第一章 高校教師ペルソナ殺人事件 その一
二〇一二年 六月
朝の七時ごろ。間薙進は欠伸をしながら家路についていた。進は徹夜で仕事をしていた帰りである。
一見ただの大学生である彼が一晩中仕事していた、と言えば普通なら二十四時間営業のコンビニや早朝まで営業している飲食店を想像するだろう。しかし彼は違った。進の職業は『(悪魔召喚師〈デビルサマナー〉』である。
デビルサマナーとは悪魔の仲間即ち『仲魔』を使い、悪魔と戦い、また悪魔の絡む事件の解決を行う人間である。この場合悪魔とは普通の生き物ではない超常の存在ほぼすべてを指す。つまり悪魔召喚師が悪魔と言えば神や天使、妖怪や精霊も含まれる。
この晩、進は異界――現界と魔界の狭間となる場所であり悪魔の出現スポットと言える――が古い神社に発生した為、その対処を依頼され完遂していた。どうやら強力な悪魔が核となり発生したものだったが彼のデビルサマナーの実力であれば対処可能だったようだ。
◇
進の家は閑静な住宅地にあるので駅のある町の中心部とは逆の方角である。したがって早朝である現時刻の普段の様子ならば彼はサラリーマンや学生すれ違う形となる。しかし、この日はいつもと違った。様々な人間が普段とは別の方向に向かって居るのだ。進は気になったのでその流れに乗ってみることにした。すると一軒の家に人だかりができていた。それもかなり騒がしい。
野次馬の声に耳を傾けると「おい、なにがあったんだ?」「殺人ですって」「まぁ怖い」「このあたりも物騒になったなぁ」「はい! 下がって!下がって!」などという声が聞こえてくあたり、どうやらこの家で殺人事件があったらしい。確かによく見ると警察や報道関係者も見られる。しかし野次馬も多くそれ以上の詳しい様子を窺うことができない。もしかしたら知り合いの刑事がいるかもしれないと思い少し探してみたが、野次馬の多いこの状況では見つけ出すのは困難だろう。
「殺人事件か……。普通の事件かな? ま、ずっとここにいてもこれ以上の情報も手に入らねぇだろうな。眠ぃし、帰るか」
進は小声でそう呟くと事件現場に背を向け帰途に戻った。客観的に見れば自分の住む住宅街で殺人事件が起きたと聞いたとしては薄い反応ではあるが、このまま現場にいても何も情報は得られずに終わり、警察発表や報道で詳細を待つことになるだろう。それに今は何より眠い。
進はその場から離れ、再び帰途につく。
◇
「今日は学校が休みで良かった」
進は欠伸してそう呟く。流石にそこまで激しくなかったとはいえ、悪魔との戦闘が有った後に授業を受ける気にはなれない。大学三年生ともなると時間にかなりの余裕が出来るものだ。
そしてある家の前で歩みを止める。住宅地にある二階建て一軒家。そこが進の家である。もともとは家族と住んでいたのだが彼が高校一年のとき、とある事故、いや事件で亡くなった。それは彼がデビルサマナーになるきっかけとなった事件でもあった。そして彼は大学生になった今もその家に住んでいる。
進は玄関を中に入り明るい口調でこう言った。
「ただいま」
すると中から人形を思わせるような美少女が出てきて返す。
「お帰りなさいませ。マスター。」
いわゆるメイド服を着ている彼女は進をマスターと呼び、迎え入れる。
「ただいま、エルマ。何か変わったことは?」
進は家のなかに入り、少女に尋ねる。
「はい、マスター。何もございませんでした」
エルマと呼ばれた少女は進の問いかけに答える。
「そうか、朝飯の用意をしてもらえるか? 仕事終わってから何も食べてないんだ」
「すでにご用意は出来ております。ご入浴の用意も出来ておりますが」
「おお、流石。じゃ、飯食って風呂入って寝るか」
そう言って進は二階にある自身の部屋に荷物を置きにいった。
エルマ。進の家で留守番していた彼女は人間ではない。見た目は一六、七歳の少女である彼女は造魔、つまり人工的に造られた悪魔である。彼女が家で留守番をしていたのは、進が「家に帰っても誰も居ないのは精神的に辛い」と言って、よほど難しい仕事でもない限り家にいてもらっているからだ。その際、ある程度の家事も教えているので家政婦じみたこともやってもらっている。ちなみになぜエルマがメイド服なのは、とある人物に「家事をお手伝いする女性ならコレ!」と吹きこまれたからであるである。もっとも、進も彼女を造ってくれた人物も造魔にメイドをさせていているので何も問題はないようだ。
進はエルマの用意してくれた朝食を摂りながら朝のニュース番組に目を通す。近所で起きた事件についての詳細が気になったからだ。被害者は三十代後半の秋吉幹彦という市内の公立高校に務める男性教師であり、自室で亡くなっていたらしい。 昨晩、その男性の妻は子供を連れて遊びに行っていたらしく、昨晩帰宅したときに発見されたようだ。現状、ニュースでわかったのはそれだけだ。
進はテレビを消した。彼にとっては近所で起きた事件というだけの興味しかなかったようだ。
朝食も終わり、その後風呂に入って疲れを癒し、依頼達成の簡単な報告を依頼元に行い、仮眠を取ろうとした頃には九時過ぎだった。進はその日の予定が特にないことを確認したあと、彼の寝室で床に入った。
◇
もうお昼時も過ぎた頃だろうか。二階にある寝室で寝ていた進は下のほうから妙な騒がしさを感じ、それを確かめるべく一階に降りていった。
「なんでいるんですか? 米山さん」
進は一階のリビングでエルマとともに少し遅れた昼食を摂っていた女性――米山遥香に尋ねた。
「あら、起きてきたの。ちょっと仕事で近くにきたから……」
「仕事って……あぁ」
進はその仕事の内容について尋ねようとしたが、途中で気がついた。近所で起きた事件についてだろう。米山の職業は刑事である。捜査のためにこの辺に来てもなんらおかしくはない。もっとも、朝の現場には居なかったらしいが。
進の家族は交通事故――もっともその原因は悪魔が関わっていたため正確には事件だが――で亡くなった。事故の唯一の生き残りだった彼を当時、交通部に所属していた米山がよく気に掛けてくれていた。その後、頼れる親戚もおらず天涯孤独の身になってしまった進の家に様子を見にしばしば訪ねてきていた。 米山は過去に何か有ったらしく悪魔の存在、そしてその存在と相対するデビルサマナーという職業を知っていた。彼女は、少し歳の離れた弟のような感情を感じている進がそんな危険な世界に身を置くことをあまり快く思っていないが、その力を正しいことに使うなら構わない、と思っている。そんなわけで彼女は警察官でありながらしばしば進に事件解決を依頼することもある。
「で、それが何故ウチでお昼御飯食べている理由になるんですか?」
進は米山に更に尋ねた。よく見たら米山の相棒の村田もいる。申し訳なさそうに炒飯を食べているメガネの若い男性だ。
「聴きこみをしていたら、お腹が空いちゃってね。ここが近くだったから寄らせてもらったのよ。エルマちゃんまた腕上げたわねぇ」
「すいません、僕も頂いちゃって……」
村田も言葉を返す。
エルマに取って米山は家事全般を教えてもらった恩人の一人――もっとも、エルマにメイド服を着させたのも彼女だが――である。当然、全幅の信頼を置いており、米山の来訪が日常茶飯事となっている現状では進を起こすまでもない、とエルマは判断したのだろう。更に言うならば進の携帯に不在着信とメールが入っていたので、それを確認していなかった、進の方に非があるだろう。
「ま、ある程度の家のことはエルマにも任せてあります。エルマが招き入れて用意してくれたならいいですよ。俺もちょっと仕事が変則的な時間でして、こんな時間まで寝ていたわけだし……」
進がそう言うと村田は「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べた。ちなみに米山はエルマが造魔であることを知っているが村田は知らない。米山は村田に対してエルマは進の従姉妹で、イギリス人と結婚した彼の叔母の娘であり日本に留学中で、家族を失った進の家にホームステイしている、と説明している。エルマがメイド服なのは米山が着させたら似合ったからだろうと村山は認識しているようだ。
「いつも悪いわね」
「そう思うならこうやってご飯たかりに来る日を減らしてください」
米山には辛辣な言葉を渡す。なぜなら「以前自分が担当した事故の生存者がまだ子供で天涯孤独の身になってしまった為、事故処理が終わってからも気にかけて様子を見に行く」と言えば聞こえはいいが、実際のところはほとんどが今回のように食事をたかりにきたり、夜遅くもしくは徹夜あけで寝かせてくれというモノだったり、はたまた事件に悪魔が関わっていないかの確認しに来て、あまつさえ解決を依頼するなどといったものばかりである
「で、どんな事件なんです?」と、進は話題を変えた。
「進くんは一応、一般人だから報道関係者に発表していることしか話せないけど、いい?」
米山が答える。一対一ならともかく村田の前なので話せないことのほうが多いのだろう。
「あー、ならいいです。朝のニュースは見たんで」と進は返答する。
「間薙さんは何か昨晩この辺で変わった事とかは?」
続けて、村田が尋ねる。
「昨日の夜は一晩中仕事でしたからわかりませんねぇ。昨日の夜はエルマが留守番でしたからそっちに尋ねては?」
「私もここ数日の変化はわかりません」
進が答えた後、台所で片付けをしていたであろう、エルマもリビングにやってきて答える。
「そう。早いとこ解決するようにはするから、なんかわかったら連絡頂戴」
「あ、申し訳ないんですがお手洗い借りてもいいですか?」
村田がふと尋ねる。
「ああ、いいですよ。廊下出て右のところにあります」
リビングの扉の前にたって話していた進は指をさして伝えた。そして村田は再び感謝の言葉を述べ進の横を通り、進の指さした方へ向かった。
「村田が席を外したから言えるんだけど……」
米山が急に雰囲気を変えて口を開いた。
「今回の事件、結構面倒になりそうなのよ」
「と、言いますと?」
進も態度を固くし、更に話を聞こうとする。
「遺体の状況が明らかに異質なの。遺体は巨大な杭のようなもので身体に大穴を開けられていて、それが直接の死因にもなっているんだけど、凶器は未だ特定できないし、普通そういう殺され方されたら争った形跡が残るはずなのに無いの。自殺にしては無理がありすぎるし……」
「なるほど。でも、それをなんで俺に?」
「いやぁね。悪魔を仕業じゃないなぁって……」
「良くないですよ、その考え。一般人が悪魔の被害に遭遇するなんて、『偶々乗った飛行機がハイジャックされる』より低い確率なんですから」
「それもそうね。気をつけるわ。でも、勘だけど凄く嫌な予感がするのよねぇ……」
そんな会話をしている内に、村田がトイレから戻ってくる。
「米山さん。そろそろいきませんか?」
「そうね。進くん、エルマちゃん。ありがとうね」
米山は進とエルマに礼を言い、再び捜査に戻っていく。
◇
進は米山と村田を見送った後、再び床につこうとした直後、彼の携帯に連絡が入る。表示されている名前は真田明彦。自分と同い年の似たような仕事をしている男だ。
真田明彦。自身の中にある『もう一人の自分』を具現化し、己を護る能力にする『ペルソナ』を扱うペルソナ使いであり、悪魔と似て異なる人の心の闇から生まれた怪物『シャドウ』と戦う組織、シャドウワーカーに所属している男である。
「もしもし。仕事なら紹介せんぞ」
安眠を妨害された進は不快感を隠さず電話にでる。
真田は何故か力を貪欲に求め、しばしば海外に武者修行に行く。そして路銀が尽きればシャドウワーカー以外にも個人でデビルサマナー達に混じって依頼をこなしている。そしてその仲介みたいなことを行なっているのが進なのだ。
「いや違う。むしろ逆だ。ちょっと手伝ってほしいことがある」
「なんだ? シャドウワーカー絡みか?」
「そうだ。桐条の研究機関でヤバイ薬が盗まれた」
「じゃ、お前らの仕事だろ。確かに俺はヤタガラスと懇意だから動きやすいが、お前らもお前らで警察機構と協力してんだろ? 盗難ならそっちを頼れよ」
ヤタガラスとは日本を霊的に守護する、超国家機関の事である。進は所属こそしていないが、普段そこから依頼を受けることが多く、一応の信頼は置かれている。
「盗まれたものがやばすぎる。一種の幻覚剤なんだが魔術的な力も持っている」
「それがなんだ。確かに問題多有りだが、それが魔術的なものなら裏じゃ一般的だし、それが盗まれたのはそちらの落ち度だろう?」
別に進は協力を嫌がっているわけではない。進は様々な組織から信用はされているが、巨大な組織に所属しているわけではない。悪魔がはびこる裏の世界でそういう生き方をしている以上、善意や好奇心だけで行動に移すことに慎重なだけである。
「……それが人間のシャドウを強制的に幻覚として引きずり出す為の薬だったしても?」
「はぁ!? なんでそんなもんが!?」
進はその言葉を聞き、飛び起きる。
「以前、桐条グループの持つエルゴ研で人工ペルソナ使いの研究がされていたのは知っているな」
「ああ。それで生まれた人工ペルソナ使いがストレガと名乗って復讐代行したり、ニュクス教とかいうカルト組織を作っていたりしたこともあるのは聞いたよ」
進は嫌味を込めて言葉を返す。
「なら話は早い。その薬は人工ペルソナ使いの研究の過程で生み出された薬だ。服用するとその人物の前に自らのシャドウが、幻覚となって現れるらしい。勿論、そのシャドウを受け入れることが出来れば、それは只の幻覚からペルソナへと昇華する」
進はそれを聞いて大きな溜息一つ入れ再び口を開く
「なんてもんを後生大事持ってんだよ……。そんなん出回ったら碌な事にならんぞ……」
「ああ。自らのシャドウを受け入れてペルソナに変化させるという正確な手順を踏んでペルソナを生み出すわけだから、人工ペルソナ使いを直接作るより確実では無いが、能力自体は安定したペルソナ使いを生み出せる。もし、それが裏に出回ったら……」
「そうしたらなかなか面倒なことになるな……。わかった、正式な依頼という扱いになるが、それでいいか?」
「ああ。構わない。引き受けてくれるなら、一度こっちに来てくれ。桐条の方でお前の家に迎えを出してもらうから」
「いや、いい。一度、ヤタガラスっていうか葛葉に話を通したい。もし大事になったときに保険でな。それぐらい構わないだろう?」
「ああ。頼む、と言いたいところだが……」
「ま、保険だ、只の保険。下手に隠蔽したほうが良くない場合も有るし、な。今日中にシャドウワーカーに顔を出すよ。じゃ、あとで」
「わかった」
電話を切った進は、ベッドから降りて着替え出す。
「俺、今週学校行けるかなぁ……」
◇
東京都新宿区神楽坂。そこにある葛葉探偵事務所。進はそこに訪れていた。
「来たね。残念だけど、マダムはまだ到着していないんだ」
進を出迎えた探偵、葛葉ライドウは進の目的の人物、マダム銀子の不在を伝える。
葛葉――クズノハとは平安時代より魔を使役し裏から日本を守ってきた一門のことである。襲名制を取っており、葛葉ライドウは葛葉一門の中でも特に高い能力を持った葛葉四天王の一人である。進が会ったライドウは十六代目に当たる。彼がマダムと言った人物は葛葉のお目付け役であるマダム銀子のことだ。葛葉の中でもかなりの重鎮である。
「こんにちは、ライドウさん。じゃあ言付けだけでもお願いしようかな」
「いや、その必要はないだろう。彼奴はもうすぐ来る」
事務所にあるデスクの上で寝ていた黒猫『ゴウト』は進に目的の人物の来訪がすぐであることを伝える。
ゴウト、即ち業斗童子は本来、葛葉一派の禁忌を犯した人間が戒めとして一定期間その姿にされた一種の刑罰を受けた存在であり、各地のデビルサマナーの所へサポート兼従者として派遣されている。ライドウに付き従うゴウトは黒猫の姿をしており、少しでも異能の力を持つものならばその言葉を理解することが出来る。
そしてライドウの座る椅子の横で伏せていたハスキー犬、『パスカル』も新たな来客に気がついたようだ。
「あら、シン君。もう来ていたのね」
そう言って現れたのは紫に狐の刺繍の入った着物を着た美しい女性――マダム銀子だ。しかし、裏ではかなり高齢の男性だという噂もある。
「で、今日はどうしたのかしら?」
進、ライドウ、銀子は来客用ソファに座り、話を切り出す。
「簡単に言うとシャドウワーカーの方で問題が発生したようです」
「なるほどね。確か君はシャドウワーカーの真田くんと知り合いだったね」
ライドウが答える。
「それで葛葉に依頼を?」
「いいえ。今のところ、仕事の依頼があるのは俺だけです。但し……」
「それが解決するまでは、こちらの依頼は受けられない、というわけね」
銀子が進は言わんとする事を察したようだ。
「ええ。それに結構面倒な、最悪悪魔召喚プログラムが出回るぐらいのことになりかねない案件で、万が一のことがあったら助けを出して貰えないですか?」
「解ったわ。その時は葛葉もバックアップに回ってあげる。で、どんな内容なの?」
「詳しい話はこれから聞きに行く予定ですが、どうやら人工的にペルソナを作る薬が盗難されたようです」
「なるほど……。確かにそれは不味いことになりそうね」
銀子は何か思案している。しかしその表情は困惑ではなく、儲け話を聞いた商人の胸算用と言った感じだ。
「ライドウ!」
銀子はライドウを自分の近くに呼び寄せる。
「はい」
銀子はライドウに耳打ちして何か指示を出したようだ。そしてライドウは事務所のデスクにある固定電話で何処かに電話をかけ始めた。
「何かあったらすぐに連絡して頂戴。公安にはこちらで目をつけるから手出し無用と圧力を賭けておくわ。シャドウワーカーは公安に目をつけられているものね」
「お願いします。では、俺は桐条財閥のほうに向かいます」
「そう。シャドウワーカーによろしく、進くん」
進は銀子の言葉にしていない分の意思を察したようだ。そして彼は事務所を出て、本来の目的地である桐条グループ本社へと向かった。
◇
「よろしかったのですか?」
進の運転する車の助席に座るエルマは進に尋ねる。ちなみに進が運転する車は彼の所有車であり、黒のミニバンである。
「ん? 車で向かうこと? 大丈夫だよ、さっき真田にも連絡入れたし、この車一台止める分の余裕ぐらいあるだろ」
「いえ、そうじゃありません。何故、シャドウワーカーの依頼をクズノハに報告したのですか?」
エルマは不思議そうに進を見る。進は決して余所見をせず、答える。
「ああ。それね。まぁいくつか理由があるんだけど、まず、大っぴらにいっているのは万が一の時の保険だね」
「保険?」
「そう。物が物だけにね。それにシャドウワーカーは発足して二年と若い組織だ。いくら警視庁と協力しているとはいえ、一連のシャドウ事件の元凶として公安に目をつけられている。こういう事件を取り扱うのは公安零課だが、はっきり言ってヤタガラスの方が力関係は上だ、だからヤタガラスと葛葉がバックアップに回れば『俺達が監視するから手出し無用!』と喧伝出来る。」
「では、何故それを葛葉はすぐに了承したのでしょうか?」
「ヤタガラスは第二次大戦後の旧日本軍の解体から慢性的人手不足だ。特にペルソナ使い方面の層が薄い。今回のことでシャドウワーカーに恩を売れば少しぐらいの繋がり持てるだろう。いや、下手したら『シャドウを引き摺り出す薬』でペルソナ使いが生まれたらヤタガラスで抱え込もうとするくらいの狡猾さもあるだろうよ」
進はそこに「『シャドウワーカーによろしく』ってのは、そういう意味もあるんだろうよ」とも付け加える。
「じゃあ、マスターはよろしいので?」
「何が?」
「仮にも真田様はマスターを信頼して、ご連絡なさったのに断わりを入れているとはいえ、別組織に報告することで信用を落とすようなことに……」
「何? 心配してくれてんの?」
「当然です! このエルマの一番はマスターの身の安全です! わざわざ敵を作るようなこと……」
「大丈夫だよ。はっきり言って今の彼奴等だけじゃ綺麗サッパリ解決は難しいだろうよ。あいつらは上手く隠しているつもりようだけど、明らかに八十稲羽で何か有った、いや今も有るのは明らかだ。恐らくそれに今も手が取られているだろうし、この事件もその隙を狙われたんだろうよ。それに……」
「それに?」
「動いているのが、シャドウワーカーと俺だけとは思えねぇんだよなぁ」
そう進は苦笑いで答える。
◆
「明彦。何故、あの男を呼んだんだ? この一件は出来れば我々の中でで解決したかったのだが?」
桐条グループにある一室で若き女総帥である桐条美鶴は、もっとも付き合いの長い仲間である真田明彦に尋ねる。
「森谷のやつがいくつかの麻薬のブローカーに売り渡した以上そうも言って居られないだろう。それに未だ、八十稲羽に駐留してもらっているアイギスを呼び戻すわけにもいかないし、この事件に中学生の天田を関わらせるわけにもいかない」
明彦は「当然の処置だ」と言いたげだ。
「だが、あの男はヤタガラスや葛葉と関わりが深い。下手に介入させて我々の立場が危うくなるのは避けたい」
美鶴の言いたいことを明彦はよく理解している。彼女はシャドウワーカーの部隊長である前に桐条グループのトップなのだ。彼女に何かあればそれはそのまま桐条グループの危機になりかねない。しかし、問題の解決より保身を図ろうとした彼女の行動には納得がいかなかった。
「美鶴。こうなった以上、立場だとか言っている余裕もないだろう? 確かにこの前のラビリスや八十稲羽でのことで、これ以上の不祥事は隠したいのは解る。だが、昔のお前なら……」
「こういう時は俺のために争うな、とでも言っておけばいいのか?」
美鶴、明彦の両名は扉の方を見る。そこにいたのは、件の男である進だった。そこで明彦は自分が、進が受付に来たら直接この部屋に通すように伝えていたのを思い出した。
「わざわざすまない、間薙」
そう言って明彦は進を出迎える。
「ああ、構わねぇが、桐条さんのほうはあまり歓迎してくれなそうだな」
そう言われても臆することなく、美鶴は進に尋ねる。
「早速だが間薙。葛葉はなんと言っていた?」
「公安には『シャドウワーカーはヤタガラスが監視を置くから手出し無用だ』って言って置くそうだ」
「つまり公安に対する心配は要らないと?」
「そうだ。ま、これでできた借りはちゃんと返しておけよ。とにかく、これで少しはお前らも動きやすくなるだろう」
「だ、そうだ美鶴。こいつを呼んどいてよかっただろう?」
「……まぁいい。他の隊員はもう調査に出回っている。可能ならすぐに動いて貰いたい」
美鶴は特に何かを言い返すでもなく、進に状況の説明を始める。
「盗まれた薬はPEAという錠剤だ。本来は精神高揚剤として研究していたが私の祖父が転化させたのだ。だから、あの薬は表向き医療研究用として桐条傘下の製薬会社で保存していた。犯人は内部の人間だからな。すでに捕まえてある」
「おい。じゃあ、なんで俺を呼んだんだ?」
進は少し拍子抜けした様子で尋ねる。
「そいつ、森谷と言うんだがすでに麻薬のブローカーに売り渡したらしい」
明彦が補足する。
「それを回収するのが、俺の仕事って訳か……」
進は頭を抱える。無理も無いだろう。敵対企業に産業スパイとして横流ししたのならセベク社などの桐条グループの敵対企業を調べれば良いが、麻薬ブローカーだと一気に対象が広がるため調査が難しくなる。だからシャドウワーカーの面々では純粋な手数が足りない。
「そうだ。君には平崎周辺の調査をお願いしたい」
美鶴が進にそう告げる。
「平崎? 確かに俺の地元だが、あのへんは『葛葉キョウジ』の管轄のはずだ。なにかあれば葛葉が動いていると思うが?」
「だからだ。奴はいくつかのブローカーに売り渡している。そのほとんどが首都圏を中心に回っていて、平崎にも出没していた。お前に頼むなら土地勘もありキョウジと面識のあるお前に行ってもらった方がいいだろうと俺達は判断した」
明彦が進の疑問に答える。
「……キョウジもそうだけどスケロクと鉢合わせなきゃいいが……。仕方ない、わかった。で、報酬は?」
「経費別で百でどうだ?」
進は何か考え込んだようだが、顔を上げ答えを返した。
「良いだろう。資料をくれ。すぐに動く」
進は立ち上がる。
「頼む。出来れば、我々の名前を出さないようにしてくれ」
そう言って美鶴は進に書類を渡す。そして進は「依頼人の希望の答えるのが仕事だ」とだけ言い、部屋を出る。
「さて、じゃあ。俺も調査に戻る」
そう言って明彦も部屋をでようとする。
「待て。明彦」
「なんだ?」
「お前のその格好で行くのか?」
――現在の真田明彦の服装。ジーパンに前を開けた革ジャン『のみ』。
「ああ」
「そ、そうか」