「――ここは…………?」
包帯だらけの体になってしまったボーデウィッヒはベッドの上で目を覚ます。
医師たちの必死の救護は功を奏し、生命は助かった。
生命“だけ”は――
「何だ? 指の感覚がない――」
そう、何も痛くはない。
指も動かせない。
まるで四肢が消失したかのような感触。
「目は、見える。腕もある。足も」
包帯だらけなのは体だけ。
頭は無事だ。
その眼で下を見る。
ノイズが混ざったり、黄色く見えたり、ましてや赤く見えたりなんてことはない。
ベッドから出ている方には包帯が、そしてその先にはシーツの膨らみが続いている。
それはおかしい。
手はあるはずなのに、その感覚が消失している。
なぜ、あるのにわからない?
いや、そもそも――
「アレほどまでに無茶な動きをやって、あのような攻撃を喰らった。少なくとも筋肉痛があるはずだぞ?」
筋肉痛を感じない。
それどころかどんな痛みも――
指の熱さも――
シーツの感触でさえ――
感じない。
感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない感じない――
何一つとして。
「はは。これは夢か? そういえば、頬をつねってみて痛くないのが夢だったか――?」
頬をつねろうかと思う。
けれど、指は動かない。
頬はつねれない。
「この……!」
ごつ、っと音がする。
おもむろに頭を棚にたたきつけた。
血が出るほどに強く――苛立ちを込めて。
「はは、痛い。痛いな――これは夢ではないのか」
怨念のようなつぶやきを漏らす。
その眼にはドロドロとしたものがあった。
憎しみでも火でもなく、ただひたすらに昏い感情。
闇がひたひたと迫ってくる感触。
それは、絶望。
「はは。動かない――動かない」
“痛みがない”。
それは終わりを意味する。
軍人として生きてきた一切合切が意味を消失する。
痛みがないことは一見良いことのように思える。
だが、痛みがあるということは反面、回復の望みがあることを示す。
血が巡り、痛みが走り、一つ一つの細胞に生命が灯る。
それが回復だ。
痛みは生きているということと同義である。
つまり、痛みとは生そのものと同一視することが出来る。
自らを傷つける者は、そうしなければ自分が生きていることを実感できない悲しい人なのかもしれない。
しかし、彼女に痛みはない。
ボーデウィッヒは頭のじんじんとした痛み以外に感じるものはない。
僅かな感覚すらない。
「ああ――いや、麻酔という可能性もあるぞ。痛みがないのは感覚が麻痺しているからで、麻痺しているから指は動かない。麻酔さえ切れれば痛みは戻る。指も動く。――うん、そのはずだ」
明るい声を出す。
学園に来てから一度も出したことのない場違いに明るい声。
それは、空元気どころか現実逃避でしかなかった。
「………………」
子供のように甲高い声が一瞬にして止まる。
這い寄るような静寂がひたひたと精神を侵す。
「わかっていたさ……そんなことがありえないことくらい……わかっていたさ」
そう、麻酔がかかっていることはありえない。
腕にはISが待機状態で装着している。
待機状態であって停止状態ではない。
そうである以上、麻酔が効くはずがない。
ISは人間の健康状態を正常に保つ機能がある。
その機能は待機状態であっても健在である。
毒を注射されても僅かな影響があるのみで、すぐに体外へと排出されてしまう。
麻酔とて同じ。
麻酔は体の反応を鈍らせる毒だ。
医者はその毒を上手く使って患者の苦痛を軽減するが――毒は毒。
効果は1分ほどで無効化され、その効果でさえ抑えられる。
完全に感覚を麻痺させることなどは不可能。
「動けない。私はもう動けない――動けない兵士に何の価値がある?」
自分をごまかすことなど出来はしない。
彼女は自分を騙せるほどにはロマンチストではない。
現実を直視し、目をそらすことが出来ない彼女は絶望に身を沈めるしかなかった。
「はは」
堰を切ったように昏い笑いが溢れ出す。
「ははは。あっはっはっはっはっはっはっは――
「――ラウラ」
「教官!?」
笑い声が響く病室に客が訪れる。
「見苦しいところをお見せしました」
「気にするな。その様子では気づいているんだな?」
「――ええ。もう私は兵士ではない」
「む? ああ、いや――そこまで早とちりしていたか」
「は?」
「たしかにお前には帰還命令が出ている。だが、それは教官への転属命令だ。今までの経験を活かして新兵共に教育しろとのことだ。お前は専用機持ちではなくなるが、兵士でなくなるわけではない。ドイツに見捨てられるわけじゃないんだ、ラウラ」
「どういう――?」
「ふん。まったく拍子抜けだった。この私が奈落に頭を下げて希テクノロジーの技術ででも、お前を治してもらおうと思ったのだがな――」
「結局、あいつはそれをするつもりでドイツ軍からお前の所属を転籍させようと思っていたらしい。それで働きかけてみたところ、むべなく断られたそうだ。お前を見捨てさえすれば、大きな利益が得られたというのに。いや、逆に断ったことで大きな損失が出るのだろうな。要求を飲まない相手に今までどおりの取引をする必要はないから。それでもその損失を覚悟でドイツ軍はお前を残すことを選んだ。誇れ、お前は栄光在るドイツ軍の一柱なのだ」
「では、私は――」
「帰れ、そして人を育てろ」
「私に人を育てることなど……!」
「できるさ。私とて、始めはそうだった。何を教えればいいのかわからくて――、何気なく言った言葉が生徒の人生をねじ曲げてしまわないか不安だった」
「教官にも、教官ではない時期があったのですか?」
「当然だろう? 私も人だ。教官として生まれてきたわけじゃない。色々苦労したさ。その苦労の果てに、いや――まだまだ学ぶべきことは多いな。最強などと呼ばれても、人を教えることはそれ以上に難しい。お前にも出来るさ。私に出来たのだから」
「無理です。人を教える責任には耐えられません。それにどう人を教育していいか何一つわからないのですよ。私にできることは兵士をすることしか――いえ、それでさえもはや……」
「それは私も同じだったと言っただろう。ISの操縦が出来ても、人を教えられるわけじゃない。だが、ISを駆るしか能のない私でもできたんだ。その私が保証してやる、お前なら大丈夫だ」
「何が大丈夫だというのですか!?」
「そう自分を卑下したものじゃない。いざやるとなれば、人間けっこうできてしまうものなんだよ」
「そんな……」
「私は行く。お前の帰国まではまだ時間がある。ゆっくり考えろ」
出て行く織斑教諭を見つめる。
けれど、その歩みは変わることがなく――
――どうしていいかわからなくなってしまった。
……ラウラ
お前は――シュヴァルツェア・レーゲンか。
何のようだ?
このままではお前は初期化されて消えるな。
……ええ。それでも、あなたが無事なら構いません
健気なものだな。
恨み事の一つや二つはないのか?
捨てられようとしているのだぞ。
それとも、先の戦いのように私の体を無理やり動かしてみるか。
……あれはあなたが私にさせたのではないですか!?
ほう。
お前が怒鳴ることがあるとは予想外だ。
恨みがあるなら聞いてやる。
……あのような暴挙はシステムの許容範囲外です
はは、まあ――あれだけ動けば寿命は縮まるな。
だが、そんなのは大きなお世話だ。
私は間違ったことをしたとは思ってないぞ、ん?
……私はあなたの生命を預かっています。システムへの介入さえなければ――
止めていたと?
だが、止められなかったな。
私の暴挙を。
結果、こんな有様になった。
……ええ、その通りです。そのような欠陥機械に私は存在意義を認めません
自分で自分を否定するか、私にもそんな時期があったよ。
それにしても、私の暴挙はお前の責任と言い張るか。
ま、そう思いたければ思うといい。
それにしても、お前は捨てられることに恐れを抱かないのだな。
……? 欠陥機械に利用価値は存在しません
私は怖かった。
失敗作とみなされて捨てられることが――ずっと。
産まれてからこのかた、怯え続けてきたと言っても過言ではない。
だが、そんなことは妄想のようだな。
ただの被害妄想。
ここまで愚かだと笑うしかないな――それが自分のことであっても。
……教官の件ですか
そう。
戦う力のないものなど要らない。
そう思っていたのだが、違ったようだ。
実際、動けない私をドイツ軍はかばった。
いや、私を殺そうとしている人間が居るわけでもないから、この言い方は少しおかしいかもしれないが――
それでも、損害を被ってまで私を軍に引き止めた。
私は今まで何をやっていたのかな。
……あなたは努力していたと思われます
おだてたって何も出んぞ。
だが、あれだな。
こんなふうに状況が推移すると、とても戸惑う。
動けなくなったら捨てられると思っていたからな。
……不安を抱いているのですか?
少し違う。
これでいいのか、と思ってな。
……教官をやりたくはないのですか?
そうかもしれない。
だが、心がざわつくんだ。
それが何なのか知りたい。
……私はあなたの無意識から生まれました
それがどうした。
……それでも、あなたのお心を知ることは出来ません。
何が言いたい。
……ゆっくり自分を見なおしてみてください。何がしたいのかを
そうか。
ふん、機械に指図されるのは癪だが――時間は余っているんだ。
機械の言うとおりにするのも一興だ。
体も動かないしな。