平原の大片付けが始まったのは日が落ち始めた頃だった。
都近くに敷いていた防衛線を崩し、構成員を死体の解体・運搬・整理等に充てた。
都からも非戦闘員を集めて応援に送ったものの、空が橙に染まってもなお、作業が終わる目途すら立っていなかった。
「兵士達の疲労も濃く、順番に休ませる必要があります。松明の本数にも限りがあるため、夜になると作業の速度は大幅に落ちるかと」
「……そう」
陣頭指揮にあたらせている三賢者の一人――アポロの報告に、レオナはため息を交えて答えた。
「では、国庫から捻出する酒や食料を増やしなさい。……そうね、予定の三割増しまで許可します。昼間から働き通しだったのだもの、丁重に労わなければ」
「よろしいのですか? 国庫も決して余裕のある状況では」
「構いません。幸い、収入のアテもできたことですから」
大量に転がる魔物達の死体である。
魔物といえど、多くの者は生物。死ねば死体が残るわけだが、彼らの牙や翼、装備等は人にとって貴重な素材・収入源となることがある。
特に、竜の死体が手に入ったのは大きい。
竜の鱗や牙などは武器や防具の素材として良質だし、肉や血液、内臓をきちんと保存しておけば薬の材料になる他、珍味として買ってくれる好事家もいる。
――それが、被害ほぼゼロで手に入ったんだもの。
多少大盤振る舞いをしたとしても利益の方がよほど大きい。
むしろ、取れるだけ取っておかなくてどうするのか。
為政者としての判断を下したレオナに、アポロは「かしこまりました」と一礼して部屋を後にしていく。
「後の指揮は我々三賢者にお任せください。姫様も少しお休みなられますよう」
「ええ、ありがとう、アポロ」
部下を見送った後、レオナは有難く忠告を聞くことにした。
侍女と護衛を一人ずつ伴い、王宮代わりに使っている屋敷の中を歩く。
ある一室の前で立ち止まってノックをすれば、「どうぞ」とマァムの声が聞こえた。
「……みんな、少しは休めた?」
広い室内はベッドやクローゼットがあるだけでがらんとしていた。
そう感じたのは、中にいた者達の表情が暗いせいもあるだろう。
「問題はない」
ドアの傍で壁を背にしていたヒュンケルが答える。
鎧の魔剣は鞘ごと傍らに立てかけられており、包帯の上から簡素な衣服だけを纏った格好。
しかし、目を閉じ腕を組んだままの姿勢からはピリピリとしたものを感じた。
どこがよ、と言いたくなるのを堪えて他の面々を見る。
一番、服に汚れのないポップはベッドに腰かけたままがっくりと項垂れている。
別のベッドに座ったマァムも瞼を赤く腫らしている。
巨体故、床に直接座ったクロコダインもまた、口を引き結んだまま視線を動かそうとしない。
アバンの使徒一行はハドラーの襲撃を撃退した。
ヒュンケル、クロコダインをはじめとする仲間達の活躍もあって魔王軍の襲撃部隊は壊滅、ハドラーはダイとの激戦の末、ライデインを併用したアバンストラッシュの前に倒れた。
結局、パプニカの兵は後片付けくらいしかすることがない、大活躍だった。
「ありがとう、レオナ。おれたちは大丈夫だよ」
レオナにとって友人、いや恩人、あるいは更に違う名をつけるべきかもしれない少年――ダイは、マァムの隣に座ったまま顔を上げて微笑んでくれる。
それだけで安堵が浮かぶのを感じながら、レオナは最後の一人に目を向けた。
「……バラン。あなたも」
「気遣いは不要だ」
元・超竜軍団長かつ、ダイの父親だという男は窓脇の壁を背にしていた。
戻ってきた時、一緒にいた三人の部下はこの場にいない。自分達が一緒にいてはまずかろうと、何処かへと消えている。
バランだけがこの場にいるのは彼なりの「けじめ」のためだ。
「それより、私への処罰は決まったのか、パプニカの姫」
「……いいえ」
取り付く島もない対応は気にしないことにし、首を振って答える。
「あなたへの処罰はありません。超竜軍団は『パプニカに対し』何の被害も与えていない。私を含めたパプニカの人間はあなたの暴威を見ていないし――ダイ君のお父さんで、魔王軍を追い返すのに協力してくれた以上、むしろ感謝を送るべきでしょう」
「甘すぎるな」
「そうかしら。別に私はカール王国への被害を忘れたわけじゃない。カールの恨みはカールの者がいずれ晴らしてくれると思います」
その答えに、バランは「なるほど」と低く呟いた。
「ならば、カールの重鎮とも会わねばならんな」
「しばらくはパプニカに?」
「どうせ行くところなどない。……この腕が癒えるまでは剣も握れん」
バランの右腕にはぐるぐるに包帯が巻かれている。
内側は凍傷を心配するほどに冷やされており、火傷の熱さをしばらく防いでくれている。
本人曰く頂点は越えたようで、後は地獄のような痛みがしばらくの間、断続的に続く程度だという話だ。
――聞いた時、想像するだけで痛かったのは余談である。
レオナは微笑み、敢えて明るく告げた。
「有難いわ。あなたがダイ君達に協力してくれれば百人力よ」
「逝った者を想えば、私の協力など取るに足らん」
「っ」
一言。
たった一言で、レオナは二の句が継げなくなってしまった。
――アティ。
彼女が死んだ、と聞かされた時には冗談だと思った。
殺しても死なないタイプなどとは思わないが。
あの優しい笑顔が見られなくなる日が来るなんて夢にも思っていなかった。
「おい、てめぇ。……縁起でもねぇこと言うんじゃねえよ」
瞳に涙が溜まり始めた時、ポップが低い声でバランを咎めた。
「先生は死んだんじゃねえ、消えたんだ」
一つ目の戦いが決着し、バランの説得を終えた時だったという。
魔王軍幹部の魔法使いが毒の籠もった武器で奇襲をかけ、バランを庇ったアティが喰らった。
――そして、彼女はこの世から跡形もなく消えた。
マントや服も戦いの中で燃えてしまっており、残っているのは予め残していたポーチくらいだ。
中に入っていたのは色とりどりの宝石だけで、遺書など当然ない。
「やめてよ。こんな時に喧嘩なんか」
「喧嘩じゃねえ。先生は死んでないってことだけはハッキリさせとかねえと……」
「あの状況で生存を信じることは私にはできん」
「っ、だからっ!」
がたん、と、立ち上がった少年をダイの声が制した。
「やめてくれよ、ポップ!」
「……ダイ」
「おれだって信じられないし、信じたくないよ。でも、だからって、自分のことでおれ達が喧嘩するのなんて、先生が喜ぶはずないだろ」
ダイの瞳も大分赤い。
彼が記憶を取り戻せたのはアティの消滅を見たのが切っ掛けらしい。
最も付き合いが長いはずの少年が割合落ち着いて見えるのは、瞬間的な激情を別の形で発散することができたせいだろう。
それでも、声に力がないあたり、たった一人の損失がどれだけ大きいかを物語っている。
「……わりぃ」
ポップががしがしと頭を掻きむしってベッドに座る。
沈黙が下りた後、おもむろにヒュンケルが呟いた。
「思ったことがある」
「何を思ったの、ヒュンケル?」
「あの人は、本当に人だったのかと」
思わず歩み寄って平手を見舞いそうになったのも仕方ないだろう。
人ではなければなんなのか。
魔族、とでも言ったら本当に怒るつもりだった。
一度は沈静化したポップや、温厚なマァムですらも咎めるようにヒュンケルを見たが、
「そういう意味ではない。彼女は、例えば天の使いだったのではないか、と、そんな妄想をしたというだけのことだ」
「……天の使い」
逆の意味だったのか。
彼女がレオナ達を騙していたとか、裏切ったとか、そういう話ではなく、手助けするためにやって来てくれた別世界の住人だったのではないかと。
確かに、それならば、超金属オリハルコンの剣を持っていてもおかしくはない。
「らしくねえ御伽噺だな」
「俺もそう思う。だが、それなら『消えた』ことにも説明がつく」
「だからって……」
「彼女は『天使』と呼ばれることを嫌がっていた」
全員が沈黙した。
荒唐無稽に過ぎる話だとは思ったが、消滅した彼女をただ『死んだ』と考えるよりはマシだった。
ヒュンケルが出した話だというのも信じる気を起こさせてくれるし、何より、天に還ったのだとすれば死んではいないということだ。
「……先生は私達を守って、バランを説得してくれた」
「後は俺達が頑張る番、ってことか」
マァムとポップが顔を見合わせ、頷き合う。
「そうだよね。おれ達はまだバーンを倒したわけじゃない。ハドラーだってやっつけたけど、また復活してくるかもしれない」
ダイの顔にも生気が戻っていた。
ぎゅっと拳を握った彼は顔を上げ、皆に告げる。
「寝よう、みんな」
「ダイ……」
「ちゃんと休まなきゃ体力は戻らない。回復して、もう一回修行するんだ。ここからの戦いは、きっと今まで以上に厳しくなる」
「……そうだな」
ふっ、と、ヒュンケルが口元に笑みを浮かべた。
「こんなところで立ち止まっているようではアティに申し訳が立たん」
「そうね。先生の気持ちを無駄にしちゃいけないわ」
どうやら、アティはいなくなってもなお、皆に勇気を与えるらしい。
自らも力をもらったレオナは、あの家庭教師に妬けるものを感じつつも感謝する。
「じゃ、寝る前に腹ごしらえもしておきなさい。適当な食事を運ばせるから、ちゃんと食べること。いいわね」
「はーい」
と、可愛らしく答えたのは若い三人だけだったが。
後の男性陣もまた、可愛くない返答をそれぞれに返してくれたのだった。
☆ ☆ ☆
「……ハドラーが敗れたか」
大魔王バーンは玉座に腰を落ち着けたまま静かに呟いた。
彼の姿を隠す御簾――薄いカーテンの向こうで死神がおどけた声を出す。
「いやあ、面目ない。手負いの竜くらいは始末するつもりだったんですが」
「よい。火傷のお陰でしばらくは動けんだろう。よくやったキルバーン」
「有難き幸せ」
本当に思っているか疑わしい台詞と共に、キルバーンが一礼。
その場にいたもう一人、ミストバーンが尋ねてくる。
「よろしかったのですか、バーン様?」
「……何の話だ?」
「せめて私が加勢すれば形勢が変わったのでは、と」
勇者ダイとの一騎打ちにより、魔軍司令ハドラーは三度敗れた。
死体は回収して蘇生させたが、今後の処遇については考えなくてはならない。
――魔軍司令の座をミストバーンに委ねるか。
ハドラーの申し開き次第では考え直すこともできるが、結果だけを見れば負け続きとしか言いようがない。
邪魔者の抹殺を考えても、手助けをしておくのは悪くはない。が。
「いや、それには及ばぬ」
ミストバーンは知らないが、ハドラーを捨て石にダイ達を殺す手も実はあった。
バーンが与えた身体にはとある仕掛けが施されている。
その仕掛けを発動させれば、パプニカごとダイ達を纏めて葬ることも。
ただ、それにはバーンが直接あの場に出向かなければならなかった。
「実利一辺倒の策など趣がなかろう」
「ですが」
「構わぬ。まだ幾らでも機会はある。それに、六大軍団が壊滅したわけでもない」
残るのはザボエラ率いる妖魔師団とミストバーンの魔影軍団。
たった二軍とはいえ、搦め手を得意とするザボエラの評価は兵の数や戦闘力だけでは測れないし、ミストバーンはまだ手の内を晒していない。
「余興はまだまだ終わらぬ」
それより、と、バーンは思う。
「アティといったか。あの娘が失われたのは少々惜しいな」
「バーン様がご執心になられる程とは……」
「驚くこともなかろう。お前とてあの者には興味を抱いていたはずだ」
「………」
ミストバーンが黙り込む。
まるで、他の者が傍にいる時のようだ、と、バーンは低く笑った。
「まあ、余も若い身体ならばともかく、慰み物を求めるには老いすぎたわ」
「……あの魔剣も、魔王軍にとっては脅威かと」
神々や精霊の力を彷彿とさせる蒼い光。
あれが無くなったのはバーンとしても幸いであった。
「ザボエラは良くやった。……あるいは、あやつに魔軍司令を任せるのも一興やもしれんな」
この時、バーンですら考えもしていなかった。
まさか、死んだはずの彼女が再び舞い戻ってこようなどとは。
☆ ☆ ☆
「……ここは」
朝日の照らす平原にアティは立っていた。
見覚えのある場所。
周囲ではパプニカの兵士と思われる者達が忙しく動き回っている。慌ただしさのせいか、誰も突然現れたアティのことを気にしていないようだが。
「あの、今は何日だかわかりますか?」
一人を呼び止めて聞いてみる。
「あ? あんた誰……まあいいけどよ、今日なら――」
返ってきた日付は、あの戦いから数日後のものだった。
兵士に礼を言ってその場を離れる。
この世界に滞在していた日数とリィンバウムでの経過時間から考えてその程度だろうとは思っていたが、実際に確かめられて良かった。
どうやら戦いは完全に終わっているようだが、この様子ならダイ達も無事だろう。
「
呪文を唱え、アティは王家から借りている家へと移動した。
軽い土煙と共に着地し、辺りを見回すと。
「……で、出た」
泡を食ったようにこちらを見るポップと。
「………」
「………」
剣を手に睨みつけてくるダイとバランの姿があった。