西の、西の、もっと――もっと西の。
世界で一番向こうへある国に、カルメルという少年が居ました。
カルメルは、ついこの間、ようやく十になったばかりでした。
広場の片隅に設けられた小さな小屋が、カルメルの住む家でした。
カルメルは、生まれたばかりの頃に捨てられて、町の人々に育てられた子供でした。
捨てられたのも仕方がありません。
カルメルは、ずいぶんと醜い姿をしていました。
腕が四本に指が九本ずつ。
それから、背中には蝙蝠と梟の羽が片方ずつに、頭には一対の鋭い角が生えた、それはそれは醜い子でした。
けれどもカルメルは、素晴らしい芸術の才能を持っていました。
誰も真似のできないほど、素晴らしいものを沢山生み出しました。
どれほど素晴らしいかと言えば、隣町のみならず、遠くの国の人だって、カルメルの名前を聞いたことがあるというほどでした。
カルメルの描く絵画は、とても素晴らしいものでした。
ちっぽけなイーゼルを前に、背の高い丸椅子に腰かけて、町の広場の石畳の上で、一心不乱に絵を描きました。
七つの祝いにもらった絵具をカンバスいっぱいに散りばめて、カルメルは不思議な世界を描きました。
それはとても不思議な色かたちをした世界で、誰も見たことのない景色でした。
けれども確かに美しく、それを眺める誰もが心を打たれてうっとりと、そうして感慨深そうに眺めました。
そうして各々に感嘆の声を漏らしては、ある者は深く頷き、またある者は涙をこぼし、またある者は惜しみない拍手を捧げました。
カルメルは、誰も知らない、けれども誰もが懐かしく思えるような、美しく不思議な世界を、何枚も――何枚も描き出しました。
ある時、誰かが言いました。
「お前の絵は素晴らしいけれど、お前の姿は随分と醜いものだ。その両の腕を二つほど切り落とせば、私たちと同じようになるというのに」
カルメルは、せっかく描いた世界を自らの醜さで台無しにしてしまったのだと思い、その夜、両の腕を二つほど切り落としました。
そうして、みんなと同じ二本の腕で絵を描くようになりましたが、どうしてだか前のように上手くは描けません。
描いても、描いても――描いても。
カルメルの絵は、年相応の落書きのようなものへと変わってしまいました。
新しい絵を待ち侘びていたはずの人たちも、いつしか一人も居なくなってしまい、カルメルは、なんだかつまらなくなってしまったので、絵を描くのをやめました。
カルメルの奏でる音楽は、とても素晴らしいものでした。
町の広場で演奏するならば、道行く人々は誰もが足を止めて、その演奏に聞き惚れます。
八つの祝いにもらった小さな弦楽器を両の手の、九本ずつの指で掻き鳴らして、素晴らしい音楽を奏でました。
それはとても深く済んだ音色で、誰も聞いたことのないはじめての音楽でした。
けれども確かに美しく、耳を傾ける誰もが心を打たれてうっとりと、そうして感慨深そうに聞き惚れました。
そうして各々に感嘆の声を漏らしては、ある者は深く頷き、またある者は涙をこぼし、またある者は惜しみない拍手を捧げました。
カルメルは、誰も知らない、けれども誰もが懐かしく思えるような、美しく素晴らしいな音楽を、何曲も――何曲も奏でるのでした。
ある時、誰かが言いました。
「お前の音楽は素晴らしいけれど、お前の姿は随分と醜いものだ。その両の指を八つほど切り落とせば、私たちと同じようになるというのに」
カルメルは、せっかく奏でた音楽を自らの醜さで台無しにしてしまったのだと思い、その夜、両の指を八つほど切り落としました。
そうして、みんなと同じ五本の指で音を奏でるようになりましたが、どうしてだか前のように上手くは鳴らせません。
鳴らしても、鳴らしても――鳴らしても。
カルメルの音楽は、年相応のぎこちない練習曲のようなものへと変わってしまいました。
毎日の演奏を待ち侘びていたはずの人たちも、いつしか一人も居なくなってしまい、カルメルは、なんだかつまらなくなってしまったので、音楽を奏でるのをやめました。
カルメルの作る石像は、とても素晴らしいものでした。
町の広場のあちこちへ並べられた像は、町の外から来る人々にとっても名物のようになりました。
九つの祝いにもらった鑿と槌で、あちこちにある石という石を彫り、大きいものから小さいものまで生み出しました。
それはとても不思議な姿の、見たことも無い生き物の姿がそこにありました。
けれども確かに生き生きとして、目にした誰もがその生き物たちの動く姿を、ありありと思い浮かべることが出来ました。
そうして各々に感嘆の声を漏らしては、ある者は深く頷き、またある者は涙をこぼし、またある者は惜しみない拍手を捧げました。
カルメルは、誰も知らない、けれども誰もがそこに居ると思えるような、不思議で見たことも無い生き物を、幾つも――幾つも生み出しました。
ある時、誰かが言いました。
「お前の石像は素晴らしいけれど、お前の姿は随分と醜いものだ。その背の羽をどちらも切り落とせば、私たちと同じようになるというのに」
カルメルは、せっかく生み出した石像を自らの醜さで台無しにしてしまったのだと思い、その夜、背の羽をどちらも切り落としました。
そうして、みんなと同じ平らな背をしゃんと伸ばし、像を彫るようになりましたが、どうしてだか前のように上手くは彫れません。
彫っても、彫っても――彫っても。
カルメルの石像は、年相応の何ものかさえ判然としない、ただの石塊のようなものへと変わってしまいました。
次の生き物たちを待ち侘びていたはずの人たちも、いつしか一人も居なくなってしまい、カルメルは、なんだかつまらなくなってしまったので、石像を彫るのをやめました。
カルメルの語る言葉は、とても素晴らしいものでした。
町の広場の真ん中へたち、道行く人々に投げかけると、誰もが歩みを止め、その言葉に耳を傾けていました。
十の祝いにもらった紙と炭巻で、様々な言葉を語り記し、町の人々に説き伝えました。
それは誰もが知らない世界の物語や、この世界の深々しい思想についての話でした。
けれども確かに真理をとらえ、皆ありがたくその言葉や物語に心奪われていました。
そうして各々に感嘆の声を漏らしては、ある者は深く頷き、またある者は涙をこぼし、またある者は惜しみない拍手を捧げました。
カルメルは、誰も知らない、けれども誰もが確かなものだと思えるような、世界のすべてを語る言葉を、幾千も――幾万も紡ぐのでした。
ある時、誰かが言いました。
「お前の言葉は素晴らしいけれど、お前の姿は随分と醜いものだ。その頭に戴く角をどちらも切り落とせば、私たちと同じようになるというのに」
カルメルは、せっかく紡いだ言葉たちを自らの醜さで台無しにしてしまったのだと思い、その夜、頭の角をどちらも切り落としました。
そうして、みんなと同じ人の姿かたちとなったカルメルは、あらためて言葉を語るようになりましたが、どうしてだか前のように上手くは語れません。
語っても、語っても――語っても。
カルメルの言葉は、年相応の若さと、それから勢いしかない、薄っぺらなものへと変わってしまいました。
新たな言葉を待ち侘びていたはずの人たちも、いつしか一人も居なくなってしまい、カルメルは、なんだかつまらなくなってしまったので、言葉を語るのをやめました。
みんなと同じ姿になったけれど、みんなと同じを教わらなかったカルメルは、みんなと同じが分かりません。
カルメルは、かなしくなりました。
カルメルは、むなしくなりました。
カルメルは、さみしくなりました。
何にもない――なあんにもない。
カルメルはすっかりからっぽになりました。
絵なんてもう、描けません。
楽器はもう、鳴らせません。
石はもう、彫れません。
言葉はもう、紡げません。
ある時、誰かが言いました。
「お前の芸術は素晴らしかったけど、今やお前は随分とつまらなくなったね」
カルメルは、目の前が暗くなりました。
言われた通りに両の腕を切り落とし、言われた通りに両の指を切り落とし、背の羽を――それから頭の角を切り落とし。
そうして、みんなと同じになったというのに、今度はそれをつまらないと言われるのです。
何をしても、何をしても――何をしても。
カルメルは、すっかりこの世界に落胆しました。
胸には大きな穴が開いていました。
すると、穴は辺りの物を手当たり次第に吸い込み始めました。
砂粒も、石ころも、誰かの帽子や洗濯物、小さな動物だけに飽き足らず、人も、家も、町も、空も、大地も、何もかも。
全部ぜんぶが穴の中へ転がり、落っこちて、最後に太陽も落っこちました。
カルメルの、中も外も、もうすっかりまっくらです。
穴の外に残っていたのはカルメルと、カルメルの作ってきたものだけでした。
美しい絵画に、素晴らしい楽譜たち。
それから様々な石像と、言葉を記した紙の束。
けれども、ついにその作ったものまで穴へ転がり始めると、カルメルもまた、それを追いかけて穴へと落ちていきました。
ひゅるるる、すとん、と穴へ落ちると、世界にはもう何も残りません。
あなだって、もうみえない。
もうなんにもない。
せかいはまっくら。
ぜんぶおしまい。
それでおしまい。
西の、西の、もっと――もっと西の。
世界で一番向こうへある国に、小さな子供が捨てられていました。
腕が四本に指が九本ずつ。
それから、背中には蝙蝠と梟の羽が片方ずつに、頭には一対の鋭い角が生えた、それはそれは醜い子でした。
町の人々は、広場の片隅に小さな小屋を用意して与えました。
そうしてみんなで頭をひねり、名前をひとつ、与えてやりました。
祝福という意味の、名前をひとつ、与えてやりました。
醜い哀れな捨て子の名前は――