地底魔城はその名の通り、地底深くに存在した。
休火山の火口に刻まれた長い螺旋階段の先が入り口になっている。
アティは目隠しされ、担がれていたため歩く必要はなかった。
運んだのはヒュンケルの部下、腐った死体のモルグ率いる二体のマミー。
全身包帯の大きな身体はのっそりとした動きでどこかユーモラスだった。モルグの方も、元は美しかっただろう顔が崩れ、道化のような愛嬌を手に入れている。
魔物が可愛いなんていうと、旧知の海賊少女あたりに笑われそうだ。もちろんゴメちゃんは例外だが。
「……はぁ」
運ばれた後は薄暗い牢に放り込まれた。
目隠しは外されたものの、牢の入り口である扉は堅く閉ざされている。
外には見張りが立っており、定期的に不死の兵が行きかっているのもわかる。
剣とサモナイト石、その他荷物は没収済み。
室内には簡素な椅子が一脚と壺が一つあるだけだ。壺の方は意識しないよう部屋の隅に置いやっている。まあ、椅子があるだけでも御の字か。
お陰で冷たい床に体力を奪われずに済んでいる。
拘束されていないのは無意味だからだろう。
木製や紐は呪文で燃やせる。
金属の枷も、回復呪文の使えるアティなら文字通り「骨折って」抜けられる。
『抜剣』すればもっと簡単だが……。
――迷いが出ちゃいましたね。
ヒュンケルの術で動きを封じられた時、アティには幾つかの選択肢があった。
『抜剣』で呪縛を無理矢理抜けることや、敢えてブラッディースクライドを喰らい蘇生すること、いちかばちか闘気を全身から放出してみることなどだ。
しかし、温存が頭にあったせいで対応が遅れた。
結局、なんとか直撃を避けて『抜剣』を回避し、回復呪文で怪我を治療するのが精いっぱい。
動けなくなって人質に取られたのは誤算だった。
ただ、これならヒュンケルと話す機会があるかもしれない。
そう望んではいたが、放り込まれてから既にひと眠りする程度の時間が過ぎていた。
お陰で肩はほぼ治ったが、脱獄するのは難しい。
イオ系の呪文で扉を破壊したとして、いったい出口はどっちなのか。
道中に何度、ニフラムを使えば逃げおおせるのに成功するのか。
今は消耗した魔法力を回復するために休息が必要だと、じっとしたまま天を仰いだ。
「ダイ君達は大丈夫でしょうか……」
獣王クロコダインとの再戦。
教え子達の安否を案じて声を響かせれば、牢の外から答えがあった。
「キィーッヒッヒッヒ! あの少年どもならクロコダインを下しおったわ! 今頃、救出作戦でも練っている頃じゃろうて」
「っ!?」
甲高い老人の声。
扉の見張り窓を見ると、白髪の青年の姿がこちらを睨んでいた。
端整な顔立ちを台無しにする険しい表情は見間違えようもない。
「……ヒュンケル?」
「………」
青年は何やら舌打ちした後「開けろ」と誰かに命じた。
「かしこまりました」
見張りの兵士が鍵を開けると、いち早く小柄な人影が入ってくる。
先の声の主だろう、ローブを纏った老人だった。
細く鋭い瞳に尖った耳。
ハドラーと同じように魔族、ただし戦士ではなく魔法使いだろう。
老人に続きヒュンケル、そして部下のモルグが入ってくる。
青年の表情は苦虫でも噛み潰したように歪んでいた。
「あなたは……?」
「ヒッヒ、わしは……」
「魔王軍六大団長の一人、妖魔司教ザボエラだ」
問うと、老人は勿体ぶった声を上げた。
遮るようにヒュンケルが答えると寂しそうな表情を浮かべたが。
「……では、魔王軍の参謀役ということですね」
「これはこれは。なかなかに理解の早い小娘じゃの」
にっ、と、老人の口元がいやらしく歪んだ。
「容姿も申し分なし。不死騎団長どのが惚れるのもわからんではないかのぉ」
「え……?」
剣呑な話が始まるかと思えば。
思わず問い返すと同時、ザボエラの首を青年の手が掴んだ。
小さな身体が持ち上がり、首がメリメリと音を立てる。
「このダニの言うことを真に受ける必要はない」
「は、はい」
頷くとようやくザボエラが解放された。
「ぐえぇ……し、死ぬかと思った」
床に放り出された妖魔司教はぜぇぜぇと呼吸を整えはじめる。
どこか必死な様は軍団長のイメージからほど遠い。
しかし、すぐにぎらりと光る目がアティを射抜いた。
「……ふぅ。さて、ヒュンケルよ。お前の女でないならワシが貰っても構わんかのぉ?」
青年が眉を顰めた。
「やめておけ。貴様の手には余る女だ」
「ギェッヘッヘ。若造が。女を御するのは簡単よ。身体か心、どちらかを薬や術で縛ってしまえばいい。そうすればもう片方もついてくるわ」
背筋がぞくりとする。
妖魔司教は好色そうには見えないが、人を人と思っていない雰囲気がある。
彼はやるといったらやる。
淫らな欲望すらなく、ただ、アティを篭絡するためだけに。
「その身体なら母体としての価値もあるじゃろう」
「こ、来ないでください……!」
左手で胸を抱き、右手を突き出して告げた。
ザボエラはアティの反応を楽しむかのように笑み、じりじりとにじり寄ってくる。
「お前には色々と興味があってのぉ。命の危機を瞬時に脱する回復力、獣めいた容姿に変わる能力。蒼く輝く剣と呪文の強化……」
「っ。どうして、それを?」
「戦に勝つのに最も重要なものはなんじゃと思う? それは情報じゃよ。相手を知り弱点を知れば、罠にかけることも不意を打つことも簡単になる」
正論だった。
――つまり、見ていたんですね。
アティ達がクロコダイン率いる百獣魔団と戦うのを。
もし、加勢されていたら。
どうなっていたかを考えぞっとすると同時に、どうして加勢しなかったのか気になった。
単に「持ち場」が決まっているからか。
獣王が勝つと踏んでいたからか。
獣王を捨て駒にしてでも得たい情報があったのか。
妖魔司教の足はアティに触れる寸前で止まった。
「……くっ」
今、『抜剣』すれば、ザボエラだけは倒せるかもしれない。
ヒュンケルの様子を見ると、忌々しげな様子でこちらへ視線を送っている。
睨まれているのがどちらなのかは判断できない。
「あれはお前自身の能力かのぉ? それとも、あの剣の力なのか」
「………」
ポーカーフェイスを貫こうとするも、相手は僅かな反応も見逃さない。
「ふむ、剣の力か。ならばやはり、あの爆発的な魔法力の放出から見て、剣自体が生きている……? いや、魔法力を溜め込む性質でも持っておるのか」
「っ」
「そうか、溜めておるのか。大量の魔法力を一気に消費するとなると戦闘時間の問題があるか……。しかし、超魔生物とは別の方法論で強化することができるかもしれんのぉ」
皺だらけの指が額に突きつけられる。
「殺せば、あの剣を取り出せるか」
「いい加減にしてもらおう」
ザボエラの後方から殺気が放たれた。
「今すぐ帰らなければ、この場で塵になってもらう。その女はオレが捕らえた人質だ。ダイ達を殺すまではここに居てもらわねば困る」
「なに、そう怒るな。殺すのはあらゆる実験を試してからの話で……」
「聞こえなかったようだな」
「ちょ、ちょっとしたお茶目な冗談じゃろうが!」
ヒュンケルが腰の魔剣を取り上げたところで、老人はようやくアティから離れた。
殺されてはかなわぬと足早に出ていこうとする彼は、牢の入り口で振り返って青年に告げる。
「のう、ヒュンケルよ。お前、あの小僧どもに勝てるのかのぉ?」
「黙れ」
「おお、怖い怖い。じゃが、もしも儂の知恵を借りたいというのならいつでも格安で……」
どがん、と、傍の壁石が砕かれるのを見て、ザボエラは小走りに消えていった。
牢には静寂が戻り、アティはほっと息を吐く。
「ありがとうございました。……その、助けてくれたんですよね?」
「勘違いするな。アバンの使徒に与するならば、貴様もオレの敵だ」
「でも、ヒュンケルは私を守ってくれました」
微笑んで言えば、青年は嫌そうに目を背けた。
「……お前は父さんを褒めてくれたからな」
小さな呟きだったが、アティにとっては十分な言葉だった。
☆ ☆ ☆
「それで、何故、料理なんぞを作ったのだ」
「どうしてって、ご飯にすると言ったのはヒュンケルでしょう?」
それからしばらく時間が過ぎて。
アティは広い食堂でヒュンケルと向かい合うように座っていた。
周りにはがいこつ剣士が複数とモルグがいるものの、席についているのはアティとヒュンケルの二人だけだ。
不死騎団には生きている兵がいない。
団長であるヒュンケル以外で食事を必要とするのはアティだけであり、もし兵士達が席についたとしても、湯気の立つスープと黒パンという食事を消費することはできない。
「オレはモルグに命じたはずだ」
「ええ。ですが、わたくし共では満足な調理もできませんので」
普段、ヒュンケルは水と保存食ばかりを口にしているらしい。
食べなければ死んでしまうのが人間であり、モルグとしては主人にもう少し栄養を取ってほしい。
しかし、腐っているか骨だけかの不死騎団のメンバーは料理に絶望的なほど向いていない。衛生面に問題大ありな上に細かい作業ができないからだ。
そこでアティと、アティの持っていた食材に白羽の矢が立った。
「煮込み料理なら、野菜を端から端まで使えますからね」
葉野菜と芋を放り込み、少しの塩胡椒で味付けした。
十五年前の旧魔王軍が使っていた厨房は掃除だけはされており、簡単な煮炊きくらいならなんとか行えたのは幸いだった。
アティ特製、栄養を逃がさないありあわせスープを前に、ヒュンケルが毒づく。
「……余計なことを」
「でも、せっかく作ったんですから食べましょう? ヒュンケルが食べてくれないと余ってしまいます」
「敵に塩を送るような真似をしていいのか?」
「だって、それはお互い様じゃないですか」
何を言っているんだ、という顔でヒュンケルが睨んできた。
「ザボエラの件は誤解だと」
「違います。私を殺さないでいてくれているでしょう?」
「それは、父さんに教えられたからだ。たとえ敵でも女は殺すなと」
「やっぱり、ヒュンケルのお父さんは立派な方です」
笑って、アティはスプーンを手に取った。
スープの出来は悪くなかった。
香辛料をもっと使えればいいのだが、節約レシピにしては上出来だろう。
「そういえば、旧魔王軍にも炊事番がいたんでしょうか」
当時は生きた魔物も多くいたはずだ。
と、アティが首を傾げれば、ヒュンケルは何かを諦めたように息を吐いた。
スプーンを取り、乱暴に一口啜ってから呟く。
「……当番は持ち回りだった。父さんにも時々、申し訳程度に回ってきていた」
「美味しかったですか?」
「食えたものじゃなかったが、皆、笑って食っていた」
何を話しているんだオレは、と。
自嘲気味に呟いたきり、ヒュンケルは黙ったままスープとパンを平らげた。
かたん、と、席を立った彼は「世話になった」とだけ言って去っていく。
「お粗末様でした」
さすがのアティも「食器を片付けてください」などと言う気はない。
微笑んで見送ると、モルグがじっとこちらを見ているのに気づいた。
落ち窪んだ眼窩からは彼が何を思っているのか推し量ることができない。
「モルグさんには目の毒でしたか?」
「いえいえ。食事の味などとうに忘れました。そもそも、生きていた頃の記憶なんて殆ど残っていません」
ははは、と、わざとらしく彼は笑ってみせた。
意思疎通のできる彼は不死騎団において貴重な存在のようだった。
ヒュンケル以外で兵達に指示ができるのは彼だけであるらしく、ヒュンケルからは何やら便利使いされている様子。
死者であるため生者とは感覚の異なる彼だが、アティは彼のことが嫌いではなかった。
多分、ヒュンケルにとっても、言葉を交わせる相手として貴重なのだろう。
「モルグさんは、その身体になって長いんですか?」
「ええ。もう十五年以上になります」
「……十五年」
やっぱり、とアティは思った。
先のモルグの言葉から、そうなのではないかと連想したのだ。
他の兵達とは一線を画す存在。
戦闘能力は高くなさそうではあるものの、知性を持った不死の魔物。
「モルグさんは、ハドラーが魔王だった頃から生きているんですね」
「ええ。まあ、この通り死んでおりますが」
なおもユーモアを交えながら、モルグは話の核心に踏み込んでくる。
「その通りです。本来、わたくしは死体の埋葬役でして。戦闘要員ではなかったために生き残ったわけです」
そして現在はヒュンケルの腹心に収まっている。
素晴らしい昇進ぶりといえるが、大事なのはそこではない。
「……ハドラーが一度死んだ時、バルトスさんのような魔物は皆、死んでしまったんですよね?」
「いいえ、と申し上げましょう」
考えてみればわかることだった。
アティ達は魔軍司令ハドラーに会っている。彼はバーンによって甦ったと言っていたが、本当に「死んでから蘇った」のか?
大魔王バーンは魔界の神であるらしいが、十数年前の亡骸から魂を取り戻す、などという芸当が可能なのか。
できないとするならば、ハドラーは死体から蘇生されたのではなく、肉体が死に切る前、あるいは魔力的なつながりが崩れても不死者達が死なない程度の僅かな、そう、アバンが立ち去る程度の時間の後に干渉を受けたのではないだろうか。
「なにしろ、わたくしはこうしてここにいます」
「じゃあ、バルトスさんは」
一体、誰に殺されたことになるのか。
モルグさん関連は捏造設定です。
生き残ってひっそり隠れてたアンデッドがいてもいいかな、と……。