単発です。
古典部シリーズとバンドリ!のコラボ小説。探偵イベから思い付きました。

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正体見たり

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 兄弟姉妹と言えば、青春小説やら、恋愛映画やらの創作物においては、仲があまり良くなかったり、少なくとも良いという関係では無いことが多い。だが、所詮は創作物である。そういう人間関係というのは一種のスパイスで、現実は、割と仲睦まじい兄弟が多かったりする。

 斯くいうあたしはどうかと聞かれれば、概ね仲が悪いという関係でなく、むしろ平均的に見れば仲が良いのでは無いかと思う。誕生日プレゼントを贈ったり、服を貸してみたり。それ以上でもそれ以下でもなく、ただただ仲の良い兄弟姉妹。そういう関係だ。だけれど、世の兄弟は、きっと誰もがそうでないだろうと、そう思っている。

 暇にでもなったのか、暫くバスの中で揺られていた友人――弦巻こころが突然聞いてきた兄弟姉妹の関係について、あたしはそんな風にほどほどの回答をした。すると、彼女はいつもの笑顔で笑って、

「そうなのね!美咲は家族と仲が良いようで良かったわ」と、そんな具合のことを言った。

「そうだよね。美咲ちゃん、よく妹さんにフェルト、作ってるもんね」

 そう言って花音さんも笑った。

「今度私も、新しいの作ろうかなぁ」と指折り何かを数えている。大方、材料代の勘定だろう。

「にしても、薫さんとはぐみは大丈夫かな?後から来るって言うのは聞いてるけど……」

「大丈夫よ、いざとなったら、黒服の人が何とかしてくれるわ」

「……それもそうだね」

 我ながら凄い会話だ。心の中で小さく黒服に謝りながら、少し会話をすると、話すことも無くなった。手持ち無沙汰になって、外を流れる緑を眺める。壮大な自然と揶揄して差し支えない山々が目に映っていた。

 終点は財前村、小さな温泉の名所である。

 

 2

 数日前のことであった。

 夏休みに入ってしばらくの八月。

 我が友人であるところの北沢はぐみから、一通、いかにも最近の女子高生らしい、何の風情も無い電子の手紙があたしのもとに届いた。

 久々に頼まれた作曲に勤しんでいた手を止め、メールのアプリを開くと、題名の付いていない、差出人と内容だけのダイレクトメールが新着欄に映っていた。前述の通り、それははぐみからのメールだった。

『こんばんは、みーくん!突然で悪いんだけど、再来週の週末三日間を空けておいてくれない?理由は今度の作戦会議で話すから、よろしくね!』

 と、急いで打ったのだろう、平仮名が多いメールを訳すと、そんな感じの内容だった。

 当初は、何を考えているのか、せいぜい弦巻邸での外泊だろうと思っていた。が、その予想は定例会で破られることになる。

 こころが名付けた《作戦会議》ことバンド定例会において、はぐみが提案したのは温泉慰安であった。

 例の一件――はぐみのとある友人の一人に関係した、バンド結成の一件が終わって、はぐみはあたしたちに、本人曰く多大なる恩を感じていたらしい。そして彼女は恩を返すべく、自分の父親の伝手を使って、格安で温泉を借りて、そこに招待をしたいらしい。というのが、はぐみからの説明で分かったことだった。相変わらずほどほどが好きなあたしはそれとなく反対しようかとも思った。けれど、はぐみの好意を無下にするというのも、悪いだろう。それに、たまにはこう言った堂々とした休暇も良いかもしれない。そういう思いがどこかにあって、あたしはそれに従った。

 

 斯くして、最寄りの駅からバスに乗って一時間半、財前村。

 薫さんとはぐみはそれぞれ私用で少し遅れるらしい。提案した張本人が遅れるというのもなかなか聞かない話ではあるが、どちらも明日の夜までには来るそうだ。

 暫くして、そのまま道の駅のバス停に着いた。なかなか道は険しかったが、車酔いにはならずに済んだようだ。

 あたしたちの座っていた席の前に座っていた高校生くらいの男女二人ずつ――恐らく部活の集まり――も、その財前村で降りた。案外一緒の宿に泊まったりするのかもしれない。

 一人は車酔いをしているよう。まあ、この山道では無理も無いか。

「はぐみ、ここで良いの?」

 少し不安になり、急遽かけた電話のむこうで、すぐにはぐみは頷いた。

「うん、いいよ!しばらくしたら、おじさんがそっちまで迎えに来てくれるって」

 ならばしばらく本でも読もうか。そう考えつつ生返事をしたときに、少し気付いた。

「そう……どうしたの?こころ」

 こころが例の高校生の一団のほうを向いていた。なにやら、興味深いものを見つけたときの顔をしている。もしも今彼女の目を覗き込めば、奥が光っているかもしれないというくらいの輝きであった。

「……もしかしたら、いえ、きっとそうよ!」

「えっ、ちょっと!?」

「こころちゃん!?」

 こころはそれだけ言うと、高校生の一団に突撃していった。慌てて電話を切り、こころに注意をやる。視線は、グループの女子、髪の長い美少女に固定されている。こちらに背を向けて立って居るが、友人に話しかける横顔を見るに、相当の美人のようだ。大和撫子然とした雰囲気が似合っている。その中でも際立って、大きな目が印象的だった。

 あたしは何だか嫌な予感がして腕を伸ばしかけたが、どうやらもう遅いらしいと悟った。あたしの溜息と同時に、こころは少女に話しかける。

「ねえ、あなた、えるでしょう?」

「え……?」

 こころの声に、此方に背を向けていた彼女は驚いたように振り向くと、驚いたように固まった。ただでさえ大きな目をさらに見開き、ぱちくりと瞬かせている。

 だが、数秒経ってこちらに意識が戻ってきた彼女は、恐る恐ると言った様子で心に言葉を返した。

「……もしかしてこころさんですか?」

「ええ、あたしよ!」

「やっぱり!お久しぶりです!」

 こころの言葉に確信を得たらしい、えると呼ばれたその少女は、周りの数人をそっちのけでこころとはしゃいでいる。

 暫くすると、ある程度落ち着いてきたらしい。二人は何やら話し込んでいるようだ。

「あーあーあー、こころ、もう良い?」

 こころの視線に掌を挟み込むと、やっとあたしが後ろに居ることを想い出したらしい。こころは此方に向き直った。

「あ、そうだわ、美咲、花音。紹介するわね、彼女はえる。あたしの家のパーティーに以前来てくれたことがあったの!」

 弦巻家のパーティー。こころの家はかなり裕福であって、それ故にパーティーもかなりの規模となることが予想される。となると。なるほど、旧友という感じがしないでもないが、ということは彼女もどこか、地方にでも居る深窓の令嬢なのだろうか。

「お初にお目にかかります。千反田えると申します」

 こころに紹介を受けたえる嬢こと千反田さんは、恭しくの一歩手前といった具合に綺麗な一例と共に名乗った。

「えっと、よろしくお願いします。奥沢美咲です」

「……松原花音、です。よろしくお願いします……」

 あたしは千反田さんに倣って一礼、花音さんは半分あたしに隠れながら、果たしてこれで正しいのか分からない挨拶を、上品な雰囲気に圧倒されながらなんとか終える。

「弦巻さん、此方は御友人ですか?」

「ええ、そうよ!一緒にバンドをやっているの!」

「バンドを?」

 彼女は不思議そうに聞いてくる。それはそうだろう。

 こころがバンドをやろうと言い出して、まだ半年も経っていない。それまでは、バンドという言葉の頭文字すら口に出したことを無かったはずだ。

 まあ、こころの知り合いというのなら、こころ自身の破天荒さにも慣れているだろうし、別にこちらから揮って説明することも無いだろう。

 そう思っていると、案の定

「こころさんは相変わらずの様ですね」

 と、そんなことを言った。さすがというか、嫌みを一切感じさせない雰囲気であった。

「ところで、えるは何でこんな処に居るのかしら?」と、こころ。

 その問いを聞いた千反田さんは、体を少しずらして、あたしたちの視界を広げた。その避けた体の先に、何事かとこちらを見つめる高校生たちの姿が見える。あたしたちが彼らを視界に捉えたことを確認して、千反田さんは続けた。

「古典部の皆さんと、慰安を兼ねた温泉合宿です」

「古典部……」

 あたしたちには馴染みが無いからか、新鮮な響きだが……。

 しかしなるほど、古典部。そう言うのもあるんだ。

 古典部というからには、やはり文学的な意味での古典的な活動をするのだろうか。

「まあ、活動内容が実は良く分かっていないのですけれど……」

「分かっていない?」

 あたしの問いに、千反田さんは微笑む。

「ええ、色々やって居るのです。僭越ながら部長をやらせていただいていますが、その私ですら、部員が何をしているのか分かっていませんし」

 と、彼女がそう言ったところで闖入者が入ってきた。

 千反田さんの横から、ひょっこりと顔を覗かせたのは、先程居た三人のうちの一人、比較的背が低い、人懐こそうな男子だ。

「それが良いんじゃないか、千反田さん。突然現れた廃部寸前のミステリアスな精鋭部隊、そんなのもいいとは思うけど?」

 そう嘯く彼の声はとてもハスキーで、言っていることもエキセントリックな物であった。

「何言ってんの、ふくちゃん。ちーちゃんはともかく折木は精鋭じゃないわよ」

 そう言って、彼の背からさらに顔を覗かせる少女、ハスキーな彼よりもさらに小さい。言葉遣いなどで辛うじて同じ世代であることは分かるが、外見で判断するなら、小学生くらいに見えてしまうだろう。

「あ、紹介しますね。こちら、古典部の福部里志さんと伊原摩耶花さんです。お二人とも同級生ですね」

 千反田さんは背中の彼らを掌で示して、そう紹介した。

 こころは、何だか新しい玩具を見つけたような、わくわくした子供の表情をしている。

「摩耶花と里志ね!あたしはこころ、弦巻こころよ!」

「それでこっちは美咲と花音!」と、元気に付け加えた。

 それでとは失礼な、何を勝手にと思ったが、別に紹介を断る道理も無かった。

 二人は「よろしく」と手を振った。仲がよさそうだが、付き合ってでもいるのだろうか。

 そこからさらに、あたしたちのフルネームやバンドを組んで活動していることが千反田さんの口から古典部の二人に語られた。その間、福部と呼ばれた男子は、何か、悩むように顔を伏せて考え込んでいるようだった。

 

 一通りの紹介が終わった時、福部くんが何かに気付いたように勢いよく顔を上げて、こころを凝視した。

「ちょっと、ふくちゃん?」

 彼は一同が首を傾げる中、一秒の沈黙の後

「つっ、弦巻!?っていうと、弦巻財閥の御令嬢の、弦巻こころさん!?」

 驚いたように叫んだ。いや、ように、ではなく実際に驚いていた。

 視界の端で、花音さんが「ヒッ」と小さく縮こまる。

 その視線の先、驚かれた当人はと言えば、

「よくわからないけど、きっと言っていることは合っているわよね?」

「ええ、そうですよ、福部さん。こころさんは、弦巻財閥の御令嬢です」

 と、千反田さんを交えて何かしら話している。自分のことだろうにと思ったが、口には出さない。すぐに福部くんも加わって、何かしら円になって話し込んでいるようだ。聞く気も無かったので聞こうとしなかったが、「会えて光栄」だのなんだのと端々が漏れ聞こえている内容から察するに、福部くんはどうやらこころの事を知っているようだった。

「…………」

 そう言えば四人いたはずだけど、もう一人は何処に行ったのだろう。

 周囲を見渡して、自販機の方に目が往った。どうやら、もといた場所から人が少ない方に移動したらしい。

 何ということのない普通の自販機だったが、その自販機の横、俯くようにして座る一人の男子が見えた。よく見ると、あまり顔色はよろしくない。

 千反田さんの連れのもう一人――伊原さんに声を掛ける。

「あの……彼は大丈夫ですか?」

「ああ、あいつ?なんだか、車で酔ったみたい。情けないわよね」

 案外にぞんざいな返答。仲が悪いのか?

「まあ、彼奴のことは気にしないで良いわよ。そのうち治るだろうし……ところでさ」

 と、彼から目線を切って、伊原さんはこちらに話しかけてきた。

「奥沢さん達は何処に行くの?やっぱり温泉?」

「ああ、はい。後から来る知り合いの伝手で、修理中の民宿を貸していただけるらしくって。名前は確か、青山荘、だったかな」

「本当?わたし達もこれからそこに行くのよ!」

「えっ」

 凄い偶然!と、伊原さんは燥いでいる。こうしていると、本当に小学生の様だった。

 そろそろだろうか、時計を確認して、道路を見る。

 山道のカーブの先から、迎えのバンが走ってきた。

 

 3

 件の民宿は、私たちが使わせて貰う別館と改装工事中の本館の木造二棟から成っていた。

 本館という名前ではあるが、見たところ別館とそんなに大きさは変わらない。二つの建物は渡り廊下で繋がっており、俯瞰すればコの字形になっているだろう。

 思ったよりも細い階段が一本だけ、ミシミシと軋む廊下を歩いてたどり着く。階段の角度は見た目よりもかなり急で、きっと降りるときに神経を使わされるだろう。

 千反田さん達古典部一行は別館二階奥の二部屋を借りて、あたしたちは手前の二部屋を借りた。広さは大体二十畳。バンドのメンバーだけでなく、さらに友人を二、三人呼んだとしても泊まれるような広さだった。窓を開けると、緑色の凹凸が目の前に広がっている。その方々から温泉の湯気が上がっていて、それが温泉のようだ。この民宿から最寄りの温泉というのが、目の前を通る県道に沿って徒歩五分だという。聞いていた数よりもずっと多くの温泉が出迎えてくれた。

 着いてから、こころはなにやら、この民宿の管理人の子供の姉妹と話している。姉が善名梨絵、妹が善名嘉代という。なんでも、伊原さんの親戚の方らしい。伊原さんと並ぶと、ますます三姉妹のようで、少し可笑しかった。

 花音さんはというと、久々の長距離移動に疲れてしまったようで、広縁の椅子で寝ている。

 本来は本館一階で食事を食べるそうだが、改装中らしく、別館の一階で食事を取るように言われたので、先に下見をと思い、一階に降りた。

 恐らくここだろうと目星をつけて、富士の襖を開く。茶色を基調とした部屋で、部屋の中心に坐卓があった。襖は外されたらしく、二つ続きの和室が広間へと変わっていた。

「ここで夕食か……」

 場所の確認は済んで、そのまま来た道を戻って二階に上がる、その途中で、ポスターが目の端に映った。夏祭りと書かれている。その左下に今日の日付と開催場所が記されていた。こういうのはこころに見られると面倒かもしれない。

 二階に上がって、部屋を開けて中に入ると、夕日が差し込んでいた。

 たまにはこういうのも悪くないかもしれない。

 久々の旅行で、どうやらあたしもテンションが上がっているらしい。

 そもそも最近は高校に入ってのなんやかんやで忙しかったのだ。旅情を感じるようなイベントなど、本来なら無かっただろう。

「こりゃあ、はぐみに感謝かな」

「……そうだねぇ」

 花音さんの寝言だけが、独り言に返事をした。

 

 伊原さんが、恐らく男子に呼び掛けただろう「夕飯よ!」という声とそれを真似たらしい千反田さんの「夕飯ですよっ」という声に声を出さずに応じて、花音さんを起こして部屋の外に出た。

 扉を開くと、髪を伸ばした癖っ気の男子が立って居た。黒のTシャツにジーンズパンツという特にこだわりの無さそうな格好である。死んだ魚のような……とはいかないまでも、興味が無さそうな無感情な目が印象的だ。

 男子はこちらを見て、すぐにぺこりと会釈をした。

「さっきは大丈夫でしたか?」

 と返すと、不思議そうな顔をしたが、直ぐに納得したように、「ああ、大丈夫です」と、億劫そうに返してきた。

 どことなくシンパシーを感じる。彼もきっと程々が好きなのだろう。

 彼の後に続いて、階段を下りていく。

 途中でチーズの匂いがした。階下からの匂いだ。

 ジーパンの彼が目の前で「シチュー、グラタン、チーズフォンデュ……」と、何事か呟いている。

 夕飯だというならばなんだろうか。そう考えたが、候補が多くて諦めた。それにすぐわかるのだ。やるだけ無駄だろう。それでも強いて予想するなら……。

「……チーズケーキ?」

 そう言えば、こころはチーズケーキが好きだったなぁ、となぜかその事を思い出した。

 

 先程の部屋に入ると、坐卓二つを繋げた形の大きな卓に、こころと伊原さん、千反田さん、善名姉妹が座っていた。あたしたちを待っていたらしく、まだ食事が始まっていない。いくらこころとは言え、やはり育ちはしっかりとしているようだ。

 こころは上座に座って、時計回りに花音さん、あたし、ジーパンくん、福部くん、善名姉妹、伊原さん、千反田さんという順になった。だが、きっと席順など気にしていない人の方が多いだろう。

 卓の上には、生野菜のサラダ、焼きシシャモ、大根と油揚げのみそ汁に白米と沢庵。それから豚肉の冷しゃぶ。香りはするが、チーズの料理がどこにもない。

 伊原さんの「じゃあ食べよっか」という声で、一斉に食べ始めた。こころと千反田さんはしっかりと合唱をしている。いかにもそれらしい。善名姉妹の両親は居ないが、本館だろうか?

「あとでデザートもあるよ」

「チーズケーキか?」

 梨絵の言葉にジーパン君が反応した。

 梨絵が「なんでわかったの!?」と詰め寄る。勢いから見て、どうやら予想は当たったらしい。

「凄いなぁ……摩耶姉ちゃんの言った通りだ」

 と、そんな声が聞こえた。

 そんな噂されるほどとは、一体何者なのだろう。あたしらしくも無く、少しだけ気になった。

 だが、話に耳を傾けて食べない訳にもいかない。

 まず、冷しゃぶに手を付ける。しっかりと火が通っているが、脂が抜けていない。さすが客商売というだけあって、とても美味しい。特にドレッシングが気に入った。こういう、良い意味で普遍的な味が好きなのだ。

 そのまま食事は進んで、中盤、「明日花火をしようよ」という梨絵の提案にこころが楽しそうという理由で合意。そのまま明日の夜の予定は決まった。そのまま食事をしていると、あーという声と何かがこぼれた音がした。見ると、卓の上に味噌汁がこぼれていた。どうやら善名姉妹の腕がぶつかったらしい。

 千反田さんがハンカチを渡す。妹の方は一生懸命に味噌汁を拭いて、姉の方は、気を付けてよねとかなんとか。どうやら喧嘩にはならずに済んだようで安心した。

 視線を戻して、そのまま味噌汁に手を伸ばす。零さないように、慎重に。

 

 4

 デザートのベイクドチーズケーキを頂いて、それぞれ、自由行動を始めた。

 あたしはとりあえず部屋に戻って、思い立って本を取り出した。

 坂口安吾の《堕落論》。知り合いから進められて読み始めたが、考えを改めさせられる類の内容だった。人生には堕落が必要不可欠であるとか、なんとか。なるほどまさにその通りだ、そう納得したと同時にこころが部屋に入ってきた。

「あれ、こころ。もう温泉行くの?」

「ええ、えると花音と一緒にね。美咲もどう?」

「あー……あたしはもう少ししてから行くよ」

 あたしの言葉が言い終わるかどうかというタイミングで、こころはそのまま、花音さんの分の着替えも持って部屋から走って出て行った。少しは疲れているかと思ったのだが、やはりスタミナは底無しのようだ。

 そのまま半分くらいまで読んで、少し飽きてきたのか、急に詰まらなくなった。テレビもあるが、きっと同じで詰まらないだろう。

 それにせっかく温泉宿に来たのだ。入りに行くのが作法では無いだろうか。

 別館にも風呂はあるらしいが、露天の方が広く、また綺麗らしい。別にあたしは出不精という訳では無いので、二、三分歩いて着けるという範囲なら、普通に歩いて行くのもやぶさかでは無かった。

「……行こうかな」

 思い立って、部屋に備え付けられたタオルと浴衣と共に部屋を出ると、ちょうど隣の部屋から出てきたジーパン君と鉢合わせた。

「……どうも」

「どうも、あんたも風呂か?」

 おや、どうやらそんなに愛想が悪いわけでは無いようだ。自分の顔から険が取れるのを感じた。

「うん、そっちの千反田さんとうちのこころ、花音さんペアは先に行ったみたいだけど……」

「こころ……ああ、あの金髪の」

 少し悩んでいたが、すぐに分かったらしい。彼は頷くように少し顔を上下に振った。

「そう」

「じゃああんたが奥沢美咲か」

「……千反田さんから聞いた?」

 あたしの問いにも少し頷いて答える。

「そうだな。バンに乗ってるときに後ろで……もう行っていいか?」

「あ、あたしも行きます」

 と、そこで思い出した。いや、忘れてはいなかったのだが、タイミングが無かったとでも言えばいいか。

「……どうした?」

 一瞬考えてしまったために立ち止まったあたしを、彼は階段の方から見やる。

「そう言えば、あなたの名前を聞いてなかったなと思って」

「ああ、うん。そう言えば」

 彼も思い立ったように頷いて、それからこちらをもう一度見た。

「俺は、折木奉太郎だ」

 

 そのまま旅館を出て歩いていた。徒歩五分とは言え、せっかく歩いている相手が居る。ならば話すのがマナーだ。という持論と共に、少しの間、折木くんに暇つぶしに付き合ってもらっていた。

「……そう言えば、今日は夏祭りがあるみたいですね」

「そうなのか……敬語、癖か?」

「え?いや、そんなことも無いけど……」

 彼が年上か同級生か、それが分からなかった。三年ということは無いにしても、もしかしたら二年である可能性もある。そう思って、節々に敬語を使っていた。

「……俺は一年だ」

「あ、なら同級生だ」

 安心した。敬語を使うというのは、慣れていないわけでは無いが顔見知りで無いと疲れてしまう事が多々あった。

「ってことは、古典部の皆はあたしたちと同級生なわけだ」

「同級生?そっちの青い髪の……」

「花音さん?」

「そう、その人は先輩だろ?」

「そうだけどさ……言葉狩りはしないでよ」

「……気を付ける」

 と、そんな話をしているうちに、露天風呂に着いた。

「じゃあ」

 というと、折木くんは男湯の方へ。そのままあたしは女湯に向かうと、今日知り合ったうちの全員が来ているようだった。脱衣所に服が置いてあった。

 その脱衣所は意外に狭く。人は居ないものの、棚やら籠やらで少し窮屈だ。

 服を脱いで風呂場に入る。脱衣所とは違ってかなり広めの、作り物の岩を使った、日本猿の浸かっていそうな露天風呂だった。露天と言ったわりに竹垣は高く、景色は見えなかったが、防犯の面から考えると仕方のないことのようだ。一通り体を洗って、掛け湯をしてから風呂に入る。

 湯加減はちょうどいい。中央の、今度は本物らしい岩に寄って、背中を預けると、全身の力が抜けて行った。

 湯気で濁った視界の先に、誰か居るのが見えた。きっとこころか、花音さんか。その人物の居る辺りまで行くと、少しずつ形が見えてきた。

 千反田さんだった。

「あら、奥沢さん。今晩は」

「ああ、千反田さんか。誰かと思った」

 千反田さんは湯船の反対側。湯煙で見えない方向を指す。

「こころさんでしたらあちらに。善名姉妹と遊んでらっしゃいます」

「あー、そっか。花音さんも?」

 聞くと、にこりと微笑んで頷いた。女のあたしでも少し見惚れてしまうような上品さだ。白く光る肌がとても綺麗だった。

「へぇ、意外。結構疲れてそうだったのに」

「松原先輩、嘉代ちゃんに懐かれたようです」

「ああ、あの性格だからね」

 善名嘉代はおどおどとした双子の妹。人見知りで、笑顔を想像しにくい雰囲気を醸し出している。来年小学五年生だったか?

 花音さんもおどおどとした性格で、少し前まで、普段から自信が持てないと嘆いていた。だから、あの手の子供には好かれやすい人なのだろう。

「そういえば、奥沢さんは御兄弟はいらっしゃいますか?」

「あたし?一応、弟と妹がいるけど」

 突然の話題変換であったが、そう言うのはこころで慣れていた。直ぐに答えると、千反田さんはそうですかと笑う。

「私は一人っ子なんですけれど、姉か弟か、気の置けないきょうだいが欲しかったんです。そういう相手がそばに居るのって、なんだか良いと思いませんか?」

 それを聞いて、クスリと、少し笑ってしまった。

 千反田さんは、とても人が良いらしい。素敵なことだが素直すぎるのではと思う。

「そうでもない……とは言い切れないけれど、色々と大変なこともあるよ」

「でも、良いこともあるのでしょう?」

「うーん、まあ、そうだね」

 そう言うと、千反田さんは満足そうに頷いた。どうやらお気に召す解答だったようだ。

 肩の力を少し抜いて、顎のあたりまでどっぷりと浸かる。

 この旅行は良い。疲れが取れて、ストレスも感じない。空を見上げると、空の端の方に一番星が見えた。

 竹垣の方から「ホータロー!」と、何やら不穏な叫び声が聞こえた。

 

 5

 あたしたちが風呂を出ると、もう辺りは薄暗かった。幽霊やら何やらを信じるわけでは無いが、不気味さを感じるのは本能的に確かであって、暗闇になんとなく怯えながら歩いた。

 青山荘に戻ると、なにやら福部くんが騒いでいた。なんでも、折木くんが湯あたりをしたとか。

 福部くんが居て助かったが、居なければ病院行だっただろう。今は部屋で休んでいるそうだ。あまりにも情けないと言ってしまえばその通りだが、きっと直前の車酔いやら疲れやら、何かしらの不調が祟ったのだ。

 そして今、あたしとこころが集まったのは、千反田さんの部屋だ。夏の風物詩という事で、怪談をすることになったのだ。千反田さん、伊原さん、福部くん、梨絵ちゃん、こころ、あたしの六人。花音さんは苦手という事で、今は部屋で休んでいる。もしかしたらもう寝ているかもしれない。今は千反田さんが折木くんの様子を見に行って少し開けている。

「いやー、この女子だらけの空間に男の僕一人が入ったんじゃあ、一寸肩身が狭いかな」と軽口を叩いた福部くんが伊原さんにシバかれているのを見ているうちに、千反田さんは戻ってきた。

「じゃあ、始めよっか。誰から話す?」

「あー、あたしあんまりそう言うの知らないから、聞き専で良いかな」

 福部くんの言葉にそう返して、部屋の壁際に座った。浴衣だと涼しくていいものだ。

「なら、あたしから話すわね!」

「おっ、弦巻さんは詳しいの?」

「この間、知り合いに教えてもらったのよ。ほかの学校のだけどね」

 こころはそう息巻いている。こころにそう言う事を吹き込みそうな知り合いと言ったら、青葉さんあたりだろうか。もしかしたら日菜先輩か、リサさんかもしれない。

「その知り合いが言うには、その学校の七不思議の一つらしいのだけど、その学校のグラウンドの端の方に井戸があるの。その井戸って普段は埋められていて、そこはすごく浅いのだけど、なんでも、白い手が出てきて井戸の中に生徒を引き摺り込むそうよ。実際に見たって話もあるわ」

「その話って?」

 福部くんの相槌。さすがに聞き上手なようで、タイミングがちょうど良い。

「遅くまで校舎に残っていた生徒が、窓から井戸のほうを見たら、その幽霊の影を見たそうよ。しっかりとした話もあるし、本当のことだと思うわ」

 それで満足というように、こころは口を閉じた。なんというか、出来としては微妙だ。学校の七不思議というのだし、所詮はその程度と言ったところか。とはいえ、肩透かし感は否めなかった。

「そっかそっか」と福部くん。

「七不思議ってのはありきたりだけど、学校に井戸か、珍しいね」

「あれ、ふくちゃんでも知らなかったの?」

「いや、心当たりはあるよ。弦巻さん、それは羽丘女子学園の七不思議じゃないかい?」

 それを聞いて、一瞬だがこころは目を見開いた。見事、福部くんはそれを言い当てたらしい。

「凄いわ、里志!なぜわかったの?」

「いや、昔の友人がそこに通っててね。似たような話を前に聞いたことがあったから」

 手放しで誉めるこころに、福部くんは満更でもなさそうだ。そんな彼を見る伊原さんの眉間にどんどん皺が寄っていくのに気付いたのはあたしだけの様だった。福部くん、ご愁傷さまです。御香典でも送ろう。

 それにしても……。

「少し暑いですね」

 あたしだけでなく、千反田さんも同じことを考えていたらしく、彼女は立ち上がると静かに窓を開けた。窓のむこうから少し湿った空気と蛙の声が入ってくる。

「今夜は雨?」

「そうみたいだね。……さあ、次は?」

「はいはいっ、あたしやりたい!」

 福部くんの進行に沿って、次の話し手は梨絵ちゃんとなった。一度大仰に咳をして、話し始めた。

「……うちって本館と別館に分かれてるでしょ。本当はね、わざわざ別館を建てなくてもやっていけたのよ。じゃあ何で建てたのかっていうとね、秘密があるの」

 一瞬、静寂の部屋に、全員の息を飲む音が聞こえたような気がした。

「昔、おばあちゃんが切り盛りしてたころ、陰気なお客さんが泊まりにきてね。本館の七号室にお通ししたんだけど、食事はいらない、布団も敷かなくていい、とにかく近づくなって言ったんだって。おかしいなって思ったんだけど、お金は前金で払ってくれたし、丁度忙しい時期だったから好都合だってOKしたんだって。

 ところが、その晩にね、すごい悲鳴が外から聞こえたの。おばあちゃん、びっくりして飛び出したら、散歩してたお客さんが七号室を指差してて、そこには、首を吊った人の影がぼうっと浮かび上がって、ゆらゆら揺れてたんだって……。そのお客さん、会社のお金を使い込んで、ここまで逃げてきたんだってさ。

 そんなことがあってから、七号室に泊まったお客さんがね、何人もこう言ったのよ。この部屋には何かいる、夜中に影が浮かんでくるって。そして九人目に泊まったお客さんがね、夜の内に、急な病気で死んじゃったの。

 だから、おばあちゃんは御祓いを頼んで、それだけじゃ安心できなくて、別館を建てたの。悪い噂が広がらないようにね。七号室はね、ほら、窓から見える正面のあの部屋よ」

 梨絵ちゃんの差す指につられて、周りの皆が窓を見る。その先には、雨戸がぴっちりと閉じられた窓があった。

「二階の一番奥の部屋。あたしたちは一階で暮らしてて、二階には上がらないようにしてるの……。

 この話は絶対内緒よ!ほかのお客さんの前ではあんまり言っちゃダメなのよ。今回は特別だけどね」

 これで話は終わりらしい。それでも、直ぐには誰も口を開かなかった。予想以上の出来になっている語り口に加え、この宿の目と鼻の先が舞台とあっては、少し緊張するのも必然と言えた。

 折木くんがここに居たら、クールな彼のことだ、「下らない」程度のことを言って一蹴するかもしれない。今はその一言が、無粋であったとしてもあたしは一番欲していた。

 話はそのまま二転三転していったが、その後のあたしは、なぜだか上の空だった。

 ピィヒョロと、笛が聞こえた。

 

 6

 目が覚めると、午前八時過ぎだった。睡眠時間は大体九時間ほど。概ね快眠と言っていい。

 隣を見ると、花音さんがまだ気持ちよさそうに眠っている。起こさないように体を起こして洗面所に向かうと、どうもまだ疲れが残っているのか、少しばかり疲れた顔をしていた。影のせいでそう見えただけかもしれない。顔を洗って歯を磨いてと簡単に身だしなみを整え、部屋の中を振り返ると、こころが居ないことに気付いた。

 そう言えば、昨日の夜に折角だからと、こころは千反田さんの部屋で寝たのだった。快諾してくれたから良かったものの、迷惑を掛けていなければいいのだけど……。

 まだ寝起きではっきりしない頭を揉みながら下に降りていく。昨日の晩飯を食べた和室に向かうと、もう折木くんと千反田さん達は起きて来ていた。だが妙な所があった。

 伊原さんとこころの様子だった。具体的には、こころと伊原さんのテンションが真逆だった。いつもはあまり寝起きが良くないはずのこころが元気に笑っている。反対に、伊原さんは千反田さんのワンピースに縋りついて、青ざめた顔で座っている。

 何だか嫌な予感を感じて、逃げようかとも考えたが、その前にこころに気付かれた。

「あら、おはよう、美咲!いい朝ね」

「……おはよう、こころ。皆も、おはようございます」

「うーん、元気が無いわね?」

 こころは首を傾げている。そもそも、この早朝からこんなに元気なのがおかしいのだ。

 ふと折木くんのほうを見ると、同情するような目でこちらを見ていた。そんな目をされる筋合いがあっただろうかとも思ったが、こころの追い打ちが追想を断念した。

「美咲、出たわよ、幽霊!」

 元気な声で言う事でもないだろうに。

「出たって、見間違えじゃないのか?」

 あたしが絶句しているうちに、こころに聞いたのは折木くんだった。

「ええ、本当よ、奉太郎。見間違えじゃないわ。摩耶花も見たわよね?」

「……見た」

「本気か?」

「夜中に生暖かい風で目が覚めて。で、なんとなく寝返りうったら、向かいの部屋に首吊りの影がぼんやり浮かんで揺れてたのよ!」

 昨日ははきはきと元気だった彼女がうろたえる姿というのは、なんだか滑稽なところがあった。

「…………」

 折木くんと思わず顔を見合わせる。それはあたしの同族センサーが反応した結果で、どうやら面倒なことになったらしいと、お互いの目で共通認識をした。

 隣で話を聞いていた梨絵は「摩耶姉ちゃん、ああいう話苦手だったっけ?知らんかったわぁ」とへらへらと笑っている。

 事の元凶が暢気なことだ。もはや伊原さんは必至である。

「幽霊なら怖くないわよ、恨まれる筋合いも無いし。でも、あんなものまともに見たら、不気味にもほどがあるって!」

 対してこころ。

「そうかしら?あたし、幽霊とお友達になれたら楽しい気がするのよ!という訳で、美咲、幽霊を捕まえに行くわよ!」

 いつものことながら、つんのめりそうになった。

 だが、いつものことだ。もう慣れた。

「こころ、幽霊が居ると思ってる?」

「ええ、思ってるわ。美咲は居ないと思ってるのかしら?」

「うん、居るわけが無い。幽霊なんて空想の産物で、大抵は柳か……」

「枯れ尾花か?」

 あたしの言葉を折木くんが繋ぐ。面倒事が嫌いなのは同じなようで。

「うん、そう。だから、きっと伊原さんが見たのもこころが見たのも、寝ぼけてたか、見間違えたか、だよ」

「寝ぼけてたってことは無いと思うわ。えるも見たでしょう?」

「えっ」

 千反田さんも?

 そんな疑問を視線に載せて千反田さんのほうを見ると、なぜか恥ずかしがりながら

「ええ、私も見ました。首吊の影」

 

 千反田さんの話によれば、昨夜未明。伊原さんが起きたのをきっかけに千反田さんも目を覚ましたそうだ。その時にこころも起きたのだそうで、つめり、全く同じタイミングで同じ位置から三人が首吊りの影を見たという事になる。

「ですが、わたしは目が覚めてからしばらくは頭がぼうっとするんです。なので思い違いかとも思ったんですが、摩耶花さんもこころさんも同じものを見たというので……」

「ほう」

 折木くんの相槌。

 一人ずつだったら、寝ぼけたの一言で丸め込むことも出来ただろうが、三人が見たとなれば、話は変わってくる。人数が増えれば増えるほど、減少の信憑性というものは上がるもので、割合から言えばその場にいた百パーセントの人間がその現象を見たという事になる。

 という事は、首吊りの影か、そのシルエットに類似する何かが、その時間帯に七号室にあったと考えられるのだ。

 勘づかれないよう、小さくため息を吐いた。

「千反田、やっぱりあれだ。幽霊の正体見たり」

「枯れ尾花、ですか」

 折木くんの言葉を聞いた千反田さんは、一瞬考えるようなそぶりをした後に、もう一度折木くんのほうを見て、先程より力強くこう言った。

「だとしたら、何を見間違えたのでしょう」

 それに追い打ちをかけるように、伊原さん。

「そうね、見間違いだって言うんなら、何を見間違えたか言って見せてよ。私もちーちゃんも、ここちゃんも見たってものを、自分が見てないからって否定してかかるのは卑怯じゃない」

 ここちゃん。その呼び名に場違いながらも驚いた。どうやらこの一晩で相当仲良くなったらしい。人の良い彼女のことだ、きっとすぐにこころの感性を理解してくれたのだろう。

 そんなあたしの思考とは裏腹に、こころの言葉が続く。

「奉太郎、あたしと美咲と一緒に招待を解き明かしましょう!」

 いつの間にかあたしも行くことになっていたらしい。折木くんとあたしを交互に見比べている。

「……折木くん、諦めよう。こうなったこころはブルドーザーでも止まんない。正攻法で止めようとするより、きっと納得させた方が早いよ」

 その言葉に、一瞬考えてから頭を振って悔しそうにこう言った。

「……わかった、いいよ」

「もちろん、三人にだけ任せるわけじゃありません。一緒に調べましょう」

 千反田さんは、何だか最初のおしとやかなイメージはどこかに飛んで、意気揚々と張り切っている。

 折木くん、相当苦労しているようだった。

 諦めたような瞳で彼女を見つめる彼は、何だか哀愁を誘う風情があった。

 その彼の背中に、ダメ押しとばかりに千反田さんが言った。

「わたし、気になりますから」

 

 7

 ベーコンエッグとインスタントスープという簡単な朝食を食べ終えて、あたしたちは二階に上がる。階段の上で起きがけの福部くんとすれ違った。彼は事件の発生すら知らないことになるが、折木くん曰く気にしなくて良いとのことだった。

 花音さんは、伊原さんと一緒に子供たちの宿題の手伝いをするそうだ。あたしとしてはそちらの方が性に合っている気がするが、こればかりはどうしようもない。

 皆それぞれに朝からの予定もある。少なくとも今日中にこの問題を片付けて、明日はゆっくりと過ごそう。となれば、どんどんと事を進める必要があった。

 そう言えば、気になる事があったのだ。

「折木くん、怪談の内容は分かってるの?」

「まあ、大体な。窓から話し声が聞こえてきたし」

 此方も向かずにそう答えて、彼は扉を開けた。

 千反田さん、こころ、あたしと折木くんは、古典部男子の部屋に失礼して、検証をすることになった。こころと千反田さんは広縁にある二つの椅子型ソファに座り、折木くんは床に座り、あたしは壁に寄りかかるようにして、会議は始まった。

「さて……何から片付けよっか?」

「まずは、影だな。千反田、弦巻、その影はお前らの部屋の真向かいに見えたのか」

「ええ、そうでした」

「大きさと形はどうだった」

「普通の人と何ら変わりなかったと思うわ。形は夜でよく見えなかったの。すぐ寝ちゃったから良く覚えていないし」

「なら、色は」

「わかりません。いえ、覚えていないわけでは無く、影だったのでわからないのです」

 折木くんのテキパキとした進行に合わせて、簡単なメモともに図にして情報を纏める。

「……奥沢、何かわかったことは?」

「一つだけ。影についてだけど、影が出来るってことは光源がある訳だよね」

 あたしの言葉に三人は頷く。何だかこうも注目されるとこそばゆいものがある。

「夜で光源と言ったら、まあ月か、そうじゃなくても電灯だよね。ここらに電灯は無いから、十中八九、光源は月になると思うんだけど」

「そうだな。昨日は月が明るかった」

「私たちが見たのが超自然的現象で無いとすれば、ですが」

 超自然的現象。まあ、霊やらUMAやらはそうなるか。

「……で、光源が月であった場合、後ろから照らさなきゃいけないわけで……」

 その言葉で察したらしい。折木くんは窓の外を見た。

「つまり、ああいう状態では影は出来ない」

 そう言って指をさす。

 もう何を言いたいか分かっているだろう折木くん以外の二人は、あたしが指を差した窓の外を見て「あっ」と、納得したような驚いたような声を上げた。

 その窓の外、枠に閉じられた先の本館の見える範囲の窓は、全て雨戸で閉じられていた。

「千反田、お前たちが寝たのは何時だ」

「十時だと思います。私たちも疲れてましたし、明日は朝ぶろにと、摩耶花さんと約束してましたから。でも、こころさんはもうちょっと早かったですよね」

「ええ、夜は少し弱いのよ」

「なら、その時に雨戸は」

 千反田さんは少し思い出すような間を置いて、答えた。

「閉まっていたと思います。そこにそれがあると分からないほどに、本館は真っ暗でした」

「ふむ」

 光源は無く影が浮かぶ。物理的にあり得ない現象である。

 どうやら少しだけ面倒なことになってきたらしい。

「良いですね、謎めいて。こんな楽しみがあるのなら、やっぱり合宿を開いてよかったです」

 千反田さんはにこにこと、お淑やかに笑っていた。

 

 話し合い、その結果として、件の七号室を見なければ始まらないという話になった。

 別館から本館へは渡り廊下で繋がっていて、だから、その渡り廊下を使えば行き来は簡単なのだが、事はそう簡単に進まず。

 あたしたちの目の前の渡り廊下には『工事中につき関係者以外立ち入り禁止』と書かれた札が下がり、渡り廊下の壁から壁、丁度道を分断するようにロープが張られている。

 ロープに構わず、潜って進もうとした折木くんを何とか止めて、一度状況を整理することにした。まあ、状況の整理と言っても、このままの状態で調べようとすると、後々問題になる可能性が高いと、ただそれだけなのだが。それでも、宿に泊めてもらっている身、なんとか民宿の誰かに許可をもらうことになった。

 だが、首吊りの件を調べていると、民宿夫婦に正直に言おうものなら、まず止められるだろう。それに、この噂の出所である梨絵の立場は悪くなる。許可を求めるのなら、姉妹のどちらかだろう。

 その様に考えが纏まった時、具合の良いことに、ちょうど嘉代が通りかかった。

 折木くんが不愛想に呼び止めると、嘉代はびくりと体を強張らせた。

「後は頼んだ」と、短く折木くん。言いたいことは分かったようで、千反田さんは頷くと、こころと一緒に嘉代の方にゆっくりと近付いて行った。

「子供、苦手なんだね」

「昔からな、何故だか怖がられる」

「きっと不愛想だからじゃないですかね……」

 あたしの言葉に、どうだかなと肩を竦めた。

 それから嘉代の方に耳を傾けると、「ごめんなさい」と聞こえた。

「今は駄目なんです。お姉ちゃんに……怒られちゃう」

 仕方が無いと言えば仕方が無いか。他人の興味で家を荒らされては、たまったものではないのも事実だ。折木くんはもう七号室については諦めたようで、代わりにとでも言うように、嘉代に質問をした。

「なら一つ聞かせてくれ。本館の七号室、あそこは今でも客室なのか?」

 折木くんの声にやはり少しだけ体を固くしながら、緊張した面持で、それでも質問には答えた。

「違います。本館はお客さん用には、お風呂場と食堂しか使っていません。二階は、全部物置です」

「そうか」

「あの、もういいですか」

 折木くんは小さく頷く。

「ありがとう、役に立っ……」

 たたっと、走る足音。

「行っちゃったわね」

 折れ木くんのお礼も聞かず、踵を返して階段を駆け下りて行った。少しだけ寂しそうに、折木くんは腕を組んだ。

「嫌われたなぁ」

「いいじゃないですか、大きな男の人が怖いんでしょう。可愛いですよ。……妹も良いですねぇ」

 可愛いという気持ちはわからないでもない。うっとりとした声で千反田さんは呟いた。

 

 外に出ようという事になって、玄関に向かうことになった。

「七号室、入れなくなったね」

「ああ、どうも面倒なことになった」

 折木くんは嫌そうな顔でそう呟く。今までに見たことが無いほどの嫌そうな顔を見ると、面倒なことは何事よりも嫌いらしい。と、そこまで考えて、そもそも面倒事が好きな人間などそうは居ないと思い直した。面倒なことになったという意見も概ねあたしと一致しているし、これはいよいよ本腰を入れて探偵役を買わなければいけない。

 宿泊客用と善名家用共通の玄関で靴を履き替える。いつも通りのスニーカーだ。踵を履き潰す様にして突っ掛けると、後ろで千反田さんの声がした。

「あら、懐かしいものがありますね」

 振り返ると、どうやら下駄箱の脇に置いてあったラジオ体操の出席票のようだ。マジックで名前がでかでかと書かれた梨絵のものと何も書かれていない、恐らく嘉代のもの。合計二枚。

 確かに懐かしいものではあるが、弟妹の付き添いで参加をしているあたしにとって、まだまだそれは馴染みの深いものだった。とは言っても、行くだけ行って木陰で見ているだけなのだが。二枚を手に持つと、千反田さんは撫でるようにして、

「朝のラジオ体操。一昨年までは通っていました」

 一昨年、というと中学二年だろうか。本当に通っていたとしたら正気の沙汰とは思えないが、きっと千反田さんなりのジョークなのだろう。

「あたしはまだ通っているわよ!気持ちがいいわよね」

 こころの言葉は、きっと本当なのだろう。彼女は未だに嘘が付けない。本気かという目で見てしまったが、変わっているというのも今更だろう。

 外側から何かアプローチできないだろうかという事で、外に出た。

 窓際から見た通り、木造建ての壁がそれなりの高さで聳え立つ。件の七号室は、雨戸が閉まっていて中の様子を見ることはできない。

「建物の裏手からも見てみましょう」

「そうだな、回ろう」

 先だって歩く二人。それなりに慣れている手際を見るに、もうすでに何回か、こう言ったことをやって居るのかもしれない。

「なんだか楽しそうね、二人とも」

「そうだねぇ」

 こころとあたしは少し後ろを歩いて、彼らの背中を眺めていた。どうも、今回はこころが言い出さないでも千反田さんが言い出していたのだろうから、何だか迷惑を掛けている感じが無く、気分が嫌に楽だった。

 裏手に回って数メートル。特に変わった様子は無く、表と変わらずごく普通。

「む」

 と、折木くんの声。見上げていた視線を直すと、どうやら泥たまりに足を入れてしまったらしい。少しばかり泥がはねた。

「悪い」

「いえ、構いません」

 泥。昨日は、そう言えば、少しばかり雨が降った。土砂降りとまではいかないが、それなりに激しい雨。地面は当然ぬかるんでいるし、影になるここではいまだ乾かず、地固まるとはならないようだ。

 一応、うちのお嬢に声を掛けた。

「こころ、そっちで待ってな。泥で汚れる」

「わかったわ―!」

 そんなに距離が離れているわけでは無いが、やまびこの様に叫んで、その場で足を止めた。それを見届けてから、少し先の折木くんたちに話す。

「なぁ、昨夜雨は降ったかな?」

「ええ。時刻までは分かりませんが、一雨」

「それなりに激しめなのがね。あたし、それで窓を閉めたから。生憎、時計は見えなかったけど」

「そうか……」

 見上げる支援の先には雨戸。完全に締め切られている。

 影ならば反対側に光が必要だ。こちら側と表、二つの雨戸を開けた上で光を当てる必要がある。

 ふと隣を見ると、腕を組んだ折木くんの横で、千反田さんも、何を思ったのか腕を組んでいる。何だか微笑ましくて、少し笑ってしまった。

 その直後、目の前の窓が勢いよく開いて、嘉代が顔を出した。

「あの……、お昼ご飯です」

 おや、もうそんな時間だったの。

 

 昼食は冷やし中華で、とても美味しかった。標高は高く、暑さに耐えられないという訳では無いが、それでも季節にあった食べ物というのは、なかなか良いものだ。

 九人がそろって食卓を囲んで食べ切った後、休憩として、二階の部屋に戻った。

「美咲ちゃん、お疲れさま」

「ああ、どうも」

 テレビの流し見をしていたところ、花音さんが部屋に帰ってきた。

 麦茶のグラスを手渡して、花音さんは横に座る。

「どうかな、何かわかった?」

「ああ、まあ。何をやりたかったのかは分かりましたけれど、誰がやったのかはいまいちです」

「さすが、もうそこまでわかったんだね」

 花音さんはそういうと、柔らかく笑う。普段から見ているからか、少しだけ緊張が解けた。

「そっちはどうです、勉強とか言ってましたよね」

「ああ、うん。摩耶花ちゃんの手際が良かったから、私は何も。簡単にお菓子とか作ったりしてたけど、それくらいしかできなかったよ」

「ああ……でも、それで十分じゃないですか?あたしも後ろ引っ付いてただけみたいな感じですし」

 その言葉を聞くと、また少しだけ笑った。

「そう言えば……今夜は花火だって。梨絵ちゃんが浴衣を着て来てたよ」

「へぇ……浴衣ですか。嘉代ちゃんは着てました?」

 花音さんは小さく首を振る。

「ううん。着てなかったよ。何でかは知らないけれど」

「そっかー……」

 ひょっとして、あと一歩なんじゃないだろうか。そんな考えが頭に浮かんで、直ぐに消えた。

 

 温泉に行こうとして、廊下の所で福部くんに出会った。

「ああ、奥沢さん。温泉かい?」

「まあ、そんなところです。福部くんも?」

「そんなところだね」

 人懐こそうにケタケタと笑って、彼は歩き始めた。自然とそれに倣う。

「なんだか、楽しそうなことをやっているね」

「あー、件の幽霊の事?」

「そうそう、みんな僕のことは蚊帳の外。構ってくれるのは摩耶花くらいさ」

「なんだか、普段から苦労してそうだね」

 誰がとは言わないが。

 階段に差し掛かる。降りる最中も彼の話す口は止まらない。知り合いにはそんな類の相手は居ないため、新鮮だ。

「お、分かってくれる?」

「うん。良く分かるよ」

 彼と話すのは体力を使いそうだ。

「それで、奥沢さんはワトソン?それともホームズかな?」

「いや、何の話なの……」

「今回の一件だよ。ホータローと一緒に色々調べてるんでしょ?」

「まあ、うちのお嬢様がうるさいからね。……そうだなぁ、マイクロフトかな?」

 あたしの言葉に、福部くんは「おぉ」と感嘆を上げた。

「渋いところを突いてくるね。同類、されど同義に非ず、か。もしかして、割と読んでいる質なのかい?」

「ああ、あたしの先輩と前にちょっとね」

 以前、薫さんの部活友達の大和麻弥先輩に借りて、読んだことがあった。

 本編に関わるではないが、それなりの距離感でワトソンやホームズに接するあのキャラ性が好きなのだ。

 思わぬところで本の知識が生きて、何だか得をしたような気分になった。

 階段を降り切って、温泉に向かうための外靴に履き替えようというところで、福部くんから何とも言えないような声が聞こえた。

「あっ、しまった」

「どうかしました?」

「忘れものだ。タオルを忘れた。僕、ちょっと部屋に戻って取ってくるよ」

 それだけ言って、降りてきたばかりの階段を駆け上がっていった。

 彼には悪いが、此方が待つような道理も無い。少しばかり罪悪感を感じながらも玄関の戸を潜ると、外の方から,こころが此方に掛けてきた。

「あら、美咲。どこかに行くの?」

「うん、温泉に行ってくる。あんたは?」

「直ぐに行くわ!」

 すれ違いに入っていく心を振り返らずに、あたしは歩き出す。きっとこころならすぐに追いついてくるだろう。

「おっと」

 一つ聞き忘れていたことがあった。

「ねえ、こころ。昨日の夜は、何かイベントがあったっけ?」

「イベント?」

 訝しげな声。数瞬の間の後、声が返る。

「そう言えば、夏祭りがあったみたいね。知っていた?」

「いや、知らなかった。ありがと、こころ」

 知っていたことは黙っておこう。しかし、なるほど、あの笛の音はそうだったのか。ポスターを見たはずだが、完全に忘れてしまっていたようだ。

 今度は奥に走っていく背中を見送って、歩き出した。

 これで大体、条件は揃った。

 

 温泉へと向かう道を歩いて下っていく。

 折木くんはもうわかっただろうか。何かと察しが良い彼のことだ。もうわかっているんじゃなかろうか。

「説明、どうしよう……」

 結局のところ、枯れ尾花だった。

 それが真実であり、今回の謎の正解と言って良いだろう。もう大体の察しは付いている。

 だけど、あたしの中でその言葉は纏まらないまま、答えだけが渦巻いている。

 露天風呂まで来て、女湯の方にまわる。

 脱衣所に着くと、千反田さんと、それからこころが居るようだった。

「……おかしい」

 昨日と同じ場所に、同じように服が畳まれている。よっぽどこっちの方がオカルト的だ。瞬間移動でもしたのだろうか。

 風呂場に入ると、案の定、こころと千反田さんが話していた。

「……こころ、どうやってこっち来たの?」

「あら、美咲。遅かったわね」

「あんたが早いの」

 掛け湯をしてから、湯船に入る。昨日と同じ、白く濁った硫黄の香りの湯。

「廊下で里志と会ったのよ。それで近道を知ってるっていうから付いて行ったの。そしたら、ここの裏にある崖を滑り降りて行ったのよ!面白かったわ」

 危ないだろうとは思った。だが、あの小柄な彼が危なげなく降りることのできる崖というのだ。きっと適当な斜面だろう。

 それよりも、たかがショートカットのためにそこまでする彼の根性には恐れ入ったものだ。

「奥沢さん、七号室の件、分かりました?」

 と、千反田さん。タオルで顔を拭きながらあたしは答えた。

「うーん……まあ、十中八九?」

「わかったのですかっ」

 おお、すごい食いつきようだ。

 だが、千反田さんには悪いが、分かったとは言っても、せいぜい「多分これだろう」というレベルのものでしかない。取り繕うような笑顔になってしまったが、何とか続ける。

「い、いや、折木くんとすり合わせない事にはどうにもって感じだけど」

「そうですか……でも、すごいです。わたし、まだ全然分かっていないんですよ」

「そうよ、美咲はすごいのよ!」

 なんであんたが胸を張る。そう思ったが、口に出すのは無粋だろう。

「じゃあ、帰り道にでも説明するから、折木くんと合流して帰ろう」

「そうですね」

「いいわ」

 二人の了承も得て、一足先に湯を上がる。

 浴衣を羽織ると、夏の匂いがした。

 

 8

 露天風呂から出てくると、道の先で立っている折木くんを見つけた。声を掛けると、すぐこちらに気付いたようで、片手を上げた。

「どうも」

「ああ、何か分かったか」

 少し肩を竦めながら答える。

「まあ、大体これじゃないかって感じで……どうも確証が持てなくて」

「そうか……ちなみに誰がやったと考えてる」

「嘉代ちゃん」

「俺もそうだから、まあ、正解だろうな」

 どうやらほとんど同じ考えのようだ。

 その後は適当に世間話をして、しばらく経った頃に千反田さんとこころが出てきた。そのまま連れ立って歩いて、坂の中腹ごろに切り出した。

「首吊りの影、あれな……。ハンガーにかかった浴衣、だったんだろうな」

「え」

「?」

 突然の解答に、千反田さんは目を見張る。こころはきょとんと、首を傾けている。

 二人がしっかりと意味を理解するまで待って、折木くんは言葉を続けた。

「浴衣のシルエットが人の影に見えるのは、寝ぼけ眼でなくても無理はない。大体幽霊が出たのでなけりゃ、ぶら下がる人影なんてワンピース形の服くらいしか思い当たらんだろう」

 千反田さんは無言のままだったが、しばらくして、納得しかねるように首を傾げた。

「でも、なんでそんなところに浴衣が。それに、雨戸を開けてまでわたしたちに浴衣の影を見せるなんて、変です」

「千反田さん達に見せるためじゃないよ」

 思わず口を挟んでしまった。三人の視線が集中するので、少しだけ目を逸らす。

「風通しを良くして、濡れた浴衣を乾かすために、雨戸を開けて乾かしていたんだ」

「なんでよ、美咲」

「雨に濡れたから。ほら、昨日は雨が降ったし……」

「違うわ。七号室に干されていたのがなんでって聞いてるのよ」

 こころが問いを重ねる。

「家族から隠したかったから」

 一拍置いて、あたしは自分の意見を説明することにした。

「きっと、やったのは嘉代ちゃんだと思う。

 花音さんから、梨絵ちゃんが浴衣を持ってることを聞いた。でも、嘉代ちゃんは持ってないようだったことも一緒に聞いた。だから、羨ましかったんじゃないかなって思ったんだ。梨絵ちゃんは自分のものは自分のものとして、しっかりと主張するタイプの子で、だから浴衣を嘉代ちゃんに貸すことも無かった。着たくても着れなかった嘉代ちゃんは、とうとう昨日、浴衣を外に持ち出した、と。きっと夏祭りにでも行ったとか、その程度の理由だけど」

「なんで夏祭りに行ったと……」

 千反田さんは少し焦っているのか何なのか、追及の手を緩めない。

「ただの勘だよ。昨日の夜に夏祭りが開かれているって言うのをこころから聞いて、もしかしたらって」

「ああ、それについては、俺が見ている」

 あたしに任せて歩いていた折木くんは、面倒そうに話に入ってきた。

「八時ごろ、外に出て行く人影をな。それと、嘉代は昨日の怪談の場に居なかったと里志から聞いている。そこで昨日の雨だ。

 土の濡れ具合からすると直ぐに上がっただろうが、浴衣はしっかりと濡れた。そこで、嘉代は明日の……今日の夜だったか、花火の予定を思い出したのかもしれない。梨絵はまず間違いなく、浴衣を着て参加したがるだろうという予想は付く。それはもう焦っただろうな。

 だが、いくら乾かしたいとはいえ、家族が住む本館一階では誰に見つかるとも知れない。別館は言わずもがな。だから梨絵は、一番人気のない場所に皆が寝静まってから干したんだ。本館二階の七号室。一番奥の突き当りにな。

 だが、嘉代の不幸は続いた。月明かりが開いた窓から射し込んで、お前たちに首吊りの影を見せた、って訳だ。西からの光だから、大体零時以降、三時か四時くらいか。

 そして最後の不幸、俺たちが首吊りの影を調べたこと。さっきの昼休みで、あの姉妹はさっさと部屋を出て行った。浴衣を見せるためだろうが、嘉代は……気が気じゃなかっただろう」

 折木くんは一気にまくし立てて、一歩先を歩く。

 全部分かっているかのような気配。きっと、嘉代ちゃんの及び腰もこれが原因だろう。本当に怖いのかどうか、それは分からないが。

「それで、浴衣は朝早くに起きて戻した。嘉代はラジオ体操に通っているから、その時刻の少し前くらいか」

「…………」

 千反田さんは黙ったまま。こころも何か納得できない様な、腑に落ちない表情をしていた。

「このことは伊原には伏せておく。万一梨絵に漏れたら、嘉代に申し訳が立たんからな。万事いろいろ、事情も有ろうよ」

 全員、黙って坂を上がる。

 

 またしばらく坂を上がって、口を開いたのはこころだった。

「なんだか、それだと悲しいわ」

「どういう事?」

「なんだか……今の奉太郎の話を聞いていると、梨絵と嘉代の仲が悪そうに聞こえてしまうの」

 思いもしていなかった言葉だったが、こころが言いそうなことではあった。こころの言葉に、千反田さんが同調するように、言葉を継ぐ。

「わたしも、そう思いました。浴衣の貸し借りも出来ない二人なんて、とても気が置けない関係とは言えませんね」

 そう言って、千反田さんは微笑んだ。口は笑っているし、しっかりと表面では微笑んでいるのだが、なんだかその表情は哀しそうに見えた。何故だか悲しみを纏うその雰囲気は、やけに彼女に似合って見えた。

 折れ木くんが口を開く。

「そんなものじゃないか、兄弟なんて。俺だって姉貴に」

「わたしは」

 折れ木くんの言葉は、どうも、千反田さんの耳に入っていないようだった。独白や演説といった調子で、言葉はそのまま紡がれる。

「きょうだいが欲しかったんです。尊敬できる姉か、可愛い弟が」

 浴衣の私たちは歩く。夕焼けで橙に染まった入道雲と赤い空が、やけに白々しく思えてきた。「でも、きっとわかっていたんだと思います」と、青山荘が見えてきた辺りで、ようやく千反田さんが口にした。

「首吊りの影は幽霊なんかじゃありません。そして、世のきょうだいがみんな、心から楽しみあえるかと言えば……」

 濃い緑に囲まれた緩やかな長い坂道を、ノロノロと登っている。

 どうやらあたしは、勘違いをしていたようだった。口の先ではみんながみんなそうじゃないと言いながら、心の底では、皆が幸福であると、そう思っていた。

 だが、現実はこうである。それを今回のことで、改めて思い知らされたような気がした。

 湿っぽい暑さと、汗ばんだ体を揺らして、坂道をゆっくりと上がる。坂の上に人影が横切った。近づくあたしたち四人に向けて、手を繋いだ幼い少女たちが、大きく手を振っていた。

 



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