それは、冬の寒さがもたらした、ほんの気まぐれ。
twitterの『魔女集会で会いましょう』というタグに触発されて書いたものです。
そいつはほんの気まぐれだった。
何不自由なく暮らしてるあたしが、そんなものを拾うなんて、本当にどうかしてやがったんだろう。
何せそいつは、雪の降る冷たい路地裏で、今にも死にそうなか細い呼吸をしているだけの、何一つ役に立たなさそうな小さな小僧だったのだから。
「何見てやがる……ババァ」
今でも憶えてる。
そいつは、開口一番にあたしをババァと呼びやがった。
ふざけるんじゃないよ。こちとらまだまだ四十――いや、三十だって通じる美貌の持ち主だ。
この自慢の長い黒髪なんてね、三代前の隣国の王様にだって褒められた事があるんだよ。
小汚くも埃に塗れたおまえの茶色い頭とは値打ちが違うのさ。
それを、事もあろうにババァだなんて呼ぶものだから、あたしは今にもそいつを縊り殺してやろうかと思ったもんだ。
――そう、あたしはそう思っていたはずなんだ。
だから、そいつを拾って帰ったのは、ほんの気まぐれだったのさ。
全く、厄介なものを拾っちまったもんだ。
「おい、小僧……」
「んだよ、ババァ?」
あちこちに散らばった薬草と薬瓶。
貴重な羊皮紙は見るも無残に破られて、宛ら落ち葉のように足元へ撒き散らされている。
棚の上の稀少な鉱物も、薬作りに欠かせない道具たちも、高価な黒曜石のナイフもあちこち散らかっては、ところどころ壊れてしまっている。
その上、あたしの従順な使い魔を、こいつは――この小憎たらしい小僧は、まるで愛玩動物のように撫で回し、擽り回し、籠絡させてるじゃないか。
然しものあたしとて、いい加減我慢の限界というものがある。
「何てことしてくれてんだい……この部屋にあるものは、あんたが一生かけて働いたって払いきれないような額の代物ばっかりなんだよ」
何とか必死に感情を抑え、声を荒げぬよう叱りつけようと、あたしは痙攣するこめかみの辺りを押さえながら、震えた声で小僧を叱りつける。
これでもまだ、精一杯堪えてる方なんだぞ、あたしが本気で怒ったら、お前なんぞあっという間に炭クズになっちまうんだ。と、内心に悪態を吐く――が、そんなものは聞こえる道理もない。
「しょうがねぇだろ、こいつが暴れたんだから。いちいち怒るなよババァ」
そんなあたしの気遣いも何のその。
小僧は堂々と、使い魔と戯れながらも平然と言い訳を建て並べた上に、またもあたしを『ババァ』と呼ぶ。
素直に謝れば、まだ許してやったものを、そうして罪を上塗りしてきやがる。
親も家族も無くして野垂れ死そうになったのを救ってやったのは、一体どこの誰だと思ってやがるのか。
「うるせぇ糞ガキ! 良いからとっとと昨日教えた薬草を摘んできやがれ!」
とうとうあたしは堪え切れなくなり、怒鳴りつけて小僧を追い出した。
思わず呼吸が荒くなり、はぁはぁと肩で息をしていると、小僧は「運動しろよババァ」と悪態を吐いては、平然と裏の森へと歩いて行った。
森には野生動物や狼、それから時に熊だって潜んでるってのに、案外あの小僧、どうにも図太い神経をしているらしい。
危険な森へ一人で向かわせるなんて、血も涙もない?
ああ、その通りさ。
血ならともかく涙なんてもの、もう何十年何百年と流してやしない
鬼だ悪魔だと罵りたければ好きにすればいい。
なに、そうは言っても、うちの立派な使い魔が一緒なんだ、大きな心配は無いだろう。
「まったくあの小僧は……ああ、もう行商人が来ちまう時間じゃないか」
遠目に麓の方を眺めると、村と外とを繋ぐ唯一の吊り橋の上を、ちょうど行商人が渡ってきているのが見える。
本当は今日、幾つかの買い出しをして置きたかったが、これから向かっても間に合やしない。
第一に、この荒れ果てた部屋をそのままにしておくわけにもいかないだろう。
あたしは、ようやく呼吸を落ち着けると、散らかった部屋を仕方なく片付けに取り掛かる。
破かれた羊皮紙は何かに使えるかもしれないが、薬は使えるものと使えないものの選別が必要そうだった。
ふと、視界の隅に、割れた薬の小瓶を見つけて、あたしはがっくりと肩を落とす。
麓の村に住む、名家の旦那から頼まれた薬がいくつか台無しになってしまったのだ。
これでは後から何を言われるか分かったもんじゃない。まったく、あの小僧ときたら迷惑ばかりかけやがる。
テーブルもひっくり返っているし、壁に設えた棚まで幾つも落ちてしまっている――が、幾つもの毒薬を納めた棚は無事だった。
この棚の中から、そいつがあの小僧に降りかからなかっただけ、まだ幸いと言えるかもしれない。
何せその毒の中には、丸三日苦しみながら死に追いやるようなものもあれば、眠るように息を引き取るようなものもある。
小僧がいたずらに使えばただでは済まなかったろう。
それでもあたしは、大きく溜息を吐いては「あそこの旦那になんて言い訳しようかね」と頭を悩ませながら、散らかった部屋を片付けていく羽目となった。
全く、厄介なものを拾っちまったもんだ。
小僧はその他にも、多大なる迷惑をかけながら、それでも立派に――立派に? ともかく、成長していった。
ある時は裏の森を燃やし、またある時は熊の親子を引き連れて戻ってきた。
その時は然しものあたしとて、肝を冷やしたもので、ありったけの毒矢を射って死に物狂いに息の根を止めた時というのに、小僧は相も変わらず生意気な態度で「やるじゃないかババァ」と言い放った。
せめて「師匠」だとか「先生」だとか言ってくれりゃあ、弟子にしてやらないことも無いってのに。
そんなある雪深い晩の事、あたしは麓の村に急病人が出たと報せを受け、慌てて出掛ける支度をしていた。
少し迷ったが、雪深い晩を歩くには、少なからず危険が伴う。だからあたしは、小僧へと留守番を頼む事にしたのだった。
これほどの大雪だ。熊も寝床で冬眠しているだろうし、このところ狼もそう見掛けやしない。
簡単な動物除けのまじないだけを家の周囲に施すと、あたしは小僧に留守を頼んだ。
使い魔も付けてやるんだから、たいして心配はいらないだろう。
「間違ってもあたしの薬に触るんじゃ無いよ」
「何かやらかしてうちを壊したらただじゃおかないからね」
「あたしが不在にてる間は、きちんとこの家の番をするんだ」
あたしはとにかくありったけの、小僧が悪戯をやらかさないための注意を捲し立てるように浴びせ掛けると、厚手の外套を手に取った。
けれど、そいつは案外に重く、あたしは思わずよろめいてしまう――と、倒れそうになった身体が、ふと壁のようなものに支えられている事に気が付く。
こんなところに壁があったかね? と振り返ると、その壁はいつの間にか随分とでかくなった小僧の胸板だった。
「ったく……若く無ぇんだから気を付けろよなババァ」
「あぁん? 誰が若く無いって?」
感謝の一つでも言ってやろうと思えばこれだ。
図体ばかりでかくなっても、中身は相変わらずの糞ガキのままらしい。
あたしは思わず苛立ち紛れに小僧の足を踏みつけると、さっさと外套を羽織って家のドアを開け放す。
いつの間にか、降っていた雪そのものは止み、風もない静かな夜がそこにはあった。
薄気味悪いくらいの静寂に思わず身震いしていると、足の痛みに呻いていた小僧が「怖いなら付いていってやろうか」と悪態を吐く。
どこまで舐めたガキなんだ。
あたしは声を荒げて「生意気言ってないで大人しくしてろ糞ガキめ!」と言い放ち、後ろ手に叩きつけるようにしてドアを閉めた。
家の中で派手な音と、悲鳴にも似た小僧の声。
聞こえた限りでは、ドアを叩きつけた衝撃で棚のものが転がりでもしたのだろう。
まぁ、そいつを片づけるのも、あの小僧の役目だから仕方のない事だ。
そもそも、今回の急病人ってやつだって、以前小僧が悪戯をやらかしたせいで薬が遅れた客だ。
その遅れが原因で具合を悪くしちまった相手だって言うのに、小僧はちっとも悪びれやしない。
「かれこれ十二年かい……変わらないねぇ、あたしもあの小僧も」
もうじき二十五になろうというのに、図体ばかり大きくなっていつまでも小生意気な小僧を、その将来を、あたしは思わず案じてしまう。
それでも、こうして歳を重ねていくうちに、止まったままのあたしを通り越して、小僧はあっという間に老いちまうんだろう。
何度そうして見送ってきたか分かりゃしない。
人間は、ただの人間は、どいつもこいつも本当にすぐいなくなっちまう。
だからこそ、人の少ないこの村で、弟子も取らずに過ごしてきたっていうのに。
全く、厄介なものを拾っちまったもんだ。
麓の村は随分と静まり返って、まるで人っ子ひとりいないかのように、時間さえも止まって感じられるほどに、何一つ音が――人の息遣いが聞こえて来やしなかった。
深い雪のせいか、他に何か理由でもあるのか。
あたしは、内心に湧き上がる不快感を押し殺しながら、名家のお屋敷へと入っていく。
使い魔を小僧に預けてきたのは、あるいは失敗だったかもしれない。
けれど、悔やんだところで今更だ。
出迎えたのはいつもの執事でも無ければ病床に伏せる旦那でも、女房でも無かった。
その男――年の頃は旦那よりも二十か三十ほど若そうな、いかにも血気盛んで喧嘩っ早そうな、荒くれ者然としたその男。
その顔にはどことなく、この家の旦那の面影が見て取れる。
「よう、魔女。よくもまあ、来てくれたな」
男は低く、怒気を孕んだ声であたしへ向かって、憎々しげに言葉を吐く。
声にもどことなく旦那の面影が感じられることから、やはりあの旦那の子息なのだろう。
けれど、どうにも様子がただ事ではなさそうだ、
嫌な予感が拭えやしない。
この手合いとこういったやり取りをする時は、大抵良くない出来事が付きまとうもんだ。
「旦那さんに薬を届けに来たんだけど、居るかい?」
「親父なら死んだよ、二日ほど前にな」
あたしはその言葉を聞いて「あぁ」と一人、合点がいった。
こいつの怒気も、村に人気が無かったのも、全てはそれが理由なのだろう。
父を亡くし、その理由を魔女のせいだと決めつけ、あたしを糾弾し、そして火炙りにでもしようという魂胆だろう。
その予想に応えるように、男の背後から村の若い衆が何人も顔を出す。
幾つもの見覚えのある顔が浮かんでいる。
病弱な娘のために、あたしが薬を与えてやった男。
農場を荒らす獣の被害に悩み、忌避剤や罠の知識を与えてやった男。
屋根裏部屋のねずみを、どうにかしてくれと泣きついてきた男。
彼らは一様に、その顔を――罪の意識に歪め、誰もがその震える手に、各々さまざまな農具を、凶器のように握りしめている。
「魔女――魔女め。親父を誑かし、富だけをせしめておいて、あとは怪しいまじないと毒で命を奪いやがった。忌々しいクソ魔女め」
男の手がゆっくりと上がっていく。
後ろの若い衆へと、合図を送るのだろう。
そうした場面には幾度となく立ち会ってきた。
違うとすれば、今日のあたしには使い魔が居ないことぐらいだ。
まずはこの場を逃れ、家に戻らなければ。
ふと、あたしはその――若い衆へと、妙な違和感を憶える。
人が、少ないのだ。
圧倒的に、村の規模に比べて人が少な過ぎる。
あれほど静かだったことを考えれば、村人は全て駆り出されていると考えてもおかしくないはずだ。
だというのに、この人数。
まるで他の狙いが――
「ボロ家共々滅べ! 魔女め!」
その手が振り下ろされ、自らを奮い立たせるように若い衆は声を上げて迫ってくる。
あたしは、その男が発した『ボロ家』という言葉に戸惑い、脱出の機を逃していた。
今――農具は高々と掲げられ、あたし目掛けて振り下ろされようとしている。
迂闊だった。
全ては罠だったのだ。
この男は、予め人手を割いてあたしを誘い込み、万に一つあたしが逃げ果せたとしても、帰る場所がなくなるよう、徹底的に潰しに来たのだ。
迂闊……迂闊、迂闊!
なすすべも無く、その、振り下ろされる凶器の――或いは狂気とも言うべきそれを、ただただ目で追っていく。
間もなく下されるのだ。
無慈悲なる鉄槌が。
悪意と狂気に満ちた偏見の刃は、あたしの眉間へと突き立てられ、この身体は無残にも陵辱の限りを尽くされた後、村の広場にでも、見せしめとして掲げられるのだろう。
せめて、せめてあの小僧に「家を守れ」などと言わなければ――
あたしの脳裏を後悔が埋め尽くす。
今頃なんとか無事に逃げているだろうか。と、柄にもなく小僧を心配してしまう。
彼らの狂気があたしを捉える僅かなひと時。
あたしはただただ小僧の無事を願った。
――刹那、あたしの視界は大きな壁に遮られた。
「ッぐ……」
直後その壁は――その人物は、あたしへと凭れかかるようにして、後退りをする。
その苦鳴は、どこか聞き覚えのある声だった。
その人物の足元へ、いくつもの赤い雫が溢れ、それはやがて血溜まりとなっていく。
「ったく……世話の焼けるババァだ」
「小僧、なんで……」
見間違えるはずもない。
聞き間違えるはずもない。
そこに居たのは紛れもなく小僧だった。
その胸のあたりに若い衆の狂気を受けて、衣服を赤く濡らしながらも、あたしを庇うように小僧は立っている。
家を守れと言ったはずなのに、どうしてここに居る。と訊ねるあたしに、小僧は「あの使い魔が飛び出していったんだから仕方ないだろ」と答えた。
「ご子息! 我々はどうすれば……」
「構うな……魔女の弟子だ! 諸共に葬ってやれ!」
突然現れ、身を呈して庇った小僧の姿に、慌てふためいていた若い衆は、それでもあの――この家の子息の恫喝に、恐怖を振り払うかのように声を上げ、再びあたしたちの方へと迫る。
その前へ、今度はあたしの使い魔が立ちはだかり、重い唸り声をあげて村の衆へと襲い掛かっていく。
あたしは、どうすればいい。
小僧の手当ては?
逃げるといってもどこへ?
半ば錯乱しそうな思考に、今なすべきことを定めあぐねて、思わず狼狽えたあたしの身体を抱きかかえると、小僧は全力でその家を飛び出していた。
「お、おい小僧! まずはすぐに手当てを……」
「うるせぇババァ! 舌噛みたく無かったら……黙って、捕まってろ!」
その身を案じるあたしの言葉に、小僧は途切れ途切れの声で反論する。
どうしてこうも、この小僧は言うことを聞いてくれない。
おまえを助けるために言ってるんだとどうしてわかってくれない。
小僧の口元に血が滲み、荒い息とともに血泡が噴き出すのが見える。
それらが、胸の傷の深さを思わせて、あたしはもう気が気でないというのに。
「いたぞ! あそこだ!」
「追え! 逃すな!」
「逃せば災いをもたらすぞ!」
「今殺せ!」
「捕まえて息の根を止めろ!」
荒々しい怒号に気が付き後方を見据えると、松明を片手に村中の人間が、あたしたちを捕らえようと、殺してやろうと追い縋っているのが分かった。
使い魔がどうなったのかはわからないが、あれほどの数を抑えられないのも無理はない。
間もなくしてあたしたちは追いつかれ、捕らわれて、火あぶりにでもされるだろう。
けれど――
「あたしを置いてあんただけでも逃げな! あんたは魔女じゃないんだから、普通の人間として暮らせるだろう!」
あたしは、必死に小僧へと願った。
事実、魔女であるあたしは、あいつらに殺されても仕方ない。
けれど、この小僧はただの人なのだ。
弟子でもなんでもない、ただの小間使いでしかない、彼らとおなじ人間なのだ。
あるいは、この村さえ出てしまえば、よそで生きて行くことだって出来るだろう。
「黙ってろって、言ってるだろ!」
それでも、小僧は決してあたしを放そうとはしない。
ただただ必死に村の出口を抜け、唯一外界と繋がれた吊り橋へと差し掛かると、そのまま一息に駆け抜けていく。
後方には既に村人たちもまた、同様にして橋へと乗り込んで来ているのが見える。
だというのに、小僧はふと、箸を渡り切ったところで立ち止まるのだった。
「何をしてんだい! 早くあたしを置いて逃げろって言ってんじゃないか! どうしてそうも聞き分けが無いんだい!」
「たったひとりの身内を置いて逃げられるもんかよ、見てなババァ」
――そう吐き捨てた小僧の手に、僅かな光が閃いていた。
松明の明かりをギラギラと照り返す、真っ黒に輝く小さなそれは、あたしの持っていた黒曜石のナイフに違いない。
小僧はそいつを振るうと、吊り橋に掛けられた幾つかの――主要なロープを、躊躇なく断ち切った。
直後、つり橋はほつれ、人々を乗せたまま崖下へと落下していく。
悲痛な叫びが崖下へと反響し、水面へと叩きつけられるような大きな音を上げる。
そうしてしばらくの後、静寂な夜が再び顔を出していた。
向うから聞こえてくる声は巻き込まれずに済んだ村人が、ここを渡るための方法を話し合っているのだろう。
けれど、この川幅を渡す方法なんてそうそうありはしない。何せ両岸は絶壁なのだから。
「おい、小僧! しっかりしろ!」
小僧は、そのまましばらくの間走り続け、村から少し離れたところへあたしを降ろすと、その場に倒れこんだ。
ぐったりと脱力した身体を揺さぶるも、小僧の反応は薄く、胸元は溢れ出た血にしとどに濡れて、顔色もすっかり土気色に近いほどだった。
このままでは、小僧が死んでしまう。
何か方法を、治療をしなければ。
狼狽えるあたしへと、小僧は残る力を振り絞るように、腰元の皮袋から、幾つかの薬瓶と高価そうな小物を取り出す。
「んな、顔、すんなよ……これ、役に、立つかと、思って」
息も絶え絶えに、小僧はあたしの手のひらに、小さらそれらを手渡すと、喘ぐような荒い息で、苦痛に呻いた。
あたしは咄嗟に手渡された薬瓶を確認するが、残念ながらそこに、治療や痛み止めの類は見当たらない。
せめて痛み止めがあれば、その苦しみを和らげることも出来るだろうに、それが無ければ何もできない自分があまりに無力で、もどかしい。
「しっかりしろ、小僧! おい!」
視界が歪む。
熱いものが目元を濡らし、幾つも玉になって溢れて行く。
喉の奥が痙攣したように息が詰まり、声が震えて、掠れてしまう。
胸が、息が苦しくて、張り裂けそうに痛んで、どうしても言葉が出て来てくれない。
「なぁ、俺も、あんたみたいに、してくれよ」
焦点の定まらない、半ば光を失いかけた瞳で空を仰ぎながら、小僧はそう言った。
どういう事なのかと訊ねようにも、どうしたってあたしの声は、出て来てはくれない。
小僧は、なおも苦痛に顔を歪めて呻くように言った。
「俺が、死んだら、あんたまた、ひとり、だろ……だから」
ああ、つまり小僧は、あたしと同じ、人の理から外れたものになりたいんだろう。
永遠とまでは行かないまでも、悠久の時を永らえることが出来るようにと望んでいるのだ。
それも、自分のためではなく、あたしなんかを一人にしないために、それを望んでいるのだ。
あたしなんかのために。
「……わかったよ、小僧」
声を振り絞るようにして、あたしは小僧に声をかける。
震える指先で小さな薬瓶を一つ取り出して、それを口許へと当て傾ける。
僅かに粘り気を含んだ、まだら色の薬液が、その口腔内へと滑り込んでいく。
間も無くして小僧は小さく喉を鳴らすようにして、それを飲み下した。
「そいつを飲むとね、少しだけ眠くなるんだ。なに、心配は要らないさ……目が覚めた頃にはあんたも――」
小僧に心配をかけまいと、声が震えぬようにそう言い聞かせると、あたしは空になった瓶をそのまま放り、小僧の手を取る。
既に冷たくなったその手は、弱々しくもあたしの手を握り返して来るのがわかって、胸が張り裂けそうに痛む。
ふと、小僧が何かを呟いた。
あたしは耳を傾けるようにして、その口許へと顔を近付ける。
「なぁ、ババァ……あんたの、名前さ……実は、ずっと前に、忘れちまったんだ。だから、もう一度……」
呼ばなかったんじゃなくて、忘れていた。
それは、あまりに今更な告白だった。
冗談じゃない、何をいまさら――ずっとババァと言っていたのは、そんな下らない理由だったのかい。
「馬鹿だね小僧……もっと早く言えば良いじゃないか」
頬を濡らす『それ』を拭いながら、あたしは小僧の耳元へとそっと唇を寄せるようにして、囁く。
「いいかい、よくお聞きよ。あたしの名前はね――」
びゅう。と音を立てて風が吹く。
木の上に積もった雪が、強く吹いた風に煽られて、幾つも地面へと降り落ちて行った。
そうして、再び静寂が訪れる。
誰一人いない、あたしだけを残して。
「まったく、本当に、最後まで言うことを聞きゃしない……よく聞けって言ったじゃないか」
不老不死の薬なんてありはしない。
あたしら魔女は万能じゃない。
眠るように終わらせる事だけしか、あたしには出来やしなかった。
幾度だってそうして、失う辛さを味わって、もう二度と、誰とも深く付き合うものかと決めたと言うのに。
あの日のあたしはどうかしていたんだ。
そいつはほんの気まぐれだった。
何不自由なく暮らしてるあたしが、そんなものを拾うなんて、本当にどうかしてやがったんだろう。
何せそいつは、雪の降る冷たい路地裏で、今にも死にそうなか細い呼吸をしているだけの、何一つ役に立たなさそうな小さな小僧だったのだから。
「なぁ、あんた……あたしと居て幸せだったかい?」
答えはない。
あるはずもない。
あたしがこの手で、終わらせたのだから。
あたしは小僧の名前を、何度も呼ぶ。
けれど、まぶた一つ、指先一つ動きやしない。
小僧の姿が、周りの景色が歪む――滲む。
胸の内に、瞼の奥に、熱いものが込み上げて、溢れて行く。
年甲斐も無くあげた嗚咽を、あんたはどこかで笑ってるかい?
声なき問いは、けれど誰ひとり応えるものも無く、ただただ静かな雪夜に、あたしはひとり、小僧に縋って泣き明かした。
遠くの空が白み始め、山々の稜線が、溶け合った空から輪郭を取り戻し始める頃、いつの間にやらあたしのそばには、使い魔が戻って来ていた。
いや、心配そうなその顔からすると、あるいは泣き続けるあたしのそばで、ずっと待っていてくれたのかもしれない。
あたしはその子頭を撫でると、強張った身体を伸ばすようにしながら立ち上がる。
夜通しそうしていたものだから、すっかり全身が固くなり、あちこちがきしきしと軋むように痛む。
あたしたちは、小僧の身体にそっと雪だけを掛けて、その場を後にする。
あの子の魂は、既にこの身体から解き放たれ、どこか遠くのところにいるだろう。
ふと、またも温かいものが頬を伝う。
あたしは、心配そうに見上げる使い魔をひと撫ですると、袖口でそれを拭う。
「なに、大丈夫さ。元々ずっとひとりだったんだからね」
強がるあたしの心中を察してか、使い魔は小さく啼いては、あたしの足元へと擦り寄った。
さあ、まずは新しい住居を探さなくちゃならないね。
あの家も随分慣れ親しんでいたってのに、どこかの小僧のせいでまったく台無しだ。
今度暮らすとしたら、もっと暖かいところが良い。
雪の寒さに打ちひしがれて、気まぐれなんて起こしてしまわぬように。
「ほら、行くよ小僧」
あたしは振り返り声をかける。
そうしてしばらくしてから、そのうっかりとした行動に気が付いて、我ながら思わず苦笑してしまう。
ずっと小僧と二人で過ごしていたせいか、一人に慣れるまでは今しばらく時間が掛かってしまいそうだ。
居なくなっちまったというのに、こんなにも胸の中に居座りやがって。
どこまでも図々しい小僧だよ。
全く、厄介なものを拾っちまったもんだ。