「……この気。どうやら間違いなさそうですね」
海上を見やり、呟くアバン。
眼鏡のせいで表情を推し量りにくいが、彼の背中からは強い覚悟が感じられた。
――『何か』が来たのだ。
そして、アバンは最も敏感に気配を察知し、その正体にも行き着いている。
「先生、こりゃいったい……?」
「何が来るんですか……?」
立ち上がったポップ、目隠し等を外したダイが問う。
二人の顔にあるのは『不安』だ。
無理もない。あのアバンが完全なシリアスモードに入っているのだから。
「誰かが、結界を越えようとしているんですね?」
「……ええ」
アティの問いに、アバンはようやく振り返った。
「おそらく。いえ、まず間違いなく、この気配は『魔王』のものです」
「魔王!?」
「そうです。魔王ハドラー……かつて『勇者』によって倒され、何らかの手段で復活した男。彼が今、このデルムリン島を狙っています」
魔王ハドラー。
彼の名を、アティはダイと共にブラスから聞いていた。
残忍かつ悪逆非道。多くの魔物や不死の化け物を使役し、キラーマシーンのような兵器まで作り出した。
長らく人々を苦しめ、何万という命を奪い、最後には勇者に倒された。
「どうしてそんなやつがここに……?」
「……さあ。もしかしたら、次代の勇者が狙いなのかもしれません」
「次の勇者ってえと……」
ポップが視線をダイに送った。
「おれが……?」
ダイは呆然とした顔でポップを見返し、島を振り返った。
アバンは淡々と、押し殺したような声で告げる。
「ダイ君、ポップ。島の皆に危険を知らせてください。ここは私が食い止めます」
眼鏡の奥の真摯な瞳が、残るアティに向けられて。
「アティ殿。二人を護ってやってください」
ずきん、と胸が痛んだ。
――ああ、彼は自分の死を覚悟しているのだ。
身を挺してダイ達を庇おうとしている。
刺し違えてでも魔王を倒すか、それができなくても一矢報いるつもりだ。
素性の知れぬ家庭教師とはいえ、マホカトールやドラゴラムを用い、刀殺法を操る彼だ。案外本当に魔王を倒してしまうかもしれない。
慎重なところのあるポップはともかく、無鉄砲なダイには大人がついていた方がいい。
理屈はわかる。わかるが、受け入れられなかった。
「嫌です」
アティは首を振り、アバンの瞳を見つめ返した。
「教え子を護るのが先生の務めなら、私も戦わせてください」
「しかし……」
当然、アバンも簡単には首を縦には振ってくれない。
苦い顔をして海の方を振り返る。
時間はあまり残っていない。
「撃退するつもりなら、一人より二人の方がずっといいです。――大丈夫、これでも私、経験豊富なんですよ?」
涙が浮かびそうになるのを堪えて、アティは微笑んだ。
――誰かの犠牲で皆が救われるなんて、絶対に駄目だ。
助かるなら皆で助からなければ意味がない。
これはアティにとっても譲れない一線。何があっても譲らない気持ちでアバンを見つめる。
「……わかりました」
結局、折れたのはアバンの方だった。
「ダイ君、ポップ。そういうわけです。我々は魔王が相手でもそう簡単には負けません。ブラス老に知らせ、島の皆を避難させたら――そうですね、腕に覚えのある者を連れて戻ってきてください」
一種の方便だった。
島に戻ってブラスと話し、島中を駆け回るだけの時間があれば戦闘は終わるだろう。
良い意味でか、悪い意味でか。贔屓目に見積もっても後者の確率が高いだろうが、もちろん、負けるつもりで戦う気はない。
要はその間、ダイ達が安全であればいいのだから、
「嫌です!」
「お、おい、ダイ……」
「先生達だけ置いて逃げるなんでできない! だって、おれは勇者になるんだ! 勇者が魔王から逃げ出すなんて、絶対にやっちゃいけない!」
しかし、頑固者はもう一人いた。
「おれ達も戦います! そうだろ、ポップ!」
「いや、俺はブラスのじいさんに事情を……」
「ピピィ!」
ゴメちゃんの鳴き声が、報告は自分に任せろ、と言っているように聞こえた。
ポップが髪をかきむしり、やけになったように叫んだ。
「ああもう、わかったよ! 俺達で魔王を倒せばいいんだろ!?」
「……ダイ君、ポップ」
アティは思わず息を呑んだ。
――私が余計なことを言ったから。
アバンの言いつけを破る口実を与えてしまった。
一人で魔王と戦わせた方が良かった、というわけではない。
ただ、教え子達を逃がす口実がなくなった。
「諦めましょう。こうなったら、言って聞く子達ではありません」
ぽん、と、アバンの手が肩に置かれた。
「アバンさん」
「ダイ君が海波斬で防御し、ポップが呪文で援護してくれれば戦いはぐっと楽になります。それに、もう時間がない」
直後、衝撃が海の向こうから放たれた。
びりびりと肌を痺れさせるそれは、強大な何かが結界を突き破ったことを教えていた。
待つこと数十秒。
一つの『影』が宙に浮かんだまま猛スピードで海岸へとやってきた。
黒い衣を纏った長身の男だ。
衣から突き出た四肢は太く力強さを感じさせる。
若々しく精悍な顔つき、鋭く尖った目はアティ達四人を不遜に睨みつけており、口元には小さな笑みが浮かんでいる。
フードが不自然に尖っているのは耳か角のせいだろう。
彼は人ではなく魔族。
つまりは、彼こそが。
「やはり復活していたか、魔王ハドラー……!」
アバンの声に、男――ハドラーは笑みを強くした。
「久しいな、勇者アバン」
「え……?」
ダイ、そしてポップが驚きの声を上げる。
「かつて貴様はこのオレの野望をことごとく打ち砕き、あまつさえ我が命をも奪った! あの痛みと屈辱は決して忘れん……!」
「お前はその数百倍にも及ぶ人間の命を奪ったではないか」
「笑わせるな。人間など数万数億集まったところでオレの命とはつり合わんわ!」
続く会話が、先の呼びかけに誤りがないことを証明する。
――やっぱり。
アティは、心のどこかで感じていた。
あの実力、次代の勇者を育成するという役割、それに先程の覚悟。アバンという男を最も無理なく説明するには『元勇者』と考えるのが一番しっくりくる。
それでも、やはり弟子達には衝撃だっただろう。ダイとポップは呆然とアバンを見上げていた。
「魔王ハドラー」
アティは、敢えてダイ達ではなくハドラーへと話しかけた。
「誰だ、貴様は」
「旅の家庭教師、アティと申します」
ハドラーの目がじろりと動き、ふん、と鼻が鳴らす音が聞こえた。
「家庭教師か。アバン以外にそんな酔狂な者がいたとはな。まさか貴様も元勇者だと抜かすつもり――」
「聞かせてください」
楽しげな声を遮り、アティは尋ねた。
「どうして人を苦しめるんですか? 何か目的があるんですか? それは、人間と協力して成し遂げられるものではありませんか?」
彼が魔王だというのなら、聞かなければならないことだった。
――できるなら戦いたくない。
アティは昔からずっとそう思い続けている。
話し合いで解決できるなら話し合うべきだ。お互いがお互いを想いあって共存すれば、憎しみ合うよりずっと、いい未来が待っている。
そう思って、ずっと声を上げ、ままならない敵と剣を交えてきた。
だから、ハドラーの想いを聞かなければならない。
「……先生」
ダイが、ポップが、アバンが目を瞬いてアティを見る。
「笑止」
果たして、ハドラーが漏らしたのは邪悪な笑みだった。
「既に言った通り。人間など数万数億集まったところで価値はない。話し合う? 抜かせ、我が魔王軍は決して止まらぬわ!!」
「……そう、ですか」
魔王の瞳に一点の迷いもないことを見透かしたアティは、頷いた。
静かにラグレスセイバーを抜く。
「なら、皆のために、ここで貴方を倒します……!」
「威勢がいいな小娘。いいだろう、アバンよ。この娘と貴様の弟子達から先に葬ってくれる」
「させるか!」
アバンが吠え、腰の剣を引き抜く。
「おれ達だって!」
「お、おう……!」
ダイとポップもまたパプニカのナイフ、そして杖を構える。
「ピピィ!」
ゴメちゃんが慌てて飛び去って行くのを合図に、戦いが始まった。
「
開幕一番、アバンが呪文を唱える。
剣を持っていない方の手から放たれた高熱にアティとポップも合わせた。
「
三人分の呪文がハドラーの衣を直撃し、跡形もなく焼き尽くす。
その中で、ハドラーは笑っていた。
「ククク……ファハッハッハー!!」
熱が吹き散らされる。
「何の真似だアバン。この程度の炎でオレを倒せると思ったのか?」
一歩、踏み出したハドラーの身体には火傷の跡が一つもなかった。
アバンはぐっと唇を噛むと三人に指示を飛ばす。
「ダイ君はできるだけ防御に専念してください! アティ殿とポップは今のように私に合わせて攻撃を!」
「は、はいっ!」
弟子達が答え、アティもまたこくりと頷く。
「相談は終わりか? なら、本当の
お返しとでもいうようにハドラーが手を突きだす。
高熱が収束し、先頭にいるアバンに向けて放出。
その熱量は自信の通り、アバンの呪文を大きく上回っていた。
「先生! ……アバン流刀殺法、海波斬!」
横手に跳んだダイがアバンを護るようにナイフを一閃。
剣閃が熱の塊を切り裂くも、少々足りない。
アティは咄嗟にラグレスセイバーを振るった。
「はっ!」
二発目の海波斬でようやくハドラーの
ほっと息を吐くダイとアティ。
即席のパーティながら、なんとかうまく機能している。魔王の呪文をノーダメージで抑えたのだから、これは誇るべきことだ。
アバンはこの隙に次なる攻撃を放とうと手を持ち上げ、
「小癪な!」
先んじてハドラーの手から次なる呪文が放たれた。
「
小ぶりな光弾が幾つか飛来する。
先と同じくダイ、アティが海波斬で迎撃するも、
数秒の後、視界が晴れたその先には。
両手を持ち上げ、特大の炎を抱えたハドラーの姿があった。
「まさか、その呪文は……!」
「その通り。貴様を確実に始末するために手に入れた新しい力よ」
声を上げたアバンに、ハドラーは得意げに答え、
「死ね、
ギラ系の、最上位呪文。
魔王が用いたそれは、
これにはダイとアティだけでなくアバンも海波斬を放つしかなかった。
ポップですら絶句し、身を竦ませながら氷の呪文を放ち、少しでも熱を和らげようとした。
「く……っ!」
「あああっ……!」
結果は、それでも芳しくなかった。
熱は斬られ、散らされながらもアティ達を襲い、その肌を焼いた。
たまらず倒れた四人はそれぞれに起き上がるも、ひりひりとした痛みは刻一刻と体力を奪っていく。
――これが、魔王。
強い。間違いなくハドラーは強かった。
まさか、四人がかりでもこれだけ苦しめられるなんて。
「一つ、間違いを正してやろう」
ハドラーが笑い、悠然と告げる。
「今のオレは魔王ではない」
「な、なんだと……!?」
アバンですら叫ぶほど、その言葉には衝撃があった。
「オレはあるお方の力で再びこの世に甦ったのだ。以前よりも強靭な肉体と新しい呪文を与えられてな……!」
「何者だ、そいつは……!」
「魔界の神、大魔王バーン」
絶望、という言葉がよぎる。
――彼を倒しても、戦いは終わらない。
魔王だと思っていた者は魔王の部下にすぎなかった。
その部下ですら、かつての魔王がより強くなった姿だという。
「今のオレはバーン様の全軍を束ねる総司令官……魔軍司令ハドラーだ!」
「……ああ」
世界が、滅びへ向かおうとしている。
――似たような感覚をアティは知っている。
平和な島にやってくる侵略者。
彼らは彼らの都合で住人達を蹂躙し、地に転がし、踏みつけにした。
それが、そんなことが、世界中で起ころうとしている。
「……させません」
勝てるかどうかはわからない。
力の差は十分に思い知らされた。
「それでも、貴方はここで倒します……!」
「……アティ殿。ええ、その通りだ」
頷いたアバンが剣を構える。
少し離れたところでアティも同じように構えた。
心を澄まし、闘気を不足なく剣に伝え、最速で振るう。
「あ、あれは……」
「まさかっ」
それはアバン流の必殺技。
「よかろう、そんなに死にたければ葬ってくれる!」
ハドラーが再び両手を持ち上げた。
左右の手のひらに莫大な魔力が籠められ、純粋な爆発力へと変換される。
「
「アバンストラッシュ!」
放たれた剣閃が交差し、十字を描きながら爆球と衝突した。
一話で決着がつきませんでした……。
アバンストラッシュ「*」とかやりたくなりましたが我慢。