ロモスの城下町に到着したのは、空が橙に染まりかけた頃だった。
「――大きい街ですね」
手前には石造りの家々が立ち並び、奥の高台に大きな城が見える。
素朴ながら堅実な印象を受ける街並みは、王と国民達の人柄を表しているように思えた。
「私、街に来るのは久しぶりです」
「おれも二度目だけど、やっぱり人が多いなぁ」
行きかう人々に目をやりながら、アティはダイと共に目を細めた。
日が暮れる前に到着できたのはマァムの案内があったからだ。それでも、近道優先のルートを選ばなければこうはいかなかっただろうが。
クロコダインに見つかることを恐れて遠回りするよりは敢えて近道を選んだ。
どうせいつかは襲われるだろうし、アティ達に意識が向かえばその分、ネイル村が安全になると考えたからだ。ただ、まあ、結果的に、道中モンスターには遭遇したものの、クロコダインが襲ってくることはなかった。
「二人とも、今までどんな生活をしてたのよ……」
「まあ、実際、デルムリン島にはなんにもなかったからなあ……」
マァムが不思議そうに首を傾げ、ポップが感慨深げに頷く。
アティはにこりと笑い、詳しい説明を誤魔化した。
デルムリン島に来る前も島暮らしが長かったと白状したら、なんだか余計に驚かれてしまいそうだ。
――ちょっと懐かしい気がします。
『名もなき島』に来る前は都会での暮らしが長かった。
家庭教師になる前のアティは軍人をしていた。『帝国』の軍学校は大きな街の外れにあったし、軍に入ってからも似たようなもの。
休日に街へ買い物に出ることなどはよくあった。
人の住む街の雰囲気は、リィンバウムのそれと良く似ている。
強いて言うなら全体的に古めの印象を受けるだろうか。
元の世界、特に『帝国』や『聖王国』の街はかなり整備が進んでおり、大通りを歩くと清潔で煌びやかな印象を受けた。ロモスの大通りも十分に立派だが、どこか雑多というか、飾らない雰囲気がある。
リィンバウムには異世界の影響があったことも原因の一つだろう。
人は便利なものをどんどん取り入れていく生き物だ。
石造りやレンガの住宅の他、鬼妖界シルターンの技術を取り入れた木造の家もあったし、機界ロレイラルの思想から素材の加工やデザイン的な洗練も進んでいた。
どちらがいいかと言えば、慣れの問題で故郷の方が良いと感じるが。
出身が平民であるアティには、この空気も尊いものだ。
「食料や消耗品の買い足しもしないといけませんね。できれば服や武器も揃えたいですけど、路銀が心元ないので難しいでしょうか……」
「アティ先生の服って結構上等な素材ですよね。替えを探すのは大変そうですけど」
「マァムは来たことがあるんだよね? 良いお店を知りませんか?」
「そうですね、だったら……」
せっかく街に来たのだ。
やるべきことを指折り数えるアティに、マァムが笑顔で答えてくれる。
二人が買い物――主に服と食料品――の相談で目を輝かせ始めたところで、ポップがこほんと咳払いをした。
「買い物もいいけどよ、早く城に行かないと閉まっちまうんじゃねえか?」
「あ」
「そうでした」
我に返った女二人は、照れ隠しから率先して早足になり城へ向かった。
☆ ☆ ☆
城門で王への面会を申し出ると、殆ど待ち時間もなく謁見の間へと通された。
面会予約から数日待たされることを覚悟していたアティは内心ほっとした。顔見知りであるというダイの名を出したこともあるが、噂通り気さくな性格の王なのだろう。
「えーと、アティ先生? 俺、用事思い出したから三人だけで……」
「ここまで来て何言ってるのよ、しゃんとしなさい」
「でもよ、いきなり王様と会うとか緊張するだろ……」
「大丈夫だって。凄く優しい人だからさ」
こそこそと言いあうポップ、マァムをよそに、ダイは一人わくわくした顔。
「みんな、リラックスしてください。でも、王様を相手に失礼なことはしないでくださいね。多分、私の真似をしてくれれば大丈夫ですから」
はい、と、三つの声が重なる。
ダイ達に笑顔で頷くと、アティは視線を正面に戻した。
――扉が開かれ、絨毯の向こうに玉座が見える。
現ロモス王はやや大柄、というか恰幅のいい初老の男性だった。
顎に蓄えた白髭はふさふさで、彼の人の好さを滲ませている。
両脇を兵士に固められたまま、アティはダイ達を先導して歩き、玉座から少し離れたところで跪いた。
宮廷作法の違いを内心で恐れながら。
「陛下、お初にお目にかかります。私はアティ。勇者ダイ、魔法使いポップ、僧侶戦士マァムと共に勇者アバンの意志を継ぎ、大魔王討伐を志しております」
「うむ」
厳かな声が答える。
「面を上げよ」
ゆっくりと顔を上げる。
後ろでダイ達が一生懸命に真似をしているのがちらりと見えた。
「よく来てくれた、アティ。そして久しいの、ダイ」
ロモス王の声は、先の厳かなものから穏やかなものへと変わっていた。
にこりと微笑んだ彼はまさに「人のいいお爺ちゃん」といった雰囲気であり、民から愛される良き王であることが窺えた。
「少し面差しが変わったかの。男らしくなったように見える」
「はい。お久しぶりです、王さま」
にこっと笑うダイ。
両者の間に流れた和やかな雰囲気に、周りの兵士達も表情を緩めるのがわかった。
一部、マァムの方に視線を送っている兵士は、ネイル村から応援に来ている若者なのかもしれない。
「さて、アティ。先程、大魔王討伐と――そして、アバン殿の意志を継ぐと言ったが」
「はい。少し長い話になりますが……」
アティはかいつまんでロモス王に語った。
今回のモンスター凶暴化が大魔王バーンの影響によるものであること。かつての魔王ハドラーが魔軍司令の座につき、その下に六つの軍団が存在すること。
アバンと共にハドラーを撃退したものの、どうやら彼は生きていること。
アバンの方はハドラー撃退後に病に倒れ、この世を去ったこと。
大魔王討伐を決意したダイを、弟子のポップ、マァムと共に支え、旅をしていること。
話を聞き終えたロモス王は「……そうか」と小さく肩を落とした。
彼もアバンとは面識があったのだろう。かの偉大な男の死に哀しみを滲ませながら尋ねてくる。
「そなたらがアバン殿の意志を継ぐ、と」
「はい。おれ達は先生の弟子だから。先生ならきっと、同じことをしたはずなんだ」
「なるほど」
深く頷いたロモス王は、先程とは異なる種類の笑みを浮かべた。
「本当に、成長したのじゃな」
それから彼は臣下に向けて命令を出した。
国庫から支援金を出すこと、ロモス王の後援の証として紋章入りの装備を譲渡すること。
「よろしいのでしょうか……?」
アティは思わず尋ねてしまう。
ロモスの状況も決していいとは言えないはず。事実、側近の一人が声を上げる。
「陛下、彼女の言う通りです。現在、我が国にそんな余裕は……」
「いや、出す。二言はないぞ、大臣」
人当たりのいい性格とはいえ、やはり王。
決意を込めた声は重く、謁見の間に響き渡った。
「ダイはかつて儂に身をもって勇気を示した。アバン殿とて国賓としてもてなすべき偉人。彼らが世界を救うと言っているというのに、何もしないのは王として、人として恥ずかしい」
心配するな、という風に王はアティ達に微笑んだ。
「ただ、少しだけ……そうじゃな、一日待って欲しい。それまでに準備を整えておこう」
「寛大なるご処置に感謝いたします」
アティが深く頭を下げる。
次いでマァムが、それからダイとポップが遅れて頭を下げた。
誰かが小さな拍手を始める。
すると、その拍手はだんだんと大きくなり、最後には室内に響くほどになっていた。
☆ ☆ ☆
「いやあ、終わってみたら大したことなかったな」
「調子のいいこと言っちゃって。王様に会う前はあれだけ怖がってたくせに」
「だ、誰が怖がってたってぇ!」
「……あはは」
王との謁見の後、アティ達は城下町に宿を取った。
城に泊まっていくことを勧められたが、これ以上甘えるのが心苦しかったことと、緊張して眠れない可能性を考えて丁重に辞退した。
既に定番となりつつある口喧嘩を止めるためではないものの、部屋は男女別に取った。
「……ふう」
一階にある酒場で晩御飯を済ませた後、アティはマァムと共に部屋に落ち着いた。
荷物を下ろし、それぞれベッドに腰かける。
「見たことのない料理もあったのでつい食べ過ぎちゃいました」
「ふふっ。アティ先生って変な人ですよね。礼儀作法ができたり、野外活動に詳しかったり、それなのに食材や料理のことはあまり知らなかったり」
「そうですね。特に食材の名前が壊滅的です……」
アティの好物である
塩や胡椒といった調味料は共通していたが、食べ物の名前を出すたびダイやブラスに変な顔をされるので随分とへこんだものである。
その後、基本的な食材については覚えたが、ついつい故郷の名が出てしまうことも多い。
買い出しにも差し支えるので、女性であり、料理の心得のあるマァムが来てくれたのはとても嬉しかった。
マァムに苦笑いされているのを感じながらマントを外す。
ついでに着替えてしまおうと服に手をかけると、何やら真剣な眼差しを感じた。
「? どうかしました?」
「いえ、アティ先生ってその、大人だなあって思って」
「そんなことないと思いますけど……」
何だか曖昧な言い方に首を傾げつつそう答える。
「マァムこそ、大人だと思うよ。凄くしっかりした考え方をしてますし」
「そういうことじゃなくて……」
「?」
その後「触ってみてもいいですか?」と聞かれたり、了承した途端マァムが「なんとなく盗み聞きされてる気がする」と言い出したり、実際ドアの外にポップがいたり、ダイが昔因縁のある偽勇者と鉢合わせて騒いだりと色々あったが、その夜は概ね平和に過ぎていった。
そして、敵がやってきたのは、アティ達が朝食を終えた頃のことだった。
――始まりを告げたのは、屋外にいる人々の悲鳴。
魔物の襲来を告げる幾つもの声に重なって、大きな足音や恐ろしい鳴き声が幾つも響いた。
食後のお茶を注文しようとしていたアティは挙げかけた手を止め、すぐさま傍らの剣を手に取った。
「な、なんだ!?」
「魔物……?」
ただならぬ気配。
何が起こったのか、という疑問はすぐに解消された。
聞き覚えのある大声が街中に響き渡ったからだ。
「ロモスの民、そして国王に告ぐ! オレは魔王軍、百獣魔団団長クロコダイン! オレと、我が百獣魔団はアバンの使徒に宣戦布告する!」
酒場にいた何人かの視線がアティ達に向けられた。
「雑魚に用はない! 死にたくなければアバンの使徒――ダイとアティを含む戦士達を差し出せ! さもなくば一人ずつ殺す! もし隠しだてするなら今日がロモスの最後になると思え!」
ざわざわと混乱が広がっていく。
――獣王クロコダインは想像以上の手を打ってきた。
百獣魔団のモンスター達を引き連れ、アティ達だけを討つつもりだ。
真の狙いはロモスの民にアティ達を差し出させることではない。アティ達が逃げることも隠れもせず、最後まで戦うよう仕向けること。
「……行くしかありませんね」
行かなければ、罪もない人々が死ぬことになる。
「うん、行こう!」
ダイが頷き、跳ねるように床に立つ。
マァムも険しい顔をしながら頷き、ハンマースピアを手に取る。
「みんなは、来なくても大丈夫だよ」
頼もしい仲間達。
行こう、と促さなくても付いてきてくれようとする子供達に、アティは微笑んだ。
「先生、何を言って……」
「勝てないかもしれないの」
ダイが上げた抗議の声をアティは遮った。
「一人でも出ていけばクロコダインは他の人を狙わないはずです。何としてもクロコダインだけは倒しますが、死ぬことになるかもしれませんから」
「なら、猶更一緒に戦うべきだわ!」
「マァムの言う通りだ!」
それでも二人の決意は固く、説得は無理だろうと悟る。
「――じゃあ、ポップ君」
代わりに、一人椅子の上で項垂れたままの少年に声をかける。
「陛下に伝えてくれませんか? クロコダインか私達、どちらかが倒れるまで、兵士は動かさないで欲しいって。その方が思いきり戦えますし、被害も少なくて済みます」
「……待てよ」
掠れるような声が返ってきた。
「逃げようぜ、皆で! 勝てねえよ! あのワニ野郎と他に数匹くらいならともかく、敵が何匹いるのかもわかんねえじゃねえか!」
「………」
アティは答えなかった。
自分達が逃げたらここにいる人々が死ぬ。そんなことを当人達の前で言うことはできない。
泣きながら叫んだ少年が弱いわけではない。
誰だって、圧倒的な相手と戦うのは嫌だ。逃げたいと思うのは当たり前で、むしろ、リベンジを考えればその方が賢いかもしれない。
それでも。
「行ってきます」
アティはただ微笑んで、首を振った。
剣を手に踵を返し、酒場の入り口へと向かう。
ダイは気づかわしげに、マァムは何か言いたげな鋭い目つきでポップを見て、結局二人とも何も言わずアティの後を追いかけてきた。
外はモンスターで一杯だった。
死体や怪我人の姿はない。約束通り、クロコダインはまだ誰も殺していない。
代わりに、ギラギラとした憎悪の目が、アティ達を射抜いた。
「……来たか。必ず殺すと言ったこと、よもや忘れてもいないだろうが」
リカント、キメラ、暴れ猿、その他諸々のモンスターに守られるように、獣王クロコダインが立っている。
「ここが、貴様らの死に場所だ」
そして、戦いが始まった。
クロコダインさんは一応、殺さないと言ったら殺しません。
ロモス国民もアティ達に石を投げて追い出したりはしません。
メガンテの出番は多分ないと思います。