新しい教え子は竜の騎士   作:緑茶わいん

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※拡大解釈、捏造設定があります


懐かしい場所

 目が覚めて、まず感じたのは畳の香りだった。

 幸せな夢を見ていた気がするのはそのせいだろうか、と、ぼんやり考えた後ではっとする。

 

「……っ!」

 

 畳の上に敷かれた布団から身を起こす。

 辺りを見回せば、独特の雰囲気を持った木造の部屋にいることがわかる。

 ドアはなく「しょうじ」の張られた「ふすま」が見える。

 

 物珍しい、けれど馴染みのある光景。

 

「風雷の郷の、お屋敷……?」

 

 呆然と呟く。

 室内の光景全てが「あの世界」では見ることのなかったもの。

 

 ――違和感を覚えてしまうのが、不思議です。

 

 結構な期間を過ごしていたのだから、当然といえば当然だが。

 両手を持ち上げ、己の身体を見下ろす。

 

 身体には傷一つなかった。

 一糸纏わぬ姿。

 最後の瞬間、装備していた魔槍は影も形もない。

 服も、マントも、ラグレスセイバーも、ポーチもない。

 

「……どうして?」

 

 と、ふすまの外に人の気配。

 何気なく目を向けるとゆっくりと横に開き――温かな赤色を帯びた茶髪が風に揺れた。

 

 立ったまま、驚いたように目を丸くした少女。

 蒼を基調とした服に身を包み、豊かに育った胸に衣類を抱えた「初めての生徒」が声を漏らす。

 

「先生……?」

「アリーゼ」

 

 彼女の名を口にするのも久しぶりだった。

 懐かしく、愛しい少女。

 帝国の軍学校で主席を取るまでに成長した令嬢が、瞳に涙を浮かべて駆け寄ってくるのを見て「ああ、変わってないなあ」と口元が綻ぶ。

 抱えていた衣服を取り落として抱き着いてくるアリーゼを、アティはそっと抱き留めた。

 

「先生、先生……っ! 心配しました、心配したんだから……っ!」

「ごめんなさい。ありがとう、アリーゼ」

 

 焦がれていた温もり。

 大切な人の声に耳を傾けながら、アティも瞳に涙を浮かべた。

 

 一方で、胸の奥に疑問も生まれた。

 

 ――いったい、どうなっているんですか……?

 

 異世界で、そう。

 ()()()()()の自分が、何故、リィンバウムの名もなき島にいるのだろうか。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「メディカルチェック……異常ありません。全て正常です」

「ありがとう、クノン」

「いえ、仕事ですから」

 

 簡易ベッドから身を起こして礼を言えば、看護人形(フラーゼン)の少女は淡々と返してきた。

 けれど、精巧な顔立ちはなんとなく安堵しているようにも見える。

 

「ごめんね、心配かけて」

「……別に、問題ありません。ですが、人は私達と違い壊れやすくできています。怪我や病気には十分に気をつけてください」

「はい。肝に銘じます」

 

 微笑んで答えて寝台を降りる。

 傍らの籠に入れていた服――島にある『家』に置いていた予備を身に着けていると、コツコツという靴音と共に「本当よ」とため息交じりの声がした。

 眼鏡に、丈の短いローブを着た妙齢の女性。

 機界集落「ラトリクス」の主、アルディラは苦笑を浮かべてアティを見つめてくる。

 

「あなたは本当に無茶ばかりするんだから」

「あはは……」

 

 返す言葉もなかった。

 

 ――あれから、泣き止んだアリーゼからたっぷりお説教された後。

 

 ミスミやキュウマのとりなしもあって、ようやく話を聞くことができた。

 なんでも、船上での嵐から数か月間、アティは行方不明になっていたらしい。

 

 嵐を抜けた後、気づいたらいなくなっていた、と。

 島に着いた船員達に告げられたアリーゼ、そして島の住人達は毎日のように周辺を捜索したが、手がかりを得ることはできなかった。

 しかし、ある日突然、アティが島の浜辺で倒れているのが発見された。

 

 裸で、装備は何も持っていなかったという。

 

 風雷の郷ではアティの帰還を祝って宴会が開かれた。

 皆からもみくちゃにされ、一夜ぶっ通しで大騒ぎした後――このラトリクスで健康診断が行われることとなった。順番が逆な気もするが、喜ぶみんなの気持ちに水を差すこともできなかったし、アティも好物のバナナ、もといナウバの実の誘惑には勝てなかった。

 

「まあ、検査結果は万全以上だったのだけれど」

「どういうことですか?」

 

 首を傾げて尋ねれば、アルディラは肩を竦めて答える。

 

「体力、治癒力、運動能力その他諸々……軒並み数値が上がっていたわ。まるで一つ、大きな戦いを越えてきたみたいにね」

「………」

 

 思い浮かぶのは「あの世界」での戦い。

 黙ったアティを見て、ラトリクスの長は眼鏡の奥で視線を鋭くする。

 

「何か、心当たりがあるのね?」

「はい。考えていたこともあって――アルディラ、聞いてもらえますか?」

「もちろんよ」

 

 言われなければこちらから尋ねるつもりだった、と。

 彼女は微笑んで頷いてくれる。

 

「どうせならファリエルとミスミも呼びましょう。他の世界の者の見解も聞きたいもの」

「あ、だったらヤッファさんも……」

 

 女子会という名目で、サプレス担当の少女とシルターン担当の鬼人姫が参加。

 アティの声は聞こえなかったのか、幻獣界組からは長の男ではなく別の者が呼ばれたが、アルディラに他意はないはずである。おそらく。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 帰還の翌日、島が平常通りに戻りつつある頃。

 アティはアリーゼを連れて高台へと散歩に出た。

 

「ここに来るの、久しぶりです」

「そうだね」

 

 島の中で、二人が行ったことのない場所は殆どない。

 第二の故郷ともいえる『名もなき島』を、アティもアリーゼもいたく気に入っていた。

 

「先生。何かお話があるんですよね?」

「……うん」

 

 アリーゼに隠し事は通じない。

 話の内容まで薄々わかっているのだろうが、少女は微笑みすら浮かべて尋ねてくる。

 感謝を覚えつつ、アティは借り物の剣をそっと引き抜く。

 

「その前に、久しぶりに稽古がしたいな」

「いいですけど、私じゃ先生には敵いませんよ」

「アリーゼだって、凄く頑張っていたじゃないですか」

 

 困った顔になりつつも、アリーゼは嬉しそうに剣を抜く。

 戦いが好きではないのは少女も同じ。

 しかし、気心の知れた相手とする試合はまた別物である。

 

 二人は軽く剣を触れ合わせた後、数歩の距離を離して交錯した。

 

 

 

 十数分の後。

 息を切らせて剣を下ろしたのはアリーゼの方だった。

 

「……一本も取れませんでした」

 

 しょんぼりする彼女だったが、腕が足りなかったかといえばそうではない。

 

 召喚術の方が得意とはいえ同学年で総合主席を取ったのだ。

 剣の腕とて、アティの親友である帝国軍人が驚く程度には上達している。

 

「先生の剣は複雑すぎます」

「あはは……。色んな人の影響を受けちゃったせいですね」

 

 幾人もの師がいるということは、ブレやすいということでもある。

 帝国式の剣をきっちり学んだアリーゼなら付け入る隙もある。十本に一本くらいは取れてもおかしくないのが、今までの二人の関係だったのだが。

 

 ――アティの剣は、生徒が目を瞠るほどに鋭さを増していた。

 

 大振りの一撃は鋼を両断せんばかりの勢いを秘め。

 神速の一振りは遠くの木の枝を落としてみせ。

 見えない剣はアリーゼに傷をつけずに戦意だけを奪った。

 

 極めつけは光を帯びた必殺剣と、前述の技を組み合わせた連続剣。

 

「先生は戦っていたんですね。どこか遠いところで」

 

 剣を収めたアリーゼが目を細めて空を見上げる。

 

「うん。名前も知れない異世界に行ってきたんだ」

「名もなき世界、ですか?」

「ううん。あそことは違う世界だと思います」

 

 話に聞く「名もなき世界」はもっと整然としたところだ。

 機械が人の暮らしを支えながら、自然の営みを大事にする考えもあり、天使や悪魔が想像上の存在として広く知られており、数多くの獣が人類と共生している。

 だから、あの世界は四界でも、五番目の「名もなき世界」でもないどこか。

 

 本来なら繋がることのない、真の意味での異世界。

 

「先生はそこで何を?」

「先生をしていました。他の先生のお手伝いをしながら、子供達と一緒に侵略者と戦っていたんです」

「変わらないですね」

 

 アリーゼの微笑みに苦笑して答える。

 

「そうですね。だから、放っておけなくて」

「行くんですか?」

「はい」

 

 こくんと頷く。

 風の音と波の音だけが聞こえる中、二人は静かに見つめ合っていた。

 

「方法はあるんですか? 帰ってこられる保証は……?」

「仮説ですけど、大丈夫だと思います」

 

 アルディラやファリエル、ミスミらと共に出した結論は――あの世界での経験、ダイ達との思い出は夢ではない、というものだった。

 呪文は発動しなかったが、アバン流刀殺法や闘気術は再現可能だった。

 気の扱いについてはリィンバウムにも存在するものの、ストラと呼ばれるそれをアティは用いることができなかった。

 

 では、あの時、何者かの攻撃で死んだはずのアティが生きていた理由はといえば。

 

「私は、向こうの世界で召喚獣に近い存在だったんです」

 

 召喚術で呼び出された存在は力尽きると元の世界に戻っていく。

 本当に死ぬまで戦ったり、悪しき手法によって魂そのものを穢された場合はその限りではないのだが、アティは強制送還を拒んだわけではない。

 故に、あの世界からリィンバウムに『送還』されたと考えられる。

 

「どうして、そんなことに?」

「たぶん、この剣のせいだと思います」

 

 蒼い輝きが解き放たれる。

 バランとの戦いで力を使い果たしたはずの『果てしなき蒼』は、あの世界における全力を上回る強さで輝いていた。

 リィンバウムでは『共界線』から無限の魔力供給が可能であるが故だ。

 

「『果てしなき蒼』――いえ、元となった『碧の賢帝』は、高純度のサモナイト鉱石を芯に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を纏わせて作られたそうです」

 

 今の『果てしなき蒼』は『碧の賢帝』を打ち直したものだ。

 打ち直しに立ち会ったアティだが、名工ウィゼルからは材質の話までは聞いていなかった。

 

 ――剣の元の持ち主を良く知るアルディラ達から聞いて初めて知った話だ。

 

 今はおそらく合金と化しているのだろうが。

 つまり、『果てしなき蒼』にはバランの真魔剛竜剣と同じ金属が使われていると考えられる。

 

「オリハルコン、というそうです」

「……異世界の金属」

「召喚術で由来不明の品が呼び出されることは稀にあるんです。殆どは『名もなき世界』の品ですし、それ以外の世界由来だったとしても確かめる術がないんですが」

 

 アティの剣を見たハドラーが驚いていたこと。

 『果てしなき蒼』と真魔剛竜剣に同質の輝きが見られたことから、おそらく間違いはない。

 

「私があの世界に行ってしまったのも、召喚されたオリハルコンに対して『送還』に近い現象が起こったためだと考えられます」

 

 場所とタイミングによって世界の境界を近づける試みは存在する。

 世界の外れに近い場所で、世界が荒れていた瞬間――オリハルコンを宿したアティが大規模な召喚術を行使した結果、通常ではありえない異世界への門が開いてしまった。

 元の世界に戻ったのなら通常はそれで終わりなのだが、この場合にややこしいのは、剣の素材のもう一方であるサモナイト鉱石と、持ち主であるアティはリィンバウムの存在ということだ。

 

 ここまで説明すると、アリーゼは何かを閃いたのか口を開いた。

 

「じゃあ、先生の中にある『果てしなき蒼』を『送還』すれば……」

「はい。もう一度、あの世界に行けると思います」

 

 戻る時も同じ要領で送還できる可能性が高い。

 前回は突発的な事故だったためどうしようもなかったが、今回はもう少し正規に近い方法で門を開ける。

 そのための術も開発してある。

 

 どうやら、リィンバウムと向こうは時間の流れ方が違うらしい。

 おそらく、今戻れば、あの瞬間から一日も経っていないだろう。

 

「だからね、アリーゼ――」

「駄目です!」

 

 言いかけたアティの胸にアリーゼが飛び込んできた。

 

「先生は絶対、また無茶をします」

「………」

「だったら、私も連れて行って。一緒に戦わせてください!」

 

 アティは黙ったまま、アリーゼの髪に手のひらを乗せた。

 家庭教師を引き受けた頃に比べて背も伸びた。

 成長期を終えた彼女の背丈はアティとそう大きく変わらない。

 

「アリーゼ。私とあなたが二人ともいなくなったら、ファリエルやミスミ様が困ってしまいます」

 

 顔を上げた少女の瞳は涙で一杯だった。

 理屈をわかった上で、我が儘を言っている。

 

 お互い、こんな我が儘を言える相手は多くない。

 

「なら、せめて持って行ってください」

 

 そっとアティから離れたアリーゼは、炎のように赤い光を解き放った。

 『果てしなき蒼』に良く似ていながら、ある意味、正反対ともいえるデザインの剣は『不滅の炎(フォイアルディア)』。

 『紅き暴君』という魔剣を打ち直して作られた正義のための力。

 もう一振りの魔剣が差し出され、刀身が『果てしなき蒼』に触れる。

 

 ――紅の魔剣が、吸い込まれるようにして消える。

 

 白髪から髪を戻した少女は涙を拭って微笑んだ。

 

「きっと、その剣が先生を守ってくれます」

「……アリーゼ」

「全部終わらせて、早く帰ってきてください。その剣と、一緒に」

「うん」

 

 頷き、アティは手を伸ばした。

 

 初めての生徒、もう一人の島の抜剣者、志を受け継ぐ同士を抱きしめて。

 長く、短い時の後、身を離した。

 

「約束します。絶対に、生きて帰ってくるって。できたら、私の新しい生徒達も遊びに連れてきますね」

「……っ、行ってらっしゃい、先生!」

 

 蒼い光の溢れる中。

 賢人達の英知の結晶たる術が光の柱を作った。

 

 高く、遠く。

 昇っていく光を、島にいた全ての者が見上げ、彼女の無事と帰還を祈った。


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