕もそれとなくその辺について聞いてみてはいるが、いまだに小柳さんは話そうとしない。最近はだいぶ仲良くなってきていると思っていたが、まだ足りなかったのだろうか?
しかし、もう遠慮している時間はない。このまま順当にことが進めば、つぎのテストで小柳さんとの勉強会は解消になる。もちろん、口実がなくなっても勉強会を継続することはできるが、あの時の様子からして単に一緒にいればそれでいいというものでもないのだろう。勉強会の口実がなくなったときに小柳さんがどうなるのかが読めない。
だから、今日ここで強引にでも原因を聞き出す。そして、小柳さんの不安の種を排除する。小柳さんの友人の一人として、そして今までの小柳さんの頑張りに報いるためにも、ここは踏ん張り時だ。
「ねえ、小柳さん。今までこうやって勉強を教えてくれて、ありがとうね?」
「ううん、いいの。私もやりたくてやってることだから…」
「でも、どうしてこんなに良くしてくれるの?」
「それは言ったでしょ?夢のため。それに、夢を追いかける石田君を応援したいから」
ここまでは、これまで聞いたことと同じ。だけど今日は、そこからさらに一歩踏み込む。
「それだけ?」
「…え?」
「まだ言ってない理由があるよね?もうすぐこの勉強会も終わることだし、折角だから聞いておきたいな」
小柳さんの瞳が揺れる。それは、もうすぐ勉強会が終わるという言葉への動揺か、それともいつになく深く踏み込んだ僕への戸惑いか。
しばし、言葉が止まる。小柳さんは、続く言葉に迷っている。おそらくは、その根本的な理由を話すべきか、どうか。沈黙は長い。
「小柳さん」
促すように、彼女の名前を呼ぶ。それを聞いた小柳さんは、観念するかの様に、ぽつりぽつりと話し始める。それは、一人の男の半生の物語だった。
***
その男は、小さいころから成績優秀かつ真面目ということで輝かしい将来を嘱望されており、きっとどこかの大企業でそれなりの地位まで上り詰めるに違いないと言われていた。その期待に応えるかのように男は努力を重ね、地元の進学校、有名な難関大学と進路を勧め、最後には周囲の期待通りに大企業の正社員となった。その男の未来は約束されたものであると、誰もがそう思っていた。
だが、その男が周囲の期待通りにふるまったのはそこまで出会った。誰もがうらやむような有名大企業に入ったその男はわずか数年でその企業を退社し、大学時代の同期とともに新技術のソフトウェアを開発する会社を起業したのだ。周囲の人間は、皆そろってその男を非難した。そのまま大企業に勤めていれば安定した生活を送ることができたはずなのに、なんて愚かなのだと。所詮は挫折を知らない若造が世間を甘く見ただけだと。そうやって、その男の行動は失敗だと罵ったのだ。
だが、その男はそんな周囲の非難など気にも留めずにその新しい企業の仕事に邁進した。時には不測の事態にさらされて業績の悪化や倒産の危機に直面することもあった。しかし、その男は常に前を向き、仲間とともにすべての苦難に立ち向かったのだ。
やがて、その男が立ち上げた企業は大規模な案件を複数受注するような立派な企業へと成長を遂げた。彼の不断の努力は実を結び、彼の夢を確かな現実へと導いたのだった。
***
「それが、私のお父さんの話」
「……何というか、すごいお父さんだね…」
思いもよらない物語に、圧倒された。というか、そんなすごい人にプログラミングの勉強を教わるとかムリだろ。
「でも、その話を聞く限りだと素晴らしいお父さんだと思うけど、家庭だと問題があったりするの?」
そう、疑問はそこだ。あまりのスケールに忘れそうだけど、これは小柳さんが勉強会に固執すことの原因に関する話。今の話しぶりだと彼女の父親が関係するってことだろうけど、何かプレッシャーでもかけられているのだろうか?
「うん。お父さんはすごい人だし、私も尊敬している。だから、これは私の問題なの」
小柳さんがこちらを向く。その目には、ついに自分の暗部を語ることへの決意と怯えが浮かぶ。
「お父さんは周りの言葉にも惑わされず自分の夢を追い求めて、努力の果てにそれをつかんだ。その話を幼いころから聞いた私は、いつもお父さんに憧れていたの。いつか、自分もちゃんと自分の夢に向き合って、全力でその夢に向かって走るんだって」
「だけど、ダメだった。周囲に惑わされないとか、不断の努力を続けるとかそれ以前に、私には絶対に成し遂げたい夢が、全く思い浮かばなかった」
「それでも、最初はそんなに気にしていなかった。色々試していくうちに、何かやりたいことが思い浮かぶだろうって。だから、やりたいことが決まったときにそれに向かって全力で進んでいけるように、日々の勉強は欠かさなかった」
「でも、全然だめだった。できることはどんどん増えていくのに、やりたいことだけはどうしても思い浮かばない。部活とか、ボランティアとか、色々挑戦してみたけど、全部ダメだった」
「そのうちに、私は友達が語る夢の手伝いをするようになった。代償行為って、言えばいいのかな。自分の夢の代わりに友達の夢を叶えることで、いつまでも見つからない夢の代わりにしようとしたの」
「友達はみんな、喜んでくれたわ。私も、いつか見つかると思っていた夢のために色々勉強していたから、どんな夢に対してもある程度の協力はできた。そして、協力している間は、自分の夢が見つからない事実から目をそらすことができた」
「それが、私が石田君に協力した本当の理由。いや、協力じゃなくて、寄生かな…」
力なく笑う小柳さんが痛々しい。しかし、これで全部理解できた。単なるクラスメイトでしかなかった僕にここまで協力してくれた理由も、勉強会が不要になることを異常に恐れていたことも。彼女は、僕の夢に相乗りしすることで、まだ見ぬ自分の夢への挑戦の代わりとしていたのだ。
でも、それは異様な執着だ。だって、本来夢というのは、何としても成し遂げたいからこそ夢として追い求めるのだ。彼女は、夢を追い求めたいから成し遂げるべきことを探している。父親への強い尊敬の心が、彼女のその異様な執着を生み出したのか。
でも、これまで僕はその執着心に助けられてきた。始まりの感情はちょっと不純だったのかもしれないけど、その不純さのおかげで彼女は僕に接触し、僕の夢の手助けをしてくれた。そのおかげで、僕の勉強は大いに進み、一人では絶対に達成できなかったであろうレベルに足を踏み入れることができた。夢だ目標だといいつつも内心実は無謀なんじゃないかと不安に思っていたその夢に、今は手が届くだろうと確信を持てる。
彼女のおかげで僕の不可能は可能になった。だから、今度は僕が、彼女の不可能を可能にする番だ。
「だったら、僕が小柳さんの夢を探す手伝いをするよ」
「え・・・?」
その言葉に驚いた小柳さんが、こちらを向く。
「でも、今までずっと探しても見つからなかったんだよ・・・?」
「夢なんてものは探しても見つからないのに思わぬところからいきなり出てくるもんだよ。僕の場合もそうだった」
僕は、自分の夢を探したことなんて一度もない。ゲームプログラマになりたいって夢も、友人のプレイをはたから見ていたら自然と湧き上がってきたものだ。
「だから、色んな所に行って、いろんなことをしてみれば、そのうち絶対に何か見つかるから」
「でも、もう沢山試したのに、見つからなかったよ?」
「世界の全部を試したわけじゃないでしょ?」
「そりゃそうだけど…」
釈然としないといった風の小柳さん。でも、彼女の目は先ほどまでとは違って輝きを取り戻しつつある。一度は諦めたとはいえ、自分の夢を持ちたいという気持ちが再燃してきたのだろう。
だから、ここで一気に押し切る。僕に夢は叶うってことを教えてくれた彼女が、自分の夢が持てまいと嘆く姿をもう見たくない。
「僕なんて今まで何もしなくても夢が見つかったんだ。ずっと努力してきて、ずっと追い求めてきた小柳さんに夢が見つからないなんて、絶対にあるはずがない。保証するよ」
「そうかな?私にも、見つかる?」
「絶対に」
「…ありがとう」
そう言葉にした彼女の瞳から、涙がこぼれる。それは、ずっと悩んで悩み抜いて、一度は挫折したその「夢」が、もう一度動き出した証。夢を追い求めるという夢の炎が、彼女の心にもう一度灯った、その証。
「だからほら、一緒に、夢を探そう?」
「うん。頑張る」
彼女に、手を差し出す。小柳さんは、一瞬のためらいもなく、その手を取る。
彼女は、夢を追う。夢を見ることをそのものを追い求める、夢追い人。