白刃が閃くたび、骨や鎧が砕けて飛ぶ。
ベンガーナを守る城壁の片翼は亡者と無機物の群れで埋め尽くされていた。
痛みを感じず、身体が動く限り戦い続ける死の軍勢。
一般的な魔物とは一線を画する彼らの姿は、人を恐怖させ、絶望させるのに余りある。
しかし、城壁の前に立ちはだかる戦士には一片の迷いも無かった。
「まさか、この俺が骸の群れを屠ることになろうとはな」
ヒュンケル。
どこか禍々しい鎧に身を包んだ青年――かつて魔王軍・不騎団長であった彼は鋭くも澄んだ瞳で敵を見据え、愛剣を手に平原を駆ける。
休みなく挑みかかってくる骸を一体、また一体と切り伏せながらも止まらない。
骸骨剣士やさまよう鎧、アニマルゾンビ程度であれば大地斬を使うまでもない。闘気の扱いに習熟した彼の剣は一つ一つが強大な力を秘めており、鉄の鎧すら容易く両断する。
時には海波斬を放って数体を一度に葬り。
「だが、だからこそ退いてやる気はない」
地面を響かせながら突進してくる骸の竜へ向け、剣を構える。
「……ブラッディ―スクライド!」
凝縮された剣気が渦を巻いてドラゴンゾンビを貫き、後方にいた敵をも塵へと返した。
軽く息を吐いて剣を構え直す。
未だ身体にも鎧にも傷らしい傷はないが、敵はまだ幾らでもいる。
数百はくだらないであろう数をよくもまあかき集めたものだが、実際、これだけの敵というのは単純に脅威である。
戦士であるヒュンケルは呪文を使えない。
頼れるのは己の身と闘気のみであり、イオラで複数を吹き飛ばしたり、ニフラムで浄化したりといった真似ができない。せいぜいが数体を一撃に巻き込むのみ。
呪文使い二人を片翼にまとめたポップの采配によるものだが、ヒュンケルは弟弟子を恨んではいなかった。
身体さえ動けば戦える彼と違い、ポップ達は魔法力という限界がある。
杖やハンマースピアでもある程度は凌げるだろうが、二人が連携して一気に片づけるという作戦は間違いではない。
何より、この状況は彼への信頼の証とも受け取れる。
「ダイ、港へ向かえ!」
彼は、戦場にいるもう一人の仲間を振り返った。
同時に視界の端へ映るのは鬼の顔を持った城。
――鬼岩城。
魔王軍の拠点として使われている城が、
あれを破壊することは並の攻撃では不可能。
「でも、ヒュンケル!」
アティから貸与された覇者の剣(偽)を振るっていたダイが表情を強張らせる。
一人では無茶だと顔に書いてあったが、ヒュンケルは皆まで言わせるつもりはなかった。
「問題ない。この程度の雑魚、たとえ何千いようが全て葬ってみせよう」
「……信じていいんだよね?」
周囲にいた敵を斬り飛ばし、背中合わせになって言葉を交わした。
「ああ。俺を、ポップ達を、あの人を信じろ」
「……わかった!」
こくん、と頷いたダイが紋章の力を解放する。
ふわり、とトベルーラで浮かび上がった彼は一瞬だけ視線を下ろすと、すぐに港へと真っすぐに飛んでいった。
すると、今まで二か所に分かれていた敵の群れが一か所に集中する。
だが、ヒュンケルの口元には笑みが浮かんでいた。
それは戦士としての獰猛な笑みであり、同時に少年のような無邪気な笑みだった。
――所詮、俺は一介の戦士に過ぎん。
指揮も、援護も、作戦立案も向いていない。
居るだけで皆を鼓舞するカリスマなど持ち合わせていない。
無理して真似事をする必要も、ない。
皆の心を和らげ、導いてくれる女性がいる。
こっそり世界を巡り手助けをしてくれる、もう一人の師がいる。
犯した罪は消えない。
消えないからこそ、戦い続けられる。
知らず、ヒュンケルの胸で「アバンのしるし」がほのかに輝く。
「来い。俺が相手をしてやる」
大軍を前にしても、負ける気は全くしなかった。
☆ ☆ ☆
鬼岩城は今にもベンガーナへと上陸しようとしていた。
港に並ぶ最新鋭の軍艦が次々に砲を浴びせるも、岩の表面を僅かに削るのが精一杯だった。船は次々と巨体に押しつぶされていく。
このままなら街の建物も同じ末路を辿るだろう。
避難は未だ完了していない。
道を押し合いへし合い、大きな建物に向かって逃げる人々は、城壁の中からも見える『明確な脅威』を前に驚愕し、慌てたように足を急がせる。
――そんな中、初めに気づいたのは幼い少女だった。
小さな、しかし眩い輝きと共に飛び行く人影。
真新しい、仕立ての良い服を纏い、美しい剣を背負って巨大な城に向かう姿は。
「あのお兄ちゃん、格好いい」
まさに、人々に希望を与える『勇者』であった。
「勇者?」
「あんな子供が?」
「いや、しかし、あの光は美しい」
人々は今、まさに助けを求めていた。
危機が迫る中、救いの手を差し伸べてきた彼を美しいと感じた。
――そして、少年は彼らの期待に応える。
城から輝く鎧の兵が現れ、地面に降り立つ。
三体。
大柄かつ、一目で尋常ではないとわかる相手を目にし、いったん地上に降りると手にした剣を振るう。
両断。
一つ呼吸をするたびに鎧が一つ切り裂かれ、何もない中身を晒して動かなくなる。
「……力を貸してくれ、おれの剣よ!!」
今、まさに強敵を打倒した長剣を腰の鞘にしまい。
背負った剣に手をかけると、彼は再び飛び上がった。
がしゃん、と。
音を立てて解放された剣を見て、誰かがあぁ、と声を上げた。
あれは勇者の剣だ。
「やああああああ――っ!」
剣に施された宝玉の一つが輝くと、刀身が真っ赤に燃え上がる。
炎の剣が一閃。
大きく力強い軌跡を描き、剣は、岩の城を真っ二つに両断した。
崩れ落ちる城が響かせた音は、ベンガーナ中の人々に届いた。
☆ ☆ ☆
「キィーヒッヒッヒ! 見事な力よ!」
声は、鬼岩城の残骸の上。
貼りつくようにして存在する目玉の魔物から発せられていた。
「ザボエラ!」
「勇者ダイよ! ここがお前の墓場となる!」
「おれは負けない! 魔物はポップ達が倒してくれてる!」
切り札を失った直後だというのに楽し気な声に、ダイは敢然と返す。
しかし、
「ヒヒヒッ! ならば、お代わりといこうか!」
二つに分かれて落ちた鬼岩城だったもの。
表面が弾けるように割れ、内側から多種多様な鎧が姿を現した。
ぞろぞろと、次々に這い出てくる彼ら。
「くっ……!」
ダイは剣を握り直して向かおうとして。
「おおっとぉ! 貴様には別の『相手』を用意してある!」
「何!?」
驚き、足を止めた矢先。
空から弾丸のように殺気が向かってきて、ダイの脇をギリギリでかすめた。
――ぞくり、と、背筋が震えた。
雑魚に構っている余裕はない、と本能が訴えてくる。
身構え、地響きと共に着地した
「……え!?」
見たことのある顔、見慣れない姿の
「しばらくぶりだな、ダイ」
「……ハドラー」
前回の戦いにおいて打ち倒した強敵が、万全の状態でそこにいた。
今までとは違う、真新しい兜と鎧姿。
三つ角の兜は雄々しくも禍々しく、鎧に覆われた身体は一回り大きくなっているようにも見える。
何より、眼が違う。
絶対に勝利しようという意思は同じ。
だが、覚悟の重さが違う。
何か大事なものを投げ捨ててでも『勝ち』に拘っているような。
「ザボエラの手下になったのか、ハドラー」
「そうだ」
挑発するつもりはなかった。
どちらかといえば確かめる目的ではあったが、それでも、淡々と答えてくるのは予想外だった。
「今のオレは魔軍司令ザボエラの部下。肩書などない、ただのハドラーよ」
「ザボエラの部下……」
魔王軍の再編についてはアティ達からも聞いていた。
魔軍司令としてザボエラの名が上がった以上、ハドラーが格下げになったことは予想できていたが、こうして相対してみると感じるものがある。
これまで幾度となく相まみえてきた相手。
「お前は、それでいいのか」
じっと見据えれば、鋭い眼光が返ってくる。
「いいも悪いもない。お前達に三度敗れたのは事実。それでもオレは処分を免れ、チャンスを与えられた。ならば、今度こそ全身全霊をかけるのみ」
「おれ達を足止めして街を襲うのは、あんたのやり方じゃないだろ」
「部下が命令に逆らえようか。それに何より――」
ハドラーは剣を佩いていない。
素手のまま、拳からじゃきん、と爪を生やすとダイに向けてくる。
「ダイ、お前と一騎打ちをする機会をくれたのだ。これ以上、望むことがあろうかっ!」
「っ!」
街へと散会していく鎧達を気にも留めず。
地を蹴ったハドラーが猛然と迫ってくる。
「おおおおおっ!」
全力で相手をしないと負ける。
瞬時に理解したダイは紋章を輝かせ、左の拳でハドラーに応じた。
衝撃。
強く打ち合わされた互いの拳が弾かれる。
「ぐううっ!」
悲鳴を上げたのはダイの方だった。
ハドラーの拳に生えた爪は竜闘気に阻まれても砕けなかった。
みしみしと悲鳴を上げながらも耐え、ダイの拳を浅く傷つけている。
――違う。
これまでのハドラーとは何かが、決定的に。
恐らく今の攻撃は向こうにとっても様子見、彼我の戦力がどう変わったのかを確かめる一手だったのだろう。
「ハドラー、まさか」
「試してみるか?」
堂々とした問いかけ。
ダイは一瞬怯んだ後、意を決して指を振り上げた。
「ライ、デイーン!」
空から一筋の雷鳴が落ち、ハドラーを襲う。
竜の騎士にのみ許された呪文・ライデイン。
雷は全身を駆け巡り、内外から焼き尽くし、強い痺れと痛みを残す。
だが。
ハドラーの全身から吹き上がった『気』が、ライデインの雷を吹き散らした。
「あ、ああっ……」
兜と鎧が弾け飛ぶ。
晒された素顔には兜と同じ三本の角が生え、素肌は硬い表皮で覆われている。
サイズこそ元とほぼ変わっていないが。
この場にアティかポップ、マァムがいたのなら「同じだ」と言っていただろう。
すなわち、ロモスで彼らを追い詰めた魔獣。
「超魔、生物」
「そうだ」
ザムザ一人では終わらないだろう。
予測は、最悪の形で現実となった。
「二度と戻れぬ覚悟で改造を受けた。オレはもう、死しても蘇生することはない」
「……そこまでして」
「無論。そうせねば勝てぬ相手だっ!」
ライデインに焼かれた肌は既に治療が始まっている。
拳を握って迫るハドラーを前に、ダイは右手の剣を腰だめに構えることで応じた。
――アバンストラッシュ。
師の必殺技を、父の力と共に繰り出す。
アティの情報によれば、超魔生物を相手に出し惜しみは悪手だ。
「いっけえええええっ!」
「……おおおおおっ!」
竜闘気を纏ったストラッシュがハドラーに飛ぶ。
一兵卒に戻った元・魔軍司令は、何度も己を苦しめてきた技に目を瞠り、すぐに細めてから大きく見開いた。
構えが変わる。
殴りかかる姿勢から、まるで剣を構えるように前傾となり、
じゃきん、と、右腕からせり出してきた刃に、炎のごとき闘気が纏わりつく。
――魔炎気。
生憎、これまで目にする機会はなかったが。
ヒュンケルやバランから存在だけは聞いていた。
炎の暗黒闘気。
並の金属を溶かし、肌を焼き、通常の暗黒闘気と同様に傷の治癒を困難にする。
新たなるハドラーの力が覆うのは、腰にある剣とそっくりの一振り。
「覇者の、剣……!?」
振るわれた刃が、アバンストラッシュを打ち破った。
「これが……っ!」
「っ」
「オレの覚悟だ、勇者よっ!」
必殺技を迎撃したことにより勢いは止まった。
だが、ハドラーは迷わなかった。
驚きから動きの鈍るダイをよそに、即座に剣を構えなおすと前進。
全身から噴き出した魔炎気を纏うと剣に集中させる。
どこか、その姿は必殺剣を振るう父、バランの姿と重なった。
否。
決して理由のない幻覚ではない。
オリハルコン製の剣、圧縮された闘気、呪文に相当する炎。
振るわれる一撃は魔法剣による必殺技に相当する。
「超魔爆炎覇!」
高らかな声と共に。
超戦士の剣が激しく炸裂した。
☆ ☆ ☆
生憎、場を見守っていたのは大目玉一匹だけだったが。
「……見事」
胸を浅く切り裂かれたハドラーが口元を歪めて呟いた。
対するダイは大きく後退し、荒い息を吐きながら懐を探り、小さな実を口に放り込む。
アティが異世界から持ってきた回復の道具だ。
薬草などより効果は大きいものの、即効性はイマイチ。
それでも、飲み下した端からほんの少し、痛みと疲れが和らいだ気がした。
「まさか、あの一瞬で魔法剣を繰り出すとはな」
先の交錯で傷を負ったのはハドラーの方だった。
驚きからなんとか立ち直ったダイは、できる限りの闘気と共に魔法剣を繰り出した。
冷気を纏ったアバンストラッシュ。
魔炎気を打ち消す形で呪文が作用し、反撃に驚いたハドラーは一歩、踏み込みで負ける結果となった。
ともあれ、ダイが受けた衝撃も大きく、身体のサイズと治癒力を思えば痛み分けだが。
「今のは、その剣の力か?」
「ああ。マァムからもらった魔弾銃の宝石六つに、それぞれ呪文が詰まってるんだ」
純粋な剣の威力以上に戦力を高める機能。
ロン・ベルクが思案の末、ダイの剣に組み込んだ、勇者のための力だった。