「待たせたな、正義の使徒達よ」
「……いえ」
待った、という程ではない。
ミストバーンがゴロアもろとも魔力炉を沈黙させるのに、さしたる時間はかからなかったのだから。
――お陰で時間は稼げましたが。
隙をついてバーンを抹殺、というわけにはいかなかった。
何故なら、老人が抜け目なくこちらを警戒していたからであり、また、ミストバーンに関するバラン達の推測を聞いてしまったからだ。
大魔王は「真の身体を返してもらう」と言っていた。
ならば、アティ達にとってもその方が好都合なのである。
『凍れる時の秘法』の効果は絶大。
マトリフの編み出した
身体を返してもらわずにこのまま戦おう、と言われるとむしろ「詰み」かねない。
「バーン。後はあなたとミストバーンだけです」
「そのようだな」
答えるバーンの声は淡々としていた。
「魔王軍などただの余興ではあった。……とはいえ、よくぞここまで辿り着いた。褒めて遣わす」
「……ありがとうございます」
心にもない世辞としか思えなかったが、
「わかっているのか? これは称賛だ。其方らは良く頑張った」
「―――」
意外にも、大魔王バーンは本気で言っているようだった。
彼は笑みを浮かべ、両腕を広げる。
「強者達に敬意を表し、余の数千年を捧げようではないか」
誰も、何も言わなかった。
完全体への移行は見過ごすと決めたからだが、同時に彼のプレッシャーに圧されたからでもあった。
アティ達の反応に大魔王も何かを感じたようだったが、すぐに「まあ良い」と呟いた。
「ミストバーンよ」
「はい。……今こそこの身体、バーン様にお返しいたします」
身体の返還はほんの数秒の出来事だった。
もし大きな隙ができるなら、と考えてはいたが――結果的にその目論見は潰えることとなる。
まず、ミストバーンの身体から黒い影のようなものが飛び出した。
若い男の身体が光に包まれ、半裸の精悍な姿が現れる。と、その身体は老バーンと引き合うようにして近づき、一つに重なる。
閃光。
光はすぐに収まり、後には一人の男が立っているだけだった。
基本的な姿はミストバーンと変わらない。
髪も肌も、老人の姿をそのまま若くしたようなもの。ただ、涼やかな青年といった印象は大きく変わり、一人の英雄、あるいは覇王としての風格が備わっている。
原因は目だ。
閉じていた両の瞳が開き、老バーンの鋭さに力強い光が加わった。
また、額には第三の瞳を思わせる宝玉が嵌め込まれており、頭の左右、耳の後ろからは大きな角が突き出している。
纏う衣装は肩当てと腕飾りを伴う軽装。
王の普段着のようであり、同時に、戯れに組み手をする時の衣装のようでもある。
まともな鎧を着けていないのは予想外だが、不要なのだろう、と見ただけで想像がついた。
「――久方ぶりの身体だ」
呟く声には万感の思いが籠っていた。
若い肉体を封じて老人の身体に閉じ込められていたのだ、窮屈な思いもしていたのだろう。
男――バーンは、手にしたままだった光魔の杖をちらりとみると、拳に力を籠める。
ぐしゃ、と。
柄が砕け、二つに分かれた杖が地面に転がる。
大魔王が武器を、己を守ってきた杖を自ら破壊した。
「もう必要ない。次に秘法を使う時に入り用かもしれぬが……遠い未来の話だ」
その時には争いなど無くなっている。
「地上も魔界も天界も支配し――余に歯向かう者などいなくなっている」
「……天界も」
バーンの狙いは地上の消滅だけではなかった。
この戦いの先には天界の掌握がある。
人間を殲滅した後、ヴェルザーとの争いに勝利し、魔界の全勢力をもって神々に戦いを挑もうというのだろう。
――不可能、ではないのでしょうね……。
彼ならばきっと可能だろう。
大魔宮を制御し、黒の核晶を平然と利用し、古の秘術すら修得する超越者。
確かに、大魔王と呼ばれるに相応しい。
「……さて」
身構えるアティ達を前に、バーンは平然と立ったまま告げる。
「戦いの前に、諸々やりたいことを済ませておこうか」
☆ ☆ ☆
バーンが告げた直後だった。
彼の背後から黒い影が飛び出し、突如、アティ達に迫ってくる。
「!?」
不意をついた攻撃にも幾人かが反応した。
剣や呪文で迎撃しようとするも、影はそれらを全てすり抜けて一人――ヒュンケルへと進む。
狙われたヒュンケルは表情を引き締めると
まるで、影をアティ達から引きはがすかのように。
「……ふむ。やはりヒュンケルを選んだか」
驚きもせずに頷く大魔王。
「アティやアバンを選ぶのはリスクが高い。竜の騎士親子はもってのほか――となれば、他の有象無象を敢えて選ぶ意味もあるまいな」
「選ぶ……?」
問い返してから、アティは気づいた。
先程の黒い影。
形としては「人影」というべき曖昧な人型。かすかに目のような部分が見えた気もする。それらはゴースト系やガス生命体などのモンスターに見られる特徴だ。
つまり、ヒュンケルを襲ったのは。
「――ミストバーン」
「そうだ。奴にとってヒュンケルは
「じゃあ」
ヒュンケルはミストバーンに乗り移られようとしている。
バーンは無言のままに肯定した。
「……無論、ヒュンケルとて抵抗するつもりだろうが、な」
乗り移ろうとするミストバーンへの反抗。
それは通常の戦いではなく、意志と意志のせめぎ合いとなるだろう。
乗っ取られまいとするヒュンケルの想いがミストバーンの支配を上回れば、彼の光の闘気をもってミストバーンは消滅するはずだ。
「アティさん。ヒュンケルを助けに……!」
「いいえ」
首を振ると、エイミが声を荒げる。
「でも!」
「ヒュンケルの気持ちを考えましょう。彼は、私達の手を煩わせまいとこの場を離れたんです。だから、私達にはやらないといけないことがあります」
目の前にいる
エイミはぐっと言葉を詰まらせた後、「なら」と続けた。
「私だけでも彼の所へ行きます」
「お願いします」
頷いて答える。
ちらりとアティを見たエイミは同じように頷くと背を向けて駆け出していく。
バーンは、動かなかった。
「……止めないんですね?」
「あの女一人程度、どうにかできないようなら余の部下とは言えん」
エイミは賢者だ。
破邪の洞窟を共に攻略し
そして、視線をダイ、そしてアティへと向けてくる。
「邪魔者もいなくなったことだ。本題に入ろう」
「……よもや、部下になれと言うのではあるまいな」
低い声でバランが問う。
「くく」
大魔王の口から笑いが漏れた。
愉悦を表す表情が浮かぶ。
「そうだと言ったらどうする」
「笑止」
構えたままのアバンが短く答える。
「その問いに『イエス』と答える者がこの場にいるはずがない」
「そうか」
淡々と、何の感慨もなく、大魔王は言って。
額の宝玉が輝いた。
☆ ☆ ☆
からん、と。
床に幾つもの音が響いた。
「……!?」
アティは、己の身に何の異変もないことに疑問符を浮かべて。
次いで、仲間の姿がほぼ半減していることに驚愕した。
――床に、半透明の玉が幾つも転がっている。
美しい真球。
宝石として価値のありそうなそれらをマァムが拾い上げ、一つに纏める。
「これ、もしかして……!?」
「そう。消えた者達が封じられた宝玉――『瞳』だ」
大魔王の額にあるのは、正しく『第三の目』だったのだ。
それが輝き、秘めていた力を発動させた。
「一定以下の力量の者は
「……そんな」
『瞳』にされたのはクロコダイン、チウ、獣王遊撃隊の面々とアルビナスだった。
遊撃隊の中にはビーストくんこと拳聖ブロキーナも含まれている。純粋な実力だけでなく余力、どの程度消耗しているかといった面も加味して判定しているのだろう。
クロコダインやアルビナスですら問題外とされたことが恐ろしい。
残ったのはアティ、ダイ、バラン、ポップ、マァム、アバン、ラーハルト、ヒム、そしてハドラー。
「数の利が減じたところで今一度問おう」
そして、大魔王の声が再び響く。
「
「「……っ!?」」
「其方らを殺すのは惜しい。我が物となり、共に天界を目指そうではないか」
他の者など眼中にない。
籠められた不遜な意図は微塵も隠されていなかった。
返答は一つ。
だが、あらためて名指しで問われると、ほんの一瞬だけ返答に詰まってしまう。
――どうして、私達だけ?
部下にするなら全員纏めてしまった方がいいに決まっている。
天界を攻めるには戦力など幾らあってもいいはず。
特に、兵も幹部も、他ならぬアティ達が潰してしまったのだから。
とはいえ、アティとダイは目で促しあって。
「そんな問いに乗るわけ……」
「良いのか?」
返答が遮られる。
「ダイよ、人間は愚かで醜い生き物だぞ」
「っ」
「ダイ、そいつの言葉に耳を――」
「父親が受けた仕打ちを忘れたわけではあるまい」
制止しようとしたバランの声に大魔王の声が重なる。
畳みかけるような言動は思考力を奪う手法だ。
「其方自身とてそうだ。人間よりもむしろ、魔物の側の方が居心地が良かろう」
「……それは」
「勇者として魔王軍と戦う其方に人間共は何をしてくれた? 近しい者以外は『早く大魔王を倒せ』と無理難題を押し付けてきたのではないか」
「っ、それでも、おれは……っ!」
少年が答えようとした途端に、視線が別のところ――アティへ向く。
「アティよ、余が其方に求めるものはダイとは別だ」
「……別?」
「そう。其方には余の妻になって欲しい。余はお前が欲しい。姿も、声も、力も、知恵も、何もかもをこの大魔王バーンに仕えるために使ってほしい。正妃として、余の傍に侍ってはくれぬか」
「なっ!?」
仲間達から幾つもの声が上がった。
部下になれ、というのならともかく、これは予想していなかったのだろう。
他ならぬアティですら全く考えてもいなかった。
――落ち着きましょう。
息を吸い、ゆっくりと吐く。
「正直、そんなことを言われるとドキドキしましたけど」
「先生!?」
ポップの絶叫に振り返り、くすりと笑う。
視線を戻すと真剣な表情に戻して。
「お断りします。私は、人間を虐げる者に仕える気はありません」
「………」
一拍の間。
「それは、其方が天界の住人だからか?」
「違います。私が人間だからです」
「なるほど」
頷いた大魔王はダイへ視線を向ける。
少年勇者が「言うまでもない」と頷くのを見て、彼は告げた。
「勇者ダイ。そして
ぶわっ、と。
音すら立てるような勢いでプレッシャーが強まる。
先程までの威圧感がまるでお遊びだったのかような感覚に、悲鳴を挙げたくなるのを堪えて。
「来ます!」
戦いが、始まった。
☆ ☆ ☆
「畜生、こういう時は先手必――」
「止めろ! 死ぬぞ!」
メドローアを準備しようとしたポップを、ラーハルトが怒鳴って止める。
先手必勝という考え自体が間違っていたわけではない。
単に、大魔王が更に先を行っていたというだけの話だ。
「カラミティウォール!」
声と共に右腕が一閃。
ただそれだけ、碌な溜めも無かったはずなのに、バーンの前方に『衝撃波による壁』が生み出される。
高さは成人男性の背丈の倍近く。
床から吹き上がるようにして脈打ちながら、高速でアティ達へと向かってくる。
避けなければ直撃。ただではすまないことだけは間違いない。だが、幅の広いそれをかわすのは容易なことではない。
即座に動いたのはハドラー。
彼が選択したのは飛ぶという道。おそらく最も無難な選択肢であろうが。
アティは見た。
カラミティウォールの向こうで、大魔王が不死鳥を生み出すのを。
「……っ」
「オオオオオォォォッ!!」
バランが、吠えた。
ラーハルトがダイを抱えて後方に跳躍するのと同時のことだった。
渾身の気合いを籠めた拳を振り上げると――腰を屈めて
当然、床が砕けて破片が散るも――。
そうか、と閃く。
同じことを思ったのだろう、アバンとポップ、三人で全く同じ呪文を唱える。
「
強烈な連鎖爆発が、今まさにカラミティウォールの届こうとしていた床を爆砕、破片を撒き散らしながら大穴を開け――衝撃波を抑え込むと共に
空に逃げたハドラーは不死鳥に焼かれながらもそれを吹き散らし、健在。
「……ほう」
衝撃波の消えた向こうに立つ大魔王が不敵な笑みを浮かべていた。