陽気な日差しが世界を照らす。雲一つないまま、どこまでも澄み渡っている青空。
穏やかな晴れの日の通学路。緑と桃色混じる並木道を見て、近付いてきた春の終わりを感じたりする、そんな朝。
遂に発表会当日だ。
今日の夕方に、一世一代の決戦が控えている……いや、少し大袈裟だろうか。
別に発表会だけで戸山さんのこれから、その全てが決まるわけじゃない。
――そう、分かってはいる。だけど、何故か落ち着かないのだ。
発表するのは戸山さんだというのに、観客に過ぎない自分が妙にソワソワしている。
期待、不安、喜び、心配。それらが混ざりあって生まれた、不思議な色をした感情。
心に靄はかかっていない。だが、どこか定まりきらない。
そんな思いを秘めて、学校へと足を進めた。
――――――
――――
――
教室に入るとすぐ目に入ってきたのは、座っている戸山さんの姿だった。少し早めに登校していたようだ。
以前の大遅刻を除けば、彼女は特に遅刻も欠席もしていない。このように、自分より早く登校しているということだって少なからずあった。
そんな彼女は現在、何やら机の方を凝視している様子だった。
右から左へ走る視線。やがて感極まって泣きそうになっている彼女の姿は、見ていて少し面白い。
そんな光景を見つめながら、俺自身も席に着く。
彼女の直ぐ前の席。俺の存在に気づいていないのか、そもそも気にも留めていないのか。戸山さんがこちらに目を向けることはなかった。
俺の方からも、特に声をかけることはしない。もう少しの間彼女の観察を続ける事に決めた。
……『観察』というとまるで自分が危ない人であるような気がしてくるが、この際それは置いておこう。
そのまま見つめていること数秒。戸山さんが机に何かを書き始めた。
時折シャーペンのノック・ボタンを額に当て、そのまま見せる思案顔。
机とシャープペンシルの芯がコンコンとぶつかる音に耳をすませていると、やがて筆が止まるのが分かった。
満足そうに一つ呼吸をつき、戸山さんはその顔を上げる。
「…………」
「……あ、おはよう戸山さん」
――――まぁそうすると当然、目の前で彼女を見ていた俺と顔を合わせることになる訳で。
カッと、一瞬にして彼女の顔が赤に染まる。
「ち、ちちちち千葉くん!? い、いつからいたの!?」
慌てぶりに反して、声は抑え気味だ。
その甲斐あってか、数名ちらりとこちらに目を向けたものの、生徒達の大半はこちらに注目することはなかった。
ほんの少しの意識を向けていた彼らもすぐに興味をなくしたようで、視線は既に元ある場所へと戻っている。
「えっと……戸山さんが机に何かを書き始めた辺りからかな?」
「………………へ、へぇー、そ、そうなんだ」
明後日の方向を向きながら、ささっと机を隠そうとする仕草を見せた戸山さん。
だがしかし、既に見られているという事実に気がついたのか……その腕はヘンテコな軌道を描き、やがて力なく垂らされた。
項垂れている彼女を横目に、机に書かれた文字や絵を覗いてみる。
その内容によると、彼女はこの机を介して誰かと文通のようなものをしているようだった。
可愛らしい丸文字でのやり取りが机上で繰り広げられている。よく見るとランダムスターの絵も書いてあった。上手い。
クライブ等の、自分にも覚えのある記述からその日の記憶を想起させたてみたりもしつつ少しの間眺めていると、不意に目に付いたものがあった。
彼女達のやり取り、その中に何度も出てくる不思議なコトバ。それがどうも気になって仕方がなかった。
未だ項垂れている戸山さん。彼女との会話の種を作るがてら、これについて聞いてみようと声をかける。
「戸山さん、POPPINGって――」
「POPPING!」
「うん!?」
――疑問を呈した次の瞬間、直前まで項垂れていた彼女が、目を輝かせながらその言葉を口にした。
唐突なハイテンションと若干前のめりな姿勢に、思わず仰け反ってしまった。
息がかかる距離にある、憧れの人の顔。それを直視できなくて、思わず目を逸らしてしまう自分を誰が責めようか。
「〝POPPING〟はね、魔法のコトバ! 楽しくなる魔法のコトバなの!」
「え、う、うん」
「この机の向こうの彼女が私に教えてくれたんだ。それ以来、サイテーだった私の心の支え……
「このコトバを聞くと、本当に楽しくなっちゃうの! キラキラドキドキして、思わずジャンプしたく、なっ、ちゃ…………ぅ…………」
……再び赤面する戸山さん。
どうやら、今の自分がどんな状態かを把握したらしい。
自分の世界に入り込むと周りがあまり見えなくなってしまうのは彼女の癖であるようだった。今は恥ずかしさからか顔を手で覆ったまま机に突っ伏している。
ただでさえ引っ込み思案な彼女だから、恥ずかしさは周りが思うその数割増であるに違いない。
……まぁ、この姿を見た大半の人は『テンション高めの戸山さん可愛い』と思わざるを得ないと思うので、本人以外にとっては特に問題はないだろうけど。
そんなこんなで彼女とのコミュニケーションのようなものを楽しんでいると、予鈴のチャイムがスピーカーから流れた。
時間は既に八時三十分。散らばっていた生徒達が、自らの席へと足早に向かっていく。
教卓には先生が立っていて、通信簿らしき冊子を眺めていた。
授業が始まる。一時間目はなんだったか。
「う゛う゛ぅ゛……」と、未だ唸り声のようなものを発している彼女を尻目に、俺はリュックから勉強用具を取り出した。
……横でニヤついている桂は無視だ無視。
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放課後。終業のチャイムを背景に、周りの彼らはまばらに教室を退出し始める。
帰り支度をあらかじめ済ませていた数名は、気づいた時にはもう既に教室を出ていた。
戸山さんはもう既に教室にはいない。避けられてるのかと思ったが、よく考えてみればいつも通りのことだった。
それに彼女も、一秒でも早く蔵に行きたかったのだと思う。最終調整など、まだしなければならないことが残っているのかもしれない。
人前で歌うのは彼女にとって久しぶりのことだから、尚更メンタルを整えなければならないのだろう。
……斯く言う俺自身も、数年ぶりに戸山さんの歌を聞くことになるのだと、そう考えているうちに改めて認識する。
朝から収まらない緊張が、より一層強くなる感覚。
(ああ全く。何故本人でもないのに、ここまで緊張しているんだろう)
深く息を吸って、吐く。気持ちを落ち着ける。隣の桂からは変な目で見られた。
誤魔化すようにコホン。一つ咳払いして席を立つ。
「じゃあ、また明日」
「またな。戸山さんとうまくやれよー」
「……あぁ、うん。そうする」
……俺と戸山さんは
――――――
――――
――
辿り着いた蔵。中は既に、不思議な空気で包まれていた。
チューナーを睨みながら黙々とチューニングを続ける戸山さん。それを見守る有咲。一見、落ち着いているように見えるその光景。
しかしよく見ると、有咲はどこかソワソワしていた。戸山さんもまた、僅かに表情が変わり続けていたりする。百面相だ。
戸山さんは言わずもがな。有咲に関してだが……恐らく、我が子の成長を見守るような感覚が少なからずあるのだろう。挙動が、『子供の授業参観に初めて来た親』のそれだ。
いつものように飲みものを置いておく。
ここから先は彼女次第。観客は見ていることしか出来ない。
ランダムスターのチューニングを終え、戸山さんが立ち上がる。
セッティングも大詰め。
ランダムスターの真の力を発揮させる、その準備の最終段階。
シールドケーブルを用いてマーシャルとギターを接続。つまみを弄ってボリュームを調整。
そして最後にと言わんばかりに、足元のエフェクター――オーバードライブをオンにした。
準備万端。彼女の表情と、彼女の纏うオーラが変わる。
日常の、おどおどした戸山香澄はもういない。ここにいるのは、星のカリスマである戸山香澄だ。
(さあ、見せてくれ。――そして、俺達を魅せてくれ!)
スタンドマイクの前に立って、目を閉じる。遥か彼方へと思いを馳せる彼女はやがて、輝きを伴ったその目を開けた。
『ライブハウス〝夢の蔵〟へようこそ!』
……昨日以上の、雷が迸ったかのような錯覚。ビリビリと肌が痺れる感覚。
隣にいる有咲は、その顔を驚愕で染めていた。
――彼女のステージが、遂に始まった。
マイクの前の彼女は、続けて言葉を発する。
『聴いてください! 『トゥインクル・スターダスト』!』
マイクから離れ、ピックを構える戸山さん。その自信に満ち溢れた表情には、不安の類を感じさせることは無かった。
――そして奏でられた、パワーコードのD。
ギターとマーシャルが唸り、響き渡るその音は、楽曲の開始を俺たちにしらせる。
それに続くパワーコードのG、D、A。力強い旋律が世界を揺らす。
ギターを掻き鳴らすその姿は、伝説のロック・スターを彷彿とさせるようだった。
余韻を残して消えていく、煌めく星の音符達。
これらを組み合わせたそのメロディは、この場にいる俺達に限らず、多くの人が恐らく一度は聴いたことがあるであろう楽曲の前奏だった。
――――楽曲名は、『
マイクに口を近づける戸山さん。
聴こえてくる彼女の歌声。掻き鳴らされるギターの音。
歌詞はオリジナルだろうか。可愛らしげな言葉が紡がれる。
正真正銘――待ち焦がれていた、彼女の歌だった。
……夢にまで見たその光景に、想起される
夕焼け空の河川敷。子供達の笑い声。一人歌う女の子。
目に浮かんだのは遠い過去。河原で歌う――――
『トゥインクル♪ トゥインクル♪ ひーかーるー♪』
――――輝く笑顔の
彼女の歌う姿が、心の底から楽しそうに歌う彼女の姿が大好きだった。
自分に出来ない事をする、そんな彼女に憧憬の念を持っていた。
(もう見れないと、思っていたのに)
きらきら光る空の星は、彼女の歌を祝福している。
『貴女の歌は届いている』と、微笑み返す空の煌めき。
『YOU WANTED THE BEST!』
今、この瞬間。
俺は確かに、求めていた〝最高〟を手にしていたんだ。
――――――
――――
――
「うきゃー!」
ライブの終わり。余韻に浸っている戸山さんに、弾丸のように有咲が飛び込んでいった。
凄い凄いと言いながら、戸山さんの手を掴んで何度もシェイクしている。
じゃれ合っている彼女達の間を割って入っていくのは少々の躊躇いがあった。
だけど、どうしても彼女に伝えたいことがある。
伝えられなかった、伝えたかったあの時の思い。それも全部詰め込んだ、溢れんばかりの感謝の念。
「戸山さん」
「あうあうあうぅ……ふゎっ、ち、千葉くんっ」
――彼女を前に、強く脈打つ心臓の鼓動。
「……俺さ、もう戸山さんの歌、聞けないと思ってたんだ」
「う、うん。……私も、また誰かの前で歌うなんて……夢にも思ってなかった」
頬を染めて、照れくさそうに笑う戸山さん。
先程まで鮮烈なまでに輝いていたあの姿は既になく、その顔に花のような、優しげな表情を浮かべている。
……ギターを持った彼女の姿は本物で、決してハリボテなんかじゃない。
だけど、この穏やかな姿も戸山さん本来のもので。
どちらも戸山香澄に違いなくて、どちらの姿の彼女もとても魅力的だった。
(伝えるんだ。あの時伝えられなかった言葉を。終ぞ言えなかったあの言葉を)
「……戸山さん」
「俺に、俺達に、〝最高〟をくれて、本当にありがとう――――」
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……過去を振り返る度に、こう思う。
〝戸山香澄
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「――そこまでだ! おまえたちっっ!」
――突如として開け放たれた扉。扉の先にいた彼女は、トラブルメーカーのニンジャ・ガール。
「そんな、
……『どうやってここまで来た』だとか、疑問が頭の中に浮かぶ。
まるで最大風速数十メートル毎秒の台風がこの蔵に直撃したかのような、そんな感覚。
――――この
結果としてそうなることなど露程も知らないまま、その時の俺は頭を抱えていた。
遂に10話ですね。短編を合わせると11話ですが……。
物語もまだまだ序盤。これからもお付き合いいただければ幸いです。
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