新しい教え子は竜の騎士   作:緑茶わいん

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家庭教師のいない戦い(上)

「せ、先生……っ!?」

 

 何が起こったか理解するのに数秒を要した。

 

 恐ろしい強敵・竜騎将バランを倒し、説得して、ダイの記憶を取り戻す手がかりを掴んだ。

 全てがうまくいきかけていた。

 自分達だけでは絶対に上手くいかなかった戦いを支えてくれたのは、一番前に立って敵を引き受けてくれたのは、若く美しい女性だった。

 

 明るく、理知的で、包容力のある家庭教師。

 一人目の師であるアバンとは別の意味で深く尊敬している。

 

 アティが、目の前で、何者かによる凶弾を受けた。

 

「先生ーーーーっ!」

 

 軽い音と共に倒れ伏すアティ。

 彼女はぴくりとも動かない。

 常であれば発動するはずの『抜剣』は、数秒が経っても気配がなかった。

 

 ポップは悲鳴をあげてアティに駆け寄った。

 

 地面にしゃがみ、家庭教師を抱き上げようとする。

 鎧を纏ったその身体に触れかけたその時。

 

「……え?」

 

 アティの身体が光に包まれ始めた。

 

「な、なんだよ、これ……!?」

 

 うっすらと、透けるようにして実感が消失していく身体。

 見ているものを否定しようと指を伸ばせば、返ってきたのは鎧の硬い感触だけだった。

 

 柔らかな肉があるはずの部分は、すっ、とすり抜けてしまう。

 

 まるで。

 まるで、最初からいなかったかのように、アティは世界から消えようとしていた。

 

 呆然と。

 呆然と、ポップは項垂れたまま光を見つめ。

 

「キィーヒッヒッヒ!」

 

 耳障りな声と共に、幾つものことが同時に起こった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 アバンの使徒の指導役――アティを仕留めたのは妖魔司教ザボエラであった。

 

「バランの奴を殺すつもりじゃったが、まさか研究対象の娘が邪魔をするとはのぉ。……まあいい、捕らえる手間を考えれば僥倖かもしれんしのぉ」

 

 戦士ではない彼は闘気に乏しく気配が薄い。

 更に自慢の妖術を重ね、感知を困難にした上で、太陽を背にひっそりと上空に待機していた。

 

 全員が疲弊し油断した瞬間に、裏切り者を始末するために。

 

 秘蔵していた『毒牙の鎖』は一見、細いチェーンの先に小さな刃が付いただけのアクセサリーである。

 しかし、かすっただけで並の戦士を死に至らしめる毒が込められており、ザボエラの魔力をこめることで鎧をも貫通する光弾となる。

 

 直線的な攻撃故、勘の鋭いアバンの使徒達には使いづらいが、見事、命中した。

 

 ――これで、奴らの戦力は大きく削がれた。

 

 元勇者・アバンをハドラーの貢献により葬ったものの、アバンの使徒にはもう一人の師が残っていた。

 指導者としては未熟な面があれど、こと戦闘力に限ればダイどころか、バランにすら匹敵しかねない傑物。

 

 ザボエラ個人としては興味深い相手ではあったし、魔影軍団長ミストバーンも注目している様子だったが、始末できるなら始末しておいた方がいい。

 ニヤリと口元を歪ませたザボエラは眼下の死にぞこない共を見下ろし、

 

「さあて、最大戦力の片方を始末したところで残りを……と」

 

 黒い影が、地上で最も長身の男――バランの背後に広がるのを見た。

 

「ワシが動かんでも、一匹潰れてくれるかもしれんのぉ」

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「アティ……!」

 

 バランは、人が光となって消滅していく現象に目を見開いた。

 

 ――何だ、これは。

 

 アティを襲った光弾の軌跡を追えば、そこにザボエラがいるのは見えた。

 ならば、毒が込められていたことは想像がつく。

 単なるダメージであれば耐えられたかもしれないが、持続性をもって身体を蝕む毒――それも猛毒となれば、疲れ切った彼女を()()のに十分だっただろう。

 消滅が毒の作用なのか、それとも別の何かなのかはわからない。

 確かなのはアティが死んだという事実だけだ。

 

 ――何故、彼女が死なねばならぬ。

 

 脳裏に、幾つもの光景が浮かんで消える。

 

 ソアラとの思い出。寝台で交わした睦言。雨の中での誓い。

 ディーノを初めて抱いた時のこと。テラン山奥での生活。

 妻を失った悲しみと、怒りのままに暴れた時のこと。

 

 顔立ち自体は似ても似つかぬ、髪の色も違う妻のイメージが、アティに重なる。

 二度に渡ってバランと剣を交えながらも生き残り、どころか打ち勝ち、力ではなく言葉でもって頑なな心を動かした女性。

 

 ――何故、私は、もう一度失わなければならぬ!

 

 胸が震える。

 激情が湧き上がり、今すぐザボエラを八つ裂きにしてやりたいと思う。

 

 同時に、頭の片隅にある冷えた部分が。

 

 竜の騎士、戦いの中に生きる者としての直感が、バランに振り返りざまの貫手を選ばせていた。

 

「……が」

 

 手には、確かな手ごたえがあった。

 人とも竜とも魔族とも異なる独特の感触を覚えながら顔を上げれば、予感した通りの顔がそこにあった。

 

 仮面を付けた黒ずくめの男。

 地味な見た目ながら道化師(ピエロ)を連想させる彼の名はキルバーン。

 六大軍団長とは別枠で存在するバーンの側近であり、通称は死神。

 

 邪魔者や裏切り者を始末するのが役目の掃除屋という話だったが。

 

「噂は真実だったようだな……っ!」

「あのタイミングで、よくも、反応するものだね……!」

 

 どさりと、地面に崩れ落ちるキルバーン。

 彼の身体の陰から小さな魔族――こちらは真にピエロっぽい服装をしているが「き、キルバーン!」と飛び出してきて懐を探る。

 回復か復活のアイテムでも探しているのだろう。

 させるかと、バランは呪文を唱えようとするが、それを見た小魔族は小さく呪文を唱えた。

 

 リリルーラ。

 誰かの元に瞬間移動するルーラの一種を用い、キルバーンの身体ごと大魔王の元へと戻ったようだ。

 息を吐き、あらためて周囲に意識を戻す。

 

 その時には既に戦端が開かれようとしていた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……アティ」

 

 ヒュンケルが立ち直ったのは、ポップがアティに駆け寄った後のことだった。

 

 ――俺のミスだ。

 

 戦場において油断が命取りになるのは当然のこと。

 一番よく知っているヒュンケルが気をつけておくべきだったはずで、それができていなかったのは油断という他にない。

 甘えがあったのだ。

 アティという年長者、母であり姉のような暖かい女性、戦いにおいても頼れるリーダーがいてくれるのだから大丈夫だと。

 

 ツケは、頼っていた人の死という形でやってきた。

 

 殺すのなら自分を殺せと言いたかった。

 しかし、嘆いたところで時間が巻き戻ることなどありえない。

 

 今やるべきは涙を流すことではなく戦うことだと、バランがキルバーンに貫手を放つのを見て理解した。

 

「ザボエラッ!」

 

 戦いの後、回収していた剣をかざして闘気術――クルスを放つ。

 

「わっ、とと……あぶないあぶない。ヒュンケル、老人というのはもっと労わるべきだと知らんのか」

「御託はいい。死ね」

 

 一発では当たらぬと見て海波斬を連発。

 ザボエラはこれもひょいひょいと避けていくが、近くにいた戦友が意図を察してくれた。

 

「唸れ! 真空の斧よ!」

 

 大気がうねり、上空のザボエラを襲う。

 上手く動けなくなりつつも直撃を避ける妖魔司教を狙い、ヒュンケルは必殺技の体勢を取る。

 

「ブラッディースクライド!」

「くっ! ハドラー様! 後は頼みましたぞ!」

 

 捨て台詞と共に鬱陶しい気配は消失。

 死神キルバーンもバランによって倒されたらしくいなくなっており、辺りには一瞬、静けさが戻るも。

 

「あ、ああああ、ああああああああっ!」

「ダイ?」

 

 記憶喪失中のダイが頭を押さえて蹲り、瞳から大量の涙を流し始めた。

 アティの死に理解が追い付いてしまったのか。

 

 胸が締め付けられるような痛みの中、ヒュンケルは少年の傍にしゃがみこもうとして。

 

 ずしん、ずしん、と。

 地響きの音と共に、何かが近づいてくる音を聞いた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

『ハドラーよ。余は寛大な男だ』

 

 魔軍司令ハドラーは回想する。

 バランによるパプニカ襲撃が起こる前日、彼は大魔王バーンに呼び出されていた。

 

 跪くハドラーに対し、バーンは面を上げさせたうえで告げた。

 失敗も三度までは許そう、と。

 

『しかし、お前はロモス・パプニカを奪回され、有能な軍団長を敵に回してしまった』

 

 玉座の上。

 薄衣の向こうにあるシルエットが三本立てた指の一つを折る。

 

『さらにバルジ島においては全軍を率いたにも関わらず敗北した』

 

 指がもう一つ折られる。

 

『……ここで、余が命じたアバン抹殺の結果を思い出そう。ハドラー、お前は余になんと報告した?』

『……失敗いたしました、と』

 

 アバン抹殺に向かったハドラーは、反撃に遭い殺された。

 

 ――誤算が多すぎたのだ。

 

 狙いのアバンは思った以上に衰えていた。

 しかし、後に竜の騎士の息子だと判明するダイ、オリハルコンの剣を持ち軍団長に匹敵する力量のアティ、若くして悪くない魔法使いのポップが加わっては、さすがのハドラーでも荷が重かった。

 

 ハドラーの肉体はバーンに与えられた特別製。

 バーンかミストバーンの魔力があれば蘇生可能であり、生き返る度に強くなる。

 

 ただ、任務に失敗したことは事実であり、ハドラーはリハビリも後回しに伏して詫びた。

 

『し、しかしっ! アバンはその後、死亡致しましたっ!』

 

 報告から僅か一日後のことだった。

 戦いの後遺症によるものなのは歴然。

 

『うむ。故に、指を折るべきかは余も迷っておる』

 

 ほっ、と、内心で息を吐いた直後。

 

『だが、明日のバランの戦い――よもやアバンの使徒が勝利するようなことがあれば、どうであろうな?』

 

 回想を終えるのと、地響きが止まるのは同時だった。

 ()()()()()()を率いてアバンの使徒、バランを前にしたハドラーは緊張を抑えつつニヤリと笑った。

 

 ――勝てる。

 

 バランが負ければ指は三本とも折れる。

 アバンの件で『指の半分』の功績があったとして、それで処罰を免れるか……確信できなかったハドラーは、バランの出撃後、バーンに直訴した。

 数が多すぎると逆に利用される、と、バランが残した超竜軍団の残存戦力を与えて欲しいと願ったのだ。

 

 バーンは、許す、と答えた。

 

 故に、ハドラーは魔軍司令権限において竜を率い、ここにいる。

 あのバランは真の姿すら披露した上、力を使い果たしている。

 バランを倒したアティはザボエラが暗殺してくれた。

 

「ドラゴン共よ! 貴様らの主がいるからと構う必要はない! 殺せ! 死ねば、奴はそれまでの器だったということだ!」

「グルオオオオオオッ!」

 

 ハドラー指揮下の竜達はバーンの好意で「狂う寸前まで」戦意を高めてある。

 軍団長、否、()軍団長が相手でも喜んで食らいつく。

 

「ハドラー……貴様、外道にまで堕ちたか!」

「知ったことではない。正々堂々などという言葉で勝てるのなら苦労はしないのだ! ――やれ!」

 

 号令一下。

 バランが率いたのとほぼ同数の竜の群れが、先を争うようにして殺到する。

 ハドラーは上空に浮かび、後方に逃れながら戦況を見守ろとし、

 

「……だ!」

「ん?」

 

 敵側から放たれる強烈な光に目を剥いた。

 

「おれたちは、絶対に負けちゃいけないんだ!」

 

 ハドラーは忘れていた。

 たった一人、アバンの使徒の中で戦いに参加していなかった者がいることを。

 

 正確に言えば、覚えていたが員数外としていたというべきか。

 

 額に竜の紋章を輝かせ、毅然と立つ少年は。

 

「だ、ダイ!?」

 

 本来、絶対に忘れることなどありえない存在。

 勇者。

 アバンから希望を託された小さな少年。

 

 ――バランの血を引く、もう一人の竜の騎士。

 

 ダイが、父・バランの真魔剛竜剣を手に、敢然と竜の群れに立ち向かおうとしていた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 時は少し遡り。

 

「あ、ああああ……ぼく、ううん、おれは、なんでこんな大事なことをっ!」

 

 割れるような頭の痛み。

 少年――ダイを襲ったのは、思い出せない記憶が無理に呼び起こされる感覚だった。

 

 アティ達、そして引き起こしたバランもダイを「記憶喪失」と表現していた。

 一概に誤りとはいえないものの、正確に言えば、少年が失っていたのは「記憶を引き出すための紐」とでもいうべきものだ。

 記憶とは本棚のように整然と並んでいるのではなく、個々の情報が紐で繋がって入り乱れているという方が正しい。故に、狙った記憶だけを激流で押し流すなどということは不可能――下手すれば身体の動かし方すら忘れた赤ん坊同然の個人が残ることになる。

 つまり、バランが消したのは記憶自体ではなく紐の方。

 

 だが、記憶が残っているのなら、紐を繋ぎ直すことは不可能ではない。

 

「ごめん、先生、ポップ、みんな……っ!」

「ダイ、記憶が戻ったの……!?」

「うん、思い出したよ、何もかも……っ!」

 

 ダイの瞳からは涙が流れていた。

 

 記憶が戻るきっかけになったのは師の死。

 憶えていなくても心が揺り動かされるような強烈な体験が、アティと、アバンとの思い出に向かって紐を伸ばし――連鎖するように、どんどん紐が繋がっていった。

 

 湧き上がる感情。

 知れず、額には竜の紋章が浮かんでいた。

 

 心に在るのは怒りではなく哀しみ。

 無力な自分への憤りと、もっと強くなって皆を守りたいという思いだった。

 

「……ディーノ」

「……バラン」

 

 驚いた顔で、どこか気づかわしげに見てくるバランを見返す。

 不思議と敵意は湧いてこなかった。

 

「あんたがやったことは許せない。だけど、さっき聞いた話も全部覚えてる」

「お前は……」

「話は後にしよう。敵が来るんだろ? だったら、そっちをなんとかしなきゃ」

 

 ダイは、目だけで「力を貸して欲しい」と父に願った。

 バランが頷いたのは数秒の間を置いてからのことだった。


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