Twitterで見かけた、氷の中を流れる空気が魚のように見える投稿から思い浮かび、書いたお話。
大和の国の森の奥。
山深い小さな集落へ暮らす、彦と吉という二人の猟師が居った。
彦は鉄砲が得意で、吉は罠を拵えるのが大層得意だったそうな。
ある年の冬。
彦と吉がいつものように、競って山の動物を獲りに出かけたけれど、幾日経っても猪の一頭、兎の一羽だってかかりゃしない。
彦の自慢の猟銃は、すっかり火薬が湿気っちまって、吉の自慢の大罠だって、すっかり霜が降りちまった。
こうなりゃどっちも使い物になりゃしない。
彦と吉の二人は、お互い顔を突き合わせて「おい、こりゃあ随分と不味いじゃあねえか」と、泡食っては、あちこちを見て回る。
けれど、やっぱり獣一匹見当たりゃしない。
山を越え、谷を越え、尾根伝いをずうっと歩いて、集落から随分遠くまで来たってのに、それでも何にも見つからない。
いよいよ困っちまった彦と吉は、とにかく水でも何でも腹へ入れなくちゃ仕方ないってんで、近くの沢へ水を汲みにきた。
そしたら、これまた驚いた。
沢の水はすっかり凍っちまって、飲み水一杯汲めやしない。
こいつは随分困ったぞ。と、二人は頭を悩ませた。
彦の方は、それでも何とか喉湿しにならないかと、沢の氷を舐めてみたけれど、舌が張り付くばかりでちっとも何にも飲めやしない。
それどころか、荒げた息の分だけかえって喉が渇いちまう。
こまったなあ、どうするかなあ。と考えている彦へ、泡食って声を掛けたのは吉だ。
「おい、彦! 魚だ! 魚がおるぞ!」
あんまり泡食ってたもんだから、吉の奴は何度でも氷の上ですってんころりと転げちまう。
それでも、なんとか彦にしがみつくと、服を引っ張るように沢の向うへ連れていく。
「なるほどなあ、魚は得意じゃないけれども、こうひもじくちゃ仕方ねえ」
彦もまた、背に腹はかえられぬってんで、「こんな小さな沢だったら、俺だって魚の一匹や二匹くらいは獲れるだろう」と、早速に鳥肌立てたて袖を捲っては意気込んで、そうして沢の中を覗いてみた。
すると――
「おや、なんだい。随分小さな魚じゃあないかよ。」
凍った沢の中をすいすい泳いでやがったのは、それこそ親指くらいの長さがあるか無いかの、随分小さな小魚の群れだった。
そいつらときたら器用なもんで、まるで春先のおたまじゃくしか何かみたいに、威勢は良いし、生きも良い。
けれど、やっぱりどうしたって小さなもんで、食い出ってもんは、そうもありゃしない。
目ん玉きらきらと輝かせる吉とは逆に、彦は随分とがっくりとして、だけど、それでも飢えて死ぬよりゃマシだろう。と、何とか魚を獲ろうと勘考する。
なんせ氷の中だ。
氷を割ってやらなくっちゃあ、魚を獲る事なんてできやしない。
彦は、まず大きな石を探しに出かけた。
沢の氷を割れるくらいの大きな石だ。
これは林の中へ入ったら、すぐに見つかった。
赤ん坊の頭くらいの、角がそれなりに角ばった石は、高いところから投げつけりゃあ、沢の氷くらい簡単に割れるだろう。と、彦はそいつを地べたへどしんと置いた。
その間に吉は、魚を捕るための道具を拵えた。
持ってた小さな網を、彦の猟銃の先へと括り付けて、釣り竿よろしく水中へ網を垂らそうって寸法だ。
幸いなことに、魚たちは下流から上流へと連なって泳いでるもんだから、ここへ網を落とせば、二人が喰うには充分な量が獲れるだろう――と、考えたわけだ。
そうしてようやくに用意を済ませた彦と吉は、顔を見合わせて合図をすると、まず彦が「えいや」と大きな石を沢へと投げつけた。
そいつは、ごとん! と大きな音を立てて水面へ大きなひびを作ったけれど、まだまだ氷は割れやしない。
彦はもういっぺんそいつを拾い上げると、今度こそと高々と放り投げた。
すると今度こそ、ごしゃあ! ざぶん! と勢いよく氷は割れ、石は水の中へ落っこちた。
次に吉が、すかさず猟銃の網を垂らすと、「そうれ、ここ来い。そうれ、ここ来い」と声を弾ませた。
これで網いっぱいに魚が取れりゃあ、茹で良し焼いて良し。
今晩は魚尽くしの御馳走だ――と、思わず吉は舌なめずりをした。
けれど、どうにも妙だ。
手応えが、なぁんにもありゃしない。
小さな魚だって網にかかりゃ跳ねるものだろうに、それもからきしだ。
網の辺りを覗き込んでも、全然魚の姿がありゃしない。
すると、となりへ覗き込んでいた彦が、随分と大きな声を上げた。
「おい! 吉! こいつぁ一体どういうことだい!」
あんまりに泡食った様子なもんだから、吉は「なんだい、なんだい」と彦の目線を追いかけて、これまた驚いた。
氷の下からは、相も変わらず魚が泳ぎ出て来る。
泳ぎ出て来てるってのに、そいつらは水面のあたりまで来ると、ふっ――と煙みたいに消えてなくなっちまうってんだから、驚くのも無理はない。
いいや、煙さえ立ちゃしない。
泡ぶくになったかと思いきや、弾けてなんにもなくなっちまう。
「泡だ、魚が泡になっちまった」
情けない声を上げて、それでもなんとか泡になる前に捕まえようと、吉は冷たい水の中へざぶんと手を突っ込んだ。
それを見た彦も、ここで獲物を逃がすものか――と、一緒くたになって手を突っ込む。
けれど、氷の下の水はきんきんに冷え込んで、二人の手はあっという間に真っ赤ッかに凍えちまった。
「こりゃあいけねえ! 吉よ、こいつぁいけねえ!」
「ひい、ひい! 彦よ、こりゃあ駄目だ!」
二人は泡食って手を引き抜くと、固まっちまった手で、それでも猟銃と荷物だけを持って逃げるように家へと帰っていった。
そうしてしばらく家の中で火に当たると、村で一番物知りのじい様の所へ、さっきの出来事を話しに行った。
一部始終を聞いたじい様は「そりゃあ氷魚の仕業じゃろう」と唸った。
「なんだい、それ」と、二人が訊ねると、じい様は、もごもごと口を動かしながら、ゆっくりゆっくり話して聞かせてくれた。
なんでも、山ん中の沢には、神さんが居るらしい。
昔はお供え物もしていたそうだけれど、今じゃそうした習慣はすっかり忘れられたんだとか。
その神様は可愛い小魚を飼っていて、氷の中を泳がせて楽しんでいるんだそうな。
そんな氷魚だけれども、こうした猟の上手くいかない年は、やっぱり猟師がその魚を獲ろうと、沢の氷を割る事があったらしい。
けれど、この氷魚。実は神様の使いなんだそうな。
氷が割られると、抜けるように天の神さんのところへ帰ってしまうんだとか。
そうして氷魚がやってくると、神様はもう随分とカンカンに怒っちまう。
沢の水へ手を突っ込んだ馬鹿者共を懲らしめるため、こっぴどくに罰を下すために、手を真っ赤っかに腫れ上がらせて、動かなくしちまうんだそうな。
彦と吉は、顔を見合わせると「ああ、これか」と頷き合った。
罰の恐ろしさは、もうとっくに身に染みた。
けれど、それでも随分ましだとじい様は言う。
酷い時は手を腐らせちまう者もあった――ってんで、彦と吉は、自分たちのしたことを反省もしたけれど、何より神さんの寛大さを、大層有難く思ったそうな。
次の日、二人はまたあの沢へとやってきた。
今度は猟銃と罠の代わりに、両腕へ抱えるほどのお供えものを持ってきた。
そうして、沢のほとりへ供えると、二人してむにゃむにゃと経のようなものを唱えてお参りしてお詫びとお礼をしたんだそうな。
すると、おや。
不思議な事もあるもんだ。
いつのまにか沢の氷はすっかり元通りになって、氷の中じゃ、今日も元気に氷魚が泳いでやがる。
その様子を見た彦と吉はは安心したように胸を撫でおろした。
神さんの機嫌が元通りになったなら、一安心だ。
そうして二人が帰り道を歩いていると、どこからか、ごおぉん――と、遠雷のような音が聞こえた。
いいや、それはもしかしたら、気のせいだったのかもしれない。
けれど、二人はそいつを聞いた気がして、「こんな時期に珍しいもんだ」と振り返った。
すると、そこには立派な鹿が一頭、居ったそうな。
鹿だけじゃあない。
三羽の兎と、一頭の猪が、その脇を走って逃げていく。
二人は大層驚いた。
もしかしたら、お供えを喜んだ神さんの取り計らいってこともあるかもしれない。
彦と吉の二人は、お互い顔を突き合わせて「おい、こりゃあ随分と大猟じゃあねえか」と、泡食っては、猟銃と罠を取りに、家路を急ぐ。
ああ、良かった。
助かった。
これでどうにかこの冬は越せそうだ。