黒龍伝説 ~The Legend of Fatalis〜 作:ゼロん
「おぉ……あれは、間違いない。『老山龍』じゃな」
白ひげをあごに蓄えた老人……ツベルシタイン博士は望遠鏡を覗き込み、そうつぶやいた。
「……非常に興味深い。あやつの生態はまだ解明されておらんが、普段は地中深くに潜っておるとの報告であったのぅ……」
俺は現在、この国で最高の頭脳を持つ博士と共にシュレイド城の中でも一番高い塔にいる。シュレイド砦から届いた最後の報告通り、巨竜もとい『老山龍』がシュレイド城に向かって一直線に迫っている。
俺が騎士団に入ってからもう三年だ。今まで多くのモンスターを討伐、撃退してきた。『老山龍』ではなくとも、別の古龍『
それ以前からも王国の末端として、襲撃してくるモンスターを目撃してきた。
「なんてでかさだ……こんなに離れているのにはっきりとヤツの姿が見える」
だが今回のモンスターは完全に規格外だった。
生まれてこの方、あんなにでかい古龍は見たことがない。まるで山そのものが意思を持って動いているかのようだ。
「ふむ、『老山龍』ではちと呼び方が固いのぉ。そうじゃの……東洋の言葉にちなんで、『ラオシャンロン』と名づけよう!」
それにしてもえらく研究熱心な爺さんだ。『老山龍』の足音がここまで届いているというのに。嬉々として名づけ親になっている。
「言ってる場合ではありませんよ、ツベルシタイン博士。あの巨竜……ラオシャンロンに対する策を我々は考えなければならないのです」
「……冷酷なことを言うようじゃが、無理じゃ」
ツベルシタイン博士は俺に冷たく絶望的な一言を言い放った。
「大自然そのものをねじ伏せようなどと……実に愚かに等しい考えじゃ。早くおぬしらも避難したほうがいい」
「我々にこの城を……王国を見捨てろと言うのですか!?」
「そのほうが賢明じゃ。これ以上死人を出したくなければ……の」
最もだ。博士の言うことは正論だ。俺だってあんな化け物に勝てる自信なんて全くない。これ以上死人なんて増やしたくない。たとえ死ぬ覚悟ができている騎士団でもだ。
『うわぁぁぁぁぁぁぁッッ!! ……ぁぁ」
ガブラスに毒で苦しめられた挙句、無残に殺されてしまった仲間が脳裡から離れない。あんなのは人間の死に方ではない。
「団長」
二人しかいないと思っていた高台にもう一人いた。ルイスだ。
「俺たちの意見は一つだ。最後まで戦って勝つ。お願いだ団長、死ぬ覚悟はできてる。これは……俺たちの意思なんだ」
ルイスだけじゃない。ガブラス達の戦いで生き残った騎士団員全員がこの塔に集まっていた。全員ルイスの言葉に黙ってうなずいている。
この場にいる全員の視線が俺に集中する。
「それによぉ、アイツだって古龍には違いねぇんだろ? 俺らだって一匹、前にたおしたじゃねぇか」
「バカモノ!! あの古龍を『風翔龍』クシャルダオラと一緒にするでない!!」
見当違いと思われたのか、ルイスの鼓舞の一言を怒号で博士は一蹴する。老人とは思えぬほどの覇気が博士からほとばしる。
「そりゃあ……クシャル、なんとかも邪魔くせぇ風と鋼の鎧のせいで随分と苦戦したけどよぉ……」
「ならば今回は苦戦どころではすまぬな。報告によれば、あやつの体は古龍種の中でも一、二を争うほどの硬さを持つという。クシャルダオラとは比べ物にならんじゃろうな」
「げっ……おいおい」
「しかも……見てみるがいい」
博士は放棄された砦の中でもラオシャンロンに最も近い砦を指さし、そこに騎士団全員の視線を集中させる。
ラオシャンロンは何事もなかったかのように砦に衝突し、踏みつぶしていく。崩壊の轟音が辺りに響き、逃げ遅れた兵士の断末魔がこだまする。まるで幼児が積み木崩しをするように砦を潰し、その体に瓦礫に当たっても平然とラオシャンロンはこの城に向かって進んでくる。
「なっ……!!」
「見たじゃろう。あの見た目以上の破壊力を併せ持つ刃の鎧を。人の手でアレを破る方法があると思うか?」
「あ……ぅ」
お調子者のルイスも流石に言葉を無くし、唖然とする。
黙り切ってしまった他の騎士団員の中、マルコムは挙手する。
「……団長、それでも戦わせてください」
「マルコム……?」
俺も含めた他の騎士団員達の視線がマルコムに集中していく。
「ここは……この王国は、この城は今ここにいる先輩方や逝ってしまったみんなが命をかけて守ってきた。それを龍一匹に怯えて逃げたなんて……恥ずかしくて名前も残せませんよ」
「……じゃが、戦っても何も残らぬぞ? 残るのは瓦礫と潰れた死体の山だけじゃ。当然、名も残らぬ。命あっての物種じゃと……ワシは思う」
冷厳だった博士の言葉にわずかに悲愁の念がこもる。それでもマルコムの真っすぐな意思は曲がらなかった。
「自分はこの城で、この王国でたくさんの物を貰いました。昔の自分はとんでもないごろつきで……正直この国が大っ嫌いでした。……ここだけの話、王を敬ってもいませんでした」
マルコムは苦笑し、俺の方を見つめる。
「仕事がなくて……酒に逃げて腐っていた自分を、団長が拾ってくれたんです。しばらくして姫にまで会わせてくれて……あの時に自分はこの国がちょっぴり好きになりました。こんな人もいるんだって」
全員の視線がマルコムから俺の方へ移る。なんで今その話をするんだか。
士気高揚のためにみんなには全員こっそり姫と会わせたというのに。もし博士が他の奴に口を滑らせたらどうする……!
「けど正直言って地獄でしたよ。いつ死ぬかわからない瞬間の連続だった。いつも自分は誰かに助けてもらってここまで生き残ってきました。その『誰か』の多くが……自分をかばって死んだんです」
「なら余計、生きなければならないのではないのかね? なぜ生きるために逃げないのだ」
横にいる博士がひげをいじりながら興味深そうにマルコムの返答を待つ。
「ちがうんです博士。騎士団が守ってきたのは俺個人じゃない。彼らが守ってきたのは……悔しいですけど、俺を含め自分たちよりも弱い奴なんです。それに、この町にはまだ避難しきれてない人たちがまだ沢山いるはず。自分が生かされてきたのは……その人たちを守るためだと、自分は思うんです」
「……」
博士は黙ってマルコムの言葉に耳を傾ける。俺は正直唖然としていた。あの入って間もないマルコムがまさかここまで他の団員の死を真剣に受け止め、優れた騎士道精神の持ち主だとは。
「もう守ってもらうのは嫌なんです。死ぬのは嫌ですけど、逃げるのならやれるだけやってから逃げませんか? 何もしないで逃げるの、かっこ悪いじゃないですか」
最後のマルコムの正直な言葉にどっ、と笑いの渦が巻き起こる。
「やるじゃねぇかマルコム! 見直したぜ! もう半人前なんて呼べねぇな!」
がっはっは、とルイスはマルコムの背中を力強く叩く。
「なるほどのぅ、かっこ悪い……か。やはり、理屈では血気盛んな者どもは納得できんか」
ルイスはもちろん、博士も声をあげて笑っていた。
「……後々のことを考えれば、逃げた先に平穏が待っているとも限らんな。下手をすれば食料不足でより多くの死者が出るかもしれんな……なら、賭けてみる価値はあるかもしれんのぉ」
『幸いにも「あれ」はもうすぐで完成するじゃろうしな』と小声で博士はつぶやいていたが、議論している時間もない。
「みんな、ラオシャンロンの恐ろしさは過去最高の物だと理解しただろう。俺はここに残れとは言わない。正直、あんなのと戦うなんてアホでしかないと思ってる」
だが、逃げるわけにはいかない。この国には逃げきれていない国民だけではない、王や……セシリアもいる。騎士としても男としても、逃げるなんて無様な格好をさらすわけにはいかない。
「女一人のために戦うアンタも含め、俺たちはどうせアホばっかさ」
「ルイス! お前、なに言ってんだ!? 俺はセシリアのためじゃなくて、騎士団として国をだな……」
「なんだかんだ言って、団長も格好つけたいですもんね。リオレウス希少種を討伐した時の姫様の顔、めっちゃ輝いてましたから」
「マルコム、お前まで……!!」
マルコムやルイスだけじゃない。騎士団のみんながここに残る気でいる。言葉などいらない。彼らの目がそう語っている。
「どうやら俺含め、バカばっかみたいだな。まぁ……普通だったら国のために、とか。死ぬつもりで、とか言うんだろうが……」
俺はため息をつきながら団員の目を見やる。ラオシャンロンの足音が徐々に大きくなっている。
「絶対に生きて帰るぞ。明日も国を守るために」
「当たり前だ!! これが終わったら俺たちは英雄だ!!! 必ず生きて帰るぞ!!!!」
『帰ったら祝杯だ!!』と騎士団員は雄たけびをあげ、恐怖を吹き飛ばした。
俺たちとラオシャンロンの戦いの火ぶたは切って落とされた。
これが騎士団最後の防衛戦だと気づくのは、これより数日後のことだった。
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ラオシャンロン撃退に向け、準備が開始された。辺りは砲弾を持ち運ぶ者、武器を整備する者。誰もかれもが大忙しだ。
「おい旦那。頼まれてた品の件だけどよ……」
「あ、あぁ、カヅチさん。どうかしたのか?」
「悪いが素材が足りねぇ。ほかの団員に最高傑作を渡すので精一杯だ。素材不足で無理にやるのはお前さんの命に関わる」
「そうか。無理を言ってすまなかったな。さすがに間に合わない、か」
ラオシャンロンの力は未知数だ。記録はあるものの、情報量が圧倒的に足りない。
カヅチさんに頼んでおいた物が完成していればもう少し心強かったのだが……こればかりは仕方がない。
「あぁ、間に合わなかった。……旦那の防具の方はな」
カヅチさんは工房の奥から一本の大剣を取り出す。竜の翼爪を模った銀色の大剣だ。
「カヅチさん、これは……」
「名づけるなら、輝剣リオレウスってところかな? すまんな、防具の方はでき次第送るからよ」
カヅチさんが渡してきた大剣には以前にはなかった色の鱗が使われていた。彼のつけた名に恥じず、銀色に輝いている。
「これが俺の……ありがとう!!」
「おう! こいつで古龍の面をぶん殴ってくれ。『帰れ』ってな!!」
俺は再び『空の王』の鎧を身に纏い、戦場へ急ぐ。もちろんカヅチさんの鍛えた『輝剣リオレウス』を持って。
「団長! 老山龍迎撃準備、整いました!!」
「よし! 行くぞ!!」
馬に乗り、俺たちはラオシャンロンの元へ向かった。
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「こいつが……『老山龍』ラオシャンロン」
俺はラオシャンロンから見て、正面にある砦から指示を出している。俺の横でルイスが愛用のヘビィボウガンを試し撃ちをしている。
遠目で見るのとはわけが違う。ラオシャンロンの姿はまるで動く山そのものだ。背中に引っ付いている苔やシダから、長く生きている個体であることがうかがえる。その巨体を揺らしながら城の方角へと進んでいく。
「グリム団長! 作戦準備完了です! いつでも決行できます」
「よし! これより巨竜迎撃作戦、第一段階へ入る!!」
団員全員をラオシャンロンの進行ルート上にある、大砲の発射台へ移動させる。ラオシャンロンがこのまま真っすぐ進むとすれば、あの巨体の横、正面にある数十箇所から大砲の弾が命中する形だ。
「ラオシャンロン! A地点に到達!!」
「いよいよか……」
思惑通り。ラオシャンロンは俺たちのことを意に返さず、このまま最後の砦を突破するつもりだ。
攻撃を開始すれば噛みついてくるアリを潰すが如く、ラオシャンロンの猛攻が襲ってくるだろう。
「やっぱ、緊張してんのか?」
「あぁ……ルイス。今なら立ってるだけでも心臓麻痺を起こしそうだよ」
今までにない緊張感と恐怖だ。防衛に失敗すれば国が跡形もなく滅ぶ。今までにないスケールに足が震えていた。
そんな俺を見かねたのかルイスが俺の背中を叩いてきた。防具のおかげで物理的衝撃は和らいでいるとはいえ、叩かれたという精神的衝撃からは逃げられなかった。
「そう気を張りすぎるんじゃねぇよ。これでダメならもうどうしようもねぇんだ。今やれることを全力にやろうぜ? ……おまえはいつものように大声出して戦ってりゃいいんだ」
ルイスは二ッと調子よく笑ってくれる。彼は私よりも年上だからか、彼が横にいるととても心強い。
「……ありがとな。ルイス」
「あのクソデープの言うことなんて気にすんな。なぁに、国が無くなったら身分も関係ねぇんだ。あのお貴族様、しこたまぶん殴って蜂の巣にしてやる」
「ふふ、やりすぎるなよ?」
「分かってる。……半殺しにはするかもな」
国を守った後もルイスがデープに殴りかからないことを祈りつつ、俺は迫るラオシャンロンに視線を戻す。
もう後戻りはできない。
『あ、あとで伝えたいことがあるから、絶対に戻ってくるのよ? いい!?』
出陣前に聞いたセシリアの言葉が脳に走る。頬を赤らめながら言った彼女の姿が脳裏に浮かぶ。いつものように強気で明るい言葉を口にして。
彼女の太陽のごとき言葉を胸に……俺は覚悟を決めた。
『……いってらっしゃい。グリム』
『あぁ、行ってきます。……セシリア』
もう迷わない。セシリアに、愛している俺のお姫様に……『ただいま』を言うため、俺はこの腕を下ろす。
「発射ぁッッ!! てぇッッーーーーーーーー!!」
こうしてシュレイド騎士団、事実上最後の戦いが幕を上げた。