アティが到着したのは、黒の核晶が砕け散った直後だった。
甲高く耳障りな音の後には不自然なほどの静寂が残る。
「……いつから気づいていた?」
絞り出したようなハドラーの問いに、バランが眉を顰める。
「知らされていたのか」
「答えろ。いつから気づいていた……!」
「前回の戦いで違和感を覚え、終わった後に気づいた」
アティとバラン、二人の知識を動員した結果だった。
『抜剣』は本来、魔剣を通して魔力供給を受けながら用いるもの。繋がりが絶たれている状態では本人の魔力を燃やして補うが、燃費はすこぶる悪い。
ハドラーの疑似抜剣があれだけ長く続けば仕掛けを疑うのは当然のこと。
勿論、魔剣と同じような供給装置も疑ったが、竜の騎士の知識の中にも類似技術はなかった。となれば、もっと手っ取り早い方法。
『聖石』のような、魔法力を溜めこむモノが身体に埋め込まれている可能性が高い。
『抜剣』の魔力消費を補うとなれば超高性能。魔族であるハドラーの身体にも適合するもので、サイズはそこまで大きくない。となると、導き出された答えは一つ。
黒の
魔界にのみ存在する希少な石を精製して作られるアイテムで、魔法力を無尽蔵に溜めこむ性質がある。溜めこまれた魔法力は物理的・魔法的刺激を受けることで一気に解放され、恐ろしい威力の爆弾となる。
以前に使われた際は大陸一つが消し飛んだ。
魔界にて冥竜王ヴェルザーに用いられ、瀕死の重傷を負ったバランはこれがトラウマになっており――アティとの戦いでサモナイト石爆弾を受けた際には思わず激昂した。
竜の騎士でさえ恐れ、ヴェルザーも以降二度と使わなかったほどに危険な品だ。
おそらく、これがハドラーの体内に埋め込まれ、身体の一部と認識されている。
故に魔法力の導管がそこからも魔法力を吸い取っていた。
「……成程な」
ハドラーは地面に座り込んだまま、疲れたように息を吐いた。
「それで、お前達は対策を練っていたというわけか」
「無論だ」
種の予想ができたのなら対策を立てないわけがない。
といっても、考えたプランはごくシンプル。
万が一、黒の核晶が爆発しても身を守れるよう、できるだけ余力を残しつつ戦う。ハドラーは手を抜いて勝てるほど甘くないため生存が最優先。さっさと爆発させる気ならカールでやっていたはずなので、黒の核晶はあくまで非常手段か、ハドラー自身は知らされていないと考えていた。
『疑似抜剣が続けば続くだけ魔法力は減る。爆発の威力も抑えられるだろう』
『それで、隙を見てハドラーの身体から摘出する……』
『戦っている最中に誘爆する危険はあるが――生半可なダメージで爆発するのなら、ハドラーの魔炎気に反応しているはず。肉体が強化されていることも考えれば、手を弱める必要はない』
ダイには自爆の可能性と、爆発しそうになったら竜闘気を全開にしろとだけ伝えていた。
少年に丁度いい手加減を要求するのは難度が高いし、それで負けてしまっては元も子もないからだ。
「……ハドラー。身体に触らせてください」
「アティか」
駆け寄ったアティがしゃがみこんでも、超硬騎団長はぴくりともしなかった。
「お前がここにいるということは、アルビナスは」
「半身だけの状態で向こうに倒れています」
生きていると暗に伝えれば、ハドラーはふっと笑った。
「相変わらず甘い奴らだ」
彼は更に「だが」と続けて顔を顰めた。
「オレは死ぬ。アレが身体に埋め込まれたのは、大魔王から新しい身体を賜った時だろう」
バーンは最初から黒の核晶を仕込んでいた。
裏切った時の保険か、ハドラーが倒された時に発動するつもりだったのか。意図まではわからないが、一つだけ言えるのは、大魔王にとってハドラーは捨ててもいい駒だったということ。
長期間体内に在り、身体の一部と認識されていた黒の核晶は臓器も同じ。
欠損した状態ではどんな不都合が出るかわからないし、下手すれば超魔生物としての再生機能が異常を起こして自己崩壊を招く可能性もある。
実際、ハドラーの再生能力は殆ど機能しておらず、胸には穴が開いたままだ。
「いいえ、あなたは死なせません」
それでもアティは首を振った。
「そのために対策をしてきたんです」
「……まさか、オレを救う手立てを講じたというのか?」
救いがたい愚か者を見るような目だった。
バランが苦笑し、自らとダイの傷を治癒し始める。
「生憎だが、彼女は本気だ」
「バラン、貴様は止め――」
「ハドラー。お前は先程、主を『大魔王』と言ったな」
ハドラーの言葉を遮り、バランは淡々と告げた。
「最早貴様は大魔王の鎖から解き放たれた。使い捨てられそうになった恨みもあろう。身の振り方を考える時期に来ているのではないか?」
「……オレに『仲間になれ』とでも言うつもりか?」
「目的が同じなら、大魔王が滅びるまで休戦してもいいだろう」
「………」
沈黙するハドラーを見てアティは微笑んだ。
少なくとも、断固拒否という態度ではない。それで十分だ。
道具袋から小ぶりの石を一つ取り出す。
「……それは?」
「ある特殊な石を、特殊な方法で加工したものです」
元にしたのは無色のサモナイト石。
加工に用いた技術は聖石の精製方法の応用。
黒の核晶とサモナイト石にある種似た性質があるというのなら、摘出された石と同一のものだ、と騙してやることができるかもしれない。
何も入れないよりマシで、考えられる中では最も成功率が高かった。
「痛いと思いますが、我慢してください」
手袋を外し、素手で掴んだ石を傷口に埋め込む。
「ぐっ……!」
ハドラーが呻き、顔をしかめた。
大の男ですら悲鳴を上げるだけの激痛なのだ。
「埋め込み自体はすぐ終わります」
スペースが空いているところに置いてやればいい。
看護兵としての心得も多少はあるが、再生能力を持つ超魔生物を相手に小手先の技術は意味がない。
むしろ、用いるべきは別のもの。
アティはハドラーの胸に手を当てると、淡く優しい波動を注ぎ込んでいく。
「……治癒の闘気か」
「これなら、少しは成功率が上がると思うんです」
サモナイト石はできる限り光の属性を籠めなかった。
ハドラーの肉体と反発しないようにするためで、この治癒の闘気もそこに配慮している。
そもそも、闘気とは通常人に与えるものではない。光の戦士同士であろうと他者の闘気は反発しかねないが、アティの闘気は癒しの力。
誰かに与えても反発を受けづらい性質を最初から備えている。
少しずつ注ぎ込めば、注がれた力は血肉や魔炎気に代わってハドラーの肉体を癒してくれるはず。
「……ハドラー、どう?」
そこまでじっと様子を見ていたダイが尋ねる。
「……ムズ痒いが、悪くはない」
返ってきた声は硬く、顔も凄まじい渋面だった。
照れ隠しにしか見えない表情にダイがぷっと吹き出し、バランさえも気遣ったように顔を背けた。
ハドラーが小さく「死にたいようだな」と呟いたのはアティにしか聞こえなかっただろうが、まあ、彼も本気ではないだろう。
治療を続けているうちに、仲間達が一人ずつ集まってきた。
ヒュンケル、ポップ、クロコダイン、マァム。
幸いみんな無事だったらしく、アティ達を見ると表情を綻ばせる。
「全員無事のようだな」
「こっち見て言うんじゃねえよ。……ま、ギリギリだったけどな」
「うむ。超硬騎団、恐ろしい敵だった」
「首の皮一枚だったわ……」
ポップは、アティの渡した実で傷を癒しつつ、牽制と騙し合いの応酬の末に勝利。
クロコダインはフェンブレンの真空呪文を抑えた上に怪力でダメージを積み重ね、隙を突いての獣王激裂掌で全身をバラバラにした。
マァムはブロックと一進一退の攻防を続けた後、仲間の死に反応した敵が戦闘パターンを変えたのを機に、イチかバチかのアバンストラッシュで勝利を収めた。
「っていうか、ハドラーを治療中ってのがビックリだぜ。頭だけ残ってるシグマも回収してきた方がいいか?」
「あ、そうですね。できればアルビナスや他の超硬騎団も……」
答えようとした時だった。
ぴし、と、近くの氷にひび割れができる。
「え?」
程なくして地響きのようなものが聞こえ始め、それはどんどん大きくなり、やがて、死の大地のあちこちで氷が砕け始めた。
まるで。
まるで、そう、氷の下から巨大なものが、無理やり上がってきているような。
「――まさか!」
悪い予感は、まさに的中していた。
地響きはもはや地震と化し、立っていることさえ難しくなる。
「まずい。ポップ、ルーラで飛べるか?」
「ちょ、ちょっと待てよ。俺、今魔法力がからっけつで……」
「隙を突かれたか」
バランがダイの治療を中断し、すっと立ち上がる。
「アティ。ハドラーの治療は止められるか?」
「……今は難しいです」
一瞬の検討の後に首を振れば、バランは頷いた。
「ならば、クロコダインとマァムと共に私のルーラで撤退する」
「俺とダイはどうする?」
「生き残っている超硬騎団を回収し、ダイのトベルーラで帰還しろ。私もアティ達を逃がしたらすぐに引き返してくる」
静かな瞳がヒュンケルを見据えた。
「頼めるか?」
「……引き受けよう。単独なら俺が一番、ダイの戦いの邪魔にならん」
バランとしても苦渋の決断だろう。
ダイとヒュンケルがいくら強くとも、バランがすぐに引き返しても、万が一はありうる。
それでも、彼らを信じるしかない。
『キィーヒッヒッヒ! そうはさせるか!!』
そんな時に響いた声は、
「またザボエラの野郎か!」
タイミングの良いしわがれ声と共に、バサバサと近づいてくる翼の音。
魔軍司令配下のガーゴイルが複数、手には剣を持っている。
一体一体ならなんということのない敵だが、上空を塞がれたこと、ぐすぐずしているとマホトーンを使われることが鬱陶しい。
一度はルーラで逃げられても、残ったダイ達が危険すぎる。
「もういい」
「きゃっ」
ハドラーの声と共に、アティの身体が突き飛ばされた。
「オレ達のことは捨て置け。今すぐ全員で逃げ帰るのだ」
「でも……!」
「死ぬつもりか、ハドラー」
「馬鹿者。ムザムザ死ぬつもりなどない」
覇者の剣を携えた男の眼光は鋭かった。
既に表面的な傷は癒えており、再生も摘出後よりはマシになっている。
全く戦えない状態ではないだろうが、
「お前達こそ、オレより先に逝ったら承知せん」
「……ハドラー」
「部下の面倒は自分で見る。お前達は、大魔王を倒すことだけ考えろ」
左手が上がり、掌から熱戦が迸る。
元魔王のギラを浴びたガーゴイルは悲鳴を上げて地面に落ちる。
見事だが、イオラでもベギラマでもなくギラを使っているのは、余力が少ないことの現れでもあった。
「行け!」
「っ」
背中を押すような大声を受け、アティはルーラを唱えた。
勇者一行は一塊の弾丸となり、ガーゴイルの群れを突っ切ってパプニカへと飛んだ。
高速で飛行する最中、一行は見た。
氷山を割り、荘厳な宮殿が浮上するのを。
翼を広げた鳥の形。
もともと飛行することを前提に作られているのだろう。大魔王の居城は、撃ち落とすことのできない魔鳥といって差し支えなかった。
そして、鳥は卵を産み落とすように、腹から大きな『柱』を落とした。
魔法的な威力を伴っているのか、光と共に大地の残骸を直撃したそれは、深く海底へと沈んでいった。
――残った氷の中に、ハドラー達が紛れていたかどうか。
そこまでを知る術は、アティ達にはなかった。
☆ ☆ ☆
勇者一行の帰還は朗報と共に危機的状況を各国へ伝えた。
強敵、超硬騎団の撃破。
同時に魔王軍は本腰入れての侵攻を開始、遂に大魔王が居城を露わにした。
――世界中へ同時に通達が行われる。
地上に住む人間達は魔王軍に投降せよ。
投降した者には慈悲を与え、命までは取らないものとする。
無論、多くの者は一笑に伏したが、庶民や貴族の中には真に受ける者も出始めていた。
大魔王は宣告を裏付けるように攻撃地点を予告。
ロモス北西、オーザム南部、バルジ島。
一日に一か所ずつ。
既に三か所が『柱』の攻撃に見舞われ、大きな被害を出した。
勇者達が休息を取る中、各国の兵や勇士達が大魔宮への攻撃を試みたが、結界のようなものに阻まれ被害を与えることはできなかった。
アティ達もただ休んでいたわけではない。
トレーニングや相談、あるいは死の大地があった場所の捜索等々、できることを行いながら気力と体力を充実させていた。
奇しくも、大魔宮攻略の糸口はまたも勇者一行。
破邪の洞窟より持ち帰った大破邪呪文ミナカトールに託されることとなった。
大魔宮の機能停止後、ルーラで突入。
言葉にしてしまえば単純な、しかし決死の作戦が始まろうとしていた。