「デュノア、夜遅くに失礼する。話がある」
「え? 神亡君。僕の部屋まで来るなんてどうしたの」
「廊下で話せることではないのでな。まずは部屋に入れてくれないか?」
「あ、うん。どうぞ」
扉を開けて奈落を部屋に招き入れる。
中は整然として綺麗に片付けられている。
ここに来て日が浅いせいか生活感というものがない。
ほとんど物を持たない主義なのだろうか。
さりげなく扉の前に立った奈落はいきなり切り出す。
「さて、突然ではあるが本質をつかせてもらおうか。――君は父親を恨んでいるかな?」
あまりといえばあまりの質問。
そもそも自分の家族構成を把握されているなど夢にも思わなかったデュノアは呆気にとられる。
素性を把握された諜報員など話にならない。
「な、なんのことかな? もしかして、僕の父と知り合いだったりするのかな。ごめんね、君の話は聞かされたことがないんだ」
「いや、聞かされているだろう? 君はそのために利用されているのだから」
「り、利用? 何のことかわからな――」
「別に隠す必要はない。全て知っているのだから。デュノア社ごときが希テクノロジーに対して隠し事を出来るとでも?」
「うく――」
希テクノロジーもデュノア社も世界的に認知される大企業だ。
しかし、比べる相手が悪すぎた。
まことしやかに陰謀論の主にされる希テクノロジーが相手では、どんな企業とて見劣りする。
世界的秘密結社とすら言えるそれは裏の世界を支配する絶対者なのだ。
「まあ、そこまで恐れることはない。たかが企業の一つにすぎんよ、それは」
奈落はこともなく支配者とも言えるそれをこきおろす。
しょせんは現実の存在でしかないとでも言うように。
「でも、僕を終わらせるくらいはできるんだろう?」
「そうだね。人一人消すくらいなら造作も無い」
「そっか。思えばいいことなんて一つもない人生だったな――」
デュノアは絶望したというより達観したような表情ですべてを諦める。
最初から無理だと思っていたのだろう。
女が男のふりをして学園に通うなど。
彼女の表情は詰みを認めた罪人のそれだ。
「気にすることはない。人間など儚い存在さ。だが、君はそこから突破できる」
妙にきっぱりと断言した。
罪とかそんなものなど、まともに取り合っちゃいない。
「何を言ってるの?」
「まだ最初の質問に答えてもらっていない。君は父親を憎んでいるか」
「……そんなことはないよ」
「ふむ、言い方が悪かったようだ。君は父親を憎んでいるな?」
「しつこいよ。君に何が分かるっていうのかい? 人の心が読めるとでも」
「読めというならしてみせるさ。だが、君に関しては必要ない。目を見れば分かる」
「目を見たくらいで何がわかると――」
「分かるさ。私は君と同じ目をしていたからね」
「……え?」
「そう。親とは子にとっていつか殺すべき仇でしかない。憎いはずだ、自らのルーツである彼が。まあ、私の場合は母だったが」
「――あの人が僕に何をしたのか知ってるの?」
「いいや。私が必要としたのはデュノア社のデータだけだ。君の生い立ちについては目を通してはいない」
「調べは付いてるってわけだね。逃げ場はないのかな」
「もともと人類に逃げ場などない。逃げようとしても、全ては無駄なあがきだ」
「でもさ、あなたは規律とか良心とかどうでもいいと思っているんだよね? 僕にはそんなの無理だよ。社会に縛られる哀れな囚人でしかないんだ。僕はデュノア社社長の娘で、専用機持ちのパイロットなんだよ。――反抗なんてできるわけがない」
「その通り、それが人間の限界だ。しかし、君は人間をやめることができる。君ならば、デュノア社を潰すことなど容易だ。そして、本来君はそれにためらいなど抱かない人間だった。――今は少し、自信がないだけだ」
「できないよ。僕はただの人間だよ。専用機を与えられたって、これは僕のじゃない。僕は所詮道具なんだ! そんな僕に何が出来るって言うの!?」
「それは違うとも。君の周囲が君に何をしたか、思い出したまえ。誰も君を助けなかった。だから、君は誰を助ける必要もない。誰かは君を傷つけた。だから、君は誰かを傷つけてもいい」
「僕は、僕は……」
「恐れることはない。私がついている。全ての思いを吐き出してしまえ。この私が、神亡奈落が受け止めてやる」
そう言うと、彼女はとつとつと話し始めた。
感情をなくしたかのように淡々と。
だが、その裏に潜む地獄の釜のように煮えたぎった憎しみは隠しようがない。
「僕は静かに暮らしたかった。ISにも父さんにも興味なんてなかった。これまではただ放っておかれたんだから、これからも放っておいて欲しかった。みんなは同情するだけして、何の力にもならなかったけど、お母さんがいてくれた。だから生きていけた
「でも、こんな僕を世界は放っておいてはくれなかった。この歳になるまで何もしてくれなかったのに、母さんが死んだ途端に父さんの使いだって人が来たんだ。――はは、お笑いだよね。物心ついた時から会ったことすらないけど、心配していた? 赤ん坊の頃のお前の顔を覚えている? 僕はあいつの声すら知らないのにさ
「ろくな説明もなく拉致されたよ。父さんの気持ちを察してほしいとは何度も言われたかな――部下の人に。でも、部下の人だって僕の気持ちは何一つ考えてくれなかったんだけど、ね。そして、デュノア社のために働けと言われた。僕は父さんの娘だからって。子は親のものだとでも思っているんだろうね。だから、躊躇なく犯罪行為の捨て駒にできた
「――ああ、そうだよ。僕は父さんが憎い。父さんは何もくれなかった。けれど、僕から全てを奪った。そもそも母さんの死因は過労だよ。父さんが何かしてくれればそんな死に方することなかった
「けどね、僕には何かしてもらうことを父さんは求めたんだ。何もしてくれなかった父さんに、ね。暗殺でもしようかと思ったけど、そもそも会う機会すらなかったよ。親戚の人だか誰かには殴られたよ。泥棒猫の娘ってね。でも、反論する暇もなく僕が取り押さえられた。暴れたのは向こうだけど、しょせん僕はデュノア社側の人間じゃないんだろうね
「どう? これが僕の告白。満足したかな、僕の恨み事なんてこれくらいのものだよ。僕を助けてくれる人はいなくて、利用する人はいるって――そんな普通の話」
「聞かせてくれてありがとう。とても面白かったよ」
「はは。それは重畳。あ、僕が女だってことも知ってるんだよね?」
「本気で隠そうとするなら骨格くらいは変えなければ意味がないな」
「アハハ。それは逆に怪しいと思うな」
デュノアはけらけらと笑う。
それは仮面だ。
へらへらと笑って憎しみを隠さなければ、社会の中では生きていけない。
悲しい生きるための方法だった。
彼女に自分を守れる力はなく、守ってくれる人もいない。
「だが、君はまだ遠慮している。その心に秘めた底無しの闇を開放していない」
「僕の暴露話はこれで終わりだよ。他に何か?」
「暴露とかそういうのはどうでもいい。君にはどうにも上辺を取り繕う癖があるようだ」
「はは。それはしょうがないよ、だって助けてくれる人がいないんだよ? 上辺だけでも取り繕わなきゃ、生きていけないよ」
「ふん。ならば、その仮面を私が壊そう」
大仰に手を広げる。
それとともに世界が一変する。
凶悪なまでの奈落の意思が世界を染め上げる。
一瞬でそこは魔界と化した。
ただ、奈落の意思によって。
「君は自らをさらけ出してくれた。己が過去を、そして呪いを。ゆえに、私も見せよう
「さあ、子羊の皮を被った奈落に、お前に絶対虚空の虚無の底を見せてやろうではないか!? さあ、来るぞ? 来るか。 来たぞ! 私の世界、私の刃。――
「【
ぐびゅる、と空間が歪んだ。
歪んだ空間は世界を汚染する。
それは奈落。
底無しの穴。
どこまでも昏い漆黒。
吐き気をもよおす口の中にはざらりと並んだ歪な剣未満の剣。
これらは全て、ディソードになりきれなかった妄想だ。
奈落こそが彼の本質。
世界に開いた穴が彼のディソード。
もはや剣どころか、物質の様相すらないがこれでも立派なディソードの一つである。
「ああ、あああ、あああああああああああああああ」
デュノアが震えだす。
世界に開かれた穴は彼女の闇を引き出す。
そして、彼女に秘められた刃は間近で引き釣り出された奈落と共鳴する。
「あ!? あが、あうあうあうあううあうあううううう」
体中の神経がパニックに陥る。
びくびくと陸にあげられた金魚のように震えている。
突然の力の開放――いや、認識に体がついていっていない。
「いいさ。それで構わぬとも。世界を前にした時、人は謙虚になるものだ。ひざまづいて迎えろ、貴様の世界を呼べ」
「うぐ。僕のディソード……【
震えた声でそれだけを吐き出す。
今、白と黒の混濁に染め上げられた世界が、1次元の言葉によって規定される。
「生誕おめでとう」
「これは……?」
ぱちぱちと目を瞬かせてあたりを見渡す。
彼女は人間という壁を突破した。
もはや彼女は人間ではない。
「心配することはない。私が全て教えてやる」
「ねえ――、奈落?」
「何だ」
いきなり奈落と呼ばれたのに驚きつつ、返答する。
「僕の本当の名前はシャルロットって言うんだ。そっちの名で呼んでほしいな」
「いいとも、シャルロット。我が同類」
微笑んで答える。
一夏たちにも向けたことのない微笑。
同じ人間、という言葉がある。
彼らは今、同じ人外とでも呼ぶべきものになった。
「それと、父さんを殺してもいい?」
「いいさ、好きにしろ」
すさまじいことを言った。
彼女にとっては自分の名前の呼ばれ方と、父殺しの許可をもらうことは並列するのだろうか。
いや、するのだろう。
それゆえの今の質問の仕方だ。
「うん。じゃあ、やるね?」
許可をもらったシャルロットはもう躊躇しない。
奈落にそんな権限などあるわけがないが。
いや、彼が許可を出したのなら自分の権力で犯罪など隠してしまうのだろうが。
だが、そんなことは関係ない。
誰かに許可をもらうと安心できる。
自分で何かすると決めるのより、他人に言われたまま生きるほうがずっと楽だ。
「
「――
黒く塗られた人間大の砲身のみの銃口――亜空間ブラスターが出現する。
現れ方はまるで量子領域に収納しておいたかのようだが、こんな兵器は実在しない。
妄想のはずの超兵器がそこに実存していた。
これの攻撃は空間を飛び越えて、目標のみを原子レベルまで破壊する。
目撃者がいても、神隠しにあったとしか思われないだろう。
あっけなくシャルロットは父親殺しを終えてしまった。
「なるほど、躊躇すらしないか。それでこそだ。で、お前はどうしたい? 恨みを晴らした後は無差別に暴れたいわけではないのだろう」
「――うん。僕を貴方のもとにおいてくれないかな?」
「もちろんだとも。君の身柄は私が預かる。君には希テクノロジーに転籍させるから、知らせを受け取れ」
「分かった。君の言うとおりにするよ」
こっくりとうなづくシャルロット。
彼女は奈落につくことを選んだ。
それは一目惚れでも何でもなく――
(あの人に付いて行けばきっと使い捨てられることだけはないだろう。それなら、それだけでいい。僕は二度と――捨てられたくない)