勇者のいない休日(前編)
不死騎団の壊滅と王女レオナの生存が正式に報じられてから数日。
民が少しずつ集まり復興の始まったパプニカの都跡に、ある噂が持ち上がった。
――曰く、白い翼を持つ赤髪の天使が舞い降りた、と。
最初に聞いた時は何事かと思ったものだが。
「お待たせしました」
「おお。ありがとう、天使さん」
「もう、冗談は止めてください」
咎めるように視線を送れば、大柄の大工は「悪い悪い」と笑う。
――何のことはない、アティ自身のことだった。
新しい呪文の修行がてら荷物運びを手伝ったのが噂になったのだ。
燃えてボロボロになった服の代わりにデザインの近いものを譲り受けたのだが、はためく白いマントが翼のように見えたらしい。
アティとしては気に入っているマントなのだが、子供達からも「天使のお姉ちゃん」などと言われてしまうと妙に気恥ずかしかった。
ともあれ。
親しまれるのは悪いことではない、と思うことにして。
瓦礫の撤去や建物の修復に励む大人達から少し離れた場所――崩れた壁を椅子代わりに座るダイと、彼の周りを飛び回るゴメちゃんに歩み寄った。
「待ってもらってごめんなさい、ダイ君。ゴメちゃんも」
「ううん」
「ピピィ~!」
少年がふるふると首を振れば、ゴメちゃんも可愛らしく鳴く。
「遊んでたから平気、だって」
「そうですか」
微笑み、二人に「ありがとうございます」と伝えた。
頬を軽く撫でてやるとくすぐったそうにする。
「アティ、もうお手伝いはいいの?」
「はい。俺達の仕事を無くす気か、って言われちゃいました」
言い方は悪いが、要は休んでくれというメッセージだ。
お言葉に甘えて休憩させてもらうことにする。
復興を手伝っているのはアティだけではない。力仕事はクロコダインが引き受けており、コワいカオに慣れた者達から頼りにされ始めている。
要は適材適所だ。
「さあ、どこかでお昼ごはんを食べましょうか」
「うんっ」
「ピィ~」
一人と一匹を連れて場所を移動し、てきぱきと食事の支度をする。
壊滅したとはいえ、建物的な損害は案外、広く見ればさほどでもない。
――不死騎団が変なところで紳士的だったお陰だ。
都に火が放たれることはなかったし、呪文による被害もなし。
壊れたのは物理的な暴力によるものであり、不死者の軍団であるため略奪もしなかった。
損壊の激しい中央を離れれば、丸々残っている建物もある。
深刻な人的被害により無人となった家の厨房を借り、作るのは、この世界ではあまり見られない料理だ。
物資運搬の過程で分けてもらった卵と小麦粉を混ぜ、切った野菜や干した小エビなどを投入。
港街が近くにあるため、海産物も比較的手に入りやすいのが嬉しい。
「何ができるの?」
「できてのお楽しみ、ですよ」
心なしか嬉しそうなダイに答え、できたタネを熱した鉄板に落とす。
じゅう、と焼ける音に続けていい香りが漂ってくる。
「……わあ」
小さな歓声に笑顔を浮かべつつ、片面をある程度焼いたらひっくり返して。
両面焼けたところで幾つもの四角いブロックに切り分ける。
「さあ、どうぞ。特製お好み焼きです」
「いただきます!」
「ピィ!」
すぐにダイ達が口にいれ、「美味しい」と漏らす。
「良かったです。本当は『たこ焼き』を作ろうかと思ったんですけど」
あれは専用の鉄板でないと作りづらいため、似たようなお好み焼きに挑戦した。
これもリィンバウム由来の料理。
正確には名もなき世界や鬼界シルターンからリィンバウムへ伝来した、異世界の料理である。
もう一枚分タネを作りながら一欠け口に入れれば、香ばしさと柔らかさが口の中に広がる。
「もっと焼きますから、沢山食べてくださいね」
「うん!」
食べるものに不自由しないのは幸せなことだ。
お腹いっぱい食べたダイはゴメちゃんと共にお昼寝モード。
外よりは大分静かで清潔な室内で、毛布にくるまる二人を眺めていると、入り口をくぐって近づいてくる人物がいた。
すらりとした銀髪の青年。
「ここにいたか、アティ」
「ヒュンケル」
振り返ったアティは青年に微笑み、尋ねた。
「お好み焼きが少し残っていますけど、食べませんか?」
「……もらおう」
微妙な顔で答えたヒュンケルのお腹が、タイミングよく「ぐう」と鳴った。
☆ ☆ ☆
「トベルーラにも慣れたらしいな」
「……もしかしてあの噂を聞きましたか?」
「天使扱いとは、ある意味お前らしい」
涼しい顔でからかってくる青年を、頬を膨らませて睨んだ。
お好み焼きは綺麗になくなった。
ヒュンケルはもう少し食べたそうだったが、食材が足りないため店仕舞いだ。
水袋を取り出し皿や鉄板を洗いながら尋ねる。
「それで、どうしたんですか?」
「ああ。少し稽古を手伝って欲しくてな」
「構いませんけど、私でいいんですか?」
すると、ヒュンケルはふっと笑った。
「お前以外の誰に頼めというんだ」
元魔王軍・不死騎団長ヒュンケル。
フレイザード討伐及び軍団長達との攻防において活躍した彼は、戦勝の宴において自らの素性を明かした。
『どんな罰だろうと受けよう。俺はそれだけのことをした』
誰もが呆然とした後。
戸惑い、怒り、その場にいた者がそれぞれの反応を見せる中。
裁決の権利を持つ王女、レオナは毅然とした態度で彼に告げた。
『なら、あなたは残された人生の全てをアバンの使徒として生きなさい』
先の告白以上の動揺が広がるのは必然だった。
『……いいのか? 俺は、お前の親をも』
『あなたを殺しても、お父様もお母様も帰ってこないわ』
凛とした姫の言葉はヒュンケルだけでなく、全ての者の胸を打った。
『だったら、これから先のことを考えましょう。今いる私達で、どうしたら未来をよくできるか。そう考えたら、あのアバンから教えを受けたあなたを失う理由なんてどこにもない』
いいかしら、と問われたヒュンケルは軽く俯きながら答えた。
『……承知しました』
以来、ヒュンケルはパプニカの復興を手伝うと共に剣の修行を重ねている。
集団としての排斥はされていないものの、個人として「人殺し」「裏切り者」と呼ぶ者はいる。それでも彼は黙々とやるべきことをこなし続けていた。
その瞳は以前と比べ、澄んだものになっている。
家を出たすぐの場所で向かい合って。
アティはふとヒュンケルに尋ねた。
「そういえば、ヒュンケル。あのあとハドラーは……?」
「倒した。……殺せたかどうかはわからないが」
到着時点で深手を負っていたハドラーだが、一筋縄ではいかなかった。
二つの心臓。
ブラッディースクライドで貫かれてなお動く魔軍司令に、ヒュンケルは一時防戦を強いられたものの、最終的にアバンからの教えに助けられたという。
――剣の柄など、十字を起点に放つ闘気技。
一度も見せたことのない技を目くらましに使い、アティがつけた傷をなぞるように切り裂いた。
「……『アバンの書』ではクルスと名づけられていたな」
言って、青年は視線を家の壁に向けた。
もたれかからせるように置かれた背負い袋の中には件の本が入っている。
読ませて欲しいと頼まれ、アティが渡していたものだ。
勉強が大の苦手だったダイと違い、ヒュンケルは本に苦手意識はないらしい。
「本当に、アバンさんは多彩な方ですね」
「ああ。ああいう男こそが本当の天才なのだろう」
青年はそこで言葉を切り、呟いた。
「ダイの記憶を戻す手掛かりはなかったが、な」
「……そうですね」
戦いが終わった後。
アティ自身も『アバンの書』を最初から最後まで一通り読んでいる。
流し読み程度で身についているとは言えないが、何が書かれているのかは把握している。
――かのアバンの知識を用いても、ダイを襲った現象は打開できない。
無言でヒュンケルがアティを見る。
言わんとしていることを察し、アティも黙ったまま首を振った。
――アバン当人からの回答はどうだ? いいえ、駄目でした。
ダイの記憶喪失についてはマトリフにも相談し、その上で魔法の鳩で伝言を送った。
しかし、結果は芳しくなかった。
『アティ殿とマトリフの推測通り、おそらくそれは紋章の共鳴を利用した特殊な術でしょう』
竜の紋章という共通項を利用した前代未聞の手段。
原理自体はおそらく単純で、ダイの記憶自体を直接攻撃したのだと思われる。
対象となったのは思い出。
ダイを勇者たらしめている過去を空白で埋め尽くした。
故に言語能力は残っているし、生活にも不自由はしていない。
ただ、戻す方法となると。
封印されたのではなく『消された』となれば、復元は不可能――と、考えざるを得ない。
『……ま、偽の記憶を上書きされなかったのは不幸中の幸いってやつだな』
記憶を消すだけで精一杯だったのだろう、というのがアティ達の共通見解だ。
『でも、どうしてダイ君を連れて行かなかったんでしょう……』
『単に困難だったんだろうよ。それか、記憶を無くしたダイを見せてお前達を苦しませたかったか』
事実、アティ達は混乱し、衝撃を受けた。
今もなお衝撃の余韻は収まってはいない。
『……ただ、お前さんのお陰で、そいつの予想したほど効果はなかっただろうさ』
『アティ殿。とにかく今はダイ君の傍にいてあげてください。ダイ君の傍から皆がいなくなることこそ、竜騎将バランが望んだことでしょう』
今のところ、仲間達がダイから離れようとする様子はない。
別行動が多くなってはいるが、皆、パプニカ周辺にはいてくれている。
『それから、私はこれから修行に入るつもりです』
連絡が取りづらくなるかもしれない、ともアバンは伝えてきていた。
バランがバルジ島へ赴き手傷を負った関係か、超竜軍団の動きは沈静化中。
侵攻を受けていたカール王国はギリギリのところで保っており、アバンが『さりげなく』差し入れた物資や、『こっそりと』仕掛けた罠のお陰もあってすぐには壊滅しない見込みとなっている。
ただ、本格的に軍団で攻められれば、個人でのゲリラ戦法は焼け石に水。
できることを粗方終えたため、とある迷宮に潜るのだという。
『光の力に守られた迷宮です。鳩が阻まれることはおそらくないでしょう。到着が遅れることはあるかもしれませんが、何かあれば必ず連絡を。私が修行に入るのは、皆さんの仲間として戦うためなのですから』
返信には感謝の言葉と自分達の現状を吹きこんだ。
「バランがもう一度やってくるのはしばらく先のはずです」
回想を終えたアティはヒュンケルにそう告げる。
青年も同感なのか静かに頷いた。
「奴の剣には罅が入っていた。修復が可能かもしれないが、オリハルコンでできた剣だ。直すには時間がかかるだろう」
伝説的な武器の多くは自己修復機能を備えている。
ヒュンケルの持つ鎧の魔剣やアティの『果てしなき蒼』も例に漏れないが、一晩寝かせれば新品同様、などという手軽なものではない。
本人の状態を万全にすることも考えれば、すぐに次の襲撃とはいかないはずだった。
「……今度まみえる時は前のようにはいかん」
「……はい。必ず、あの人を止めなくてはいけません」
だからこそヒュンケルは修行を重ね、アティは
呪文の効かない相手に飛ばれた場合、ブラッディースクライドのような必殺技を上手く当てるか、追いかけて切り結ぶのが手っ取り早いのだから。
「あの男に立ち向かうには時間が足りん。稽古は相手がいた方が早い」
「では……真剣で?」
「急所は外す。だが、お前も俺を打ち倒す気で来い」
鞘を背負ったまま剣を抜いたヒュンケルは、アティに別の剣を投げた。
ラグレスセイバーではない。
あの剣はバランとの戦いでボロボロになり、使える状態ではなくなっている。修復も困難。溶かして一から打ち直すなら別だが、打ち直せる鍛冶師はそうそう見つからない。
伝説の名剣というほどではないが、あれはかなりの逸品だったのだ。
――鞘を考慮しなければ、俺の剣にもそう見劣りしないだろう。
と、剣を看てもらった時、ヒュンケルはそう口にしていた。
「ありがとうございます、ヒュンケル」
「いや。……稽古ならそれで十分だが、あの剣を抜けるならその方がいい」
じっ、と、青年が視線を送ってくる。
鞘であるアティ自身を見ているのだろうが、なんとなく胸を庇ってしまった。
「でも、『果てしなき蒼』は」
「無理か?」
「魔力を吸う剣ですから、普段使いは難しいです」
できる限り供給を抑えられないか試してはみた。
結論を言えば、限りなくゼロに近づけることは可能。
――ただし、そうした場合は殆どただの剣になってしまう。
材質が材質であるために威力と強度はそれでもかなりのものだが、魔力による強化がない場合、真の名剣――真魔剛竜剣を相手にしたら、籠められた闘気の質と量での勝負しなくてはならない。
前回はダイの後だったこと、一瞬で全開にしたため向こうにダメージを入れられたが。
もしもまともに打ちあえば、こちらが折られてしまうかもしれない。
「……そうか」
「ごめんなさい」
「構わん。……あの姿を人目に晒せば、天使とは別の噂になりかねんしな」
「もう、ヒュンケル!」
まるでじゃれ合うような会話の後。
二人は、実戦さながらの気迫を籠めて己の獲物を打ち合わせた。
クルスの名称については独自設定です。
通常は小さめに放つ技を極大化したから『グランド』クルスになったのかな、ということで……。