オリジナルの短編・掌編集   作:がめちょん

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何でもない僕の、何でもない夏の始まり。
それから――音


夏の音

 キン、コン、カン、コン――と鐘が鳴る。

録音されたデジタルの音が、古びたスピーカーからノイズ混じりに吐き出され、学校と校庭とグラウンド一帯と、それらを取り囲む田んぼや、雑木林へと響き渡る。

そうして間も無く、学校中が俄に活気づいた。

帰宅する生徒と、部活へ向かう生徒たちの行き交う声が、いかにも夏らしい青く――高い空に溶けていく。

校庭の方には、既に運動部員たちの姿があふれ、音楽室の方には、吹奏楽部。

それから他の特別棟の方には、文化部員たちが、和気あいあいと語らいながら、それぞれの部室へと歩いているのが見てとれる。

 

 そうしてやがて、蝉の声さえ勢い負けするくらいの叫び声が、グラウンドの方から轟いた。

怒声にも似た声を――雄叫びを張り上げるのは、揃いの坊主頭に浅黒く焼けた肌を晒す、野球部員たちに他ならない。

その姿を眺め、その声を聞きながら、僕はひとり、窓の外の景色を眺めていた。

誰も居なくなった教室は、窓がすっかり開け放たれたままになっていて、昼下がりの風に白いカーテンが優雅になびいている。

時折そんなカーテンの動きに合わせるように、吹奏楽部の間延びした金管楽器の音が、ぶおー、ぶおーと鳴ってみせる。

 

 音。

心地の良い――雑音。

彼らの奏でる、いわば青春そのものを響かせるような音。

僕にとっては意味を成さない――けれど、静寂を壊してくれるもの。

――何にもないな、僕は。

遠くの野球部員たちを見下ろしながら、僕はぽつりと呟いた――誰へともなく。

 

 帰宅部で、友人には恵まれず。

元より人付き合い自体が得意でない僕に、当然恋人の一人も居るはずもなく。

たった一人、ただのひとり、ぽつんとこうして佇んでいる。

どうせ早く帰ったところで、だらしのない格好で出迎えた母さんが、いかにも皮肉っぽい顔で「あんた、友達とか居ないの?」と聞いてくる様が目に浮かぶ。

かといって、こうして時間を稼いだところで何が変わるわけでもないけれど。

 

 趣味も、人付き合いも、興味のある事も――何も。

僕には、何もない。

言葉にならない虚しさと、焦燥感めいたものが、胸の中でいつだってぢりぢりと焦げて、でも何も動けないまま。

そうしてこうして『いま』が過ぎるのを待っているだけの、それだけだ。

ただただ息が詰まりそうな虚しさに急かされて、何でもないことを頭の中でぐるぐると回す日々。

どうしたいのかも、何がしたいのかも分からず、それでも何かしなくちゃいけないって焦りだけが、空回る日々。

 

 静かな夜はいつだって、得体のしれない未来の事だとか、いのちの事だとか、僕や世界の意味についてだとか、そうした余計な物が頭の中を埋め尽くして、そいつらを掻き消すように、すっかり聞き飽きた音楽を、ただ流して眠る日々。

だからこそ、そんな日々を送っているからこそ、この雑音は気持ちが良い――心地が良い。

余計なことを考えられないほどの煩い音で、頭の中のモヤモヤを、心の中のぐるぐるを、全く全部塗りつぶしてさえくれるから。

 

 ふと、カキーン――と、心地の良い音が聞こえた。

窓の外へ意識を戻すと、野球部員たちが俄に声を張り上げている。

「まわれ」「まわれ」「まわれ」

みんな口を揃えて、声を張り上げている。

その声に応えるように、一人の部員が駆けていく。

昨日の雨で、まだ乾ききっていない泥土の上を――四角く引かれた白い線の上を、一人の部員が駆けていく。

 

 僕は思わずそれを目で追った。

何を思うでもなく――何を思ったでもなく。

心の内で「まわれ」「まわれ」「まわれ」と、声にならない声を上げながら。

世界の隅の方で、一人の部員が腕を大きく振った。

いや、恐らくはボールを投げたに違いない。

砂粒ほどの小さな白い点が、走る部員を追うようにして軌跡を描く。

 

 やがてその軌跡が、今にも交差しそうになったところで、歓声は悲鳴にも似た色へと移り変わった。

そうしてざわめきは最高潮から静寂へと、真っ逆さまに転がり落ちる。

気付けば僕は思わず窓から身を乗り出し、どっちだ? どっちだ? と、目を見張っていた。

校舎の窓からは、グラウンド上の声など聞こえるはずもなく、口の動きで読み取るなどといった事も、当然出来るはずもなく。

何かを話し合っている彼らの様子を、僕はただただ眺める事しかできないでいた。

どうやら様子を見る限り、結果はしばらく判然としそうに無い。

 

 僕はがっかりしたような心持ちで、ふう――と、小さく溜息をついた。

その教室へ、まるでタイミングを見計らっていたかのように、涼やかな風が、びゅう――と吹き込んだ。

張り付けられた掲示物がはたはたと暴れ、カーテンもまた、ふわりと舞い上がる。

その動きにつられて遠く視線を遣れば、遥か山の稜線の上には、大きな――大きな入道雲が浮かんでいた。

いつの間にか野球部員たちは試合を再開していたらしく、結局結果は分からずじまいだ。

僕は、遠い景色を眺めながら、もう一度、静かに溜息を吐く。

 

 長い――長い夏が始まる。

何もない僕の、何でもない夏が始まる。

そうだ、手始めに、今日はこれから海へでも出掛けてみようか。

自転車の――すっかり錆びたチェーンの音を掻き鳴らしながら。

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