私は身体が強張るのを感じていた。その部屋は別に寒いわけでもない。むしろ心地よい暖かさだ。なのに、私の身体に走るのは鳥肌と畏怖の念。まるで極寒の世界に放り込まれてしまったかのような寒気。
「どうぞ座って」
声がかかった。目の前の女性は柔和な笑みを浮かべ、私に座るように促す。優しい、いいえ、優しすぎる声。包み込むような柔らかさを伴った声色。
なのに、まるで真綿で絞められていくような息苦しさを感じるのは何故なのでしょうか。
私が椅子に腰を掛けると、女性はカチャカチャとポットに茶葉を入れて湯を注ぎ、少し時間をおいた後、カップに注ぐ。
「お砂糖はいるかしら?」
「いいえ」
「ミルクとレモンは?」
「いいえ」
彼女の質問に、一言でしか答えられないもどかしさ。
「さあどうぞ」
テーブルにおかれたカップには、湯気が上がる温かい紅茶。寒気を感じている私には、今まさに求めていたもの。なのに、何故か手が動かない。いや、動かせない。
「あら、紅茶はお嫌いでしたか?」
「あ、いえ、いただきます」
女性が一口飲むのを見て、ようやく私も喉を潤す。
温かい。
「おしいしい?です」
「よかった、貴女が気に入ってくれて。これ、私のお気に入りなんですよ」
コロコロと笑う表情に、私もつられて笑ってしまう。その後、しばらくは日常の話や私が無理をしていないか?と心配されるなど、私を気遣う。
私がこの家に嫁いでしばらく経ちますが、この屋敷でこの人と顔を会わすのは一度や二度ではない。何度か挨拶をすることはあったが、こうして一対一で対面するのは初めて。夫や彼の御両親、妹様とは打ち解けて来てはいるが、この方だけは未だに距離感が掴めていない。
初めて出会った時も、私の夫と一緒だった。
ラナディール・ティファロード・グレモリー。それがこの方の名前。現魔王の一人で、グレモリー家の長女。そして、私の夫のお姉様。自称『お天気お姉さん』。
グレモリー家特有の血を固めたような朱い髪。下がった目元は優しさを、唇は柔らかさを抱かせ、見る者の警戒心を解きほぐすような印象を纏っている。
彼女の今の出で立ちは、貴族とはほど遠い、町娘のような服装。あの時とは違い、威厳を抱かせるものはない。
私を見た時に、まるで信じられない物を見たような表情、そして微かに残る言葉。
その一瞬、私は身体がバラバラになった自分の幻影を見た。首が、四肢が、胴体が切り落とされ、くるくると落ちる顔と目があった。
「ごめんなさいね」
彼女は目尻を下げ、悲しげに呟く。
「こうして貴女とお話ししたかったのに、いつも忙しくて。少し無理をして時間を作ったのだけど、迷惑、でしたでしょう?」
「い、いえ!こうしてラナディール様とお話出来るのは私にも大切なことです!それに、夫からも話をするべきだと、強く薦められましたので」
「ありがとう。そう言っていただけると嬉しいわ」
彼女は微笑む。まるで日溜まりのような温かさを抱かせる、夏の日に咲く花のように。
「それで」
ラナディール様はその両目で私を見据えている。その黄金の瞳が私を見つめている。口許、頬、それらは笑っているのに、その光だけは、何も写していない。
「弟とは上手くいってるかしら?」
心臓を捕まれたような気がした。
扉が閉まる音が聞こえ、カツカツカツと離れていく足音。
私は無言のまま扉の鍵をかけ、防音の魔法を指で振るう。ゆっくりと両手で顔を覆い、フルフルと身体を震えさせ、
雄叫びをあげた。そのまま歓喜のままに叫び続ける。
「ヤった!とうとうヤった!ヤってくれたのね!偉い、偉いわ!さすが私の弟!これで私の頑張りも一つ報われたわ!」
もしも、この光景を家族が見たとしたら、自分の娘が、姉が気が狂ったのではないか?と思うだろう。それほどまでに彼女の行動は異常を記していた。
一しきり笑い続けると、私はゆっくりと深呼吸をして、心を落ち着かせる。窓から外を見れば、私以外の家族がテーブルを囲んでティータイムを満喫していた。と、弟の妻になった彼女も参加したようだ。その光景に私は微笑みを浮かべ、椅子に腰を掛けた。
「まずは上々ってところでしょうね」
私は肘を机につけ、頭を乗せてゆっくりと思案する。
「でも、まだ安心は出来ない」
なにせ、
「絶対に、絶対に奪わせたりはしない」
私はただ、来るかもしれない敵を見据えていた。
馬鹿な話なんだろうけど、私には未来を見ることが出来る。ただし、夢として、ではあるが。それは曖昧な蒙昧で、まるで滲んだ絵の具のようにぼやけていることが多い。また、聞こえてくる言葉も壊れたラジオのように雑音交じりで、所々がトンでしまう事もある。
もっとも、あくまで未来の可能性というだけで、それが本当に未来だったのだろうか?なんてのは正直眉唾物。
例を挙げれば、お昼のティータイムのお菓子が、焼き菓子だとは分かっても、それがクッキーなのかスコーンなのかは判らない。家族と出かける話があったとしても、話は事実でも雨で中止になるかまでは不明。
そんな、あくまでこんなことが起きるかも?というだけの代物。私がこれを理解した時は・・・なんて説明をしてもつまらないだけだろう。
そんな中、私が警戒しているのはただ一つ。
私の弟と妻との関係だ。
弟が生まれ、少しずつ成長していく中で、私は時折夢を見るようになった。始めは漠然とした何かが動き、雑音が聞こえていた程度。それが弟が大きくなるにつれて明瞭になっていった。漠然とした抽象画から、モザイク画へそして少しずつその曖昧さも消えていく。同じく聞こえてくる音も、雑音から音トビへと変わっていった。
それはある家族の姿、顔を黒く塗りつぶされた青年が、同じく顔だけが真っ黒な女性と共に生き、そして子供らしき存在と一緒になっていく。聞こえてくるのは、仲睦まじさと温かさ、そして談笑。名前だけがノイズになってい聞こえなかったが、それでもどこかの家族の姿だった。
そしてある時期を境に、その関係は変わる。青年の妻らしき女性が、青年とは違う存在とまぐわっているのだ。そしてそいつは、何食わぬ顔をして青年と少女か少年か判らない子供に笑いかける。それの繰り返し。その果てに、それはあろうことか青年と子供を捨てて、別の男と共と愛し合うと言う、まさに悪夢だった。いいえ、それは
そして私は聞こえた。その夢の会話を。
『なぜなんだ■■い■ア!どうして!?』
『悪いねぇ、こいつは俺にゾッコンでね?まあ、アンタじゃ満足できなかったみたいだよ』
『ごめんなさい。本当は私、この方が始めから好きだったのです。もういないと諦めていましたが、ですが、もう私は迷いません』
『だとよ?ざまあねぇなぁ!お前はこいつを愛していたんだろうが、こいつはお前のことなんか愛していてなかったんだよ!』
『さようなら』
『グ■■い■!!』
目の前で肉塊へと変わる青年
『お母様!離してください!』
『■■き■ス!■れい■■!なぜ自分の娘まで!』
『ご主人様に愛して貰いたいからです。ご主人様に愛して貰えるなら、娘を捧げても構いません』
『お父様ぁぁぁ!!』
娘を自分の快楽のために捧げる女
『残念だったなぁ!■■■■■は貰ったぜ。しかしまぁ、神様から貰った力は気持ちいいぜ!なんたって、簡単に弄繰り回せるんだからなぁ!!』
『どういうことだ!!』
べらべらと神様の力だと喋り出す男。自分は神に愛されたとのたまう精神異常者。自分は神によってこの世界に転生し、神に与えられた力で好きに生きると、原作主人公にとって代わると叫びだす。
その力は確かに異常で、人型の機械を呼び出す者、見たこともない魔法、魔術を使う者、あまつさせ手駒にした女を襲わせる者。そして何度も私の目の前で殺される青年。
吐いた。胃液が零れるほどに吐き続けた。そして私は、気が付けば弟を抱きしめていた。「どうしたのですか姉上?」と不思議がっている弟を私は泣きながら抱きしめていた。
今まで見ていた悪夢は全て、私の弟の未来だと知ってしまった、理解してしまった。
なぜ?どうして?
私に浮かぶのは疑問しかなかった。
なぜ私の弟が苦しむ未来を見てしまったのか。なぜ私の弟の未来がああも恐ろしいものなのか。なぜ私の弟が苦しまなければならないのか。
渦巻く疑問や怒りと悲しみに苛まれて部屋に閉じ籠り、しばらくは夢を見たくないあまりに寝ようとしなかった。
壁越しから伝わる、私を心配する両親や弟の声。
言えるわけがない。弟の未来が理不尽に奪われるなどと。愛した妻に裏切られることなど。幸せだった弟の未来が、『神に愛されている』とほざく精神破綻者に奪われる。弟を愛していると告げておいて、快楽に溺れた売女に汚される。
許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない
ならば私のすることは一つしかない。
そして私は誓った。
私は、弟を不幸にするだろう存在に憎悪した。そして弟を弄ぶかもしれないアバズレを憎んだ。弟を愛していると言った言葉で、別の男に腰を振るうかもしれない女。私の夢は可能性でしかない。それでも、私の弟が不幸になる可能性がある。ならば、私がその可能性を潰すしかない、徹底的に!男が語った『神』などどうでも良かった。ならばそいつさえも殺せる力を持てばいい。故に私は自分を鍛えた。
気付けば私は魔王の一人となっていた。雷を操り、風と共に駆け抜け、洪水を用いて敵対者を潰していった。二つ名を貰ったが、そんなものは私には関係なかった。
そしてある日、弟が一人の女性を連れてきた。その女性は争いを止める為、家を裏切ってまで力を尽くしてくれた女性だと言う。そして弟が言った。
『姉上、私はこの人と、いえ、グレイフィアと結婚したいと思っています』
その言葉に、私は理解した。そうか……
「まあでも」
私は頭を振って意識を戻す。家族からの話を聞けば、彼女はとてもいい人とのこと。もちろん、それが演技かもしれない。それでも弟はとても幸せそうだ。夢にしても、弟と彼女は幸せだったのは確かだった。もしかすると、彼女は本当に弟を愛しているのかもしれない。そう信じたくなっているのは、私自身の甘さなのかな、と自嘲してしまう。
久々に夢を見た。弟と彼女が幸せそうな夢だった。そして同時に思ってしまう。あの悪夢だけは絶対に阻止しなければならないと。
「お願いよグレイフィア。私は貴女を信じたいの。貴女が本当にサーゼクスを愛していると私に見せてちょうだい。そしてサーゼクス、私の大切な弟。安心しなさい。貴方の幸せはお姉ちゃんが守るから。例え相手が、『この世界の外の神』に愛されていようと、私が守って見せるから」
そして未来から来るかもしれない訪問者よ。その腐りきった肥溜めにも劣る欲望を滾らせ、無知蒙昧な全知全能に酔い痴れて、私の家族を毒牙に掛けると言うのなら覚悟してください。
・ラナディール・ティファロード・グレモリー
グレモリー家長女。現魔王の一人。嵐などの天候を操り、透明化、変身能力、人身掌握といった搦め手にも長けている。彼女に睨まれた組織は、度々内輪揉めを起こして内部分裂している。
仕事時は淡々としているが、本来は茶目っ気なお転婆娘。家族を大切にしているが、距離を置かれていることにショック中。弟と奥さんにはイチャコラを推奨するほどに家族愛に溢れている。
弟の妻が浮気、不倫、洗脳される平行世界(異世界)の可能性を夢として受信してしまい、なんとかしないとアカン!!と、弟夫婦の安寧のために頑張っている。
取り敢えず一緒の時間を創ればエエんや!と考え、ことある毎に二人をくっつけようとする。
『大丈夫、弟の未来は私が守るから!』
・銀髪奥様
この世界では旦那にガチベタぼれ。メイドでも女王でもなく、一人の妻として夫を支える存在。
ゴッドマキシマム独占欲レベルビリオン。
義姉様と仲良くなりたいが、何故か距離を置かれていることに戸惑いを隠せていない。
・赤髪青年
グレモリー家の現当主。平行世界ではひたすら酷い目に遇わされまくる不憫枠。姉を尊敬し、妹を溺愛する好青年。
姉と妻とのギクシャク関係に胃を痛めていた不憫枠(重要)。
最近、やたらと姉が、妻との時間を大切にしなさい、と一緒にいるように勧めてきたり、
妻のスキンシップの回数が増え、その過激度が上がり出していることに悩まされる不憫枠(重要)。