十五年前、バランは一つの大きな戦いに身を置いていた。
大魔王バーンと魔界を二分する強者――冥竜王ヴェルザーとの戦いである。
ヴェルザーの力は強大だった。
同時期に地上を荒らしていたハドラーなど、彼に比べれば小物。
後回しにされた結果、人間の勇者、すなわちアバンがハドラーを打ち倒すこととなる。
「……だが、ヴェルザーの一族との戦いにより私も疲れ切っていた」
荒んだ心と疲れた身体を癒してくれたのがソアラ――後にダイの母親となる王女だった。
「どんな人、だったんですか?」
「太陽のような女性だった」
バランが答えると、何故か仲間達がアティの方を見た。
「長い黒髪が印象的な女だ」
後から付け加えられた意味もわからなかったが、アティは頷いて先を促した。
ソアラはバランを城に招いた。
ゆえあって国を離れた元騎士という建前は、バランの佇まいと装備、何よりその強さから信用された。
アルキード王には親馬鹿の気があったのだろう。
ソアラが好意を寄せていることを知り、バランへ宮廷作法を習わせたり騎士団の指南役を頼むなど――アティには婚礼のための根回しとわかる話が進められていった。
祖国を明かせないという問題はあれど、見目麗しい騎士。
幾ら調査しても後ろ暗い情報が出てこなかったことも受け入れられる要因だっただろう。
「だが、私のことを良く思わない者もいたらしい」
戦う者に過ぎないバランには「理由のわからぬ悪意」としか感じられなかったが。
王女としての見識と情報網を持つソアラから聞かされた話によれば、次期国王を「出自の知れない出奔騎士」に奪われることを家臣達が恐れたらしい。
ソアラも彼女なりに奔走した。
それでも、風当たりは徐々に強くなっていった。
「そして、私はアルキードを追放された」
バランのことを「魔物ではないか」と王に吹き込んだ者がいたらしい。
好意的だった王は憎悪を籠めた瞳を向けながら追放を告げてきた。
――大人しく従うつもりだった。
だが、降りしきる雨の中、着の身着のまま城を出たバランを追ってきた者がいた。
「ソアラだった」
彼女は引き留めに来たわけではなかった。
城に連れ戻すことができないのは彼女も理解していた。
「彼女は私に言った。『私達を置いていかないで』と」
ソアラは妊娠していたのだ。
「私達はそのまま二人で逃げた。テランの森深く、小さな小屋で暮らし始めた」
狩りや採取をして食べるものを調達し。
どうしても必要なものを時折、人里に下りて調達する生活。
ささやかではあったが充実していた。
そんな中、ダイは産まれた。
そのままの暮らしが続けば、森に住むワケありの若夫婦でいられただろう。
だが、王女捜索の手は二人の元へ届いてしまった。
「王は軍を率いてソアラを連れ戻しに来た」
もちろん、バランなら蹴散らすことも可能だったが、この時の彼は人間達の事情もある程度は理解していた。
「私は投降し、代わりにソアラとディー……息子の安全を願った」
「聞き入れられたんですか?」
「ソアラは城に連れ戻され、息子は船で異国の地に送られた」
船は難破し、ダイはデルムリン島に流れ着くことになるが――当時のバラン達はそれを知らない。
「処刑はさして日を置かずに行われた」
公開処刑だった。
王自らの立ち合いの元、民が眺める前で複数の魔法使いがメラを唱える。
竜闘気を使っていない状態のバランは頑丈な人でしかない。
妻と息子のために死ぬつもりで、甘んじて炎を受け入れようとした。
「だが、そんな私を妻が庇った……!」
城に軟禁されていたはずだ。
抜け出してくるだけでも一苦労のはずだが――ソアラは夫を想う一心で駆け付け、盾になった。
ただのメラでも、ただの人であるソアラには十分すぎるダメージだった。
誰にとっても悲劇としか言い様のない出来事だっただろう。
回復呪文を用いても助からないほどにソアラは弱っており、国王も、魔法使い達もあまりの事態に動揺した。
「……彼女は『人間を恨まないで』と言って死んでいった」
ディーノを探して二人で暮らして、と。
恨み言など一つも言わず、夫を澄んだ瞳で見つめたまま――逝った。
「私にはわからなかった」
何故、ソアラが死ななければいけなかったのか?
何故、自分が生き残ってしまったのか?
何故、竜の騎士が子など授かったのか?
結果バラバラになるのなら、哀しみしか残らないのなら一人で良かったのに。
妻の亡骸を抱きしめて涙するバランの耳に王の、娘への罵倒が入ってきた。
「奴は妻を『恥さらし』と言った」
バランにとってソアラは人間の象徴だった。
か弱く、しかし温かく、清い心を持っている。
「そんな彼女が死ななければならず、恥さらしと呼ばれるのなら――人間など知ったことか!」
そして、アルキード王国は一日で滅んだ。
バランはソアラを埋葬し、息子を探したが見つからなかった。
いくら竜の騎士とはいえ世界中全てを探すのは至難――それも、地図の端といっていいデルムリン島までは探しきれなかったのだろう。
「そんな時、大魔王が声をかけてきた」
滅ぼすべきは人間ではないか、と。
「私は誘いに乗った。私にとって大切な人間はソアラと息子。どちらも失った以上、残っているのは憎しみだけだった」
そしてバランは思ったのだ。
これが運命だというのなら、自分の使命は人間を滅ぼすことなのだ、と。
「……言った通りになったな」
呟き、バランは軽く目を伏せた。
「………」
「………」
その場にいた者の誰もが絶句していた。
当人から語られた哀しい過去――語るバランの声には悲痛と怒りが籠もっており、当時の感情の一端が垣間見えたからだ。
だから、すぐには何も言えなかった。二度目であるヒュンケルも含めて。
ただ、一人を除いては。
「はい。後悔しても構わない、と言いました」
「……アティ」
痛む心、浮かんでくる涙を抑えながら、アティはバランを見据えた。
「話を聞いた上で思いました。……あなたは、やっぱり間違っています」
「何故だ」
決して大きな声ではなかった。
それでもバランの声は、視線は、嘘偽りを許さないと告げていた。
「ソアラを、ディーノを失った悲しみが取るに足らないものだと、お前は言うのか!」
「違います!」
応じた声に、バランは目を見開いて立ち尽くした。
「バラン。あなたが間違っているのは――見落としているのは、ソアラさんの気持ちです」
「……何?」
「ソアラさんは言ったんですよね? 人間を恨まないで、二人で生きて、と」
ならば、第一に考えるべきだったのは彼女の願いに準ずることだ。
「っ。妻を愚弄した王を、妻を殺した愚か者達を許せというのか!?」
「許せとは言いません。でも、彼らのことなんて『どうでもいい』じゃないですか」
らしくない言葉だとは自覚している。
ただ、言い方が乱暴なだけで、それもまた、アティの中にある思いの一つだ。
理想は皆が平和に暮らせること。
現実はそう上手くいかない。
だから、戦う力だって必要になる。
みんなを救えないのなら、平等に扱えないのなら、優先順位をつける必要がある。
「一番大切な人のことを一番に考えてください。どうして、ソアラさんが望まないことを――悲しむであろうことをするんですか!?」
「許せなかったからだ!」
「それは、ソアラさんの最後の願いより大事なものでしたか!?」
本当を言えば、言いたいことはもっと沢山ある。
王女と身分の知れぬ男との恋など平穏に終わるはずがない。
バランに貫き通す覚悟があったのか、ソアラには王女としての責任感が足りていなかったのではないか。
どうして王は娘を、娘の選んだ相手を信用しなかったのか。
一度問題を起こした娘をどうして、一人で出歩けるような環境に置いていたのか。
だが、それは、言ったところで仕方のないことだ。
「……アティ。お前は、彼女に会ったことがあるのか?」
「ありません」
あるはずがない。
「でも、あなたがソアラさんを大事に思っていたことはわかります。もちろん、ダイ君のことも」
涙を拭って微笑み、アティは後ろを振り返った。
「そうですよね、ダイ君」
「……気づいていたのか」
「ええ。あなたが一度、視線を逸らしたので気づきました」
二人が、否、全員が見つめる方向からエイミとダイが姿を現した。
「ごめんなさい、ダイ君がどうしても行くって聞かなかったの」
すまなそうに謝るエイミ。
ドラゴン軍団が壊滅した時点で音が小さくなり、戦闘が止んだように思えたらしい。
だから、様子を見るだけなら大丈夫だと思ったのだと彼女は言った。
あどけない様子のダイは、エイミから手を離すとゆっくり歩いてくる。
「……どこから聞いていた?」
「……えっと」
答えた後、ダイは難しそうな、申し訳なさそうな顔をした。
「おじさんが、ぼくのお父さんなの?」
「……そうだ」
苦々しい声は、タイミングの悪さを呪ったせいだろうか。
「私はお前の母親を守れず、お前の故郷を滅ぼした――そして、今でも心のどこかで人間を憎んでいる、そういう父親だ」
「………」
嗚咽するように告げたバランをダイは見上げ、小さく呟いた。
「そっか。ぼくの本当のお母さんは、もう死んじゃってたんだ……」
父子はしばらくの間、何も言わなかった。
「お父さんは、人間が嫌いなの?」
「ああ」
「人間を殺すの?」
「……ああ。数えきれないほど殺してきた」
今は後悔もあるのだろう。
バランは押し殺した声で、それでも嘘はつかずに答えた。
「お前の記憶を奪ったのも私だ」
「! どうして……?」
「お前と、一からやり直したかったからだ。他の者との記憶など邪魔だと思った」
「……そっか」
俯くダイ。
ポップやマァムが何かを言おうとして、その度に口を噤む。
待っているのだ。
ダイが自分で答えを出してくれるのを。
やがて、少年はゆっくりと顔を上げた。
「お父さん。ぼくは、みんなが死んじゃうのは嫌だよ」
「……!」
「アティ達と喧嘩してたんだよね? おじいちゃんや、たくさんの人を殺したんだよね? そういうこと、ぼくはお父さんにして欲しくない」
小さな、剣を握るには小さな手が伸ばされる。
「ディーノ……いや、ダイと呼ぶべきか」
「どっちでもいいよ」
息子の手のひらを、バランはしゃがみこみ頬で受けた。
「母親似だな、お前は」
嗚咽と涙は、ダイの両腕に隠されて殆ど窺えなかった。
長い、長い親子の交歓の後。
バランは顔を上げてアティ達に告げた。
「この子の記憶を戻そう」
「……! できるんですか!?」
「わからぬ。だが、可能性はある」
ダイの記憶を消す際、バランは紋章の共鳴を利用した。
人の頭の中に無理矢理入り込み、防波堤を上回る波を起こして強引に押し流した。
「逆に言えば、跡形もなく片付けたわけではない」
残滓、欠片のようなものは残っているはず。
加えて、記憶を消す過程で、バラン自身もダイの記憶に触れている。
知識、記憶の継承は竜の騎士が持つ力の一つ。
「意図して残したわけではないが、残滓と合わせれば呼び水にはなるだろう」
「凄え、希望が出てきた!」
ポップが思わず、といった様子で快哉を叫んだのも無理はない。
――方法の見当もつかなかった一件に光明が見えたのだ。
これ以上はない朗報。
消した当人であるバランが折れてくれたことで生まれた奇跡だ。
「ありがとうございます」
歩み寄って深く頭を下げれば、バランは「いや」と首を振った。
「自分のやったことをツケを払うだけだ」
「あの、魔王軍には?」
「もう戻れぬ。……かといってお前達と肩を並べる気にもなれぬが、もう一度、お前の言った言葉の意味を考えてみたい」
竜騎衆も回収しなければならない、と。
憑き物の落ちたような顔でバランが言えば、ダイがそっと、父とアティの手を握った。
少年を通して手を繋いだような形。
「もう、喧嘩しないよね?」
「……ああ」
不器用な、けれど確かな微笑みを浮かべるバラン。
――良かった。
心がすっと晴れ渡るのを感じる。
話し合いが無駄じゃなかったこともそうだが、何より、バランとダイが仲直りできたことが嬉しかった。
これなら、きっと、今からでもできることはある。
失ったものが戻らなくとも、父と子の関係はまだやり直せる。
「じゃあ、パプニカに戻りましょう。……バラン、あなたも一緒に」
バランは視線をアティに向け、物凄く嫌そうな顔をした後「そうだな」と答える。
彼らしい返事にくすりと笑うと、ダイもにこっと笑った。
三人の様子に仲間達も肩の荷を下ろし、空気が弛緩した瞬間。
空の上で何かが閃いた気がした。
――悪寒。
考えている余裕はなかった。
アティは、ただ心の命じるままにダイを突き飛ばし、バランを狙って飛び来る「何か」の射線上に身を割り込ませる。
どすっ、と。
胸を貫いた「何か」から良くないものが全身に広がる感覚。
悪しき力が、魔剣に残っていた魔力を食いつぶしてなお、止まらないことを感じて。
家庭教師の身体はどさりと倒れた。
補足しますと、先生が受けたのは原作でポップを庇ったメルルが食らったアレです。
ハドラーがアバン抹殺に半分失敗(負けたけどアバンが死んだ)してるせいで、バーン様の三本の指イベントもちょっと早く起こっています。
裏切り者抹殺が最優先でしたが、結果的には別の相手に当たることに。
次回は「あの島」を舞台にお送りする予定です。