「ヒュンケル」
横手からかけられた声に、青年は座ったまま顔を向けた。
「下は落ち着いたようだな」
「相変わらず遊びの足りない子ですねぇ」
やれやれと息を吐いたのは変な髪形と眼鏡が特徴の男。
師・アバンは数名の救援と共にバーンパレス中央部付近へ立っていた。やってきたのはクロコダイン、ラーハルト、それからチウをはじめとする獣王遊撃隊の面々と――。
「また無茶をしたのね、貴方は」
言うなり駆け寄ってきたエイミに、目を伏せて答えた。
「……しなければ生き残れなかったからな」
ベホイミによる治療は甘んじて受ける。
アティから貰った実が尽きて難儀していたのだ。ヒムの我儘さえなければ今頃、ダイ達の救援に駆け付けていたのだろうが、まあ、勢いというのは恐ろしいものだ。
その代わり、頼もしい助っ人が向かってくれたのだから良しとすべきだろう。
エイミを見れば、彼女は治療に集中しているのかヒュンケルの身体をじっと見つめていた。
――決戦前夜の会話が頭をよぎる。
余計な思考に囚われかけたヒュンケルはアバンを見上げた。
「行くなら急いだ方がいい。……おそらく、敵はミストバーンだ」
「大魔王バーンの側近――でしたか」
「ああ。そして、俺にとっては闇の師でもある」
ぴくりとアバン、そしてエイミが反応する。
かつて世界を救った賢人は、後輩の賢者に微笑みかけた。
「ヒュンケルを頼んでもよろしいでしょうか」
「……はい。彼は、私に任せてください」
頷き合う二人。
後ろで
が、エイミと二人では間が持たないから、と彼らを引き留めるわけにもいかない。
「気を付けろ」
「勿論です」
もしかすると、一番気に食わないのはこの男かもしれない。
全てわかっている、という風に笑みを浮かべるアバンを見て、ヒュンケルは思った。
☆ ☆ ☆
「なるほど、
衝撃からいち早く立ち直ったのはバランだった。
臓器全てを揺さぶられたような痛みを堪えながら立ち上がり、左手で
治療を続けたまま右手を背中に導き、ミストバーンが身構えたのを見て――剣に手をかけ床を蹴った。
接近。
真魔剛竜剣が抜かれることはなかった。
バランは、右手を滑らせるようにしえて腰だめに構え、そのまま突き出す。
腹に突き刺さった拳は、まるで布の塊を叩いたかのように手ごたえがなかったが、美貌の男はかすかに、しかし確実に苦しげな息を漏らした。
「幾ら強靭な身体でも、使いこなせなければ意味がない」
「ほざけ……っ!」
すぐに手痛い反撃が来た。
鋭く早い蹴りは、腹部に竜闘気を集中して尚、バランの身体を三度、壁面まで吹き飛ばす。
息が詰まり、身体がくの字に折れ曲がった。
中断した回復呪文をすぐに唱えなおすも、とてもではないが追いつかない。
だが、どちらかといえば、余裕がないのはミストバーンの方だった。
即座に踏み込んでくる彼を止めようと、ダイやマァムが足を向けるが、
「構うな!」
一喝に、少年少女は動きを止める。
「やることは変わらぬ! 私のことより、こいつを倒す方を――」
手刀が、強引に口を塞ごうと振り下ろされた。
両腕をクロスして防御。上にしていた左腕が音を立てて折れる。苦悶の声を抑えて呪文を唱えた。
ダメージこそ無いが、魔影軍団長は視界を塞がれ動きを止める。生まれた隙はダイ達が繋いだ。
「空裂斬!」
「虚空閃!」
「……小賢しい」
ミストバーンは回避を選んだ。
結果、光の軌線は奥にいたバランに突き刺さる。
しかし、彼が浮かべたのは苦悶の表情ではなく笑みだった。
――やはり、な。
推測を裏付けるだけの証拠は揃った。
後は勝利を導くだけの余力があるかどうかだが、
「邪魔立てするなら先に貴様達から……」
「オラァ、ボケっと突っ立ってんじゃねえ!」
「………」
横手からヒムが
ばきゃん。
小枝でもへし折るように腕を砕き、バランスを崩したヒムを数歩先まで蹴り飛ばす。
「この……っ!」
「遅い」
再度空の技を繰り出そうとしたダイとマァムには、ただ遠間から腕を振り、生まれた風で妨害。
バギクロスに匹敵する風圧の前では踏ん張り武器を握るのが精一杯で、風が収まった時には、ミストバーンは既に次の動きに移っている。
向かったのはやはり、バランの元。
――足りぬか。
竜の騎士としての冷静な思考が負けを予測する。
それでも、身体は可能な限り抗おうと動く。顔の左側に装着された
「竜魔人にはさせん」
「っ、がああああああっ!?」
手刀が、牙のアクセサリーごと左目を斬り裂いた。
鮮血が迸る。
焼けつくような痛みと眩む視界に、バランは遂に悲鳴を上げた。立ち上がることさえ難しくなり、床に右手をついたままミストバーンを見上げる。
強すぎる。
圧倒的な力だった。
何もできないまま傍観していた――メドローアを返された以上、仕方ないだろう――ポップが、呻くように呟く。
「……大魔王ってのは、これより強えのかよ」
「……いや」
絶望の声にバランは答える。
「おそらく、現状で――魔王軍最強なのはこの男だ」
「………」
背中に足が振り下ろされる。
背骨が折れる音。無様に地面に這いつくばりながら、バランはそれでも言葉を止めなかった。
「
「お喋りな男だ」
靴でぐりぐりと踏みにじられ、肺から息が抜ける。
だが、伝えるべきことは伝えた。
――ダイよ、逸るな。
薄れゆく意識の中、竜騎将は愛する息子へと視線を送る。
少年は怒りに震えながらも剣を握り、飛び出そうとするのを必死に抑えていた。それでいい。無敵の秘密はまだ暴けていないのだから、無暗に攻撃しても意味はない。
たとえ、ここでバランが死のうとも、すべきことはミストバーンの打倒。
――無論、私とてただ死ぬつもりはない。
一秒でも長く時間を稼ぐ。
アティに仕事を全うさせるために。ダイ達に考える時間を与えるために。
殆ど声の出なくなった唇を動かし、ホイミを唱えて。
「死ね」
「バランーーーーっ!!」
最後に。
――もう一度、お前をディーノと呼びたかった。
頭に落ちるミストバーンの足を睨みつけたまま、バランは刹那の想いを胸に抱いた。
☆ ☆ ☆
果たして。
頭蓋を砕かんとする一撃は阻止された。
「……貴様は」
「いやあ、間一髪でしたか」
口調こそ常のおどけた調子のまま。
しかし、表情は厳しく引き締めて言ったのは元勇者。
「アバン……!」
「すみませんが、私が来たからには好きにはさせません。……人任せにするのはもう、十分ですからね」
「っ!?」
珍しく、焦った様子でミストバーンが振り返る。
彼が見たのは、バランの身体に突き刺さった
羽根に嵌まっている宝玉の色は金。
先端から生まれた光は柔らかな治癒の光だった。
「ホイミ、だと――!?」
「その通りです」
先の羽根は妨害ではなく治癒が目的だった。
もし、ミストバーンがあのままバランの頭を踏み砕いていれば無意味だった。駆け付けてから数秒の状況判断でブラフを仕掛け、成功させる手腕。
やはりこの男は危険だとミストバーンは思い、
「!?」
間隙を縫うようにして放たれた魔弾銃の光に息を呑む。
「……へっ。助かったぜ」
「一緒に戦う以上、あなたも立派な仲間だもの。当然でしょう」
「仲間ねぇ。まさか、お前らと肩を並べることになるとはなあ」
ヒムを回復された。
先に砕いた左腕は完治している。今のベホイミで右腕が直るにはしばらくかかるだろうが、バランの治療も始まっている以上、時間はかけられない。
が。
新たに入ってきた敵は複数。
警戒すべきはアバンとラーハルトのみ。獣王クロコダインの剛力も今のミストバーンの前では役に立たない。後のモンスター達は有象無象だろうが――否。
「………」
「何だ、貴様は」
ふらふらと進み出た白い布袋を見て、ミストバーンは困惑する。
暗黒闘気や負の魔力の類は感じられない。
かすかに覗いている足を見ても、あれはモンスターではなく人間だ。何でそんな恰好をしているのかも謎だが、直感が「あれは実力者だ」と告げているのも混乱を呼ぶ。
背を向けてはならない。
ミストバーンを害することのできる者などいない――はず、ではあるのだが、すぐそこに
「び、ビーストくん! 一人じゃ危ないぞ!!」
「大丈夫。どうやらピンチみたいだし、ボクも少しは頑張らないとね」
「抜かせ……っ!」
苛立ちを覚えて床を蹴った。
見たところ小柄かつ細身。呪文使いではないようなのでメドローアは来ないだろうが、念のため、一撃で息の根を止めようと決める。
手刀や掌底ではなく拳を握り、一気に布袋の腹に叩きこむ。
「――!」
が、攻撃は当たらなかった。
敵はひらりと身をかわし、生じた隙にぺちん、と攻撃を入れてくる。
身体には何の影響もない。
僅かな安堵と共に二撃、三撃を繰り出すも、結果はやはり同じだった。ある時はステップで、ある時は跳躍して、ある時は背後に回り込むことで攻撃を回避。
まるで手ごたえがない。
正面からの打ち合いを望むヒムとは対照的――敵の攻撃を受けずに自分の攻撃を当てる、理想のような格闘スタイル。
「何者だ……!?」
「ビーストくん……!」
交錯は一分ほども続いた。
布袋はある時、自分の方からひらりと距離を取り――告げた。
「この手ごたえ、『凍れる時の秘法』だね」
「―――!」
それは、確信を突く名前だった。
驚愕が胸をかき乱す。
まさか。いや、しかし。
「何故、その名を知っている……!」
「使われたところを見たことがあるから、ですよ」
答えたのはアバンだった。
「成程。どうやら貴方の身体はかの秘法にかかっているらしい。アストロン同様、術者は動けなくなるはずですが――」
「別の者が乗り移って操っているのだ」
推測を引き継いだのはバランだ。
多少はマシになったのだろう、右手を使ってゆっくりと身を起こしながら彼は告げる。
「魔影軍団長――形なき者達の統率者。考えてみれば簡単な話だったか」
「無敵の身体を守る最強の番人、ですか」
彼らの推測は悉く真実を突いていた。
『凍れる時の秘法』。
それは魔界でも殆ど知る者のいない秘法中の秘法。数千年に一度、天体の巡りが条件を満たした時のみ使用することができる。
効果は、対象の時を凍らせること。
凍り付いた者は成長も老化もせず、あらゆる外的影響から守られる。思考すらできずに数千年止まり続けるため、生きたまま未来に行く目的、あるいは、どうしても倒せない者を封印する目的でしか使えないが。
――大魔王バーンは己の身体を二つに分けることでそれを利用した。
単純な強さと若さを残した身体と、魔力と英知を持った身体。
前者を秘法によって凍結し、後者に自意識を残すことで眠りにつくのを回避。定期的に秘法をかけなおすことで半永久的な不老不死を実現した。
そして、動けなくなった身体をミストバーンに託したのだ。
ミストバーンの元々の名はミスト。身体を持たぬ暗黒闘気の集合体であり、他者の身体を間借りすることによってのみ動くことのできる存在。
「だから闘気による攻撃に過剰反応していた。奴にとって暗黒闘気を削られることは己の存在を削られるに等しいからだ」
「空裂斬は効いていたのですね。ならば」
「そうだ。さまよう鎧や超硬騎団を空の技で倒せるのと同じ理屈――物理的なダメージはゼロにできても、内にいるミストバーンへの影響までは防げない」
それにしたところで通常は気にする必要はない。
ベクトルの同じ暗黒闘気や魔炎気ならダメージは受けないし、光の闘気や竜闘気を相手にするにせよ、相手が一人ないし少数であれば捻りつぶせる。
だが、実力者をこれだけの数、相手にするのは想定外だった。
「――おのれ」
故に、ミストバーンは怨嗟の声を上げる。
なんとしてでも人間共を殺し尽くす。最後の一人を殺すまでは倒れるわけにはいかない。
ミストバーンが消えれば、忌まわしいメドローアによってバーンの肉体が滅ぼされてしまうのだから。
だが。
脳内に響いた声によって彼の思考は停止した。
『良い、ミストバーン』
『バーン様!?』
『返してもらおう――余の、真の身体を』
直後、轟音が響いた。
否、もっと早くから予兆はあったのだろう。だが、それどころではなかった一同は気づいていなかった。
大魔宮中央部を揺るがす大きな破壊に至ってようやく、気づくことができたのだ。
「……な、なんだ!?」
誰かが上げた声に答えるように。
天井が砕け、瓦礫が降ってくる。ミストバーンにとっては何の影響もないが、主であるバーンの身体が汚れるのは避けたい。
一瞬で判断し、人間達と合わせて動く。
バラン、ポップ、アバンの爆裂系呪文が、ダイやラーハルトの技が瓦礫を吹き飛ばし、砕いて。
なんとか影響を脱した後には。
「……馬鹿な」
触手を宿した化け物、と言うしかないものが大魔宮全体に広がろうとしていて。
それから逃れたバーン、そしてハドラーとアルビナスが、ミストバーン達の元へと降りて来ようとしていた。