ヤマブキパンの階段を上り、居住スペースへと足を踏み入れてみれば、『カスミちゃん作業中!』と書かれた張り紙が目に飛び込んできた。
作詞の邪魔をする訳にもいかないので、声は掛けず、メッセージを添えたバスケットを扉の前に置いておく。微かに聞こえたペンを走らせる音へ、胸の中で「頑張れ」と呟いた。
これ以上、自分にできることはないだろう。
蔵にいるメンバー達への差し入れとしてパンを幾つか購入し、ヤマブキパンを後にする。
紙袋を持って出口に立ち、店長さんへと軽く会釈。するとカウンターからひょっこりと顔を出して、「青春を楽しめ、若人よ!」なんて言葉で見送られるものだから、少し気恥しさを覚えたものの、悪い気はしなかった。
蝉の鳴き声を聞きながら、帰路を歩く。
今頃学校では、生徒達が午後の授業を受けている頃だろう。昼休みの時間帯に桂から「サボり?」と一言メールが来ていた。
「良い感じに誤魔化しておいてくれ」と今更返信をしてみれば、「おせーよ。貸し一つな」と返ってきた。持つべきものは良き友人也。
ガサガサと音を鳴らす紙袋を抱えながら、星のシールを追いかける。
頭上に澄み渡る夏空には、太陽が暮れることなく、辺りを照らしながら浮かんでいた。
☆☆☆
辿り着いた蔵のスタジオでは、メンバー達がそれぞれ自前の相棒達を手に、合わせでの練習をしていた。
メトロノームから流れる機械的な音をバックに、有咲はキーボードを、牛込はベースを、花園さんはギターを弾いている。スピーカーから放たれる聴き慣れたメロディ。楽曲は『Yes! BanG_Dream!』だった。
作曲作業に行き詰り、気分転換として曲を合わせていた……と言ったところだろうか。床には作曲用のノートが三冊、開かれた状態で放り出されていた。
サビのフレーズを終えた頃に音が止んだので、メンバー達に差し入れのパンと麦茶を渡すと、一先ず休憩の時間となる。
「私は小麦に屈しない……!」と抵抗の意志を見せた牛込も、数瞬後にはチョココロネを無心で齧る小動物と化していた。華麗なる即落ち二コマである。
「むぐむぐ。それにしても、フロントマンのいない合わせ練習は、やはり物足りぬな」
パンを半分程齧り終えた頃、牛込がそう呟く。表情には不満と、少しの不安が見て取れた。
「それは言わない約束でしょ」
「心配っす……かすみん大丈夫かなぁ……」
咎めるように有咲が返すものの、花園さんも眉を八の字にしながら不安を零した。
不安気な牛込と花園さんを見ながら「まったく」と、有咲がため息混じりで呟いたかと思えば、手に持っていたパンを口いっぱいに頬張り、麦茶で一気に流し込んだ。
「んぐっ、ふぅ……ほーら、暗くならない! 下向くのはこの蔵に来る時だけでいいの!」
目を点にした牛込と花園さんを前に、有咲がむせそうになりながらそう言った。
「今やれることをやるだけよ! 『じゃんぴん・しゃっふる』も『りみりん夏の三三七拍子』も『ルイテキ革命』も、まだまだ完成してないんだから」
「合わせだって、作業詰まったからやってたんでしょ」と、ずいっと顔を二人へと近付けながら有咲が言う。
その言葉に顔を逸らした二人の少女へ追加のパンを差し出せば、有咲に「餌付けしない!」と怒られた。
「で、かすみんはどうだったの?」
「うん。頑張ってるようだったよ」
「そう、よかっ……ん? 〝ようだった〟? 見てきたのよね、様子?」
「いや、沙綾さんの部屋から、戸山さんの唸り声とペンの走る音が聞こえてきたから」
「ナニ!? お主
「入ってねぇ」
「というかここも一応女子の部屋よ」
「知ってた!」
茶々を入れるだけ入れて、牛込は再びチョココロネを齧り始めた。マイペースここに極まれり。
「で、部屋には入ってないんだ」
「パン入りのバスケットにメッセージだけ添えて、ドアの前に置いておいたよ」
面と向かって応援したいは思いはあったが……
「あ〜〜はいはい……うん、おっけー。あんたっていつもそういう感じだもんね」
「知ってた!」
「知ってたっす」
「何が?」
今日も今日とて、「YES信仰、NOタッチ」というファンの絶対戒律を守ったというのに。未だ鳴り止まないメトロノームの音を聞きながら三対のジト目と向かい合っていれば、まるで自分が悪者であるかのように思えてくる。「理不尽甚だしい」と目線を逸らした。
その後、紙袋が空になるまで十数分。各自楽曲制作が難航していることを、お茶汲み係に徹しながら聞いていた。
まず花園さん。
彼女の作曲する『ルイテキ革命』は「涙」と「革命」をキーワードとして、「何度も泣いたその先で、新しい場所へ行くための歌」とのこと。ティアドロップ型のピックを目に当てて、花園さんがそう語っていた。
「ギターソロとAメロはできたんですけど、それ以外が中々……」
次に牛込。
『りみりん夏の三三七拍子』はその名の通り夏をテーマとして、日本の応援で頻繁に用いられる三三七拍子を沢山取り込んだ楽曲となる予定らしい。牛込らしい、気まぐれで少し奇想天外な曲ができる予感。
「進捗ダメです!」
素直でよろしい。
最後に有咲。
『じゃんぴん・しゃっふる』はシャッフルリズムの曲。シャッフルリズムと言えば、以前のライブでも披露していた『デトロイト・ロック・シティ』も同じようなリズムの曲だったなと一人考える。
この曲のテーマは「女子高生の踊り出しちゃうような日常」らしい。跳ねるようなリズムにピッタリのテーマだ。
「二歩進んで一歩戻って、三歩進んだ先で四歩戻るの繰り返しね」
「ベンケー殿。それ即ち進捗が零ということでは」
「うるさいわね」
それぞれがそれぞれの思いを乗せて、楽曲を作っている。三人三色の風景に、戸山さんが輪郭を与えようとしている。
果てしなく思える長途の中、苦悩し、懊悩し、苦悶した末に抽出される黄金の一雫が作品となっていく。
「何かを作る」というのはこういうことなんだなと、彼女達を見ながら考えていた。
ファンとしてはその完成系が今から楽しみだが、作り手からすれば地獄とさえ思える旅路だ。俺にできることと言えば、彼女達が少しでも快適に作曲ができるようにすること。
空いたコップへ麦茶を注いでいれば、「わんこそばみたいっす」と言われた。疲れからか、普段よりツボの浅い有咲がひぃひぃと笑う。人の気遣いをなんだと思っているのか。
……それはそうと、お茶汲みや差し入れ程度でしか役に立てず申し訳ない気持ちもあって。
特等席で彼女たちの活躍を見ることのできる、その体験への対価をいつか払えるようになりたいと。そんな思いをより一層強めた。
いつでも零さず飲めるようにと、麦茶を詰めたペットボトルをメンバーに渡し、いざ作曲再開と、各自が愛機と定める楽器を手にした所で――
「皆、できたよ――!!!」
トクン、と星の鼓動が聞こえた気がした。
☆☆☆
蔵に駆け込んできた戸山さんは、息を切らしながら、この場にいる者達へ歌詞を見せた。
曲名は『STAR BEAT!〜ホシノコドウ〜』。
今を始めて明日へと走るために、大切に抱えていた昨日までへさよならを告げる、悲しくも優しい決意の歌。
文句なしの、最高の歌がそこにあった。
「ありがとうございます……」
「この人はなんで感謝してるんすか」
「そういう生き物なの。放っておきなさい」
少し取り乱してしまった。
「ん゛んっ。それで、これを完成させて沙綾さんに聴かせたいんだっけ」
戸山さんが開いたノートには、歌詞の他にコードを印した構成表も記されていた。
コード進行、テンポ、演奏のイメージといったものを、口頭での説明と実演によってメンバー間で共有する。
少し早めのテンポで、基本的には4コードを繰り返す構成。夏の夜空に浮かぶ、煌めく星々を思わせるような演奏。
STAR BEATを形づくるための要素を戸山さんは語った。
「私、この曲を沙綾ちゃんに聴いてもらいたい……! いつでも聴いてもらえるように、早く合わせてみたい!」
ぎゅっと拳を握って、戸山さんが目を輝かせる。
ここへ帰ってくる前に、「いつでもいいから蔵に来て」と沙綾さんに頼んだとのこと。
素晴らしく、尊重したい彼女の意気込みだが……メンバーの反応は、少々苦々しいものだった。
こめかみを抑える有咲に代わり、心苦しいが、彼女に大事な質問を投げかけることにした。
「戸山さん。沙綾さんがここに来てくれるって話だったけど……」
「? うん」
「沙綾さんって、ここまでのルートは知ってるの……?」
「……………あっ」
「かすみん……」
「師匠、それは来ないだろう」
「来ないと思うっす。来るわけないっす」
ボコボコであった。戸山さんは半泣きである。
「……まぁ、曲を仕上げるのにも時間はいるだろうから、出来上がったものを、また改めて持っていけばいいんじゃないかな」
目尻に涙滴を浮かべる戸山さんにそう語り掛けた。
曲を仕上げるのに時間が必要であることは、先刻まで作曲作業に頭を抱えていた戸山さん以外の三人を見ていたこともあって容易に察することができる。
「そうね。じっくり曲を仕上げて、また、あたし達から会いに行こうよ」
牛込と花園さんも有咲の意見に同意とのことで、首を縦に振っていた。『今自分にできることを』と、戸山さんも乗り気のようだ。
「それにしても、完全に手探りな状態ね」
白いキーボードが、幻想的なピアノサウンドを奏でる。
「こういうのもいいっすね! ロックって感じがするっす!」
青いギターが唸りを上げる。
「ウムム……我ながら天才的なベースパターン。うちったら天才ね!」
桃色のベースが空気を震わせる。
「うん……うん……!」
真っ赤な星のギターが、宇宙を作る。
作曲作業は進む。望遠鏡を覗き込んで、星々を観測するように。
俺を含めて、この中の誰も音楽理論を知らない。
定石も分からないまま手探りで、拙く、青臭く、どこまでも単純で純粋な音楽。
傍で眺めていれば、戸山さんを中心に、クラパの皆が見ている光景が、目と耳を通じて、自分の中にも広がっていく感覚があった。
(あぁ……良いな)
Aメロから少しずつ、
作曲作業は進む。観測した星へ、天文学者が名前を付けるように。
段々と、音楽が形を成していく。
(だからこそ、凄く
この音楽には、星の
最後の1ピース、それが何処にあるのか。ここにいる誰もが言わずとも理解していた。
(クラパの皆は、いつでも彼女を迎えられるようにと、その音楽を形にすることを選んだ)
なら俺は、千葉修斗は何をすべきなのだろう。
何もできない、何でもない、ただのファンの自分には何ができるのだろうか。
「……ごめん、ちょっと出てくる!」
蔵を飛び出す。
夏の夜は少し肌寒く、昼間の暑苦しさを忘れさせるようだった。
「ヤマブキパンまでの道は……」
ここ最近で見慣れた道を、小走りで逆行する。
自分の行いに何の意味があるのか。そんなことは分からないけど。胸に発露したこの感情は、ちゃんと伝えるべきだと。いつかの自分がそう言っているような気がして。
月の光が反射して、蔵への道を指し示すマスキングテープがキラリと光る。
「あれ、キミは」
まだ聞き慣れない、これから聞き慣れていきたい声が耳朶を打った。
「沙綾さん……?」
「お昼過ぎ以来だね〜」
走ってきたのか、少し髪の崩れた沙綾さんがそこにいた。
「なんでここに……もしかして、蔵への道って」
「うん、知ってる」
崩れた髪を整えながら、彼女は言葉を続ける。
「知ってるんだ。彼女達のこれまでも全部。香澄ちゃんが机に書いてくれていたから」
「道案内しに来てくれたのかな? ありがとう」と、そう言って天使のように笑った。
「そっ、か。それなら……良かったぁ」
沙綾さんの笑みを見て、思わず力が抜ける。自分が思っていたより気を張っていたらしい。
「……大丈夫?」
「ごめんごめん、大丈夫。それで、ここまで来てくれたってことは」
「うん。その、大体キミが考えている通りだと思う」
より力が抜けた。
「本当に大丈夫!?」
「大丈夫大丈夫……」
勝手な勘違いでなければ、彼女はこのまま戸山さん達とバンドをしてくれるように思えた。
目の前の、未来への期待を帯びた瞳を見れば、「無理なんだ」と悲しげに答えた時の沙綾さんはもういないのだと、なんとなくわかったから。
(……うん。こうなれば、自分の出る幕は……まぁ無いよな)
あくまでファン。演者を客席から応援する存在にできることは少ない。自分が何も伝えずとも、このまま万事上手くいくとは思う。
『後悔のないよう青春を謳歌しなさい。それが、若者の義務と特権だよ』
だからこそ、伝えておくべきだと思った。
「沙綾さん」
姿勢を正して、沙綾さんの赤みがかった瞳を見つめる。
まるで今から告白でもするような雰囲気だ。捉え方次第では告白とも言えるかもしれない。
春の、まだ戸山さんとの関係がギクシャクしていた時。
彼女がまだ有咲にも、ランダムスターにも出会っておらず、何も始まっていなかった孤独な時期から、沙綾さんはずっと、戸山さんに寄り添っていてくれた。
「ずっと、戸山さんを支えてきてくれてありがとう」
例えそれが『いびつな関係』だったとしても、その事に戸山さんはどれだけ救われていたのだろう。
「戸山さんのバンドに入ってくれたらもちろん嬉しいけど……入っても、入らなくても、これから先も、陰ながら応援しています」
高校入学からずっと、机越しに戸山さんを支えていた貴女に。 今まさに、走り始めようとしている貴女に。
脈絡もなく、あまりにも不格好だけど、感謝と憧憬を込めた、心からのエールを送りたいと思ったから。
頭を下げて、精一杯の思いを彼女に伝える。
「……えっと、卒業生へのメッセージ?」
「いきなり終わらないで」
「じゃあ、告白?」
「……違います」
「本当にー?」と言って、沙綾さんが笑う。
言い切ってから、自分の勢い任せな行動に顔が赤くなる思いだったが、沙綾さんが笑ってくれたおかげで少し救われた。
「……変なこと言ってごめん。道はわかってるかもしれないけど暗いし、良かったら蔵まで案内を――」
「うーん、なんだか昔バンドやってた頃思い出すなぁ。懐かしい……そうだね。じゃあ、ファンサしちゃうか」
「?」
「えい」
まるで握手会のように、ぎゅっと手を握られた。
「!?」
「ありがとう! ファン第一号なんだから、陰じゃなくてちゃんと日向で応援してね!」
小悪魔チックにウィンクしながらそう言った沙綾さんは、特大級のファンサービスを叩きつけてきた。
「よし、それじゃあ案内を……ってあれ、おーい。千葉くん? 大丈夫?」
「………………だ、大丈夫」
何とか平静を保ったまま返答しようとしてみれば、声を少し上擦らせてしまう。我ながら耐性が低い。
……いや、あのファンサは知り合ったばかりの男子に向けていいものじゃない。
恐ろしい
「じゃ、案内お願いね! ファン1号君♪」
「戸山さんのファンだから! あくまで俺は……!」
ニヤついた表情でからかってくる沙綾さんから視線を外して、蔵への道を歩く。背信行為はしていないと心中で弁明しつつ。
……送った言葉に後悔はない。
言葉を送ることなく過ぎ去ってしまった、遠いあの日を繰り返したくなかったから。この感謝とエールは、例え不格好でも、素直に伝えておきたかった。
「沙綾さん」
「どうしたの?」
「戸山さんを、これからもよろしくお願いします」
「保護者みたいだね……勿論だよ。だけど」
「だけど?」
「ファンのキミは、ちゃんと傍で支えてあげてね」
「勿論」と返せば、少し安心したように、優しい顔で彼女は笑った。
良いお年を。
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