穂波はシンリンカムイの事務所に書類を届けにやってきていた。
Mt.レディの事務所の職員の中でちょうど手が空いていたから、という理由であったが、その日の職員は穂波を除けば何人かしかおらず、
「悪いな、わざわざ来てもらって。まだ昼飯も食ってないんだろ?」
「はい。昼食も摂らずにブッ通しで仕事してたので。今日は人少なかったし。おかげで残業しないようにって意識したので捗りましたけど」
シンリンカムイに書類を渡すと、シンリンカムイは穂波を労いの言葉をかける。
身体を樹木のように変質させることのできる彼、ヴィランの捕縛において非常に優れた能力を発揮する。
最近はMt.レディのデビュー戦の頃、いいところを奪われてしまったのが全国的に大々的に放送されてしまったが、それでもあまり気を悪くしていない気前の良い男だ。
「この後はどうするんだ?どうだ?良かったら、飯でも奢るぞ」
一休みしたくてな、と言うシンリンカムイ。
穂波はその真意をこれまでの何度かのやり取りから知っている、穂波のことを気遣ってくれているようなのだ。
「気持ちは嬉しいですけど、お断りしておきます。ヒーロー活動中に別の事務所の職員と食事してたなんてスキャンダル物でしょう?あの人は気にしなさそうですけど」
あの人、とはMt.レディのことである。
猫を被るくせに奔放なところがあり、平気で自分の事務所の異性の職員を連れ、わざわざJacarandaで食事をすることもあるのだから。
「そこまで問題にならんようにすれば良い。なんだ、まだアイツのことをヒーローネームで呼べないのか?」
「呼べないのでなく、
「そこはしっかり呼べるようになっておけ。仮にもヒーロー事務所の職員なんだろ?」
シンリンカムイは穂波を窘めると、少し気分を悪くした様子で穂波は「そうですね」と腑に落ちなさそうだ。
Mt.レディの方から愚痴を聞かされることがあるのだが、なるほど、確かに「生意気な奴」である。
「それじゃあ、この辺で失礼します。シンリンカムイ、お疲れ様です」
「おう、またオフのときにでも飲みに行くか。これ持ってけ」
「ありがとうございます、それではこれで」
シンリンカムイが去り際に穂波に何かを投げて寄越す。
それは携帯食のゼリーである、新商品のスクラッシュゼリーであった。
穂波がシンリンカムイに頭を下げ、オフィスを出ると、シンリンカムイは手を振ってくれていた。
真面目で“昨今のヒーローらしい”ヒーローであり、決して悪い男ではないだろう。
「……さて、これから飯でも喰いに行くか」
『シンリンカムイのところに書類を持って行ってくれたら、上がってくれていいわよ』
雇い主に人差し指を向けられながら言われた言葉を思い出し、穂波はオフィス街近くのレストラン街を歩く。
時刻は夕方も近くなり、どこの店も客の数がまばらで選ぶ範囲は広がっているが、それでも、夜の開店に向けて準備中の看板が出されているところもある。
今は特に何かを食べたいという欲求だけが先走りしており、どういうものを食べたいのかと言うことは特になかった。
「今夜もJacarandaでいいかもしれないな」
あれから、すぐに穂波はJacarandaの方で寝泊りしている。
蛇島のほうは渋っていたが、美音の、愛娘の必死の頼みに押されてしまい、仕方なく昔の穂波が使っていた部屋に着替えと仕事道具を持ってきた。
もちろん、バックルと“活動に必要なアイテム”も持ってきている。バックルは普段から持ち歩いているが、得物の方は自分の部屋に置いていた。
夜にヴィラン退治をするのであれば、なんのその、昼間からあんな物を持っていれば、職質を受けたときに一発アウトだ。
その点、美音お手製のただのベルトを被せるだけで変身アイテムに変えてしまうシロモノである、ハート型のバックルは便利だ。
その優れた身体能力を以ってすれば、複数であろうとも、変身さえ出来れば敵ではないのだから。
まさしく、天才の彼女の才能には毎度毎度驚かされるばかりだ。
最近、美音が新しく作ったアイテムは少し大きめのUSBメモリと言ったところで、使い方は説明されなかった。
しかし、本人が言うには“仮面ライダー”として戦う以上は普段から肌身離さず持っていて欲しいとのことで、なにかしら目的があるのだろうと考えた。
少し子供っぽいところがある彼女だが、基本的に理性から外れた行動をそうした創作で取ることはない。
“創る”ことがなによりも好きな彼女、その物作りに対して直向な姿勢は彼女の兄的存在としては喜ばしかった。
「しかし、スクラッシュゼリー……?」
フレーバーは、プロテインラーメンとある。
こんなものを持っていたシンリンカムイ、もしかしたら、味覚がワンダーランドなのではないだろうか。
フレーバーがそんなものなのに青のドラゴンが描かれたパッケージがなかなか格好良い。
こういうものが好きな美音に見せれば、きっと喜んでくれるのではないだろうか。蓋を開け、口に運んで吸い出すと不思議な味がする。
これがプロテインラーメンというのだろうか。
「ヴィランが出たぞ!学生を人質にしたらしい!」
「おい、誰かヒーローを呼べ!」
「有用な個性持ちがいないらしい!」
そんな声が聞こえてくる。
どこかでヴィランが現れたらしく、徐々に騒ぎが広がっている。
肝心のヒーローは出払ってしまっているらしい、なぜ一人も近くにいないのだろうか?
「……行くか」
心は既に決まっていた。
懐からハート型のバックルを取り出し、スクラッシュゼリーを全て吸い尽くす。
味は穂波の好みではないが、ヴィランを倒し、
スーツのベルトの留め具の上にバックルを被せると、スーツにハート型のベルトを巻いているという奇妙な格好になる。
路地裏に飛び込み、バックルの前で腕を構え、そのまま胸の前で交差させる。
「変身」
穂波の姿が赤い複眼に黒いボディを持った蟷螂を連想させる怪人、仮面ライダーに変身する。
そのまま、人が向かっていく方向へと変身したことで――普段以上に上昇している跳躍力を使い、文字通り、
「あれって、もしかして」
その姿を昼間に初めて目にしたものは、噂に聞いていた者のそれに一致する。
「“死神”……!」
連日、ヴィランを通り魔のように襲い掛かって退治していくヴィジランテ。
ある者はヴィラン以上にヴィランのようであると語る専門家も多く、そんな“死神”という二つ名を持つヴィジランテの名は。
「仮面……、ライダー……?」
人だかりが出来ているところに降り立つ、仮面ライダー。
ゲル状のヴィランが学生を捕まえている、と言う話は本当だったようだ。
だけど、なによりも異質なのは。
「あいつ、あの“死神”なんだろ?」
「あのヴィランと同じく通報したほうがいいんじゃないか?」
「でも、鎌持ってないぞ?」
誰一人、少年を助けようとしていなかった。
そして、その少年が見覚えがあると気づく。
「(緑谷!?なぜここに……!)」
しかし、穂波が彼に声をかけることはない。
良くも悪くも目立ちすぎる自分が彼と知り合いであると分かれば、それがどういうことを意味するのかを分からないわけがなかった。
「おぼ……、か……ん……、イダー……?」
薄れていく意識の中、ヴィランの身体が液状化していて呼吸しづらいこともあり、緑谷の言葉が聞きづらい。
他に見えるツンツン頭の目つきの悪い少年、緑谷の同級生だろうか?
「お前、まさか、噂の“死神”か!?へへ、ちょうど良かった!こっちには人質がある!お前は手を出せねえぜ?」
ヴィランは下卑た笑みを浮かべる。
異形型の個性を持っているが為にヴィランとなった者は見た目への差別から決して少なくなく、もしかしたら、このヴィランだってそうした背景があるのかもしれない。
だけど、今の穂波にとっては、民衆から恐怖と興味の視線で見られていること、ヴィランの言葉は無視すると決めた。
助けなければ、大切な家族の友達を。
仮面ライダーが腕を振るうと、ヴィランの身体が仮面ライダーが使用した個性によって風が巻き起こり、その身体をズタズタに引き裂く。
そこで、囚われている二人の学生が解放されると、それぞれを近くに寝かせる。
「お前、躊躇いもなく……!?」
「お前の身体に物理攻撃は意味を為さない。だから、この手に出た。あとは、どこかのプロヒーローが勝手にするだろう」
「はははっ、お前、本当に好き勝手にしてるんだなぁ!?それじゃあ、俺たちと同じヴィランだ……げふっ!」
「……喋るな、ヴィラン。俺の拳はお前の身体をそいつらを傷つけず、切り刻むことができる」
ヴィランがケタケタ笑えば、再度、今度は違う方の――腕を振りぬいた。
「てめぇもヒーローなら、気にしねえのかよ!?人質をよぉ!」
「お前と交わす言葉はない」
身体がヴィランに集中し、仮面ライダーの体躯を超えて襲い掛かるのであれば、仮面ライダーは跳躍し一回転、それから勢いをつけて右脚に風を巻き起こし、ヴィランの身体を散り散りにさせる。
ヴィランの身体がぽたぽたと零れ落ちれば、無言のまま、その辺に落ちていたペットボトルにヴィランを詰め込み、蓋で閉める。
ヴィランは仮面ライダーの所業に怯えていた、自分の言葉を聞くまでもなく容赦なく拳を浴びせてきたのだから。
「お、お前のことはもう通報済みだ、“死神”!お縄につけ!」
難なくヴィラン退治を済ませた仮面ライダーが去ろうとすると、ただ見ていただけの住民が仮面ライダーを呼び止める。
その場に居た誰もが呼び止めた本人に対し、「やめておけ」という気持ちのほうが強かったものの、通り魔のように現れたのは噂通りであると実感し、怯えてもいた。
だけど、同時に二人の少年を助けてもいるのだ。
「………」
「だんまりを決めこむのか!?」
「……誰かを助けるのがヒーローのはずだ。それに個性が通用しないからと諦めるとは、それでもヒーローか?」
だが仮面ライダーは冷ややかに言葉を返すものの、振り返ることはしなかった。
ただ、少年達が居る方へと人差し指を向けると、そのまま高く跳び去ってしまった。
「おい、“死神”!!!!」
その場のヒーローの一人が彼に対し、言葉を投げているのだろう。
仮面ライダーは、その言葉に対して返すことも振り返ることもなかった。
「あれが……、仮面ライダー……?」
ようやく到着した、ナンバーワンヒーロー・オールマイト。
確かにその姿は、ヒーローと言うよりもヴィランのそれに近い。
その後、三者三様の意見を聞くこととなるが、ツリ目の少年を助けに入った緑谷を捕らえてしまったヴィランの前に現れ、問答無用とばかりに個性を使って退治したヴィジランテ。
逸る気持ちを抑え、オールマイトは現場に残った。
そして、緑谷出久を――――。
Jacarandaに向かうにあたり、場所が割れないように何度かルートを変遷しながら、仮面ライダーはJacarandaの付近で降り立つと、変身を解除した。
穂波は自分でも何をしたのか分かっていなかったが、思えば、あれが自分にとっての全うな
もしかしたら、あの緑谷のチャンスを奪ってしまったのではと考えてしまうものの、身体に密着する感触でそればかりではいられなかった。
「おかえり、ハジメ!」
ご機嫌な美音だった。
「やっぱり、私のヒーローだ!見たぞ、あれ、生放送されてたから!……飛んできた場所は、割れてないよな?」
「それは抜かりない。……生放送だと?」
どうやら、テレビ局も来ていたらしい。
穂波は完全に失念してしまっていた、このご時勢はヒーローがヴィランを捕まえるまでがエンターテイメントなのだと。
「うん。……相変わらず、酷い言い草だけど」
美音が穂波にスマートフォンの画面を見せる。
『生放送!白昼、“死神”現る!』なるほど、このタイトルでは確かに美音の笑顔も曇るというもの。
「ますます、正体を明かすわけには行かなくなったな。今後とも、サポートを頼む」
「もちろん!天っ才クリエイターの美音に任せとけ~~!」
ぽんぽん、と自分の胸を叩く美音。
上機嫌で胸を張っており、ふんすという音が聞こえてきそうなほど、ちょっと鼻息が強い。
そこで、穂波の腹の虫が食事を所望したことで一度打ち切られる。
「まずは、私のごはんだな~~。いいもの食べさせてやる、私のヒーロー!」
美音に手を引かれ、Jacarandaに入っていく穂波であるが、後悔はなかった。
最初はプロヒーローが居ない前提で書いていたんですけど、原作のシーンではいたことを思い出し、冷ややかな返しをば。
緑谷と出会った事をきっかけに徐々に穂波も変わっていきます、戦闘スタイルは容赦ないままだと思われますが。特に夜。