青の少女のヒーローアカデミア   作:かたやん

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第77話

 痩せた姿のオールマイトが息を切らしつつ廊下を行く。

 リノリウムの床が踏みしめる度に音が鳴る。

 雄英の地下に存在する循環型閉鎖都市のアーコロジー。

 そこには不気味なほどに人はいない。

 すれ違う人間は一人も居ない。

 先ほど市内の病院から緑谷は、このアーコロジーの一角に移送されたと聞いた。

 焦ったように連絡してきたシアンの声を聞いて、これは只事では無いと悟った。

 最近はシアンの顔を見ていないが、どうやら法月から任される仕事で手一杯らしい。

 青石も最近「シアンさんに会えていない」と寂しがっている。

 シアンが忙しいのは恐らく青石周りのフォローが大変だからだろう。

 見えない場所で青石に危害が加わらないように、シアンは暗躍している筈だ。

 それはともあれ、緑谷はどうやら普通の医療機関では手に負えない状態らしい。

 アーコロジーに移動する手配をしたのは恐らくは法月。

 緑谷出久は二人目のアズライトの適合者として監視は続けられていた筈。

 ガリガリに痩せたままのオールマイトは目当ての部屋の前に立つ。

 そしてノックもせずに中へと足を踏み入れた。

 そこは小さめの部屋だった。

 全体的に受ける印象は、病院の入院の個室に近い。

 部屋の一角にテレビが置いてある。

 そこからは青石ヒカルが呼びかけるテレビCMが流れていた。

『目指そう(ヴィラン)の居ない社会! ヒーローが要らない世界!』

 彼女は画面の中から訴えかけている。

 (ヴィラン)の居ない世界。ヒーローが要らない世界を。

 それを色のない目で見つめる少年が居た。

 見飽きるほど見てきた緑色の頭。

 寝起きだったのか寝ぐせでぴょんと後ろの方が立っている。

 もう、昼になる筈だが寝巻のまま。

 左上腕部には、点滴の為の針のルートがあった。

 かつてオールマイトも入院した際には付けられたことが有る。

 緑谷はすっと顔を上げた。オールマイトを見るや体をビクッと震わせる。

「緑谷少年……」

 オールマイトの口からは続く言葉が出てこない。

 何とかなにかを言おうと頑張ろうとしたが。

「えっと……どなたですか?」

 緑谷からの疑問に言葉を失う。

 オールマイトは頭を殴られたような衝撃を受けていた。

『目指そう(ヴィラン)の居ない世界! ヒーローが要らない世界!』

 テレビから彼女の訴えが空しく部屋に流れていた。

 

…………

 

………

 

 

 轟焦凍は学生食堂でお昼を取っていた。

 飯田と麗日も隣に居る。

 青石が問題児だから何かと一緒に居ることも多くなった仲だ。

 轟はそこまでコミュニケーション能力が高くない。

 友達もそこまで多く作る方では無いが、青石と一緒に居ると知り合いも増えてくる。

 だが、肝心の青石はここには居ない。

 昼休みになった瞬間、マスコミ達への対応で校門の方まですっ飛んでいった。

 そこでも自分の理想を訴えかけるのだろう。

 視線が目の前のテーブルに移る。

 今日のお昼ご飯は、ざるそばセットだ。

 だが食欲が湧いてこない。

 頭の中は青石ヒカルのことで埋め尽くされていた。

 教室での彼女の姿が頭の中でリピートされる。

――ヒーローを応援して、(ヴィラン)を見下してる奴も(ヴィラン)なんだって?

――……うん、そうだよ

 轟は驚きを隠せなかった。

 青石ヒカルが単純な意味で(ヴィラン)という言葉を使っているのではない。

 そのくらいは理解しているつもりだった。

 だが彼女は轟の想像の遥か上を行っている。

 食堂に設置されたテレビからは、青石ヒカルの訴えが流れてくる。

『目指そう(ヴィラン)の居ない世界! ヒーローが要らない世界!』

 彼女は昨日の演説でも言っていた。

 ヒーローを讃え、(ヴィラン)(さげす)むとき、あなたは(ヴィラン)になっていると。

 冗談じゃない。

 彼女の理屈で言うなら、テレビの前でヒーローに憧れている子供達だって(ヴィラン)だ。

 青石ヒカルの心に秘めていた闇は、もはや誰にも計り知れない。

 いったい彼女がこのまま理想を追い求めたらどんな世界になるのか。

「青ちゃん……どうしちゃったのかな?」

「緑谷君は気付いていたのかも知れない」

「えっ?」

 飯田の言葉に顔を向けた。

 麗日も反応している。

「青石さんと言い争ってただろう?

 緑谷君は青石さんの言っていることが本当は何なのか、分かってたのかも知れない」

 轟も思い出せる。

 あの時の緑谷の怒りようは凄まじいものだった。

「ここまで極端なこと青ちゃんが言いだすって分かってたってこと?」

「ああ……というより。彼女は一貫して主張は変えていない。

 (ヴィラン)の居ない世界。俺もそれは正しいと思う。

 だけど青石さんの定義する(ヴィラン)が何なのか……。

 俺たちは何も分かってなかったんだ」

「それは……うん」

「何が問題なのですか?」

 八百万が割り込んで来た。

 持っているトレーに昼ご飯の日替わり定食がある。

 そのまま「失礼」と一声かけて轟の正面の椅子に着席した。

「八百万さん、おかしいと思わないのか? 今の青石さんは明らかにおかしい。

 何とかしないと……」

 飯田は八百万に問いかける。

 クラスの委員長と副委員長。二人の会話に轟は耳を傾けた。

「いえ、あれから私も考えましたわ。ですが……おかしいのはむしろ私達の方ではないですか?」

「どういう意味だよ?」

 八百万の言葉に思わず口が動く。

 思った事がそのまま口に出る。

 八百万はきょとんと轟の方を見た。

「あら轟さん、分かりませんか? 青石さんと親しい轟さんならお分かりになると思いましたが」

「説明してよ八百万さん」

 麗日が話の続きを求めた。コホンと一つ八百万は咳払いする。

「いいですか? 物事には必ず元となる”原因”と、その”結果”が有ります。

 私達は今まで(ヴィラン)が発生した”結果”に対して、場当たり的な対応しかしてきませんでした。

 つまりヒーローは(ヴィラン)を排除こそすれど、(ヴィラン)の原因となる環境を変えようとはしてこなかったわけです。

 ですが、青石さんは(ヴィラン)が発生する”原因”を取り除かなければならない。

 (ヴィラン)を生み出す社会そのものを変えなければならない。

 ひいては私達一人一人が変わらなければならない。

 そう言っているのですわ」

「そんな柔な話には聞こえなかったが」

 飯田は首をかしげる。

「いいえ、考えてみたら当然の話じゃ有りません?

 例えば”無個性”や”異形型”の方々への差別は皆さん知っての通りですし。

 この世界には(ヴィラン)を生み出す様々な理不尽な土壌が有ります。

 私が言うのもなんですけど、例えば経済的な格差は深刻な社会問題です。

 それらを私達は今まで変えようと努力してきたでしょうか?

 変えようと思ったでしょうか?」

「だからといって、青石さんの考え方は極端すぎる」

 轟の言葉に八百万は首を振って否定する。

「そんなこと有りませんわ。むしろ遅すぎたくらいです。

 私達が無意識のうちに持っている”悪意”。

 (ヴィラン)が幾ら苦しもうが、知った事ではない。

 ヒーローが傷つくと悲しいけど、(ヴィラン)が傷つくと嬉しい。

 そんな風に思ってしまう私達の残酷な本性。

 それを青石さんはまざまざと、私達に突き付けたんですわ。

 私達がどれだけ残酷で愚かな生き物なのかと、問いかけたんですわ。

 だから切島さんも反発したんです。自分の胸の内にある(ヴィラン)

 今までは知らないふりをしていられたそれを、意識させられてしまったから。

 (ヴィラン)は倒されるべき(てき)でなければならない。

 差別されるべき存在でなければならない。

 ましてや自分達とは何の関りもない。

 その前提が覆されそうになっているから、怒ったのですわ。

 それこそ、その感情こそが青石さんの言っている(ヴィラン)だと気づきもせずに」

「……でも(ヴィラン)が発生しても、私達のせいじゃないよ。

 私達には関係ないよ」

 麗日がぽつりとこぼした言葉に、八百万は興奮しながら反論し始めた。

「それこそ! 青石さんが変えようとしている意識そのものですわ!

 (ヴィラン)の発生に関係していない人間なんて居ません。

 自分には関係ない。そんな風に皆思っている限り、(ヴィラン)は居なくならない。

 青石さんはそう言っているのです。なぜ分からないのですか!?」

「おいなんだなんだ?」

「喧嘩?」

 周りから野次馬がぞろぞろ集まってくる。

 平静を取り戻した八百万は手を振って何でもないとアピールする。

 程なくして野次馬は解散した。

「……さっさと飯食うぞ」

 気まずくなった雰囲気で轟は口を開く。

 無言でそれぞれ頷き、食事を口に運び始めた。

 テレビからは相変わらず青石が(ヴィラン)の居ない世界にしようと呼びかけている。

 一人一人が考えなければならない。そう訴えかけている。

 彼女の言葉に耳を傾ける人はほとんどいない。

 みんな(ヴィラン)は他人事だと割り切っているように思う。

 その無関心こそがきっと青石の言う(ヴィラン)なのだろう。

 この世界に生きる全員が、(ヴィラン)が発生する原因になっている。

 そう青石は言いたいのかも知れない。

 味のしない昼飯を轟は食べ終わる。

 これ程に、そばを不味いと思ったのは初めてだった。

 

…………

 

………

 

 

「やぁ八木君。久しぶりだねぇ。来るんじゃないかと思っていたよ。

 シアンから連絡はいってたはずだからね」

 アーコロジーの一角。

 学校の保健室の匂いに似ている空気が充満した部屋。

 何に使用するのか想像もつかない機械がわんさかあふれていた。

 そのガラクタの山をかきわける、一人の白衣を着た男が這い出てくる。

 極端に色白でオールマイトに負けない程ガリガリに痩せている。

 男はふうと額の汗を手の甲で拭った。

「イエロー」

「いっくんって呼んでくれよぉ」

 その男の本名をオールマイトは知らない。

 以前聞いたら答えてくれなかった。いわく既に捨ててしまったのだとか。

「本名を教えてくれたら、そっちで呼ぶんだが」

「やだね。言っただろ? 元の名前は捨てたんだ。俺の名前はイエロー、それだけさ。

 ……用件は緑谷君だろう?」

 無言でオールマイトは首を振り肯定する。

 イエローはドカッとリクライニングチェアに腰かけた。

「まぁ、ああなるまで……よく持ったもんだよ。本当にね」

「彼はどうなっているんです?」

「一言でいうならズタボロ」

「ズタボロ?」

「まぁ脳の方がね。もうあっちこっち死んでるもんだからさー。

 きっとアズライトの力のせいだろうね。あれは元々人に扱えるもんじゃない。

 アレをちゃんと扱えるのは青石ヒカルだけさ。

 神にも等しい力を使おうって言うのなら、相応に代償が要るってモノだからね」

「だが緑谷少年は適応していた筈……」

「それこそが想定外。イレギュラーだったからね。知ってるだろ?

 十年前の個性改造手術で、あの子の個性は世界中に散らばった。

 そして拡散したアズライトの、ほんの一部が宿っただけで人は死んだ。

 元の個性の数億分の1以下の力でも、人は耐えられない。

 だから緑谷少年がああなるのは、時間の問題でも有ったのさ。むしろ意識があるだけ凄いとしか言えない」

 オールマイトが緑谷に面会したとき、彼はオールマイトを覚えていなかった。

 それどころか、テレビの向こうの青石ヒカルも覚えていない様子だった。

「……緑谷少年は、記憶喪失なんですか?」

「まぁ、そうだね。いや、むしろそれどこじゃない後遺症さ」

「回復は?」

「無理。むしろこれからどんどん悪化していくだろうね」

「……」

 イエローの軽い口調にオールマイトの眉間にしわが寄る。

「そう怖い顔するなって。無理なものは無理。

 記憶を思い出そうにも脳みそがイカレてんだからさ。

 その症状はどんどん進んでいくと思う」

「どのくらいの確率です?」

 イエローは顎に手をやる。

「99.99999……まぁほぼ絶対と言っていいほどの確定事項さ。

 だからこれからのケアプランを作成しなくっちゃだからね。

 もう大変だよ」

 彼はゴソゴソと脇にある机の引き出しを開いて、まざくりだす。

「ケアプラン?」

「そう、もう彼は認知症だからね。いわゆる特殊な若年性認知症ってやつ。

 まぁ事故とかで脳が傷ついてとかは、割とよくある奴だけどさ。

 こういう個性で脳みそがやられるのは、珍しいねぇ。

 そー言うわけで……さ!」

 イエローは「あったあった」と言いながら一枚の用紙をオールマイトに渡してくる。

「これは……?」

「ケアプラン。まぁまだ暫定だけどね。

 近い将来。緑谷君はザックリと、たぶんこんな風に日常生活をするよって計画書」

 オールマイトは目を通す。

 そこには朝の起床から、毎食何時に食べるか。

 日々の行動をどのように送るのかの事細かに想定して、タイムスケジュールが組まれている。

「何なんですかこれは!?」

「だからケアプランだって」

「ここに排せつは主におむつを使用するとありますが、馬鹿にしているんですか!?」

 オールマイトが指摘したところに確かに書いてある。

 排せつは主に紙おむつの使用を前提にすると。

「緑谷少年はまだ……!」

「だから落ち着きなって。今後そうなるかも知れないって話。これからどうなるかは分からない」

「……」

 イエローは苦笑いしながら、両手を広げる。

 だが次の瞬間には真剣な顔に戻った。

「でも実際既に運動機能の低下が確認されてる。

 俺も出来る限りの処置はするけどさ、このまま行けば歩けなくなるのは時間の問題。

 だったらこんな風にするしかないだろう」

「ですが……」

「人間なんてこんなもんさオールマイト。食べなくちゃ誰も生きていけない。

 そして飯を食ったら(くそ)は出るし、小便も出る。

 食べると出すはワンセットなんだ。

 緑谷君は、多分じきに歩けなくなるだろう。

 そうなったら自力でトイレに行くことも出来ない。

 脳機能の低下が続くと、排便排尿のコントロールも出来なくなる。

 人間ってさ力が無くちゃ、自分で用を足す事すら出来ないんだ」

「っ……」

 緑谷にこれから来るだろう過酷な現実を思うと胸が痛い。

 いったいどうしてこんな事になってしまったのか。

 まるでこれでは人生の終わりが見えている老人そのものだ。

「本当は専用の介護施設に入るのが一番なんだがねぇ。

 その辺りもおやっさん……法月にも打診しておくよ。

 何しろアズライトが絡んでるからね。良い施設にきっと入れるはずさ。

 もしかしたらずっとここで暮らすかもしれないけど、まだ分からないね」

「彼は元の生活に戻れないのか?」

「どこを”元”とするかにもよるねぇ。だいたいさオールマイト。

 (ヴィラン)との戦いは命懸け。

 君が彼に個性を譲渡したときから、少なからずこんな未来になる可能性はあった。

 力を渡した君にも責任があると思うんだがねぇ。そこんとこどうなのよ?」

「帰ります」

「せめてさ、帰りに顔くらいみせてあげなさい」

 彼の言葉を背中に受けながらオールマイトは扉を閉めた。

「そうだ……彼女になら……」

 オールマイトは早足になる。

 一刻も早く、最後の希望の元へと急ぐ。

 彼女になら、青石ヒカルならば何とかしてくれるだろう。

 何しろ緑谷は友人だったのだ。

 最悪の形で別れたにしても、彼に対しての情は残っている筈だ。

 彼女に縋るしか道は無い。

「緑谷少年……」

 後ろ髪をひかれる思いで緑谷の部屋の前を通り過ぎる。

 どんな顔をして会えばいいのか分からなかった。

 今の彼はあまりにも惨めで、とても見ていられなかった。


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