ぐんし と りゅうおう   作:悪手を具現化して人にしました。

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サブタイトルはとある棋戦のとある棋譜を使いたいと思います。


初手(7六歩)

「はぁ…」

 

 

 将棋会館から家までの帰路、俺は大きくため息を付いた。

 

 竜王に就位してから、俺は絶不調の真っ只中にいる。

 

 今日も研究会に顔を出してみたものの、特にこれと言った収穫や手応えは無かった。

 

 勝率三割の竜王という前代未聞の弱さでタイトルホルダーの俺は、その御蔭でネットではとりあえず「クズ」と言われている。九頭竜という名前をこれでもかと利用されて。

 

 負ければ悔しいのは竜王になる前もなってからも同じだし、やっていることも変わっていない。だが、()()()()()()()()()()()()気がしてならない。

 

 友情? 努力? 勝利? 違う違う。これはジャ○プの三大原則。

 

 何はともあれ、竜王に恥じない将棋を指さないといけないという使命感が俺の中に芽生えていた。

 

 

「ただいま」

 

 

 誰もいないアパートの一室に帰り、電気をつけ、リビングで大きく横になる。一人暮らしなので誰にも邪魔されない時間だ。

 

 家の中にあるものは生活するのに最小限のものと、将棋盤とかパソコン––––研究用に使う––––とかそのくらい。

 

 

「盤の手入れしないと…よいしょっと」

 

 

 棚にしまった七寸盤を取り出し、柔らかい布でホコリを落としていく。

 

 盤は生き物だ。もともと数百年の木を切り出し、何十年も乾燥させて出来た盤は色や状態が少しずつ変化していく。

 

 俺の盤は天地柾の最高級品。榧で出来ていて多少壊れても治せるという優れもの。

 

 

「ね…眠い…」

 

 

 まだ夕方にもなっていないのにウトウトとした俺はうっかり寝落ちしてしまった。

 

 盤を片す前にその場に横になり、意識を落とした。

 

 気づけば外は暗くなり、腹も空いていた。それ以上に、部屋の中に客が来ていたことには驚いた。

 

 その来客はタブレットでネット将棋を指していて、画面から目を離さず俺に言った。

 

 

「八一、起きたか。久しぶりだな」

 

 

 俺の家に無言で上がり込んで将棋を指す人間なんてこの世に二人しか心当たりがない。一人は姉弟子––––空銀子女流二冠。そしてもう一人––––

 

 

「勝手に上がり込んで将棋を指すとはいい度胸だな。孔明」

 

 

 高月孔明。アマチュア竜王・名人にして、アマチュアにも関わらず「軍師」という二つ名を持つ元奨励会員。ちなみに、俺と同級生で退会してから1年以上が立っているのでアマチュア復帰規定によりアマチュア棋士として将棋を指している。

 

 

「まあ良いじゃないか。絶不調の竜王の様子を見に来たんだよ」

 

「このプロに対しての遠慮のなさ…本当にお前は元奨励会員なのか?」

 

「友人として来てるんだし、プロもアマも関係ない!」

 

 

 こいつの発言に効果音をつけるのであれば、”バーン!”が一番似合うな。ドヤ顔で胸張って言えるようなことじゃないわ。

 

 孔明の棋力はアマチュア七段でアマチュア最高クラス。だが、それはアマチュアの段位の限界であって本当の棋力の基準ではない。

 

 レート換算だとR1800くらだろうな。ちなみに、プロのレートが大体1500〜1800なのでトッププロ並みに強いことになる。

 

 

「じゃあ、指そうぜ。()()()()()

 

 

 孔明の声に覇気がこもった。ネット将棋はすぐに詰ませたらしい。

 

 俺を「九頭竜竜王」と呼ぶとき、それは本気である証拠。

 

 ゾーン、またはフローと言われる精神状態に自由に入れる孔明はON・OFFの切り替えがはっきりしている。

 

 

「良いだろう。スランプ中とは言え、そう簡単に勝てると思うなよ」

 

 

 ゆっくりと体を起こし、俺は上座に腰掛けた。

 

 将棋の場においてプロとアマの間には絶対的な上下関係が存在する。プロ、特に最高位のタイトルホルダーである俺はほぼ全ての対局で上座に座り、王将を使う。

 

 王将、左の金将、右の金将、左の銀将と左右対称に上座・下座で交互に並べていく。コマの並べたかには主に大橋流と伊藤流が存在し、プロでは大橋流が主流になる。俺の並べ方も大橋流だ。

 

 次に振り駒。歩を5枚用いて先手後手を決める。今回は、俺が振って()が5枚(大凶と言われる)なので孔明の先手になった。

 

 

「「宜しくおねがいします」」

 

 

 互いに頭を下げて孔明がゆっくりと飛車先を伸ばす。()()()居飛車らしい。

 

 現代将棋で先手は一歩攻めが早いので有利とされているが、孔明と戦うときは後手の方が有利な気がしている。戦型を知ることが出来るから。

 

 俺も答えるように飛車先を伸ばす。このままだと相掛かりになりそうだ。相掛かりは江戸時代から続く飛車先の歩を交換して始まる戦法。俺が最も得意としている形の一つになる。

 

 相掛かりはコンピューター的にも最善策のようで、コンピューター同士の対局だと相掛かり模様になることが多い。そのあと、腰掛銀、極限早繰り銀など応用系は様々。また、玉の囲い方にも中住まいや中原囲いなど種類が豊富にある。

 

 

 

 

 結果から言うと、得意の相掛かりになったものの俺の惨敗だった。

 

 序盤から攻め手が掴めず終盤まで受けに回りきっていた。プロ相手に圧巻の指し回しはさすがとしか言えない。

 

 

 

 

「弱くなったな…奨励会時代の方が強かったかも知れないぞ?」

 

 

 孔明の指摘にダメージを受ける。でも、納得してしまう自分もいた。

 

 

「孔明はどの辺が駄目だと思う?」

 

「駄目なところ…は全部だな。プロと指している感覚がなかった」

 

 

 プロと指している感覚。俺には分からないが孔明にははっきりと分かるのだろう。アマチュア、奨励会、そしてプロ棋戦にも参加している孔明だからこその感覚なのかも知れない。

 

 

「竜王だからとか、プロだからとか考えてるんだろ? あの名人だろうが、負け知らずの若手だろうが負けるときは負ける。良し悪しより先に気にすることがあるんじゃないか?」

 

「先に考えること…?」

 

「それは他人が教えることじゃない。少なくとも、次の竜王戦までには見つけないと確実に失冠するぞ」

 

 

 失冠。すなわち竜王のタイトルを奪われ、九頭竜八一八段になるということだ。

 

 タイトルホルダーは年一回のタイトル戦を必ず戦うことになる。負ければ失冠、勝てば防衛。毎年命を削るような勝負をしなくてはいけない。

 

 俺だけじゃないすべてのタイトルホルダーが思っていることだろうが、タイトルとは名誉だ。それを失いたいと思う棋士はいない。

 

 

「ゆっくり考えろ。すぐに出るような答えなら、お前はとっくに見つけている」

 

 

 駒を静かに片し、孔明は早々に部屋を後にした。

 

 部屋に残されたのは虚無感。そして、ほんの少しの絶望。

 

 頭の中では浮かぶものの、俺はこの現実を直視しきれていなかったかもしれない。

 

 孔明の言う通り、このままでは確実に失冠する。それ以上に、勝率が落ちてタイトルホルダーなのに順位戦で降級点が付くってこともあり得る。

 

 

「寝よう…」

 

 

 時計を見れば日付が変わっている時間になっていた。

 

 頭はもう回らない。考えもまとまらない。このときの俺には休むしか選択肢がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『八一の調子はどうや?』

 

「予想以上に抱え込んでますね。独り立ちしたので仕方のないことですが、理解者がいないというのは大きいと思います」

 

 

 八一の家を出たあと、俺は先生––––清滝九段に電話をしていた。

 

 俺が八一の家に来たのはこの人のお願いがあったからに他ならない。「スランプ気味のようだ」という連絡を受け、わざわざ関西まで下って来た。

 

 この調子だと1週間くらい家をあけることになるかも知れない。しばらくは先生の家に居候させてもらおう。

 

 

「八一に必要なのはキッカケです。こればっかりはアマチュアの俺にはどうすることもできません」

 

『そうか…孔明くんで無理なら何か別の方法を探すしかないか…』

 

「八一もプロです。彼なりに見つけるでしょう。今の壁を超えたら、八一は一層成長できます。信じましょう」

 

『信じるしかないか。おおきにな孔明くん。今日はうちに泊まると良い。待ってるよ』

 

「ありがとうございます。では、お邪魔させていただきます」

 

 

 

 先生の優しさに感動しながら電話を切る。

 

 きっと桂香さんも起きているんだろう。八一、思われてるな。

 

 

「はぁ…俺も強くならんとな」

 

 

 若干先生の関西弁が移りながらも小さく呟く。

 

 先生の家までタクシーで移動し、ありがたく泊めさせてもらうことになったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、孔明さん!?」

 

 

 目覚ましは銀子ちゃんの声だった。

 

 

「ああ、銀子ちゃん。おはよう」

 

 

 驚く銀子ちゃんに構わず寝ぼけながらも挨拶をする。

 

 

「お、おはようございます。どうしてここにいるんですか?」

 

「え? 昨日八一の家に行ってて、夜遅くになったから先生に泊めてもらったの。しばらく居候させてもらうからよろしくね」

 

「よ、宜しくおねがいします」

 

 

 銀子ちゃんは今日も制服か。そんな学生服に固執しなくて良いのに。可愛いけど私服は殆ど見たことがない。

 

 寝起きのたるんだ顔を叩き、居間に降りる。先生や桂香さんはすでに起きていて朝食の準備をしていた。

 

 

「先生、桂香さん、おはようございます」

 

「おはよう孔明くん。昨日は迷惑かけてすまんかったな」

 

「孔明くんおはよう。もうすぐ朝食だから待っててね」

 

 

 先生は座って新聞に目を通し、桂香さんは台所で朝食の用意をしている。

 

 先生の奥さんは桂香さんが生まれて間もなく亡くなったそうだ。だから、桂香さんが家事をしている。女流棋士を目指しながら、家の仕事もこなす桂香さんには本当に頭が上がらない。

 

 

「銀子ちゃん、今日暇?」

 

「暇、です」

 

「じゃあ、研究会しよっか。きっと()()()創立記念日なんでしょ?」

 

 

 創立記念日という言葉に一瞬体が反応したが、銀子ちゃんは小さく「はい」と答えた。

 

 ま、今日は土曜日なので創立記念日も何も関係なく休みなのだが、反応を見る限り銀子ちゃんは相変わらず創立記念日を口実にかなりの頻度で将棋関連のことをやっているようだ。

 

 

 朝食を終えれば俺と銀子ちゃんの1on1で研究を始める。

 

 指して、検討して、指して、検討してを繰り返し、気になった手を深く研究していく。

 

 

「奨励会員だけあって流石だね」

 

「そんな孔明さん、一回も負けてないじゃないですか」

 

「まあ、負けられないし」

 

 

 話しながらも笑顔で王手をかける。23手詰めになっているのだが、銀子ちゃんはすぐに察した。

 

 

「あっ…負けました」

 

「ありがとうございました」

 

 

 投了図からすばやく駒を並べ替えて初期配置に戻す。そこから、初手から棋譜通りに並べて気になる手や有力と思われる手を互いに言っていく。

 

 攻め方、守り方、攻めの順序。色々なところで検討が行われる。銀子ちゃんは扇子で仰ぎながら、俺は扇子を手の中で遊ばせながら検討していく。

 

 

「早繰り銀も強いけど、腰掛銀に弱いから少し考えないといけないね。コンピューターの指し手は()()()()()()()()()()()()

 

 

 銀子ちゃんの選択した早繰り銀は、最近コンピューターの影響で若手に見直されてきた戦法だ。

 

 コンピューターの影響で見直されたとは言え、しっかり研究をしないと指しこなせない難しさがある。

 

 

「っ!」

 

「名人とか、八一とか、棋帝とか、その辺の人なら出来るかも知れないけどね」

 

「孔明さんも出来ないの?」

 

「俺も出来るけどね。鵠さんが調べたらコンピューターとの指し手一致率が68%だったかな」

 

「アマチュアでは破格じゃないですか」

 

 

 銀子ちゃんの指摘に少し笑ってしまった。たしかにその通りかも知れない。

 

 コンピューターは広く浅く読んでいき少しずつ読みを深めていく。そのコンピューターの最善手は人間の感性とは別の感覚で指されるので一致率はそんなに高くならない。序盤は特に個人の好きな戦術ややりたい戦術によって評価値が大きく変わり、指しても変わってくる。

 

 

「アマチュアじゃないって言われることもあるけど、俺は強い棋士にアマもプロも関係ないと思うよ」

 

 

 そう言ってまた研究を続けた。

 

 プロだから強い、アマチュアだから弱い。そんな概念は現代のコンピューターが先導する将棋には通用しなくなってくる。実際、コンピューターと研究することでプロ棋戦で勝ち抜くアマチュアも存在する。

 

 研究会は途中で桂香さんも参加して俺が多面指しする形で進んでいった。

 

 途中、先生に『プロの指導対局みたいやな』と言われたが、女流二冠と女流棋士一歩手前の研修会員相手に指導対局って意味がわからん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果は対局数と同じ数だけ白星をもらった。




勢いで書きました。

誤字脱字などありましたら、ご報告お願いします。

ちょっと話の展開が早い気がする…

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