これはあの事件から数年後の話。
わたくしたちは毎日欠かさず特訓を重ねてもう一般の軍人より強くなっていました。
それを軍も黙ってみているだけではありませんでした。
そう、徴兵されたのです。
その時わたくしたちの国は隣国と戦争中でした。
そこにわたくしたちが投下されて戦う…
「あと十日したら大がかりな作戦を行う、キミたちにはそれに参加してもらう」
あまりの唐突さに実感がわかないままに作戦開始1週間前になっていました。
その時からわたくしの中で恐怖が生まれてきていました。
ようやくその時から自分たちがとんでもない場所に送られると実感できたんでしょう。
「お兄様…」
わたくしはぎゅっとお兄様を抱きしめました。
なぜそうしたのか今でもわかりませんの。
ぬくもりが欲しかったのか、恐怖からくる一時のモノだったのか、はたまた別の何かか…
とにかくわたくしはお兄様を求めていました。
「イリ…」
お兄様もわたくしをぎゅっと抱きしめてくれました。
大きな腕が体を包み込んでくる。
包まれたところからポカポカが広がり全身に拡散されていく。
そのぬくもりを感じるだけで落ち着いてくる。
だがそれも少しでしかない。
まだわたくしの心は不安でいっぱいだった。
「お兄様…わたくし…怖いですわ…まだ死にたくないですわ…」
口からついた言葉は湿り気を帯びていた。
頬につつぅと温かい液体がつたった。
いつの間にわたくしは涙を流していたのでしょう。
「お兄様…怖い…怖い…!」
気付けばわたくしは叫んでいました。
行きたい、生きたいと願うように。
「イリ…大丈夫だ…俺たちは絶対に死なない…」
優しげな、それでいて力強い声がわたくしを包んだ。
「でも…でもぉ…」
お兄様はそう言ってるけどやっぱり不安だ。
戦場では何が起こるかわからない。
死なないという保証はどこにもないのだ。
「そんなの…みんな死んじゃうに決まってますの…生きて帰れる人なんて限られてますの…わたくしたちはその限られた枠に入る人間じゃないんですわ…」
「はぁ…仕方ないな…」
お兄様はそうため息交じりにつぶやくと恥ずかしそうに頬を染めてうつむいた。
一拍の空白の後顔をあげたお兄様はわたくしの目を見てこう言ったのだ。
「お前は今からイリヤ・ドールと名乗れ、このハデスの従順な妹になれ!」
…
わたくしの頭の処理速度を超えた言葉にぽかんとするしかありませんでした。
え?イリヤ?ハデス?何それおいしいの?
「え、え~と…お兄様…?」
「あ、ご、ゴメン…迷惑だったかな…」
「い、いえ…そんなことは…でもなんで…?」
「え、え~とな…恥ずかしい話なんだけど…俺って戦う時に別の人間、ううん、ハデスっていう最強の暗黒騎士になったつもりで戦ってるんだ。そうすると俺も強くなった気がする、いいや、気がするじゃないな…強くなるんだよ」
話を聞くととてもばかばかしくて子供だまし。
でも…それがとてもいい考えだと思う自分がいましたの。
それにしても…ハデス…?どこかできいたことのある名前だ。
わたくしは記憶の倉庫をあさる。
確かあれは…
「あっ!ハデスって…もしかして絵本に出てきた…!?」
そう、私がお兄様が家に来て初めて読んであげた絵本だ。
わたくしの一番好きな絵本の主人公の名前だったのだ。
「あのハデスがどうも印象的でな…幼い俺にとっては憧れだったんだよ、優しい心を持った最強の暗黒騎士、大切な人を護るために身を挺した勇敢な騎士…まぁ今も憧れだけどな…」
お兄様は自嘲気にははと薄い笑みを浮かべる。
「カッコいいですわ…お兄様…」
「だろ?なんかこう言うのいいよな。で、お前は今からイリヤな」
「わかりましたわ…で、何でイリヤ・ドールですの…?」
「イリにヤをつけただけだけど?ドールは人形を使うからそうつけた」
「そ、それだけですの…?もっとこう…深いストーリーってありませんの!?」
「いやぁ…なんか強そうだったからさ…」
強そうだからって…
なんだか不服だ。
でも…
「プっ…フフ…イリヤ…ドール…イリヤ…うん…気に入りましたの」
いつの間にか私は噴き出していた。
何ともバカらしい名前、けどそれで強くなれる気がした。
「そうか、よかった」
お兄様もつられて笑みをこぼす。
「じゃあこれからよろしくな、イリヤ」
「はい、ヨロシクですわ…ハデスお兄様」
「このときからわたくしはイリヤになりましたのよ」
「へぇ…ってイリヤって偽名だったの!?」
「説明してませんでしたっけ…?」
「そんなのされてないよ!ねぇお兄ちゃん!?」
「いや、俺知ってた…」
「えっ!?お、お兄ちゃんが知ってて私が知らないって…」
ていうかイリヤの本名ってこの前お兄様だけに特別だって教えてもらったのに…
なんだか優越感を失った気分だ。
「じゃあ私たちはイリって呼んだ方がいいのかな…?」
「いいえ、今までのままイリヤでいいですわ。そっちの方が気に入ってますの」
「そう、ならイリヤにするね…お兄ちゃんの方はどうするの?」
「キョウヤからハデスに改名する?ぷふっ…」
馬鹿を見るような顔で噴き出すウサギにイラッときた。
「ウサギ…あとで覚えておけよ…」
「ひっ…ハデスが怒ったー!」
「その名前で呼ぶな恥ずかしい!今までのまんまでいいって!」
過去の俺恥ずかしい…もう死にたい…