山田から緊急事態の知らせを受け取った千冬。
だが、どうしろと言うのか。
この――チェーンソーを受け止めているような危機的状況で。
けれど、悪夢は待ってはくれない。
準備出来ていようとなかろうと、ただ迫りくる。
容赦などない。
そして――それは声も同じ。
「暴走したISがこちらに向かっています! 至急こちらへ来てください。緊急会議を開きます。それと、変な音が聞こえるんですけど――どうかしましたか」
シャレにならない内容だった。
いや、緊急通信である以上は仕方のないが――
――ここまで悪いことが重なると作為を感じざるを得ない。
どうしようもないとしか思えない状況。
悪い夢だと笑い飛ばすようなユーモアは彼女にはない。
この最悪を前に、思考は空回りを始める。
大体、暴走したISなど本来は一教師の出る幕ではない。
高度な政治的駆け引きが行われ、腕の良い国家に認められた専用機持ちのIS乗りが結託して立ち向かうほどの事件なのだ。
大事も大事――国の大事である。
だが、一直線に向かっているとなれば話は別。
襲われる可能性がある以上、対応する必要がある。
そして、領海に侵入された日本政府は彼女たちに撃墜を要請するはずだ。
日本政府には自由に動かせる戦力が殆ど無い上に即応性は悪い。
対応できるのが彼女たちしかいないのだ。
もっとも、彼女たちにも対応出来るだけの余裕などあるわけがない。
それでも災禍は待ってはくれない。
暴走ISは後6時間もすれば襲撃してくるだろう。
日本政府からの要請も後7、8時間もすれば来るはずだ。
「……っち。済まないが、今は忙し――」
暴走ISに対する対策など取れやしない。
なによりも目の前にあるチェーンソーの化け物を何とかしなくてはならない。
それに今まさに友人が殺されようとしているのだ――放っては置けない。
だが、そちらも大事件であることは事実。
歯噛みする。
ブリュンヒルデではあっても、体を二つに分けることはできない。
「山田先生、そのことなら問題ありません。こちらでも確認しました」
そこに奈落が口を挟む。
そんなことは知っていたとでも言わんばかりの傲慢な口調。
今正に叩き切ろうとしている人間の通話に割り込むとは、それにつけても面の皮の厚いやつである。
「へ? 神亡君ですか。ハイパーセンサーでも捉えられないくらい距離が開いているはずなんですけど。って、先生同士の話に口をはさまないでください」
「あなた達にはどうしようもないでしょう? 織斑先生はそちらに行けないと言っているんですから」
断定的な口調でグイグイ押してくる。
元々気の弱い山田教諭はたじたじだ。
それでも、先生としての意地は通す。
「それでも、何とかするのが先生のお仕事です」
「何とか出来ないのでしょう? シャルとラウラに撃墜させます」
意地は通せても、現実はどうしようもない。
動かせる戦力は織斑千冬一人だけ。
もちろん、違法所持のISのことは知らないから――そもそも動かせるIS自体ないと思っている。
結局は生徒に頼るしか無いのだ。
「そんなことは……織斑先生、どうしますか?」
戸惑った声。
生徒に任せるしか無い事実を心の何処かでは認めていたのだろう。
どんなに悔しくても、生徒を危険な場所に送らなければ何も出来ない。
危険な目に遭うのは生徒で、自分はサポートしか出来ない。
まあ、実はその生徒と頼りにする教員が殺し合い寸前の所まで来ているわけだが。
「――任せるしか、ないだろう……!」
苦り切った声で、言う。
相手の思惑に乗ることになるが、それ以外に手はない。
生徒と教師の関係を除いて考えれば――敵は少ないほうがいいのだ。
それは千冬にとって好都合でしかない。
不安を覚えるほどに。
「そんな! 生徒たちになんて――」
「問題なく倒せるのだろう? ならば、こいつの善意に頼るしか無い。――責任は取れんが、いいか」
挑むような――試すような、そしてすがるようななんとも言い難い表情を浮かべる織斑千冬。
むしろ断ってくれと言いそうな顔。
「問題ない。こちらで国防庁の方に確認をとる」
そして、それを受ける奈落ははっきりと答えを口にした。
一見、己の不利にしかならない答えを。
「任せる」
教師は生徒に頼るしか無いことを認める一言。
その屈辱的で、何より絶望的な言葉を腹から絞り出す。
「――シャル、ラウラ。お前たちは
なんと、二人も回してしまう。
それでは一対二だ。
形勢逆転といったところか――有利な側が作為を持ってそうしたのをそう呼ぶのならば。
「わかったよ」
「了解」
二人は躊躇する様子もなく飛び立っていく。
信頼しているのだろうか。
いや、奈落の指示に従っていればいいと――それ以上のことは考えてはいまい。
「さて、これでは一対二かな?」
「わざわざ戦力を分けてくれるとはご苦労なことだ」
そして、今までつばぜり合いをしていた二人は離れる。
状況は二対一、束は不気味な沈黙を守る。
「一つ、いいことを教えてやろう」
奈落は両腕を広げて、嫌な笑みを浮かべる。
限りなく嫌な予感しかしない。
「……何?」
だが、切り込めるほどには隙がない。
話を聞きながら隙を伺う――束のおかしな様子を気にかけながら。
常は世界すら見下す彼女は、なにやら震えている。
恐怖しているわけでもなかろうに。
「野呂瀬は生きている」
――野呂瀬。
一夏たちには聞いたことすらない名前だ。
だが、千冬と束には心あたりがあるようだ。
それどころか……怯えるように体がはねた。
心は憎しみで覆えても――体には隠しようのないほどの恐怖と嫌悪が刻まれている。
「馬鹿な……奴は死んだはず――まずい! 束、こいつの言うことを聞くな!」
そして、千冬は束へと警告を飛ばす。
相手への警戒を忘れ去るほどに焦っている。
それほどまでに彼女たちの間では、この名前は禁忌なのだ。
「そして、ノアⅢは建造中だ。良かったじゃないか、データが役に立ったんだよ。なあ――Dの666番と、Dの911番」
焦るような声とは対称的な、邪悪より這いずるような声が響く。
薄笑いがまるで奈落のように堕ちていく。
「束! 聞くな……」
鋭い悲鳴のような声が束を打つ。
けれど、声は聞こえてしまった。
「貴様ぁ! 貴様らが、私たちをぉぉ」
沈黙を守ってきた束が飛び出した。
ISも装着せずに――鬼の形相で。
必死に――けれどそれは……無防備ということでしかなくて。
「許さない……! 絶対に、貴様らの存在を許さない。細胞の一片まで駆逐してやる――あがっ!?」
恨みの言葉を吐く束は虚空から出現した鎖に囚われた。
「ぎぎぎ……殺してやる。放せ、放せェ!」
喚こうと、暴れようと拘束は振りほどけない。
がちゃがちゃと鎖を揺らすだけ。
それでも――正気を失ったかのように暴れ続ける。
「束、これほどまでに簡単に……だと……! ――思考盗撮、か……違う。そんなものではない――私達に思考誘導を施したな!?」
焦燥の極みにある表情で叫ぶ。
「そういうことだ」
奈落は事も無げにうなづく。
思考誘導――つまりは他人の思考を操った。
ギガロマニアックスには他人の思考を覗く力――思考盗撮がある。
しかし、その力は他人の心を操れるほどには強くない。
何かで強化しなければ――いや、更に思考パターンも知っておかねば。
変えたいものがあるならば――元の形を知っておく必要がある。
彼女たちの思考パターンならすでに奈落側にわたっているとはいえ――人間の脳に記憶させることができるような生易しい情報量ではない。
「ノアⅢはそこまで完成していたのか……! 私達が仕掛けた妨害を物ともせずに」
ノアⅢ――これまた一夏たちの知らない単語。
言葉からして思考操作の補助を担うものであるらしい。
そして、千冬は試用に耐えるレベルまで完成していないと思っていたようだ。
なにせ、そのために世界を変えた。
「いやいや、それについては感謝しているよ。君たちがこんな社会にしてくれたおかげでここまで研究が進んだんだ。まあ、もっとも……未だに対象は限られているのだがね」
奈落の発言――こんな社会、といえば男尊女卑社会しか思い浮かばない。
確かに発端は束がISを制作したことに由来する出来事だが――しかし、女尊男卑社会が男を有利にすることとは?
優秀な女を雇い入れられたわけもなく――なぜ研究が進んだのか。
奈落は言わない。
「馬鹿な。私達がやったことは逆効果だったとでも?」
「憎しみに踊らされたな。確かに研究員は男しかいなかったし――野呂瀬も男だが、それで男を世界から疎外すればなんとかなると思うとは、間抜けな限りだ。もちろん、思考誘導した結果ではないぞ」
「だろうな。それではなんのために苦労したのかわからん。私達の意思は捻じ曲げられてなんていない」
「苦労? ノアⅡを消去してくれたのは、かの大嘘憑きだったと思うのだがな」
――大嘘憑き。
その名は束と少佐と奈落の茶会で出た。
なにやらとんでもないことをしてくれた人物で――すでに死んでいるらしい。
正確には、奈落が――いや、その時まだ奈落はいなかったから野呂瀬が殺した。
「だが、ここで貴様を消し去ればノアⅢは動かなくなる。その後で完膚なきまでに破壊してくれる」
「できるかな?」
「私達のような犠牲など、二度と出してなるものか」
「日和った君には無理だな」
「そんなことは――ない!」
言い放ちながらも、不安はとめどなくあふれる。
私は、勝てるのか?
教師となり、一線を退いた私がどこまで戦えるか――
束のやつは鎖の中でもがいている。
見たところ、中から脱出するのは不可能と見ていい。
つまり、戦力どころか人質に成り下がった。
あいつを守りながら――この鈍った体でどこまでやれる?