腰高障子が、朝陽にかがやいていた。 晴天のようである。陽射しのかげんからみて朝餉ごろであろうか。家々のあちこちから、子供の泣き声、女房の子供 を叱る声、笑い声が聞こえてきた。いつもの騒々しい朝である。
伊助は、大きく伸びをして立ち上がると、シワだらけの着物をたたいて伸ばした。 昨夜の宴のあと、面倒なのでそのまま眠ってしまったのだ。
「顔でも洗ってくるか」
伊助は手拭い腰にぶらさげ、小桶を手にして戸口から 出ると井戸端へ向かった。
「おい、伊助」
井戸端の方へ歩きかけたところで背後から声をかけられた 。 振り返えると、平八郎が下駄を鳴らして近づいてくる。伊助と同じよう に手拭いを腰に下げ、手に桶をかかえている 。やはり、顔を洗いに行くようだ。
「その寝ぼけ眼を見ると、昨夜はだいぶ飲んだな」
伊助は、平八郎の顔をのぞきながら言った。
「いい男と共に飲む酒は進むものよ」
平八郎は、伊助と肩を並べて歩きながら言った。
「いい男ってのは、頼邑さまのことか」
「どっちもだ」
どっちもとは、自身のことだろう。こいつほ ど、図々しい男はいないと思った。 井戸端に行き、伊助と平八郎が顔を洗っていると、後ろからくる下駄の音がし 、話し声が聞こえた。
里の娘、お花とみねという娘である。ふたりとも十五・十 六で、ともかくよくしゃべる。
「お花ちゃん、知ってる。伊助さんのこと」
みねがお花に身を寄せて訊いた。
「知ってるわよ。伊助さんが襲って返り討ちになって助けられて、旅人の方がここまで運んでくださったそうね」
お花が眼をひからせて言った。
「それにしても、まぬけな話よね。襲った相手に助けられるなんて 」
「ねぇ、それでね。その旅人の方が男前でね 。その顔を見た子が、のぼせ上がって何か話しても上の空らしいのよ 」
「ほんと? そんなにいい男なの」
みねが足をとめて訊いた。
「私は、まだ見てないけど気品のある顔付きで優しい声と 、時々見せる笑みがたまんないらしいのよ」
「えー」
みねが眼を丸くし、ビクンと背筋を伸ばした 。
「うちの里の男とは、月のすっぽん」
「うちの里の男は、底辺の吐きだまりよ」
「そうね 、比べることすらおかしいわ」
お花は今度は両手を握りしめ、体と一緒に上下に振っている。
「ねぇ、今も里にいるの」
みねが訊いた。
「いるわよ。伊助さんの家の斜め向かいの空き部屋に」
「行ってみない。顔だけでも 見たいの」
「いいわよ、いいわよ」
みねが 早く水を汲まなきゃ、と言って、井戸端にい た伊助と平八郎にやっと気付いたのか慌てて鶴瓶を手にした。
「な、な、なんだ。あのふたりは」
平八郎が毒気に当たったような顔し て、井戸端からそそく さと去って行ったふたりの娘を見送っている。
「若い娘たちは、頼邑さまが気になるようだな」
伊助は苦笑いを浮かべながら言った。
「それにしても、俺たちを底辺の吐きだまりと言ったぞ 」
平八郎が苦虫を噛み潰したような顔をした 。 伊助はその表情を見て、頼邑と比べられてしまったら何も言い返せないのではと思った 。 男から見ても頼邑はいい男で、剣の腕も見事なものは身を持って体験したので、本当にいい男だと思った。