青の少女のヒーローアカデミア   作:かたやん

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第72話

「よっと……トイレはこんな感じかな?」

 プラスチック製の容器に砂が敷き詰められる。

 海路レイがふうと息を吐いていた。

 青石の尻尾がぴょんと跳ねる。彼女は未だ猫だ。あと六日間はこの姿で居なければならない。

 猫になり切り思いっきり休みを謳歌する。

 それも相澤からのお願いのひとつだ。

「はい兄さん。あと猫は綺麗好きなので、最低一日一回は砂を交換しないとですよ」

「それも本?」

「ええ」

 海路兄妹がせっせと説明書を見ながら、猫用トイレを作成していた。

 兄妹の会話の内容は猫用トイレの話題。

 青石は周りを見る。

 ここはエリが普段生活している地下の部屋。

 青石ヒカルの部屋とそっくりだ。

 白いLEDの照明だけが光源の寂しい空間。そこでエリは毎日過ごしている。

 先ほどまでいたゴミだらけの海が恋しくなる。

「砂は毎日交換か?」

「そうですよ兄さん」

「面倒くせぇ……俺がやるのか?」

「エリちゃんにさせるんですか?」

 レイはじとっと兄を見ていた。

「……どうせ一週間も無いんだしさ。このままでもいいんじゃねーの?」

「駄目です! 猫のおしっこは臭いんですから! 綺麗にしていないと大変な事になりますよ!」

「多少臭くても平気だろ、なあエリ?」

「えっと……」

 困った感じのエリ。ぴしゃりとレイは兄に指を突きつけた。

「なんでそんなにだらしがないんですか!? 駄目です兄さん! 私も手伝いますから!」

 なんだか二人の会話を聞いていると、とても幸せな気分になって、うとうとしてくる。

 猫の青石は温かい場所は無いか探し、結局エリの膝の上に乗る。

 そのまま丸くなって瞼を閉じた。

 頭と背中をエリに優しく撫でられる。 

 青石は先ほどまでの、モルグフ孤児院前の出来事を思い出していた。

 

 ……。

「こせいがんばってみる」

 青石は猫の目で見つめていた。

 まだ6歳の少女が絞り出した答え。

 緑谷は満足そうに頷いている。青石はそれを何も出来ずに見ていた。

 エリの腕の中に抱かれながら、青石は思考の海に沈む。

 青石はどうしてもエリと過去の自分を重ねずにはいられない。

 厳密に同じ環境ではない。青石とエリとではまた違う。

 だが望まない力に翻弄される辛さなら、身をもって知っている。

(エリちゃん……本当はどうしたいのかな?)

 考えてみるが分かる訳ない。そして勝手にエリの頭の中をのぞくのも躊躇われた。

 人の思考はもっとも繊細なプライバシーだ。土足で踏み入ってはいけない。

 勝手に人の心を覗き見るなど、青石は許されないと思う。

 だから考える。

 エリが何を思っているのか、何を感じているのかを。

 帰ったらエリはまた地下へと戻るのだろう。

 薄暗い部屋で他社と隔離される生活になるのだろう。

「じゃあなデク!」

 気付いたら青石たちはモルグフ孤児院の前に居た。

 考えている間に海浜公園から戻って来ていたみたいだ。一体どれだけの間考えていたのだろう。

 一行の雰囲気は決して良くない。むしろ最悪だと言っていい。

「帰ろうウラキ」

 青石は伸ばされてくる緑谷の腕からスルリと身をかわした。

「にゃっ! にゃー! うにゃー!」

 そのままエリのそばに寄り添う。

 青石は今は緑谷よりも、エリの方が気がかりだった。

 エリの心は無理ばかりして悲鳴を上げていると思った。

 相澤の言いつけを破るのは心苦しい。

 だが今は、緑谷よりもエリの方が(たす)けを必要としている。

 そう感じていた。

「来いったら! っ!?」

「フシャー!」

 しつこく伸ばされる手を、青石は思いっきりひっかいた。

 緑谷の手に赤いひっかき傷が走る。だがそれもほんの数秒。

 緑谷が気合を入れると傷は青い結晶に覆われた後に完治した。

「なんだよ……! 君も僕が間違っているってそう言うのか?」

 青石は何も返さない。ただ態度だけで心を示す。

 エリの元にぴったりとひっつき意地でも離れない。

 エリはそんな青石を抱きかかえた。

「そばにいてくれるの?」

「にゃっ!」

(うん!)

 言葉が伝わった訳では無い。それでもエリは幸せそうに笑ってくれた。

「ありがとう」

「っていうかさーデク。その猫さ借りものなんだろ? 良いのかよ?」

 レンは言いにくそうに緑谷に確認する。

「……電話して確認してみる」

 緑谷は手元の携帯電話を操作して電話をかけている。

 おそらく相手は……。

「もしもし相澤先生ですか? 実は……」

 緑谷は電話で相澤と会話し始める。それから青石は目を逸らしてエリの方を見る。

 青石はエリに抱きかかえられた。

 正面から向かい合う格好になる。

「……かわいい」

 エリにギュッと抱きしめられる。温かい感触に青石は目を閉じた。

「良いってさ」

 電話を終えた緑谷がこちらを見ている。

「良いってつまり!」

「うん、ウラキはエリちゃんの元に預けて良いって」

「「やった!」」

 緑谷の言葉にエリとレイは大はしゃぎしている。

「今から六日間だけだけどね」

「ええー」

「また明日来るよ。じゃあね」

「バイバイ! デク!」

 

 ……。

「あ、起きた」

 どのくらい寝ていたのだろうか。青石は目を覚ます。

 気付けば猫用のベッドに寝かしつけられていた。

 大きく欠伸をして伸びをする。

 エリは食事中だった。

 ぼんやりとそれを眺める。あまり頭がはっきりしていない。

 すると背後からむんずと首元を摘み上げられた。

 驚いた青石は手足と尻尾をバタバタさせる。

「お前、緑谷の元に貸したんだけどな、()()()

「にゃっ!?」

(げっ! 相澤さん!? 何でここに!?)

 寝起きではっきりしなかった頭が一気に覚醒する。

 思わぬ人物の登場で青石はパニック状態だ。

「それイレイザーの猫だったん?」

「ああ」

(息を吐くように嘘をつく! いけないんだー相澤さん)

 レイ少年も居た。妹のレイはこの場には居ないようだ。

 寝ている間に何処か行ったのか。

 青石は尻尾をバタバタ振った。

 相澤は青石を放す。

(うわ!)

 猫の青石は、いきなりに空中に放り出され。だが難なく床に着地する。

(うう……そんなに高くなかったけど、いきなり放すなんて酷いよ相澤さん!)

「エリ」

 相澤はそんな青石には目もくれない。

 エリの方を見ている。

「えっと……なんですか?」

「近々お前は雄英で暮らすことになる。校長と話し合った結果、雄英で引き取る事になった」

「ええ!? 雄英で!?」

(エリちゃんと相澤さん知り合いだったんだ……)

 青石の心にチクッと刺さるような感覚がする。それに熱く燃えるような感覚。

 自分の知らないところで、相澤が知らない子と知り合いになっている。

 それが青石の何かを燃え上がらせる。

「ゆうえい、ですか?」

「そうだ、今よりは多分マシになるだろう。軟禁状態は多分避けられないが……」

「イレイザー、エリちゃんを無個性には出来ねぇの?」

「目上に対する言葉は選べ、レン」

「……エリちゃんを無個性に出来ませんか? ”イレイザーヘッド”」

「……校長に掛け合ってみる。だが最終的に判断を下せるのは青石自身だ。

 青石が嫌がったら、お前達がいくら騒いだところで意味は無い」

 相澤はそう言いながら青石の方を見てくる。

 青石は目を逸らす。

 青石は迷っていた。青石自身、エリは”無個性”になった方が良いと思う。

 個性なんて無くても人は幸せになれる。

 こんな生活を強要されるような力など捨ててしまっていいと思う。

「そしてそれは最終手段だ。何よりもエリ自身がどう思うか。

 それが一番大事だ。……エリ」

「……あいざわさん?」

「エリは、どうしたい?」

「どう……」

「自分の個性をどうしたい? 持っていたいか? 捨ててしまいたいか?」

「……」

 相澤は優しい目でエリを見ている。青石はそれを外側から見ていた。

 自分と相澤が普段どんな感じに周りから見えているのか、それが分かる気がする。

 相澤は基本的に厳しい。だけど最終的に青石自身を尊重してくれる。

 そばに居てくれる。

「どんな答えを出しても、誰も責めやしない。自分に正直になってみろ」

 相澤の言葉にエリは一つ頷いた。

 おずおずと口を開いて、話し始める。

「……わたしいままで、いろんな人に迷惑かけてきました。

 お父さん……わたしのこせいのせいで死んじゃったんです。

 もしかしたらレイやレンも死んじゃうんじゃないかって……そう思うときもあります。

 怖くなって……ねむれないときがあります」

「オレは絶対死なねぇ!」

「無責任な事を言うんじゃないレン。絶対だなんて誰にも言えやしない」

「でもよ!」

「レン」

「……分かったよ、ちぇっ!」

 それもまた自身の経験上だろう。エリの個性が分からない以上、何が起きるか分からない。

 エリ自身まだ幼い。制御もかなり難しい。

 制御させるとしたら、過酷な訓練を強いる事になる。それは余りにも残酷すぎる。

「緑谷さんはこせいを捨てるなんてもったいないって言ったけど……。

 でも。もし本当にこせいをすてて……むこせいになって……やりなおせたら。

 どんなにいいかなって……そう思います」

「そうか」

 それは本心だと青石も思う。

 緑谷のいう事ももしかして一理あるかもしれない。

 だけど青石は納得できない。

 緑谷の論理は”個性”や”力”に執着した言い分だ。

 本当の幸せはそんなものとは関係ない。

 青石が相澤を好きになったのは、彼に力が有ったからではない。

 そばにいて、支えてくれたから。心の拠り所であってくれたから。

 それは緑谷が知る”力”とは違うものだ。

「ほんとうはわたし、

 こんなちから……いらない。こんなちからほしくない。いらないっておもってます」

「そうか、分かった、なら……」

「分かったよエリちゃん。そのお願い叶えるよ」

 相澤の言葉に青石は割り込んだ。

「なっ!?」

 青石は猫の姿を解く。

 腰まで伸びた青く長い髪、同じ色の瞳。

 まだ小学生程度にしか見えない未発達の手足。

 猫の体を捨て去り、誰もが知る本来の姿へと戻る。

「あっあっあっ……青石ヒカルゥーーーー!?」

 咄嗟に青石は個性で、レンの悲鳴を部屋の中に閉じ込めた。

 ついてにエリや相澤の鼓膜も守った。

 ここは地下五階なので、本当は外に漏れる心配など気にしなくても良かったのだが。

 レンは相澤の捕縛布でぐるぐる巻きにされた。

「モガガ!?」

 レンはもがもが口で何か言っているか聞こえない。

「この馬鹿。なぜ姿を晒した」

「あいた!」

 相澤から小突かれる。軽く叩かれた頭を青石は両手で押さえる。

「猫さんが……青石さんに……?」

 エリはただただ驚いている。

「うん、騙していてごめんね。その猫、ボクだったんだよ。内緒にしていてね」

 戸惑っているエリに青石はウインクする。

 いまだ驚きから覚めないエリの体を抱きしめた。

「エリちゃん、後悔しない?」

「えっ?」

「君を”無個性”には簡単にできる。だけど、それで本当に後悔しない?

 その個性は危険かも知れない。でも同時に”可能性”なんだよ。それを捨てる事に迷いはない?

 ……君の本当の心教えてよ」

「……こうかいはすると思います」

「そっか」

「だけど、こせいをすてなくても、多分こうかいはすると思います。

 それにわたしが一番大事なのは……友達なんです。

 レンやレイとずっと友達でいたいです。

 もし、お父さんと同じように、わたしのこせいでいなくなったら。

 きっとわたし、わたしを許せなくなるって思います」

「そっか……うん、そうだね」

「だから可能性をすててなんてません。こせいよりも、ちからよりも。

 わたしは皆と一緒に居るみらいを、えらびたいんです。

 だからわたしは、ちからなんていりません。

 友達とそばにいれたら。……だれかを助けられたなら」

「……耳が痛いなぁ。偉いよエリちゃん、うん。とっても偉い。

 ボクなんかよりエリちゃん、君の方がよっぽど強いよ」

「そ、そんなことありません! わたしは……」

「エリちゃん。最後の確認だよ」

「……はい」

 青石は居住まいを正す。雰囲気を変えた青石に、エリも引き締まった顔になった。

「君はボクに何を願いますか?」

「……わたしを”無個性”にしてください」

 迷いなくエリは告げる。青石も覚悟を決めた。

 緑谷がこれを知ったら、何を思うか想像は付いた。

 だからと言って、止まる気はない。

 これは緑谷の問題ではない。エリ自身の問題なのだから。

「その願い、叶えるよ」

 光がエリを包み込む。あたたかな木漏れ日のような光。

 エリの体から光る何かが抜けていく。エリの体に変化が起こる。

 額に生えていた角は、光の粒になって消えていった。

「わぁ……」

「終わったよ、エリちゃん。今日から君は”無個性”だよ」

 エリが青石に抱き着いてくる。

 青石は一筋の涙を流した。

「青石さん……? なんで泣くの?」

「ううん、ごめんねエリちゃん。なんでも無いんだ」

「……ほんとう?」

 青石は返事をしない。

 青石自身にも分からないから。

 エリは個性を捨てる事を望んでいた。だから無個性になった。

 それだけの話。なにも青石自身が恥じる事など無い筈。

 だが胸の中に罪悪感が広がっていく。

 青石が消したエリの個性。それに”可能性”があったのは紛れもない事実なのだ。

 個性を消していなかったら、将来エリはその個性を人の役に立てられたかもしれない。

 それは誰にも分からない。

 けれど、その未来は決して訪れない。

 こんな小さな少女に人生を左右する決断をさせてしまった。それが罪悪感の理由だろうか?

「さて、どうしたものかな?」

 相澤が首を掻きながら今後をどうするか、悩んでいる。

 エリは無個性になったので、引き取る計画も見直しが迫られるだろう。

 少し申し訳なく思った。

(多分違う……でも分かんない。分かんないよ)

 彼女は緑谷を知りたいと願い、エリを知りたいと願った。

 青石は、緑谷と分り合いたい。

 だが何一つ分からない。分かり合えない。

 互いの思いも言葉もすれ違う、心の底は見えてこない。

 そして青石は他人どころか、自分自身の事すらも分からない。

 青石は理由も分からないまま、泣き続ける。

 何も分からないなか、確かな分かる事も有る。

 エリは”無個性”になった。

 そして友達のレンと幸せそうに――笑っていた。

 他人を安心させるために、無理やり作る笑顔じゃない。

 それは、自分を偽るための仮面の笑顔じゃない。

 心の底から幸せがあふれ出て、形になった笑顔だった。

 本物の笑顔だった。


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