史実が124cmならロリにしても問題ないよね!   作:半田

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 徳川綱吉が身長124cmと聞いて思いついたネタ。
 身長から年齢を求めるとだいたい7歳相当→型月で7歳と言えば神稚児→よし、ロリ化するか!

 pixivに上げてた設定からのリメイク。そっちに大まかな一生を書いているのでネタバレ注意。また、書き残しにあたってかなり設定を変えてます。


神稚児の誕生

 そのカリスマ性によって多くの武将を惹きつけ、社会を揺るがした男、織田信長

 敵対する者を廃し、民から武力を奪い、武士による支配体制を築いた男、豊臣秀吉

 制度によって武士、公家、農民を縛り上げ、国の土台を盤石にした男、徳川家康

 彼ら『三英傑』によって日本は天下統一へと導かれた。バラバラだった国々は1つにまとめ上げられ、1つの『日本』という国へと生まれ変わっていた。

 

 しかし、彼等3人が作り上げたのは完全な平和ではなかった。

 天下統一から43年。日本には未だに乱世の風潮が残っていた。武を尊び、流れる血に猛り、街には死骸が溢れる。捨て子、姥捨て、敵討ち、etc……。日本には未だに『殺生』がありふれていた。偉大なる『三英傑』によって作られた国は未だに『天下泰平』からは程遠かった。

 

 

 

 正保3年1月8日

 その日、徳川家で1人の『神稚児』が生まれた。

 神稚児とは、生まれつき特殊な力を宿した子供のことを指す。「神と人の中間」である子供は、時として神に近い状態で生まれてくる者もいる。そういった子供のことを古の人々は神稚児と呼び、崇め奉っていた。神秘が薄れた近代の江戸でも、こうして極めて稀に神稚児が誕生していた。

 

 神稚児は優れた力を持つ反面、肉体は年相応に弱い。また、神稚児は成長することでその力を失い、7歳になる頃にはただの人間になってしまう。かつては神童と呼ばれた子供も、成長することで凡庸な人間に戻る。それが摂理だった。

 徳川家の神稚児は過去の例と比べても尋常ではない力を秘めていたが、その力は長く続くことはない。呪った相手を逆に呪い返す力も、不思議な自然現象を引き起こす力も、いずれは消えてなくなってしまう。長く君臨することを義務付けられた徳川の政治に、一瞬だけの栄華が手に入るだけの力は不要だった。

 

 

 その結果、幕府は生まれてきた女子に「徳松」と名付け、性別を偽って育てることになった。

 男として育てたのは、将来子供を産ませるのを防ぐため。神稚児は7歳で力を失うが、その血筋からは再び神稚児が生まれるケースが多くなる。将軍家としては、国を揺るがしかねない彼女の血統を残すわけにはいかないので、どこの男にも嫁がせるわけにはいかなかったのだ。また、彼女が力を持っていることも一部の人間を除き隠蔽され、それを知る者は上層部の人間に限られた。

 

 また、それと並行して父親は徳松に「儒学」を教えることにした。儒学は「目上の者に逆らわない」などの思想を含んでおり、この学問を学ばせるのは徳松が上の兄弟に逆らうのを防ぐのに使える。そうして徳松はその力で暴れることもなくスクスク育ち、少しずつ力を失っていった。

 しかし、そんなある日、重大な問題が発生することとなった。

 

 

 承応1年、12月。7歳が目前と迫り能力が失われるかに見えた直前。彼女の成長が即座に停止したのだ。

 身長は124cmほど。腕と脚は細く、身体は羽のように軽い。髪と爪の伸びる速度は格段に遅くなり、今まで劣化し続けていた能力が突如として摩耗しなくなった。それはさながら、時が止まったかのような状態だった。

 

 

 はっきり言って、それは前代未聞の事例だ。この世に長く留めておけないはずの「神」の力を、未来永劫留めていられる。それは、江戸時代の日本では『核兵器』と言っても過言ではない代物だった。強大な力が恐るべき災厄を招く可能性もあるが、日本各地に残る強力な術者への抑止力としても機能する。幕府が的確に管理さえできれば、これほど心強いものはなかった。

 

 生まれた当初より力は衰えたが、徳松はそれでも人知を超えた力の使い手だった。祈るだけで山を砕く力は城を砕く力になり、千里を見通す瞳は百里を見通す目となった。多少弱体化したところで、彼女はこの時代では最強の人間だった。そこで、幕府は監視役兼儒学教師として儒学者・林羅山を配置し、彼女の様子を徹底的に見張ることにした。

 林羅山は初代将軍の頃から徳川家に仕えた男であり、魔術系統の1つ「易経」のエキスパートでもあった。

 

 朱子学派儒学者・林羅山は、朱子学の一分野である「易経」のプロフェッショナルでもあった。

 易経は、古代の占いとは違い洗練された「数学的」な占いだ。棒や硬貨などを用いて、それらを元にランダムな数字を算出する。本来、未来予測というものは膨大な演算を必要とするが、易経は式と手間を大幅に簡略化して短時間で未来を割り出すことができる。

 また、易経は「八卦」という8つのパターンを組み合わせて未来を算出するシステムであり、1つ1つが「自然現象」や「物の状態」などの性質を持つ。そのため、西洋のルーン文字のように属性攻撃や強化に使うこともできる汎用性があった。

 

 

 徳松が林羅山から学んだのは、未来を「測定」して固定する術。因果を逆転させることで、低確率の成功を引き当てる御業だ。本来なら「未来を固定する術式を組む間にその未来が来る」くらいには手間がかかる術なのだが、羅山は才能で、徳松は神の奇跡によるゴリ押しで瞬時に発動させることができた。

 そうして、徳松は「先に結果を定めること」により、人間の分際では自在に使うことが困難な神稚児の力を思うがままに操作することができるようになっていった。

 

 

 徳松と師匠の別れは突然だった。

 明暦3年『明暦の大火』

 延焼面積・死者は、近代の災害を除けば日本最大。江戸の建物の大半を焼き焦がし、3万から10万の死者を出した大火事。この火は道春が生涯にわたってため続けた資料と魔術礼装の入った「工房」にまで及んだ。その結果、彼の生命を維持していた魔術礼装の1つが燃えてしまい、林羅山は火事から僅か4日後にこの世を去った。

 徳松は、工房跡の灰の中から無事だったものをかき集め、神田の御前へと住居を移した。

 

 

 それから20年、徳松は残された資料から林羅山の研究を復元した。

 明暦の大火には不自然な点が多かった。3ヵ所から同時に出火したこと、出火元が最後まで明かされなかったこと、そして、防火対策を行っていたはずの林羅山の工房が破壊されたこと。羅山からしてみれば、あの工房は自分の心臓と言っても過言ではない場所である。火事や泥棒が多かった江戸の町で、自分の魔術工房を無防備にしておくとは思えない。

 

 林羅山は、何者かの手によって「始末」されたのではないか。

 徳松がその結論に至るのに、そう長い期間はかからなかった。そうして、徳松は秘密裏に術式の解析を行い、少しずつ羅山の至った術式を解明していった。彼を殺した何者かの目に留まらぬよう、こっそりと、時間をかけて。

 

 

 延宝8年5月。復活化した術式を教えやすいよう体系化していた徳松の下に、「長兄が死んだ」という知らせが届いた。父の死後、4代将軍として国を治めていた兄が死亡。次男、三男、五男は既に他界しており、その結果、公的には「4男」である徳松に、将軍の椅子が回ってくることとなった。

 

 

 

 そうして、江戸幕府に新たなる将軍「五代将軍・徳川綱吉」が誕生した。

 彼女がいずれ「犬公方」という仇名をつけられ、徳川将軍の中で最も暗愚だった男として名を残すのは、まだ先の話である。




宝具設定
『疑似八卦炉』
ランク:B+ 種別:対人宝具 レンジ:1~20 最大捕捉:10人
 8つの文字を相手の周囲に配置し、西遊記に登場する「八卦炉」を再現した結界を構築する。八卦は易経で使われる「乾・坎・艮・震・巽・離・坤・兌」の文字・記号をのことを指し、ルーン文字のように自然現象や性質など様々な意味を内包する。この八卦を二重に組み合わせた六十四卦が、一般的な易経の占いでは使われている。
 かの有名な「斉天大聖」を49日閉じ込めた八卦炉を再現するだけあり、神性と魔性の性質を持つ者はこの結界から逃れるのは困難。また、逸話と結界の構造の都合上、「巽」の方向には熱ではなく煙が集中するため、結界の東南方向だけは熱に焼かれることがない。
 クー・フーリンの『大神刻印』の易経版であり、易経の神髄を学んだ者なら使用可能な宝具。多くの人間の前で講師として易経を教えただけあり、綱吉の術に関する知識は豊富である。また、神稚児として術式に働きかけているため、本来は「C」相当の宝具ランクが1段階アップしている。

 結界内の熱を収束させて1つの熱線へと変え、広範囲を灼熱レーザーで薙ぎ払う遠距離攻撃としても使える。

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