パプニカ王女、レオナは悩んでいた。
バーンを討伐し平和が訪れて数か月。異世界へ帰ってしまったアティも二か月に一度――向こうの時間で言えば月に一度遊びに来てくれている。
国の復興も順調。ときおり小さな問題が起こるが、はっきり言って大魔王や魔王軍を相手にするより百倍マシだ。
あれから魔物の動きも穏やかになっている。
外国とも今はまだいがみ合う時期ではない。アバンを王に迎えたカールを中心に国交は以前より活発になっており、協力して共に頑張ろうという体制が取られていた。
では、何が問題なのかといえば。
「王位継承?」
「そうなのよ。生き残った大臣達がみんなして『女王を継げ』って煩くて」
必死に修得した
出迎えてくれた鬼面道士ブラスと勇者ダイへ愚痴を零せば、二人は顔を見合わせて困ったような顔をした。
「それはそれは……」
「レオナも大変なんだなぁ」
「何よ、他人事みたいに!」
まあ、実際、他人事である。
とはいえ正論で気が収まるわけでもない。責めるように言えば、ダイは心外だとばかりに唇を尖らせる。大魔王を倒した勇者とはとても思えないが、普段の彼はこんなものである。
特に、レオナの前だと年相応に戻ることが多い。それに関してはお互い様だが。
大人であるブラスの方はレオナの様子を見て謝ってくれた。
「すまんのう、ワシも王制には疎いもので……。軍事面は研究させられていたから知っておるのじゃが」
「ううん、私の方こそごめんなさい。誰にだって得意分野があるものね」
レオナも素直に頭を下げ、先程の非礼を詫びる。
本来であれば、王女であるレオナが魔物に頭を下げる必要などないのかもしれない。だが、今ここにいる少女は友人とその孫とお喋りをしに来ているのであって、王族として訪問しているわけではないのだ。
と、ダイが二人の会話を見て、
「なあ、レオナ。おれには?」
「? なんのことかしら?」
それはそれとして、鈍い少年には八つ当たりをするのだが。
☆ ☆ ☆
さて、王位継承である。
レオナとしては今更なのだが、家臣達にとっても別の意味で今更だったらしい。つまり、本来ならもっと早くに行いたかったということだ。
できなかった理由は言わずもがな、魔王軍との戦い及び復興で忙しかったからだ。
引き継ぐも何も先王が亡くなっているというのもある。ついでに家臣の大半も失っているため、即位式を行うにしても人手が足りなかった。
本格的な復興はまだまだこれからではあるものの、建物の復旧などは峠を越えた今であれば、大魔王討伐に継ぐ慶事として人を動員できる……という見込みである。
まあ、ここまでは仕方がない。
他の王族が全員亡くなっている以上、レオナが女王になる以外、選択肢がない。
ここまで国を率いてきて今更「嫌だ」などと言うつもりもないし、国を愛する気持ちだって人一倍持っているつもりだ。放り出して人任せにするのも寝覚めが悪い。
問題は、即位に際して「一緒に」と持ち掛けられた件だ。
「結婚!?」
「……そうよ。どうせならお世継ぎは早い方が、って」
前述の通り、パプニカには他の王族がいない。
貴族の多くも戦いで亡くなっており、歯に衣着せずに言えば「数を増やすのは急務」であった。そうなれば真っ先に話が来るのは当然、王女であるレオナだ。
――年上が年頃の少女に「子供を作れ」と打診する、というのも下世話な話だが。
レオナ自身、必要性については理解している。
辛うじて生き残った王女が死ねば今度こそ王家の血は途絶えるのである。暗殺、病死、事故死等々が考えられる以上、一刻も早く子供を作るべきだろう。
できれば男子、せめて女子を一人産んでおけばまだ安心できる。
とはいえ。
結婚となれば当然、相手が必要である。
女王にはなるけど結婚なんて考えられない、と主張してはみたものの、アポロ達三賢者を含む殆どの者から「お考え直しください」と言われる始末。
「少しは私の気持ちも考えて欲しいわよ、全く」
「ふーん」
「ふーん、って、真面目に聞きなさいよ」
ブラス達の棲み処前からところ変わって、島の海岸。
ここで初めて会ったのよね、などと感傷に浸る暇もなく、少年はさっきから素振りを繰り返している。手にしているのは鞘に入ったままのダイの剣である。
睨みつけつつ観察すれば、少年は小柄ながら引き締まった身体をしている。
実戦で鍛えられた筋肉は無駄がなく、悩みの種らしい身長も以前より伸びている。
「いや、聞いてるけどさあ……」
と、ダイは素振りを止めて振り返った。
眉を寄せ、ことによっては嫌そうにも見える表情。
「ほら、おれ、結婚とかよくわかんないし」
「はぁ!?」
何よそれ、と叫んでしまったのも無理はなかろう。
憤りのままに駆け寄って肩を掴めば、少年の頬がひくっと動いた。まずい、と思ったのだろう、視線をあちこち彷徨わせる。
ダイのピンチを悟ったゴメちゃんが「ピィ!?」と鳴いて、レオナの頭に退避する。
待つことしばし、ようやく言葉を見つけたダイが恐る恐る口を開き、
「えっと……誰と結婚するの?」
「違うでしょう!?」
ここで言う言葉がそれか、と、レオナは頭を抱えた。
砂浜に座り込んでしまった王女様(適齢期)を前に、ダイが心配そうな声で言ってくる。
「……その、ごめんレオナ。おれ、本当によくわからないんだよ。結婚って言われても、周りでそういうことした人、一人もいないし」
心底から申し訳なさそうな声だった。
嘘ではないだろう。はぁ、と、レオナは溜息をついて己の非を受け止める。
「ううん。私も、ごめんなさい。やっぱりちょっと気が立ってたみたい」
服に砂がつくのも構わずごろんと寝転がる。
額に移動したゴメちゃんが柔らかくて気持ちいい。手持ち無沙汰になったダイは傍らに座ると、どこを見ていいのか、といった表情を浮かべた。
注意した方がいいのか、と、ちらちらレオナの足を見ているのはバレバレだったが、ちょっとした優越感があったのでそのままにしておく。
――まったくもう、この子は。
苦笑する。
ダイは物心つく前からデルムリン島で生まれ育った。異世界からアティが来るまで――いや、正確にはその前にニセ勇者一行が来るまでは
女、というものを初めて見たのはニセ勇者一行の僧侶、ずるぼんが最初。
本格的に触れ合ったのはアティが初めてで、知人が結婚、出産する現場を見たことはないはずだ。
ポップとマァム、あるいはヒュンケルとエイミが夫婦になってくれれば良かったが、前者はまだまだ時間がかかるだろうし、後者は結婚という形を選ばない可能性も高い。
バランとソアラのエピソードから概念としては知っていても、実感はないだろう。
そんな少年に心の機微をわかれというのも酷な話だ。
なので、もう少しわかりやすく語ることにする。
「相手はね、家臣の子供やら孫やら色々薦められたわ」
「へえ」
わかってなさそうな顔。
「全部断った。どうせなら外国の貴族か、もしくは名だたる英雄とかを婿に取る方がいいもの」
「ふうん」
「でも英雄よ英雄。言ったってそんなに数いないでしょ」
「そうだよなあ」
うーん、と腕組みをする
レオナは半眼になってダイに尋ねた。
「……ダイ君は、アティのことが好きなのかしら」
「へ?」
しばらく前から心の中にあった疑問だ。
はっきりさせておかなければならないと思いつつ、はっきりさせるのが怖くて保留にしていた。
アティは「そんなわけないですよ」と言っていたが、正直、自分が絡む恋愛について彼女の言葉はあてにならない。
が。
ダイは「何言ってるんだ」という顔であっさり答えてきた。
「そりゃ、先生のことは好きだよ」
「そうじゃなくて、女性として好きかってことよ」
「レオナ、先生が男に見えてるのか? お医者さんに診てもらった方がいいぞ」
「……えい」
手を伸ばしてこつん、と額を突いた。
竜闘気を用いていない無防備な状態故、少年は「いてっ」と声を上げて額を抑えた。
少し溜飲が下がったので、くすりと笑って空を見上げた。
「じゃあ、もう一つ聞くけど」
こっちが本命の質問。
「私が誰かと結婚したら、ダイ君はどう思う?」
「………」
返事はすぐには来なかった。
ちらりと見れば、少年はこの日、最も真剣に悩んでいるようだった。
宙に向けられていた視線が降り、砂浜に向けられたのは心中で百八十を数えた頃のこと。
「できるだけ想像してみたんだけど」
「うん」
真剣に考えてくれた。
たったそれだけで胸が高鳴ってしまうあたり、なんというか手遅れだと思う。
――別に、この子じゃないといけない理由なんてないはずなのに。
身近で触れ合った歳の近い男の子。
それだけでは弱い。勇者であることも関係ない。命を助けてもらったことだって、恩人ならともかく好きになるとは限らない。
でも、好きなのだ。
等身大で話ができた。喧嘩もしたが気は合った。そして、命がけで守ってもらった。
それだけ重なったらもう、運命だと思ってもいいのではないか。
少年の顔を見る。
横顔は随分大人っぽくなったように思う。
「おれ、もし、レオナが結婚して、今までみたいに話せなくなっちゃうなら――」
その時の答えを、レオナは一生忘れないだろう。
「多分、凄く寂しいと思う。おれ、レオナとはずっと仲良くしていたいんだ。だから……」
「ダイ君!」
がばっ、と。
身を起こしてダイに抱き着く。
「え、ちょっ、レオナ?」
「いいから、そのままにしてなさい」
ぎゅうう、と、少年の身体を抱きしめれば。
ダイは顔を真っ赤にしながら目を白黒させていた。アティと比べてしまうと体型には自信がないが、これはどうやら脈なしではなさそうだ。
緩んだ口元は見られていないはず。
「決めたわ、ダイ君」
「へ?」
「私、結婚はしない。大臣やアポロ達が何と言おうと断ってやる」
ゴメちゃんは「大丈夫かなあ」という顔をしたが、ダイは言葉の意味を理解するとあからさまにほっとした顔をする。
大丈夫。
彼のそういう顔が見られただけで、幾らだって戦える。
もともと、勇者ダイを婿にという話は上がっていたのである。
国内の貴族が第一、国外の貴族が第二で、候補としては第三といったところだったが。
亡きアルキードの王子であると公表せずとも、大魔王バーンを倒した勇者であれば箔としては十分。内政能力に不安はあれど、王ではなく女王の婿であれば問題はない。
それでも推しが弱かった理由としては、現勇者を一国が抱え込むのは世界のパワーバランスを崩す恐れがあったからだ。
――バーンを倒したダイの力は本物だ。
もちろん、あの戦いは人類の総力を挙げてのものだった。
元勇者のアバンや他のアバンの使徒らも加わっていたため、直接的に「ダイがバーンより強い」という話にはならない。それでも、騎士ホルキンスを大きく上回る力はまさに一騎当千。
人の世界に不可侵とされる竜の騎士の力がパプニカに渡ることに、テラン王辺りが不平を漏らす可能性もある。
なら、こっちにも考えがある。
「見てなさい」
レオナはルーラでパプニカに戻ると家臣達に宣言した。
「私は生涯結婚しない。代わりに、ダイ君との子供を産ませてもらうわ!」
ダイを婿にするからまずいわけだ。
なら、彼はあくまでフリーであって、レオナは彼の子を授かっただけ――これなら問題はないだろう。いやまあ、根本的な解決になっていないと抗議があるかもしれないが、そんなのは知ったことではない。
その気になればどうとでも一蹴できるだろう。
問題は。
「ひ、姫様。まさか、ダイ君を口説き落とされたので?」
「いいえ。それはこれからじっくりと時間をかけてやるわ」
相手は強敵だ。
何せ、恋というものすらよくわかっていない鈍感である。
今のところ明確な恋敵はいないものの、狙っている者はいるはず。楽観はできないが、レオナは負ける気がしていなかった。