輝く笑顔をもう一度   作:TAYATO

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第20話

 

 織姫と彦星が年に一度で会える日。七月七日、七夕は『めぐりあいの日』だ。

 昼を過ぎ、夕方頃には商店街のどこかで笹の葉が風に揺られていることだろう。その時は願いが込められた短冊も、共にゆらゆらと揺れているのだろうか。

 とはいえ、今はまだ多くの店が開店準備をしているような時間帯。前日から出しているようなお店の前以外には、笹の木は見当たらない。それは、今目の前にあるヤマブキパンも同様だ。

 

「……可憐っす」

 

 花園さんが呟く。サアヤさん――漢字は沙綾と書くらしい――へと贈られた言葉だった。

 開店準備の途中だった彼女は、少し待っていてほしいと言って店の中へと姿を消した。

 

(彼女が、戸山さんにとっての)

 

 とても可愛く、優しそうな人だった。

 

 

 

 試食をして欲しいと、パンの詰まったバスケットを抱えながら彼女は戻ってきた。香ばしい香りが鼻をくすぐる。机の上に置かれたそれを見たバンドメンバー、特に花園さんと牛込がキラキラと目を輝かせていた。

 楊枝の刺さったパンを一口。生地とバターの旨味が口いっぱいに広がる。『メガデス・デニッシュ』という名前らしいこのパンは、名前の刺々しさほどの刺激的な味はしていなかったので少し安心した。

 横では米こそ正義だと日々語る牛込が、「ビミー!!」と叫美ながら仰け反っている。どうやら堕ちてしまったらしい。姿勢を正したと思えば、ツンデレを装ったような発言で花園さんと一緒に沙綾さんへパンのおかわりを頼んでいた。

 

「キミもどんどん食べてね! 男の子はいっぱい食べなきゃ」

 

 次はどのパンを食べようか考えていると、沙綾さんがこちらを向いてそう言った。

 

「ありがとう。お父さんにも美味しかったって、そう伝えておいてね」

 

「もちろん!」

 

 向日葵のような、と言えばいいのか。思わず見惚れてしまうような笑みをこちらへ向けた後、彼女は店の方へと戻ろうとしていた。

 ふわりと、美味しそうな香りが鼻腔をくすぐる。お土産の為とはいえ、半分常連とも言えるほどにヤマブキパンへと足を運んでいたこともあってすっかりここのパンの虜となってしまっていた。

 学校からここへ来るまで走っていたこともあり、少し疲れを感じていたところだ。お腹が鳴る。体が食べ物を求めている証拠だった。

 涎が出そうになるのを我慢して、次のパンへと手を伸ばし――

 

(いやいやいやいや)

 

 ――そうになった手をぐっと抑える。

 パンの美味しさで少し忘れそうになっていたが、あくまでここに来たのは勧誘のためだ。危ないところだった。

 このままだと、なんの収穫も得られないまま沙綾さんが去ってしまうと気づいたのだろう。有咲も慌てて、若干挙動不審気味な戸山さんに声を掛ける。

 肩を叩かれた戸山さんはそれに頷き、意を決したような面持ちで沙綾さんへと話しかけた。

 

 バンドをやりませんか

 

 数回のやり取りを経て、ようやく絞りだしたその言葉に沙綾さんは――

 

「ごめんね、無理なんだ」

 

 机の上に書かれていた、あの日のメッセージと全く同じ返答だった。

 戸山さんは苦い表情で、分かりきっていたその回答を受け止める。受け止めて、何も返すことができなかった。口から出たのは弱々しい返事のみ。

 そんな彼女に対して申し訳なさそうな笑みを零したのもつかの間、明るい声色で別れを告げた沙綾さんは店の中へと入ってしまった。

 

 

 

 

 公園のベンチは重苦しい空気に満ちている。定期的に聞こえてくる溜め息が、彼女達の落ち込み具合を物語っているようだった。

 

(どうする? ここから)

 

 なんて、そんな言葉を口に出せるわけもない。

 応募のこないドラム募集に期待をかけながら、打ち込みでどうにかするか。

 或いはこのまま沙綾さんにアプローチを掛け続けるか。

 この二つしかないのだと、皆わかった上で俯いているのだから。

 

「本当はドラムを叩きたいのに、叩けないって目でした」

 

 そう呟いたのは花園さんだった。

 一緒にバンドがやりたかったが故にクラパと距離をとっていた、そんな彼女の言葉だからこその重み。

 気持ちがわかるのだろう。沙綾さんが『無理』だと答えた時に表情は、どこか引き攣ったものであるように見えたから。

 

「自分、もう一回、頼んでみます!」

 

 事態は停滞して、皆が困っていて。事態の中心にいる少女に、共感できる自分がいる。

 そんな状況で、花園さんがこの提案をするのは当然の流れだった。

 戸山さんが頷く。

 表情は未だ曇ったまま、()()()()()()と言い聞かせるように。花園さんの思いやりに甘えるように。

 

「それは違うでしょ」

 

 ――それに異を唱えたのは有咲だった。

 

「かすみん()今日、言ったんだよね。あの子をもう一回バンドに誘う、って、かすみんは言ってたよね」

 

 有咲は問う。

 断られて、どうしてそのまま引き下がったのか。

 『無理なんだ』といった理由をなぜ聞かなかったのか。

 

(どうして沙綾さんのことを友だちだと思ったのか、ね)

 

「友だちって、相手に与えてもらうものなの?」

 

 『相手が友だちだと言ったから』と、戸山さんの答えはひどく受け身で消極的なものだった。

 双方向のように見えて、その実は一方通行なものであるような。()()()な関係だと、いつの日か有咲が言っていたのを思い出した。

 

「他人同士でなく、コイツ(千葉修斗)のような〝演者とファン〟という関係でもなく、友だちという関係だと思っているなら。あんたは、彼女に向き合わなきゃならない」

 

 寂しがりやで、甘ったれで、存在感がなくて、ただ幸運を待っているような。〝戸山香澄〟はそんな人間なのだと、有咲は言う。そして、それで構わないとも彼女は言う。

 受け身で、消極的でも良い。有咲はそれらを含めて、戸山さんというロックスターの卵を好きになったのだから。

 だけど、今回は別。

 『やりたくてもやれない』悩みを抱えている人間ならば、それは花園さん以上に。

 

(沙綾さんは、かつての戸山さんと同じなんだ)

 

「音楽だけは、それじゃだめでしょ」

 

 彼女は、彼女たちは、音楽を信仰している。

 勇気を、衝撃を、トキメキを。あらゆるものを聴き手に与える、そんなロックスターに憧れている。

 

「あんたはどうだったの?」

 

 諭すように、導くように、煽るように、突き放すように、話し続ける。

 

「歌えるようになったあんたはさ、どう思ったの?」

 

 星の鼓動が聞こえるようになって、最高を与えるために、夢を撃ち抜くために戸山さんは歌う。

 仲間を得た戸山さんにとって、音楽は既に一人きりの信仰に留まらないものとなっていた。

 一人きりから、誰かと共に夢見るものへ。だけど今のままでは、彼女は()()()()()歌えない。

 有咲は言う。戸山さんが感じ、見えるようになり、こうしたいと思ったこと。全部ひっくるめて――

 

「歌にして、歌ってよ」

 

 その歌を愛し、その歌に愛されるような。決意の歌とも呼べるような。戸山さんにとってのスタートとなる、そんな歌を歌えと有咲は言った。

 

「その歌ができるまで、あんたは、蔵に出入り禁止だから」 

 

 静かにそう告げた有咲は、牛込と花園さんを連れて歩いて行った。

 作曲をしなければならないのは戸山さんだけではない。歌ができたら蔵に来いというのが、有咲の最後の言葉だった。

 

「……戸山さん」

 

「千葉、くん」

 

 迷子のような目をしていた。

 誰かと音楽をすること、その喜びを知ったからこそ、梯子を外されて、取り残されてしまったように感じているのかもしれない。

 沙綾さんと有咲という心の拠り所だと思っていた人たちに突き放されたようなものだ。

 彼女は今、独りだ。孤独の中で、自分と、沙綾さんと、音楽と向き合うことを強いられている。

 男としては、慰めの言葉をかけるのが正しいのかもしれない。

 

(でも俺は、戸山さんのファンだから)

 

「戸山さんと沙綾さんの関係性がどうとか、戸山さんの内面がどうとか。俺に言えることは多分ないよね。どこまで行っても俺はファンで、歌うのは戸山さんだ」

 

 ファンだからこそ、俺は言わないといけない。

 

「――戸山さんには、向き合って()()()。無責任だけど……俺は、戸山さんの作った歌が聴きたいから」

 

 思いを伝える。

 

「俺ができるのはサポートくらいだから、何か手伝えることがあったら全力で手伝わせてほしい。有咲には、怒られるかもしれないけど」

 

 俺は、戸山さんを完全に突き放すことなんてできない。それを見越した上で、有咲は俺をここに残したのだろう。

 だけど同時に、俺は有咲に試されているのかもしれない。

 ファンとしてどうするのか。どういう思いで、俺は彼女を支えるのか。

 

「だけど、向き合って、形にして、歌にするのは戸山さんだ」

 

 俺がやるのはあくまで手伝いで、成し遂げるのは戸山さんだ。 

 彼女自身が成し遂げることに意味がある。クサいセリフだが、一つの真実なのかもしれない。

 

「……少し」

 

「うん」

 

「少しだけ、時間が欲しいな」

 

「そっか」

 

 戸山さんの表情は未だ暗いものであったが、先程までに比べれば整理がついたのか、瞳には光が灯っていた。

 数秒の沈黙。これ以上の言葉は蛇足になるだけだと思い、公園を後にした。

 振り返る必要はないと確信していたから、前だけを見て歩き続けた。

 


 

 公園を出てしばらく歩いたところで、有咲が一人で立っていた。

 蔵に向かったものと思っていたから驚き、声をかけようとしたが、まるで涙を堪えるように空を見上げているのを見て何も言い出せない。

 足音でこちらに気づいたのだろう。一つ深呼吸をして、視線をこちらへと向けてきた。

 

「かすみんは?」

 

「少し、時間が欲しいってさ」

 

 肩をすくめてそう話せば、有咲は困ったように笑った。

 

「……荒療治だったんじゃないか」

 

「そうよ。これ以上ないほどに」

 

 先程公園で見た時と違って、不安げな表情を浮かべた少女がそこにいた。

 午後に入ろうとする時間帯。人気はなく、こちらの様子を伺ってくるような通行人の姿は見られなかった。

 ここには俺と有咲しかいない。

 表情を変えないまま、彼女は語り始めた。

 

「初めて会ったときに比べれば別人とも思えるくらいに、かすみんは成長したと思う」

 

 ギターを持っていない時は大人しく臆病で、落ち込むと存在感が消えるところは変わっていない。

 それでも入学当初に比べれば前向きに、活動的になったと断言できる。人を惹きつける、カリスマのようなものも備わってきているように思える。

 そして何より、人前で歌を歌うことに忌避感を覚えなくなった。

 

「だけど、()()()()()()

 

 沙綾さんを誘うこと。誘えないにしても、戸山さん自身が沙綾さんと本当の意味で友達になること。

 歌えるようになったからこそ、改めて自分のこれまでを、自分のこれからを歌にすること。

 これらの壁を乗り越えないと、彼女はバンドを続けていくことはできない。そんな予感がするのだと、有咲は言う。

 

「おたえじゃないけど、あたしって不器用だからさ」

 

「中途半端にやるくらいなら、突き放した方がいいって。かすみんのためだっ、て」

 

 涙を堪えるように、口をきゅっと結んでいた。

 市ヶ谷有咲は臆病な少女だ。学校では相変わらず存在感を消すし、必要以上に他人と関わろうとしない。

 そんな臆病な心を持ちながら、彼女はクラパの精神的支柱とも言える存在だった。戸山さんの背中を叩いて、喝を入れ、前へと歩ませるのは有咲だった。

 だけど今回のやり方は、有咲にとって特に心苦しいものだったのだろう。背中を叩くのではなく、突き放して、戸山さん自身に前へと進ませる。

 戸山さんは有咲を信頼している。「有咲ちゃんはいつも私に優しくしてくれるのだ」と、常日頃から言っていた。

 そしてそれに気付いているであろう有咲が、まるで戸山さんを拒絶するかのように振舞うのだ。戸山さんだけでなく、有咲が辛く感じるのも当然だ。普段見ることのない、ひどく苦しそうな表情だった。

 

「なるほどな」

 

 まだ戸山さんは変わり始めた、走り始めたばかりなのだ。

 だからこそ今日までの、沙綾さんに甘え、励ましてもらうだけの、そんな自分を変えないといけない。

 戸山さんが本当の意味でスタートラインに立つためにはそれが必要だ。

 獅子が我が子を谷に落とすように、自分も彼女を突き放さねばならないと。臆病で不器用な、そして戸山さんのことを人一倍考えているこの少女は、そう考えたのだろう。

 

「有咲」

 

 声を掛ける。

 

「戸山さんは大丈夫だ」

 

 そんな彼女に、自分にできることは一つだけ。

 戸山さんのファンとして、自分の憧れるあの少女(ひと)がどれだけ強いかを語ることだ。

 

「思い出してもみなよ。蔵で歌うことになった時はどうなることかと思ったけど、俺の憧れていた戸山さんはそれを難なく乗り越えたし」

 

「歌と演奏とカリスマと……えっと、忍術で……ともかく! 問題児筆頭の牛込も引き込んだし」

 

「『一緒に音楽《キズナ》を奏でよう』という戸山さんの痺れる一言と、戸山さんを筆頭とした皆の力で、花園さんはクラパ加入を決意した」

 

 語りは続く。

 

「今も彼女は必死に考えて、自分と向き合い続けてる。公園で話した俺が言うんだから間違いない!」

 

 少し大袈裟に言った気がしなくもないが、勢いに任せて言葉を続ける。

 

「大丈夫だ。戸山さんは、きっと乗り越える」

 

「だから有咲は、有咲が今やるべきことをやればいい」

 

 肩の力を抜いて、本当に伝えたいことを口にする。

 

 

「楽しみにしてる。クラパのライブが、俺の生きる活力なんだからさ。頑張れ」

 

 

 そう言って胸を張る。

 『皆が作った曲を聴くのが楽しみだから、頑張って欲しい』と。精一杯のエールを込めて。

 言い切って、少し力が抜けた体には、疲れた感覚と清々しさだけが残っていた。

 目の前で自分の推しの凄さを熱弁して、言い終えて疲れている。そんな俺の姿が面白かったのか、有咲が吹き出した。

 

「自分がファンだからって美化しちゃって。最初だって、少なくとも『難なく』ではなかったでしょ」

 

 やはり大袈裟に言っていたらしい。痛い所を突かれて、変な声が出てしまった。

 そんな姿に呆れたのか、目の前の少女は溜息混じりに笑う。

 いつものように、見慣れた笑みで。

 

「まったく、このファンボーイめ」

 

 そう言って、少し目を赤くした少女がくすりと笑った。

 




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