新しい教え子は竜の騎士   作:緑茶わいん

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開戦

 風が止んだ。

 

 パプニカの都から半日ほど離れた広い平原の上、アティは一つの方向へと視線を向けた。

 地響きの音が聞こえていたのは程なくのこと。

 

 ――姿を現した軍勢の姿は、悪夢と言って差し支えなかった。

 

 四騎の精鋭に率いられた竜の群れだ。

 一匹一匹が家よりも大きく、鋭い牙の並んだ顎と、硬い鱗を備えている。

 吐息は炎や吹雪となり、ただ足を振り下ろすだけで人など簡単に薙ぎ払える。

 

 幾重にも重なった雄叫びは足を竦ませるに十分だったが。

 

「―――」

 

 竜達が、アティの身体を轢き潰してしまうことはなかった。

 先行する四騎。

 竜騎将バランを先頭とし、一人につき一匹、宛がわれた特別な竜達が、おもむろに減速を始めたからだ。

 追いかける竜の群れもまた倣うようにして勢いを殺し、やがて止まる。

 

「……一人か」

 

 重苦しい声が平原に響く。

 

「何のつもりだ、アティよ」

 

 蒼い剣を片手に、白い髪を靡かせながら。

 アティは静かに答えた。

 

「こうしていれば来てくれると思っていました。あなたともう一度、話がしたいんです」

 

 戦意を滲ませず対話を望む姿に、バランは無言のまま探るような視線を向けてきた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 占い師ナバラの予言を、アティは全面的に信用した。

 

『外れることも考えた方がいいんじゃねえ? だって占いだろ?』

『え? 占いって、簡単に外れるものなんですか?』

『………』

 

 とある酔いどれ占い師が主な原因だったが、それはともかく。

 二日後という予言を踏まえ、一行は作戦を立てた。

 

『何もない平原で迎え撃ちます。メンバーは私達だけで構いません。パプニカの兵は後方で待機して、討ち漏らしが出た時だけ対処してください』

『待って。相手は魔王軍最強なんでしょ? パプニカを攻めてくるっていうのに何もしないなんて――』

『俺はアティに同感だ。言えた義理ではないが、パプニカは兵の殆どを失っている。そもそも、竜相手にまともな戦いができるとすれば三賢者くらいだろう』

 

 並の武器では竜の鱗を貫くことすらできない。

 達人級の腕や闘気の扱い、高度な呪文があればその限りではないが、何れにも当てはまらない者達が無策で向かっていくのは死にに行くのと同じ。

 一匹の竜に十名程度であたり、目や口の中などの柔らかい部分を射かけたり、足を集中的に攻撃して動けなくするなどの処置が必要になる。

 

『足手まといがいてはこちらも戦いづらい。ポップの呪文に巻き込まれたくなければ下がっていろ』

『……わかったわ。でも、勝つために作戦を立てていることだけは保証して』

 

 レオナも渋々ながら同意してくれた。

 

 アティ達、アバンの使徒一行に並の使い手は一人もいない。

 クロコダインの怪力は竜のしぶとさにも有効だし、アバン流の海の技は竜の皮膚や吐息すらも切り裂く。

 

 ポップの新呪文を皮切りに乱戦へ持ち込み、一気に竜の数を減らすのが基本的な作戦。

 ダイは決戦場所と、パプニカ兵達の最終防衛ラインの中間に置く。

 数日間、アティ達がねぐらにしていた小さな家がそこにある。地下室も存在するため、籠もってさえいれば、家を踏みつぶされたり焼かれたりしても無事でいられる。

 

 少年の護衛はエイミにお願いした。

 都に残すべきではないかという声ももちろんあったが、瞬間移動呪文(ルーラ)を使えるバラン相手にそれをするのは悪手だ。

 単身で乗り込まれた挙げ句、ダイ以外の全てを吹き飛ばされる可能性だってある。

 アティ達がなす術もないのなら、そもそもどうしようもないのだから、パプニカ側には『勇者を囮に』使うくらいの気持ちでいてもらわなければならない。

 

 もちろん、ダイも含めて無事に乗り切るという前提で、だ。

 

『ただ、みんなにお願いがあるんです』

 

 その上で、アティにはもう一つの考えがあった。

 

『戦いの前に、バランと話をさせてくれませんか?』

 

 それは、アティにとってどうしても必要なことだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「その姿……もしや、魔族?」

 

 呟いたのは、小型の竜に乗る長身の青年だった。

 尖った耳と鋭い目は魔族の特徴に合致する。携えた槍は穂先の手前部分が必要以上に大きく、幾分かバランスの悪い特徴的なデザインだった。

 

「いや、人間だ。『変わる』人間がいると説明しただろう」

「成程。……ですが、なんと神々しい……いえ、失言でした」

 

 言って目を伏せる仕草からは忠義の騎士といった印象を受ける。

 

 ――彼は、強い。

 

 数多くの経験から、アティは彼をバランに次ぐ実力者と判断した。

 その上で『抜剣』を解除して素の姿を晒す。

 

 敢えて姿を変えていたのは、無視できない気配を放つためだ。

 『果てしなき蒼』が消費する魔力はギリギリまで抑えたため、そのままでもさして問題はないのだが、話し合いを望むという姿勢を明確にしておく。

 と、別の一騎、蛇のように長い身体を持つ空竜に乗る鳥人が嗤った。

 

「ハッ。汚ねぇ人間が魔族の真似かよ」

 

 どうやら、彼は威勢のいいタイプらしい。

 バランに忠誠を誓ってはいるのだろうが、刺激すると何をしでかすかわからない。

 アティは答えず、静かに最後の一人へと目を向けた。

 

「………」

 

 大亀に似た竜に乗る人型のモンスターだ。

 二足歩行するセイウチといった風体で、重そうな鎧を纏っている。

 どこかクロコダインを彷彿とさせる姿からして、力自慢の戦士だと判断する。

 

 バランへと視線を戻せば、将の動揺は既に収まっていた。

 

「話をしたい、と言ったな」

「はい」

「乗ってやる必要がどこにある? お前をここで蹂躙し、ディーノを迎えにいけば済む話だ」

 

 そう来るだろうとは思っていた。

 

「ダイ君がどこにいるかわかるんですか?」

「紋章を共鳴させればすぐに探し出せる」

 

 これも想定済み。

 だからこそ、逃げ隠れするのを諦めたのだから。

 

「……話の内容次第では、ダイ君を渡してもいいと言ったら?」

 

 ぴくり、と、バランの眉が動いた。

 

「何?」

「バラン様、こんな人間の言うことを聞く必要は――」

「よせ、ガルダンディー」

 

 ガルダンディーと呼ばれた鳥人が、魔族らしき青年に窘められ舌打ちする。

 部下のやりとりを受けたバランは厳かに言った。

 

「もとより力ずくで貰い受けるつもりだった。交渉の余地などない」

 

 将の言葉がわかるのか、後方の竜達が唸り声を上げる。

 

「私一人にドラゴンを何匹、部下を何人失うつもりですか?」

「あ? テメェ、何、舐めたことを……っ」

 

 声を上げかけたガルダンディーが途中で止まる。

 アティが再び、静かに『抜剣』を行ったからだ。

 

「私は戦いが嫌いです。でも、他人を傷つけて喜ぶような人はもっと嫌いです」

 

 『果てしなき蒼』の刀身を見て、ガルダンディーが低く呻った。

 

「ぐ、う……」

「話し合いましょう。脅しじゃありません。弱いのは私達の方でしょうから――その方が、お互いに被害を少なく終わらせられるかもしれません」

 

 静寂が満ちた。

 青年と重戦士は静かに成り行きを見守り、ガルダンディーも悔し気にしつつ無言、バランはしばし黙ったままだったが、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「どうして、そこまでする?」

「あなたが、ダイ君のお父さんだからです」

 

 どうするべきなのか、アティは前の戦いから何度も悩んだ。

 悩んで、最終的に出した結論は、バランの想いを知ることだった。

 

「あなたは決して悪い人じゃありません。そんなあなたが人間を滅ぼすというのなら、それだけの理由があったはずです! それを、お願いですから教えてください……っ!」

 

 少し前、アティはダイに尋ねた。

 

『もし、私達があなたを騙していて、大きく育ててから食べちゃおうとしているとしたら――ダイ君はどうしますか?』

 

 バランと戦うことと、ダイを守ることは別問題だとアティは考えている。

 

 ――前者は、バランが人と戦う限りは変えられない。

 

 しかし、後者については別だ。

 父親としてのバランがどういう事情から強硬手段に出るのか、ダイを取り戻してどうするつもりなのか、その答え次第では「渡してもいい」と思っている。

 ただし、父の元へ行くことをダイが望むならだ。

 

 尋ねたのは、少年の気持ちを、できる限りわかりやすい形で問うため。

 ダイは凄く悩んだ様子を見せた上でこう答えた。

 

『……難しくてよくわからないよ。それに……』

『それに?』

『アティ達はそんなことしないと思う。だって、アティ達は優しいから』

 

 でも、と少年は続けて。

 

『本当に、アティ達がぼくを食べちゃうつもりなら、ぼくは言うと思う。食べられるのは痛いから食べないで、って』

 

 純粋で、聡明な答えだった。

 ああ、その通りだ、と思った。

 

 ――ダイ君は、記憶がなくなっても勇者です。

 

 彼の根幹は何も変わっていない。

 

「私が納得できれば、ダイ君のところに連れて行きます。二人で話して、ダイ君が望むのなら止めません」

「敵に与するというのか?」

「いいえ。超竜軍団が魔王軍として戦うのなら、私は人間として最後まで戦います」

 

 アティは人間だ。

 超越者としての視点など、きっとどこまでいっても持つことはできない。

 人という種全体を憎むことなど、未来永劫ありえない。

 

「……ディーノとも戦うというのか?」

「ダイ君がそれを望むなら、そうします」

 

 けれど、そうはならないだろう。

 

「でも、できるなら――あなたとダイ君には、二人で静かに暮らして欲しい。魔王軍として戦うのは止めてくれませんか? あの子は、本当は戦いになんて向いていない、優しい子なんです」

「………」

 

 返事はなかった。

 バランは拳を握ったまま、かすかに顔を俯かせて黙っていた。

 

 永遠にも思える短い時間が過ぎて。

 

「貴様に私の、ディーノの何がわかる」

 

 告げられた言葉は断絶を表していた。

 

「私は大魔王様の御心に従い人間を滅ぼす! ディーノも必ず貰い受ける! それが私の意思であり、使命であり、当然の権利だ!」

 

 主人たる竜の騎士の決定を、青年はどこか気づかわしげに、ガルダンディーはニッと愉しげに笑って、重戦士は表情を変えぬまま受け止めた。

 竜騎将の指が力強くアティを指さす。

 

「気に入らぬというなら力づくで止めてみせろ! それがこの世の理というものだ」

「……わかりました」

 

 話し合いは決裂。

 泣き出したくなるほどに無力感を覚えながら、アティは心を奮い立たせる。

 

 再び姿を元に戻し、バランに告げる。

 

「私達の全力で受けて立ちます。こちらが勝ったら、その時こそ、あなたの真意を教えてください」

「……いいだろう」

 

 頷いたバランが大きな声を上げる。

 

「全軍に告ぐ! 前進! 邪魔する者を薙ぎ払い、焼き尽くし、我が子ディーノを奪還する!」

「グオオオオオオオッ!」

 

 耳を塞ぎたくなるほどの大音量。

 竜の群れが足を踏み出し始める中、アティはちらり、とバランに視線をやって。

 

「――ルーラ」

 

 呪文を使い、仲間達が待つ地点へと帰還した。

 

 

 

 移動は一瞬。

 竜の歩幅なら、そう遠くない。この場所まではすぐだろう。

 

「……先生」

「ごめんなさい。やっぱり、話は聞いてもらえませんでした」

 

 待っていたのはアバンの使徒。

 ポップ、マァム、ヒュンケルの三人に、クロコダインという頼もしい助っ人。

 全員が準備万端。

 気力体力共に充実した状態で、戦いの時を待っていた。

 

「気に病む必要はない」

 

 アティの来た方向を見つめながら、ヒュンケルが静かに言う。

 

「こうなることは想定していた。奴とて簡単には止まらないだろう」

「言って聞かない人には、殴ってでも言うことを聞かせましょう!」

 

 ぎゅっ、と、ハンマースピアを握りしめたマァムが頷いた。

 

「……ええ、そうですね」

 

 強いて微笑む。

 そうすると少しは元気が湧いてくる。

 

「戦いましょう! ダイ君を、パプニカを守るために。……私達の気持ちを、バランに伝えるために!」

「おう!」

 

 一同の声が唱和した後、真っ先に声を上げたのはポップだった。

 

「じゃ、まずは俺の出番だな……っ!」

 

 アティ同様、ルーラやトベルーラを習得している彼は、空に飛びあがりながら仲間達に告げた。

 

「できるだけドラゴンの数を減らしてやるから、見ててくれよっ」

 

 

 

 そして。

 殺到してきた竜の群れに向けて、ポップの新呪文が炸裂した。

 

重圧呪文(ベタン)!」

 

 発動と同時。

 効果を受けた円形範囲の地面へ、上方から強い衝撃が生まれる。

 上にいた竜をも巻き込み、潰さんと押さえつける力は重力。

 

 学者ですら詳しい原理は分かっていないらしいが、要は万物を地上へと引き付ける力。

 通常の何倍、何十倍というそれを受けた生き物は体力を奪われ、同時に内臓をズタズタにされていく。

 

 生物としては最強と言ってもいい竜ですら例外ではなく。

 

「……ほう、これは」

 

 数匹が耐えきれずに動かなくなる中、それを踏みつぶすようにして残りの大群が迫り。

 

「つまんねえことしてんじゃ……!」

「悪いが、そいつに構ってる暇は与えん」

 

 鎧化を済ませたヒュンケルの海波斬が、ポップを妨害しようとしたガルダンディーを阻んだ。

 

「開戦だ!」

 

 譲れないものをかけた戦いが、今ここに始まった。


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