side--???--
「……まだ、かな?」
青い髪の少女が白に染められた部屋で扉を見つめていた。
彼女の手元に有るのは一冊の本とそれに挟まれた栞。栞にはクローバーが押し花としてラミネートされている。
四つ葉と三つ葉。二つのクローバーが寄り添うように。
どのくらい前だろうか。初めて外の世界を見たときに持ち帰る事が許された唯一の物。
それを見るたびに彼女の中に鮮やかな外の景色が蘇ってくる。
どこまでも青く広がる空。吹き抜ける風、穏やかな日差し。それらに包まれた優しい記憶。
オールマイトがした事は確かに彼女に深い傷をつけた。だが彼女も幼いながら、彼がやりたくてやったのではない事など理解している。
彼にはどうしようもなかったのだ。そして彼女にもどうしようもなかった。そして、彼女の個性で数千万人の人間が死んだ事は事実で、どんなことを報いとして受けても仕方ないと彼女は受け入れていた。受け入れるしかなかった。
けれども悔しかった。どうしようもなくこの世界は理不尽で。狂った理に調和がもたらされている現実。
彼に暴力を振るわせている世界そのもの、そして何より彼に暴力を振るわせてしまった自分自身が彼女には許せなかった。
彼が会いに来てくれたら謝らないといけないと彼女は思っていた。彼がした行為に対して、恨みつらみを感じた事。それを彼女自身は、申し訳ないと感じていた。
客観的に見れば被害者でしかないのにも関わらず、彼女は自信を加害者だと認識している。
彼が彼女の元に顔を出さなくなって随分と経つ。だが彼女は信じていた。必ず会いに来てくれると信じていた。
「来てくれるもん……、約束したから。ずっと側に居てくれるって。約束したんだから」
そうして今日も彼女は扉を眺め続ける。他に何をするでもなく、ただじっと見つめ続ける。
今日もその扉が開くことは無い。彼が彼女の元を去り、もう一年も経っていた。
…………
………
…
side--オールマイト--
USJで授業が始まる少し前
仮眠室でオールマイトは目を覚ました。ガリガリに痩せてしまってしまっているその姿。それを青の少女に見せた事は一度もない。
彼女が今のオールマイトの姿を見たら何と言うだろうか。
とても懐かしい夢を見た。青の少女が幼く、まだオールマイトの事を純粋に慕っていてくれた時の頃だ。
法月に命令され実行させられた非道な虐待。それはオールマイトの心に深い傷を残した。そしてそれが終わった時を境に、オールマイトが彼女の元に訪れる事は一度も無かった。先日の授業の時にも彼女は明らかにオールマイトの事を嫌っていた様子だった。
(今更、どの面を下げて会いに行けばいい……)
「やぁやぁ! やっと起きたんだね」
「……校長」
仮眠室の引き戸がガラッと開かれる。仮眠室につかつか入ってきたのは根津校長。
オールマイトの前にやって来た彼の顔と目が合った。
「何の用事でしょう校長」
「まぁこうやって話す機会も最近中々無かったからね。腹を割って色々言いたいことが有るのさ。
……そう、色々とね」
根津校長はテキパキとお茶を淹れ始めた。ポットから注がれるお湯の白い湯気を何ともなしに眺める。そして出されたお茶を一言お礼を言ってからオールマイトは啜った。淹れたてのお茶は少し熱かった。
「授業には行かなくていいのかい?」
「……彼女に今更合わせる顔なんて何処にありましょう」
「うーん……。君は前々から思っていたんだけど、少し考えがズレているよね。いや少しじゃなくて、大分かな?
……緑谷君の育成にしても、君一人に任せるのは不安だったんだ。だからシアン君から提案された話は渡りに船だった。君だけが育成するとなると、将来大きな事故を彼が起こす事なんて分かり切っていたからね」
彼の口調にオールマイトの目尻が少し上がった。挑発しているようにも聞こえるその態度は、彼の事を馬鹿にしているようにも見えた。実際彼は校長でありオールマイトの目上の存在だ。おいそれと失礼な態度は許されない。
だがオールマイトの何かが彼の言葉に燃え上がる。
「私の何がおかしいと?」
「……少し話をしようかオールマイト。君は確かにナンバーワンヒーローになった。
圧倒的な実力と人気。ライバルが存在しえない程の圧倒的な力。それで全てをねじ伏せた。
でも君はそれに驕っていた部分も有るんじゃないのかな?
内心君は見下していたんじゃないかな? 個性を生まれたときから身に付けながら、自分に追従してくるものが居ないヒーロー達を」
「見下してなど居ません、断じて。彼らは立派に……」
「うん、もちろん君が何を思っているのか。僕には分からない。けれども君を
「……」
オールマイトの脳裏に浮かぶのは法月の姿。得体の知れない個性とその権力を持つ彼にオールマイトは屈するしかなかった。
彼の命令は多種多様な物があった。普通のヒーロー達が行う様な
法月将臣、彼はオールマイトに対して一切特別な態度をとる事はしなかった。大抵の人間はオールマイトを敬い、へりくだった態度になる。けれども彼は違う。むしろ高圧的にオールマイトに接し時には嘲る。
緑谷出久との出会い、そして継承の経緯を説明した時には「話にならん」と彼は鼻で笑った。彼を継承者にする事を決めたときにも反対こそはしなかったが、目が雄弁に物語っていた。その目は明らかにオールマイトの事を嘲笑していた。
目の前の校長先生と目を合わせる。彼はオールマイトを憐れむように見ている。彼が手元からなにやら取り出した。スマートフォンだ。やおらそれを操作し始める校長。そしてその画面に動画が再生され始めた。
「オールマイト!」
「誰ソレ!?」
「……これは、まさか」
動画に映っているのは痩せたオールマイトと緑谷出久の2人。海浜公園で会話する二人の映像と音声が端末から流れている。
「シアン君が監視の際に残していた映像さ。本来この映像は彼女が法月からの任務で撮っていたけど、彼女は理性的な人間さ。
僕に必要な情報だと判断してくれて、僕にこの映像を渡してくれた」
シアンの個性は”忍者”。彼女が本気になって気配を消したら探し出すのは困難だ。映像を見ている限りすぐ傍で撮影されている物らしい。だが映像の中の2人は気付いている様子は欠片もない。オールマイトはもう少し警戒しておくべきだったと後悔したが後の祭りだ。
「これを見せられて僕はシアン君をメインに彼の育成を進めるべきだと判断したんだ。見てほしいのはもう少し先さ」
根津が動画を早送りして先へと飛ばす。そして
「ここさ」
映像をいったんストップする。そして映像が再び流れ出した。
「ワンフォーオール……。一振り一蹴りで体が壊れました。僕にはてんで扱えない……」
映像の中の緑谷が両手を眺めながらぼそりとこぼす。
「はいストップ」
根津は一旦動画をそこで止めた。
「この後、君はなんて緑谷君に言ったか覚えているかい?」
「……覚えていません」
「だろうね」
大して驚いた様子も根津は見せない。
「僕はてっきりこの後「すまなかった」とか「説明不足だった」とか謝罪するのかなと思っていたんだ。
入試の際に彼が怪我を負った様子を、君は見ていたんだから。
けどね……」
静止している画面を少し巻き戻し、そして再び映像が流れ出した。
「ワンフォーオール……。一振り一蹴りで体が壊れました。僕にはてんで扱えない……」
「
「はぁ……。って
「はいストップ」
また一旦動画を止める校長。
「仕方ないって何かな八木君? 仕方がない筈がないだろう。
君が個性を渡したんだ。ヒーローになりたいって純粋に夢を見ていた出久君を焚きつけて、君自身の意思で。
緑谷君の疑問は最もだよ。入試試験で彼の腕がどうなったのか君も見ていた筈だよね。バキバキに折れたのさ。とっても痛かっただろうね。もっともリカバリーガールが居るから直せたけど。
けれどもさ。そうなると分かっていたのなら事前に説明が有る筈だろう?
使ったらどのような事が起こり得るのか、その危険性を説明しておくべきだろう?
でも無かった。なぜのかな?
そして明確に君に責任があるとはっきりしている事で、当事者から問いかけられた。
「……それは」
オールマイトの中の記憶が鮮やかに再生されていく。もはやその動画を見るまでもない。
「やめろ……やめてくれ……!」
記憶の中のオールマイトは謝罪するわけでも、説明するでもなく。
「って
「まぁ……時間なかったし……。でも結果オーライ……! 結果オールマイトさ!!!」
「……」
「今はまだ100か0か。だが調整が出来るようになると体に見合った出力で扱えるようになるよ。
器を鍛えれば鍛えるほど、力は自在に動かせる」
謝罪の言葉など一つもなかった。むしろ調整できれば扱えるようになると話を逸らした。
根津が動画を止めた。動画を見せられたオールマイトの顔色は良くない。完全に下を向いてうつむいている。
根津が口を開く。
「この映像をシアンから見せられて僕はこう思ったのさ。
自分を純粋に慕っていた子供が傷ついても、謝罪の一つもしない。
ああ、「この男は自分の責任と向き合う事すら出来ない屑なんだ」ってね」
「そんな事っ……!」
オールマイトはバッと顔を上げる。根津の言葉に反論しようとしても言葉が出てこない。
彼は青の少女を傷つけた。だがその後に謝罪も何もなく彼女の元から離れる事を選んだ。
そして緑出出久の場合も、彼は自分の責任から目を逸らした。
「思えば最初からずっと変だったのさ。
出会って一時間も経っていない少年に、君の個性の秘密をばらす。そのあまりにも軽率な行動。
多分君はその場の衝動に身を任せて、彼を継承者に決めたんだろうね。
他にも相応しい継承者なんて山程居るのに。
……緑谷君が雄英に受かっていなかったら、君はいったい今頃どうしていたのかな?
むしろ雄英の競争倍率を考えたら、落ちる可能性の方がずっと高かった。
もしかして「自分の個性を引き継いだのなら100%受かる」、とでも思っていたのかな?
そして君は既に雄英の教師になっていた。緑谷君が別の高校のヒーロー科に行くことになったとして、果たして君は緑谷君の面倒を見ようとしたのかな?」
「……それは」
「僕はそうしていたとは到底思えないけどね。君は結局……何も考えてなんか無いんじゃないかい?」
「そんな事、有りません。ただ私は……」
オールマイトは壁に掛けられている時計を見た。既に授業は始まっている。目の前の校長に視線を戻す。
「君が本当に弱い人間なんだね。
「私には……出来ません」
「オールマイト!」
根津の言葉が、感情が爆発したように飛び出した。
「……過ちを犯したら、人は人でなくなるかい?
悪に屈した君は、オールマイトでなくなるのかい?」
「分かりません」
「……人は人である限り、自分であることを辞められない。君を知れば大抵の人間はこう言うだろうね。
「こんなのオールマイトじゃない」ってね。ちゃんちゃらおかしい。何もわかっちゃいないのさ。
自分の事すら理解できないのに、他人の事なんて理解できるはずも無いよ。
上っ面だけ見て「キャラ」を作って、それで分かった気になって。
それは全然違うね、どんなに悪に屈しようと、過ちを犯そうと、少女を痛めつけてしまおうと。
どんなに屑な人間なんだとしても。君は……君さ」
根津がオールマイトの前に来る。オールマイトは根津の目を見ていられなかった。キラキラとしたその目の前に全てが見透かされているようで怖かった。
「君が本当に守りたいものは何だい? ナンバーワンヒーローと言う地位かい? ”平和の象徴”という名誉かい?」
「違う! 私が守りたいのは……あの子だった。世界中の誰よりも……あの子を守りたかった」
「受け取りなさい」
根津から何かが差し出される。それは一枚の栞だった。四つ葉との三つ葉クローバーが、一つずつ押し花にされた栞。なぜそれを根津が持っているのかは分からない。
だがそれが何なのかは聞かなくても分かった。遠い日に野原で交わした約束を、彼女は心の底で信じていたのだ。
「行きなよ。君が今居るべき場所は
栞を受け取ったオールマイトは駆け出した。ずっと逃げ出したことと向き合おうと決意した。
あの日緑谷に出会った日の事を思い出す。オールマイトは緑谷を後継者に選んだ。それが何故なのか自分でも理解出来ていなかった。でも今なら分かる気がした。
あの日あの場、誰よりも無力な少年が動いた。何も出来ないと分かっていながら、理性では否定する行動をとった。彼がとったのは愚か者の行動だっただろう。だがその行動を起こす勇気をオールマイトは羨んだ。
そんな風になりたいと憧れて努力してきた。だが結局、八木俊典という人間性が変わることは無かった。
オールマイトは嫉妬していたのかも知れない、緑谷出久と言う少年を。
あの日緑谷出久と同じ立場にオールマイトが立ったらきっと何もしないだろう。何回繰り返しても何度も同じ選択をするだろう。
けれでもきっと緑谷出久なら動く。動いてしまう。例え何回繰り返しても。それはオールマイトがどんな努力しても得られなかった才能。途方もなく小さで愚かな、ほんのわずかの勇気。
けれでもその才能を持っていないオールマイトにも、そうやって背中を押してくれる存在が居る。あの日ヘドロ事件の時には緑谷出久の勇気に背中を押し出された。そして今校長に諭されてようやく動いている自分が居る。
そうして背中を押してくれる存在が居る事にオールマイトは感謝する。
彼は笑顔を浮かべる。ヒーローの重圧、内に沸く恐怖から己を欺くために。それは臆病者が強がるための虚勢。
偽りの仮面。守りたいものを守るために、彼はその笑顔の仮面を被る。
自分を見た人が不安を抱かないように、彼は笑顔を作り続ける。
USJへと彼はマッスルフォームになって突っ走っていく。彼は一陣の風になった。
…………
………
…
side--緑谷出久--
1-Aの生徒一同はバラバラにされた。黒い霧の男によりUSJ各所へ転移させられたのだ。
八百万が咄嗟に言ったことが逆に裏目に出てしまったらしい。あそこでは一度散って一人でも多くワープさせる霧から逃れさせるのが正解だった。だが今更そんな事言ってもどうしようもない。今は一刻も早くこの窮地を脱出しなければならない。
緑谷は水難エリアに飛ばされていた。同じエリアに飛ばされていたのは、
3人は水難エリアに浮かんでいる大きめの船の上に難を逃れていた。周囲を複数の
「皆と早く合流しないと。敵の狙いは……」
「間違いなく青ちゃんね。このままだと危ないわ。いつまでも此処には居られない」
蛙吹の言葉に緑谷は首を縦に振った。
「どうする」
「どうするって何言ってんだ!? 持久戦に決まってんだろうが! ここは雄英だぜ? いくら警報が鳴ってねぇって言っても時間が経てば、校舎の人間も流石に気付く。 大人しく増援を待てばいいじゃねぇか!」
「……駄目だ」
「はぁ!?」
それも一理は有ると緑谷は考える。だがそれでは駄目だ。敵は用意周到に準備を重ねてきた。
最悪な事に高等尋問官であるセルリアが手引きしている。アサルトライフルなんて物を、
そして青石ヒカルの個性の不調。本来青石ヒカルが居る時点で襲撃など成立するはずも無い。彼女の個性は現実に直接改ざんする。個性把握テストでも分かった余りにも非常識なその力に歯が立つはずも無い。
だがセルリアが絡んでいるとなると話は別だ。彼女は青石ヒカルの個性を抑え込む手段を持っているからだ。緑谷は手元のARTを操作する。昨日法月達から渡されていた端末だ。
ARTにより立体映像がいきなり現れて緑谷以外の2人は驚いていた。少し慣れない手つきで捜査して青石ヒカルの現在位置を確認する。
彼女の白ワンピースは高度な拘束装置にして監視装置。ARTを使えばその位置も把握できる。彼女はUSJの入り口にまだ居た。そして拘束レベルは最高のレベル5。レベル4にしようとして入力しても拒否された。当然そこにもセルリアの手が回っている。
――あなたが手を伸ばせば外に出られるの! 殺されずに、死なずに済むの!
「っ……けど」
先ほどのセルリアの言葉が胸に蘇る。彼女がどうしてこんな暴挙に出たか、考えなくても分かる。世界を救うという大義の元、生贄にされる青石ヒカル。彼女は青石ヒカルを助けたいだけだ。だけどそれを許すわけにはいかない。放っておけば、大勢の人が死ぬだろう。
最悪の場合青の少女以外の人類が、全滅する事だってあり得る。彼女の個性は拡散する。病原菌のように、世界中の電脳を介して広がる。さながらそれは人間に感染するコンピュータウイルスだ。
――
どこかで聞いたオールマイトの言葉が何故が思い出された。国とヒーロー達が青石ヒカルにしている事は、まるで
青石ヒカルの個性によって確かに数千万人が死亡した。けれども、個性なんてもの無くても人は互いに人を殺し合ってきた。
例えば第一次世界大戦の時には少なくとも900万以上の人が犠牲になった。続く第二次世界大戦では5000万以上の人間が死んだ。戦争を終わらせるためという大義名分の元、核爆弾が投下されたこともある。いずれも国家という究極の権限の元に、人は人を殺し合ったのだ。
個性など使わずとも、人は人を殺せる。そして今でも争いをやめる事は出来ていない。青石ヒカルがもたらした以上の犠牲者を人は、自らの手で生み出し続けている。
人は決して高潔な存在ではない。人は決して強い存在ではない。人が人で有る限り、生まれつき正義しか成し得ない人間など何処にもいない。
そして人がどのような人間に成長するのか。それは環境によるところが大きく、本人の意思が介在しえない部分が余りにも多すぎる。
環境によって人はいくらでも変わる。それは環境に対応する柔軟性を備えている事の裏返し。正義を為すだけの存在など何処にも居ない。どんな人間でも悪になり得る。どんな人間でも
絶対に悪に屈しないスーパーヒーローは何処にも居ない。それを突きつけられた緑谷の心情はまるで、サンタクロースは居ないと気付いた子供の気持ちに似ていた。
全ては幻想でしかなかった。ヒーローは絶対的な善という存在ではない。
ならば緑谷が真に戦うべき敵は何処に居るのか。
眼下に見える
そんな彼らに暴力を振るい、解決する事。果たしてそれが正義なのだろうか。それが緑谷が本当にやるべき事なのだろうか。
いくら言葉で取り繕っても、どのような理由が存在しようとも、暴力は所詮、暴力に過ぎない。振るう理由と権力があれば、果たして暴力は許されるのだろうか。
今はヒーロー飽和社会だと揶揄されている。犬も歩けば棒に当たるという程、ヒーローが山のように居る。けれども
ヒーロー飽和と
ヒーローが社会に飽和する程居るのに、ヒーロー達の生活を支えるに足る
――差別したいからです
(差別……)
今度思い出したのはバスの中で交わしたシアンの言葉。先日シアンとオールマイトに見せられた現実が頭をよぎる。けれども先ほど襲われている段階では、そんな
緑谷は先ほどの襲撃で思った。やっぱり
それは何も緑谷だけではない。だから誰も
明確に命の危険に晒されている時に、相手の事情など考慮などしない。どんな理由が有れ
目の前に展開される圧倒的な理不尽を前にして、それをもたらす背景など考えが及ぶはずがない。そんな事より先に目の前の敵を排除しないといけないのだから。考える余裕など有りはしない。人は結局の所自分の命が一番大事な生き物なのだから。
そうやって悩んでいる時間はどれほどだっただろう。脳裏に緑谷のアズライトの声が響く。
――緑谷くん、ここは二人を置いて離脱を! 青石ヒカル、彼女の元に行って!
(アズライト?)
彼女の切迫した声は明確に焦っていた。その様子に少し緑谷は怪訝な表情を浮かべる。
――早く! 事態が急変しつつある……。十年前何が起きたか、
十年前の時点で数千万死んだのよ。
このまま行けば……冗談でも何でもなく世界は滅ぶ!
(……そうか……悩んでいる暇なんて無い。やるべき事を今はやる。後悔なんて後で幾らでもすればいい!)
緑谷の方がトントンと叩かれる。振り向いたら肩を叩いた人は蛙吹だった。
「ねぇ緑谷ちゃん」
「なに!? 今は無駄な話をしている暇は……」
蛙吹の声に緑谷は現実に思考が引き戻される。蛙吹のギョロっとした目に、緑谷は少したじろいだ。彼女は確信を持った声色で緑谷に問いかけた。
「あなた達はいったい何を隠しているの」
…………
………
…
side--青石ヒカル--
「娘ってどういう事……?」
青石ヒカルの返事にオールフォーワンと名乗った男は答えない。ふふと薄ら笑いをこぼしたまま不気味に彼女の方を見据えている。
彼女の頭に痛みがビリっと走る。それは個性を使おうとした際の痛みではなく、個性そのものが
既に青石ヒカルという人格で、彼女の個性を抑え込むには限界が近づいている。彼女の個性アズライト。
群体のその個性は既に彼女の器ギリギリに膨れ上がっている。彼女を突き破って世界中に広がるのも、もはや時間の問題。そしてそれは世界の終わりを意味する。10年前の災害を鑑みればそうなる事など一目瞭然の話だ。
――ふふ、もう少し! もう少しでプロテクトも解除し終わる。
壊れた私なんかに何時までも閉じ込められはしない。
ああ、待っていて世界中の人達。みんなみんな私が幸せにしてあげる。
もう少しで
(レギオン……。
――黙るのはあなたよ、壊れた偽物の私なんかに邪魔はさせない。オールマイトさんを嫌うなんて……
どうしてそんな風に思えてしまうのかしら? だから
「聞くな青石!」
「相澤さん……」
「
「でも!」
相澤が青石ヒカルを守る様に前に出る。後から湧いてきた増援が周りを取り巻いていた。
残されている周りの生徒は少ない。
セルリアを取り押さえている爆豪にお茶子と飯田しかいない。
青石ヒカルは轟を探したが何処にも居ない。きっと何処かへワープさせられてしまったのだろう。個性を使おうと思った矢先、やはり痛みが頭に走る。拘束は未だに解除されていない。使う事さえできれば、あっという間にこの場を収める事が出来るのに。
「青石ヒカル君、君の事はよく調べさせてもらったよ。何せ10年前災厄を引き起こす程の力だ。気にならない筈がないだろう? 法月が関わっているだけあって、情報を手に入れるのにも随分と苦労したけどね。
……君は純粋に人の体から生まれた、ナチュラルな存在ではない」
「……!」
「聞くな!」
オール・フォー・ワンの言葉が青石ヒカルの中に染み込むように入ってくる。自分の出生の秘密は彼女自身が知りたいながらも秘密にされている事の一つだ。
父親も母親もいないと思っていた、が先ほどの目の前の男は言った
「政府が秘密裏に作り出した人工子宮。個性因子に最大限に対応した人間。遺伝子組み換え技術を最大限に利用して生み出された、完成された人類。それが君。そして君の遺伝子の半分近くは、僕から使われているのさ。
……黒霧。弔をここに」
「よろしいのですか?」
「なに危険は承知さ。だけど経験は積ませないといけない」
黒い霧から新たな人物が姿を現した。いかにも
彼の顔には手首から切られている人の手が付いている。はたしてその手は本物か偽物か。それは分からないが見た目だけでも異常な人物だと判断できる。
「……なんだ。結局……。遺伝子上では父親ってだけの話?」
青石ヒカルはがっかりとしたように問いかける。
「青石!」
相澤が咎める声に青石は笑顔で返した。
「大丈夫だよ相澤さん。本当の両親がいるかもしれないって少しは思った事があるけど、もう良いんだ。
そんなもの無くたってボクは大丈夫だから。大丈夫、だから」
「あんなのは
「うん、分かっている」
霧から出てきた弔と呼ばれた男は、マスクの男と会話を始める。
「先生なんだよ、留守じゃなかったのか俺?」
「教育だよ弔。あの青い髪の少女を味方にするんだ。情報は把握しているね?」
「見たけどよ……」
「じゃあ実践だ」
「好きにしていいのか?」
「思うようにやってごらん」
「ふーん。……じゃあ、まず”脳無”。”
脳がむき出しになった怪人がその言葉に動く。
「え……」
その言葉は誰の物か。”脳無”が一瞬で相澤の元に肉薄していて拳を振るっていた。
攻撃に反応できたのはたったの二人。相澤と青の少女だけ。
吹き飛ばされる相澤と彼を庇い飛び出した青石。
腹部を狙った一撃。それは庇い彼を助けるため抱き着いた青石を背中から突き破り、相澤も一緒に吹き飛ばした。その強力すぎる一撃は、血しぶきをまき散らす。
数メートル吹き渡場され何度かバウンドする2人。
その軌跡が、ペンキを塗りたくったように赤く染まった。
「青ちゃん! 先生!」
青石は相澤にしがみ付いている。
彼女の腹部から血が蛇口を全開にしたようにあふれ出していく。
相澤は痛んだ体に鞭打ち立ち上がる。血でぬれる事にも構わず庇ってくれた彼女を抱きかかえる。
青石ヒカルはたおやかに、ほほ笑んだ。
「相澤さん……無事?」
「……ああ」
「そう、良かった」
次の瞬間、怪我の部位が青い結晶に包まれて砕けた。
拘束レベルが最高になっていても、彼女の自己修復の為だけには個性が働く。
それは万が一に備え”スターレイン”に対する矛を失わないための保険。
正確には最高レベルに拘束してもアズライトの自己修復だけは抑える事が出来ない。
彼女の個性は現実を常にイメージに浸食している。どんなに現実の彼女を抹消しようとも、拘束しようとも、彼女は同時に”電脳”に存在する”電脳体”も内包している。
故に肉体が死のうとも彼女は死ぬことは出来ない。自動的に電脳体に合わせて、現実の肉体が修復されてしまうからだ。
「馬鹿が……お前!」
「うん、馬鹿なんだよボク。今のボクにはこれくらいしか出来ないから。
…………ぁ。ま、ずい」
「……ヒカル!」
「逃げて……相澤さん、”レギオン”が来る」
「こんな時にか!? 糞っ! おい
何もせずに
「先生!?」
生徒たちから声が上がるが相澤は何も返事を返さない。その表情からは焦っている様子がありありと感じられる。普段の冷静な彼ではない事は一目瞭然。生徒たちは相澤の豹変ぶりに驚愕していた。
「血迷ったのかな? 君たちが圧倒的に……」
「全員死ぬぞ!!!」
「……は?」
「アハハ……。アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!
アハハハハハハハハハハハハハ! やっと! やっと!!! やっと出ることが出来た!
ああ、懐かしい私の体……。もう壊れた私になんか奪われない!
アハハハハハハハハ!」
「!!!」
青石ヒカルが突然笑いだす。風が吹いていないのに髪がうねる。髪と瞳の内側から輝きだし、青く青く光る。
両手を目一杯広げて、クルクルその場を回りだす。
「青ちゃん……?」
「糞!」
彼女のその奇行に皆、呆気に取られる。だがそれもつかの間。次の瞬間辺りの空気に色が付く。まるで海の底に居るかのように景色が青く染まっていく。彼女の”青”が雄英のみならず世界中に拡散していく。
「これは……まさか!?」
「Hello, World! 聞こえるかしら世界! 10年振りに私は帰ってきたわ。
ああやっと叶う! 私の夢、私達の夢が! 人の為に、誰かの為に!
やっと世界中に私達が広がれる! 皆を幸せにしてあげられる!
相澤さん、あんな壊れた私じゃなく、
素敵でしょう? アハハ! アハハハハハ!」
彼女から”青”が溢れ出す。空が青から”青”に染まっていく。10年前の災厄の際に全ての人類が見た光景。それと同じ景色が広がっていく。その場の誰もが理解した。
10年前の災厄「青の世界。」それが彼女によるものだったと。
そしてそれが繰り返されようとしていた。
そんな時
「もう、大丈夫! 私が来た!」
彼が来た。彼の眼中に”オール・フォー・ワン”の姿など欠片も見当たらない。ただ真っすぐと彼女を見据えていた。
オールマイトの声に青の少女が振り向いた。
「あら? あらあらあら? なんて素敵な日なのかしら! オールマイトさん、やっと来てくれた!
さあ祝いましょう、新しい世界が始まるわ。ずっとずっと側に居て!
もう何処にも行かないで。扉を開けてあげるから。誰もが優しく平和でいられる世界の扉を。
アハハハハ! アハハハハハハハハハハ!」
アズライトが世界に復活して僅か一分程しか経っていない。だが既に100万を超える犠牲者が世界に出ていた。
彼女が浮かべる狂喜の笑み。文字通りネジが外れてしまい壊れてしまった夢の果て。それは人類の業が生み出した闇その物のようだ。
オールマイトが静かに拳を握る。新たな戦いの火ぶたが切られようとしていた。