瑠璃色金魚と音色の水槽   作:沖縄の苦い野菜

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一話誤字報告の方をありがとうございます。
一応、全ての話を投稿する前と後で目を通して入るのですが、細かなミスをなくせないところに悔しさと、ご指摘のために機能を使用してくださった方に感謝の気持ちを覚えております。


それでは、報告はこれまでにして。本編をどうぞ。




招待状

 

 

 ――詩花の演奏、本番の四日前。

 

 リハーサルを除けば、最後の合同練習になる場で。久遠は詩花の代名詞ともいえる曲を弾き切ってみせた。淀みなく、滑らかに、何かを含んでいるなどと想像出来ないほど綺麗な音色は、天に昇るように、空から降り注ぐように鳴り響いていた。それに背中を押される形で、詩花もまたいつも以上に大らかに、伸び伸びとその歌声を出し切った。

 

「……どうだった?」

 

 曲を一通り合わせ終わった後。久遠は詩花の様子を窺うように訊いた。椅子に座っている彼は、既に鍵盤から手を降ろして、握り合わせるように一つの拳を作って膝の上に置いていた。主役からの評価を待っている。

 

「とっても、ステキでした! 背中を押して勇気を貰えるような、キラキラとした音符が空から落ちてくるような……風が舞い上がるような、ステキな伴奏でした!」

 

 元気いっぱいな明るい声が、久遠の耳に返ってきた。その評価に笑みを浮かべながら、彼は「ありがとう」と返して、肩の力を抜いて脱力した。

 

「どうやら、私の指示通りに出来ている様だな」

 

 久遠が気を抜いた瞬間だった。尊大で部屋によく木霊する声が耳を打つ。いつの間に居たのか。少なくとも、演奏を開始するまでは部屋に居なかった人物……黒井社長に、久遠は慌てて、無意識に声のした方に会釈をした。

 

「あっ、社長。いつから聴いていたんですか?」

「演奏が始まってすぐだ。……それで、久遠」

 

 話の矛先を向けられて、思わず身体が跳ねる。聴かれているとは思わなかったことと。この人には絶対にバレる、という確信が、彼の中にあった。だからこそ、後ろめたさから、意識せずとも体が縮こまってしまう。

 

「ウィーンでの報告は聞いている。まったくもって、腹立たしい」

 

 吐き捨てるように言う黒井社長の言葉に、久遠の手に更に力が込められる。爪が手に食い込むほど。

 

「社長。クオンさんは、ウィーンで大活躍していたと思いますけど。それに、今の演奏だって、とってもステキでした!」

 

 すかさず、といった様子で詩花は久遠に助け舟を出すが、黒井社長は「そうではない」と首を横に振った。

 

「私が何年、貴様のパトロンをしてきたと思っている? まったく、クセも直せない無様を晒して。だから私が指示を出すことになるのだ」

 

 ――あぁ、この人にはかなわない。

 久遠は不意に、そんなことを思ってしまった。始まる前から、全てを見抜かれていたのだ。年単位で会っていなかった相手であっても、自分の全てを見透かされていた。

 

 伴奏を任せられたときから、黒井社長は何もかも全てを織り込み済みだったのだと確信する。「そこで貴様の出番だ。精々、詩花を引き立てる、その礎となることに全力を注ぐがいい」とはつまり、自分を押し殺してでも音を出せ、という指示だったのだ。暗喩して「クセ」などと指摘したのは、詩花が気にしないようにするための気遣いだろう。

 

「……どちらに転んでも、よかったと」

「ふん。玲音のところに送るのは延期だ」

「――っ!」

 

 玲音。それは961プロに所属する、正真正銘の世界規模のトップアイドル。前代未聞のオーバーランクに位置付けられた者の名前である。引き合いに出された名前が名前だけに、久遠は息を詰まらせた。

 

「本番は予定通り行う」

 

 言い残すと、黒井社長はツカツカと高そうな革靴を鳴らして遠ざかって行った。詩花は「どこが悪かったんだろう?」と不思議そうに呟くが、それを黒井社長にぶつけることは無かった。

 

「……社長は、僕が十二歳の時から、パトロンとして囲ってくれていたから。あれはあれで、信頼してくれているんだよ」

 

 適度にフォローを入れて、久遠は鍵盤に手を置いた。ぽろん、と穏やかで柔らかい音色を転がして。続きはどうする、と詩花に問う。

 

「あっ、そうですね。時間いっぱい、やっちゃいましょう!」

「わかった」

 

 イメージを崩さないように、焼き物の焼き入れ作業に入るように、久遠は詩花に合わせて何度も音符を弾き出した。この音色を忘れないために、綻びを生まないために、本番で壊れないように。何度となく、第一楽章を弾いて。隠された第二楽章を飲み下す。

 

 ――これ以上、誰も悟ってくれるなよ、と。

 誰にも見つからないように、彼は紡ぎ出す。美しくみえる世界を。美しく聴こえる音色を。清らかに思えるメロディを。

 

 弾くたびに手が腐敗するような気持ち悪さを感じたが、そんなものはお構いなく。

 彼はずっと、綺麗に聴こえる音色を弾き続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 765プロライブ劇場。太陽がまだ天辺にある頃に、詩花は軽い足取りで中に入っていく。そうして目指したのは控室だ。前日にアポイントメントは取っているので、入れ違いになることもないだろう。

 

 控室の前に着いたところで、小さなバックを肩に掛け直す。そして深呼吸を一度行うと、こんこん、と控えめにノックをした。すぐさま「はい」と落ち着いた声音が返って来ると、ほどなくして扉が開いた。

 

 中から出てきたのは、人形のように端正な顔立ちに、青みがかった上質な銀糸のような腰まである髪を先っぽで結わえている少女。前髪を雅な水引細工で留めているのが特徴的な彼女は、詩花の姿を認めると微笑みながら一礼をした。

 

「こんにちは、詩花さん」

「グリュース・ゴット。紬ちゃん、久しぶり……かな?」

「十日ほど、お会いしていませんでしたね。……お話は中で。おあがりあそばせ」

 

 そうして、彼女……白石紬に誘導されるままに、詩花は控室に入って机の前に移動する。その机の上には、山吹色のプラスチックパックに入った和菓子が二つ、急須がひとつ、湯呑が二つ、茶葉の入った袋がひとつ、匙とそれを置くための小皿がひとつずつ、電気ケトルがひとつ用意されていた。

 

「わぁ……おいしそうなお菓子ですね」

「はい。近くの老舗和菓子店のものを、たまたま買うことができましたので。すぐにお茶を淹れますね」

 

 言いながら、紬は電気ケトルを片手に、まずは二つの湯呑にお湯を注ぎ始める。ほどよいところまで入れたところで電気ケトルを置くと、今度は急須の蓋を取った。ついでに、その上についていた取っ手のついた茶漉しは匙と交代するように小皿の上に。匙を片手に茶葉の袋を開けると、急須の中へ茶葉を適量、匙と茶葉の袋をさっさと片付ける。そろそろいいだろう、と紬は湯呑に入れて置いたお湯を急須の中へ入れる。

 

 一連の動作を、詩花は物珍しそうにその光景に見惚れてしまう。手順が多く、ややこしく見えるお茶の淹れ方を、舞を踊るように滑らかに行うものだから。思わずほっと息が漏れ出る。

 

 しばらくすると、紬は小皿の上に置いていた茶漉しを手に取って湯呑の上にかざした。もう片方の手には急須を持ち、音が立たないほど静かに煎茶を注ぐ。しかし、ほんの少し注ぐとすぐに急須を元に戻し、もう一つの湯呑に茶漉しを移動させて、そこに煎茶を注ぐ。それを数回、交互に注ぐようにして繰り返した。これは煎茶の濃さを均一にするための淹れ方である。

 

「粗茶ですが、どうぞ。和菓子とご一緒に、おあがりあそばせ」

 

 そうして出来上がった煎茶は、淡く透き通った黄緑色を誇り、その匂いは喉奥に優しく染み渡るように奥ゆかしい。

 

 勧められるままに、詩花は肩に掛けていたバックを隣の席に置くと、促された場所に着席して、手を合わせる。

 

「それでは、いただきます」

 

 目の前に出された煎茶に口をつけると、程良い渋みが口の中に広がり、香りは鼻から抜けるように広がっていく。思わず和菓子が欲しくなり、プラスチックの蓋を静かに開けて、いつの間にか置かれていた和菓子用の楊枝を手に、一口サイズに切り分けて口に運ぶ。仄かに広がる生地の香りに、上品なこしあんが渋みの広がった口の中で溶けていく。それはさながら、オーケストラのハーモニーのように一つとなって、口の中に温かい幸せを生み出した。

 

「とてもおいしいです!」

「……そう言っていただけると、用意した甲斐がありました」

 

 そんな詩花の反応に、紬はほっと胸をなでおろす。どうやら上手くおもてなしできたようだと。そうして、紬もまた和菓子の蓋を外して、煎茶と和菓子を口にした。

 

 すると、今まで端正に、引き締められていたキリッとした顔が。ふにゃり、と柔らかく綻んだ。紬は頬に手を当て、和菓子の味に思わず夢中になって舌鼓を打つ。マンガであれば頭上に小さなハートマークが煙のように出ていたであろう様子。これはまた買おう、と頭の中のお気に入りリストにメモすることも忘れない。

 

「そうだ。紬ちゃん、今日はこれを渡そうと思って来たんです」

 

 ふと思い出したように、詩花は楊枝を置いた。すぐに隣に置いていたバックを手にすると、中から小さな封筒を取り出して、紬に手渡した。

 

「これは……?」

「今度の私のライブのチケットです。伴奏にはクオンさんが出演するので、是非、観に来ていただきたいと思って! 三日後で突然ですけど、大丈夫ですか……?」

「三日後……レッスンが入っているので、プロデューサーに相談してみないことには、なんとも」

「それでも大丈夫です。三枚入っているので、皆さんにも、もしよろしければ」

「それでしたら、ご厚意の方、受け取らせていただきます」

 

 紬はチケットの入った封筒をしっかりと握りしめると、膝の上にそっと置いて、視線を落とす。封筒をジッと見つめて、行けるのなら行きたい、誰を一緒に連れて行けばいいだろうか、どんな伴奏をしてくれるのだろうか、などと思考の波が止まらない。

 

「……久遠くんは、どんな様子でしたか?」

 

 紬は心配だった。彼が異邦の地に行ったことで、変わってしまったのではないかと。根底から彼が覆されてしまったのではないかと。久遠のピアノを聴くたびに、不安は黒い嵐となって胸中で吹き荒れた。気が気ではなかった。

 

「……少し、思い悩んでいた様子でしたが。でも、昨日には素晴らしい演奏をしてくださったので。きっと、もう大丈夫だと思います」

 

 そうですか、と紬は詩花の言葉を聞いて安堵の息を吐く。きっと、懐かしき故郷に戻ったことで、いつもの彼に戻ったのだろう。詩花の言葉を盲信するように、紬は自分の中から不安を追い払う。

 

「三日後。必ず、聴きに行きます」

「そう言ってもらえると嬉しいです。私も、きっとクオンさんも」

 

 

 

 それからは、小さなお茶会は他愛のない話と共にお開きとなった。紬は詩花が帰った後、すぐさまプロデューサーにチケットのことを相談すると、快い返事が貰えた。余ったチケットは、最上静香と桜守歌織の両名が本人たちの強い希望により参加することになる。

 

 白石紬は、大事そうにチケットを握りしめる。もう一度、在りし日の音色を聴きたいと。

 それが、パンドラの箱の鍵だとも知らずに。

 

 彼女たちは、ライブ当日を迎えるのであった――。

 

 

 





今後もスケジュールが過密になり、更新の方は定期的にというのは難しくなると思われます。
それでも、完結まではもっていく決意ではありますので、それでももしよろしければ。

末永く、長い目で見守っていただければと思います。

それでは、失礼いたします。


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