「えーと、ここまででわからないことがある人は手を上げてください」
今は授業中。
授業前の質問攻めは織斑教諭が助けてくれた。
それも睨めつけるという形で。
今後もその調子で教育を進めて欲しい。
もっとも、彼女の出席簿による制裁はかわさせてもらったが。
次も成功するかは怪しいので、おとなしくしておくことにしよう。
「はい!」
おお、一夏が勢い良く手を上げた。
だがそういう時はふりだけでも申し訳なさそうにしておくものだぞ。
「え?」
山田教諭が固まったな。
教員のくせに――とか言うのは簡単かもしれんが、まあこんな奴が入学できる可能性など皆無だったのだろう。
現時点でわからないものがある奴は筆記試験の時点で落とされる。
「あの、全然さっぱりわかりません。助けてください」
涙目、情けないやつだな。
まあIS学園のための受験勉強など男がしているわけがないので当然だが。
モチベーションもないままに電話帳を覚えろというのも無理がある。
「え? え? え? あの、他にわからない人は居ませんか?」
誰も手を挙げない。
この時点で(以下略)。
「えええ? 皆こんな難しいことが分かるのかよ。……ええと」
おろおろ狼狽えて、まあ。
格好悪いやつ。
こういう時は堂々としていればいいんだよ。
そうしていれば相手が勝手に譲歩してくれるから。
「馬鹿者」
一夏の頭に出席簿が叩き込まれる。
よくあんな軽い紙の束でアレだけの威力を出せるな。
プラスチックならば人を両断できるのではないか?
まあ、なんにしても譲歩なんて考えたこともなさそうなお人の登場だ。
「千冬姉――」
また一撃。
「織斑先生を呼べといったはずだ。……で、説明書はどうした?」
「あの電話帳みたいなやつなら捨てました」
三度目。
「もう一度発行してやるから一週間ですべて覚えること」
「ええ!? あれ、どれだけ厚いと――」
「いいな?」
出席簿を構えられながら言われたら
「……はい」
と言うしかないわな。
ご愁傷様。
IS学園に入学する羽目になった己が不明を恨め。
「さて、この馬鹿者は放っておくとして――。まさか、他に暗記して来なかったものは居ないな?」
沈黙。
さすがに座学が出来ないものは一夏以外にはいない、と――。
さて、一夏は誰に頼るのかな。
幼なじみか、唯一の同姓か。
「よろしい。では、山田先生、授業を続けてくれ」
「あ、はい。では次のお話に移りますよ――」
「奈落、頼みがある」
授業が終わった瞬間に飛んできたか。
どうやら箒には頼まないらしいな。
まあ、アレの成績は正直微妙だしな。
「暗記しろ。私から言えることはそれだけだ」
「そんなつれないこと言うなよ。なんかあるだろ? コツとか、ここだけは必須だとか」
あんな、疑似科学など覚える以外に対処の仕様がない。
例外に特例のオンパレード。
ISにしか適応できない学問など、数十はあるのだ。
まともに理解しようとすれば頭がおかしくなる。
更に言えば――、それが合っている保証などどこにもないのだ。
「いや。そう言われてもな――」
「頼む。お前だけが頼りなんだ」
頭を下げられても、私は睡眠学習装置の類など所持していないしな――。
それにそもそも私は理論項目については懐疑的だ。
「はっきり言って、あのような超理論など操縦の役には立たないからな。あんなものは試験のために覚えるものだ」
「え? じゃあ、何で皆覚えてるんだよ」
いや、試験のためだと言ったろう。
後は……ISを扱う際の禁止項目を知らなければ国家反逆罪を起こして、テロリストとして処理されてしまうこともあり得るから、かな。
「入学するために必死に受験勉強したのだろう。はっきり言って、高校受験レベルの数学では太刀打ちできないし、生徒レベルで理論を完全に理解している奴は少ないはずだ」
「受験勉強なら俺だってしたぞ」
この阿呆。
自分が特別で特例だと言う自覚はないのか?
「IS学園のための受験勉強は他の学校の受験勉強とは別だ。他の学校ではいらない科目が山ほど出てくる」
「……俺、どうしたらいいんだ?」
まあ、可哀想といえば可哀想なのだろう。
なにせ、大人の都合で志望学科を180度替えられたようなものだ。
だが、現実は辛く苦しいものだ。
頭を抱える一夏に言ってやる。
「さあ? 選択肢など暗記以外は現実的ではないな」
「くそぅ。何で捨てちまったんだ。俺の馬鹿……」
まあ、あれは付け焼き刃でどうなるものでもない。
そんな無茶を通すのはそれなりに無茶でなければならない。
だから――。
「全く救いにはならんだろうが、織斑先生のやり方は効果的だぞ」
「え?」
こうやって、今苦しんでいる事こそがその証左だ。
「お前は別にISを駆りたくって仕方なくて学園に入ったわけではないのだろう?」
「まあ、そりゃそうだな」
頷く。
「だから、いくら時間があったってあの量は暗記できまい」
「……確かに」
「ゆえに、本気でお前に覚えさせたいというのなら、手段はひとつしかない」
「ほえ?」
阿呆面をさらす一夏に私はニヤリと笑って宣告を下す。
「恐怖だ。もし出来なければ酷い目に合う。ならば――覚えない訳にはいかないだろう」
「いや、まあそうだけど――」
「だからこそ気をつけなければいけない」
「……何に?」
片目を大きく開いて一夏を覗きこむ。
びくっとのけぞって、それでも答えを催促してきた。
うん、いい調子だ。
やはり私はその名の通り奈落のような昏さを秘める男でなくては。
そうでなくて、何が神亡か。
「実際に出来なければ、それはもう目を覆いたくなるような仕打ちを受ける。脅すだけ脅かして何をしなければ舐められるからな。そこには温情とかそういう甘っちょろいものが入る余地はない」
「…………ごくり」
絶望の底から発するような声を発する。
楽しくなってきた。
「想像できたか? そんな目に会いたくなければ、励め。まあ、必須事項とどうでもいいものくらいはある。ペンで色分けくらいはしておいてやる」
「――どうも。なあ、奈落」
とはいえ、いつまでも続けていられるものでもない。
こういった日常のシーンでは。
毒気を引っ込めて助け舟を出してやる。
「何だ? 嫌に暗い顔をして。いくら量が多くても高々暗記だろう」
「俺、遺書を書いておいたほうがいいのかな」
ほう?
あの織斑教諭が貴様を殺すと――。
……それはないな。
“逆”はあったとしても、な。
「大げさな。一生のトラウマを負うことがあっても、別に怪我はせんだろう。あの出席簿にしたところで、外傷は皆無だぞ」
「そっかなぁ。俺、生きていられるのかなぁ」
あの強さに怯えるのはわかるが、少し過剰だな。
ふと可能性を思いついて顔を歪めてしまう。
いいや、これが憎しみの裏返しであったとしたら?
それはそれは面白い物語になることだろう。
「そんなことを心配するよりも暗記に力を注いだほうが効率的だぞ。私の持っているやつを今日中にペンを入れてくれてやる」
「ありだとう。お前は俺の命の恩人だ」
ま、先ほど思いついた可能性を聞いておくことは出来ない。
さすがにあんなことを聞かれたら不信も持つさ。
今は一夏に近づくことが先決。
そう、ある意味で今の世界を作り上げた混沌に近づくことが。
「大げさな。あまり遠慮するものではない。二人きりの男子生徒だろう?」
「ってうお!? もう授業が始める時間じゃねえか。奈落、また後で」
今度は学習したらしい。
あれをISなしで受けるのはしんどいので私も席に着く。
「さて、小娘ども。休憩は終わりだ。さっさと席につけ。言われんとわからんのか」
今日最後の授業はこんな言葉から始まった。
「ふー。終わった終わった。奈落、飯食いに行こうぜ」
「ああ、いいぞ。本音も来るか?」
いつの間にか横に来ていた本音に声をかける。
「箒、お前も来るだろ?」
一夏は離れたところでそっぽを向いている箒に声をかけた。
「んな。な、なぜ私がお前と食事を取らなければならない?」
「いや、幼なじみだろ。俺たち」
一夏が気さくに声をかけるものの、遠慮がちな様子。
これは――。正直迷惑だけどそう言うわけにもいかないというやつか。
「……らっくー。それは違うと思うよ~」
考えを読まれた?
まあ、いいや。
「それでは本音。お前は二人の関係をどう思う? 篠ノ之箒は一夏と関わりたくない様子だが」
「ふふん。私には分かるんだよ。これはね~」
ふむ。この様子からして敵対関係ではないか。
いや、一夏には敵意の欠片も見られないが。
だが、篠ノ之の方はそうでもないように見える。
わからない。
だから、聞く。
「何だ?」
「恋の予感だよ~」
――こい。
まさか魚の鯉ではないだろうから、恋愛の方の恋か。
しかし、一夏はそんな自分から誰かに性的な好意を抱くとは思えない。
「……あれが? 一夏は別に篠ノ之箒に恋してはいないと思うが」
「違うよ~。しのむーのほう。あれは恋する乙女の眼だよ」
敵を警戒する野獣の目に見えるのは私だけだろうか。
……なぜだろう? 一夏が頷いていた。
「……ほう。あれが。私には殺意に満ちた獣の目にしか見えん」
「照れ隠しだよ~。女の子はね、好きな男の子の前に出ると慌てちゃうものなの」
照れ隠し。
はて?
言われてみれば――、そうとは思えないが。
「なるほど。そういう見方もあるのか。しかし、私としてはあのように威嚇している女が恋する乙女だとは信じられんのだが――」
「見てればわかるよ~」
ならば見ていよう。
あの猛獣のような女が愛する人にどう出るのか。
「む? 一夏が篠ノ之箒の手を取ったな。一瞬だが笑みが浮かんだ。その直後に仏頂面に戻ったが――。お前の指摘もあながち間違いではないのか」
「でしょ~。女の子にはビビっと来るんだよ」
「電波が?」
「乙女の直感が」
なるほど。
表現の違いか。
私は露悪的な話し方は好むが――こういう情緒的な話しぶりに理解がないわけではない。
もっとも、知識はないのだが。
「なるほど。諒解した」
「何を~?」
決まっているだろう。
「参考にならんということが涼解した」
「……らっくー」
私に恋する女の心情など理解できん。
おもいっきり甘えてしまえば、男などすぐに落とせるのではないか?
それをあのように敵意に満ちた態度で想い人に接するなど。
特に一夏のような男であれば、逆効果にすぎるぞ。
「おーい、奈落。何やってんだよ、食堂に行くぞ」
篠ノ之箒は大人しく手を握られている。
愛の言葉の一つでも吐けば一夏などすぐに落とせるだろうに。
「はーい。ほら、らっくーも考え事してないで行こうよ。食堂はすぐに混んじゃうから」
「で、一夏はどうする?」
思い思いの食事を四人で摂る。
本音はフルーツサンド、私と一夏は日替わり定食、箒はきつねうどんだ。
「どうするって、何が?」
「篠ノ之箒に教えてもらうのか」
詰問するように問う。
「教えてもらうって、何を……」
「お前は織斑教諭に殺される気か? 流石に“忘れてました”なんて言ったら無事では済まんぞ」
あれほど怯えていたくせにな。
「いや、あれは奈落がペン入れ済みの教科書をくれるって……」
「それだけで覚えられたら苦労はしない。だが、怖い監視者が居ればお前でもなんとかなるだろう」
さすがに私も一夏など殴り殺されてしまえば良いと思うほどの冷血ではない。
これでも、多少は友好を結べたと思っているのだよ?
「え? まあ、そうかもしれないけど……。じゃ、頼めるか?」
「残念だが私は忙しい。篠ノ之箒にでも頼んでみたらどうだ」
これで少し様子を見よう。
篠ノ之箒はこの間にどうするのかを。
この二人の仲の妨害はさすがに無理だ。
「へ? 箒が――」
「一夏。その顔は何だ? 馬鹿な私に人に教えるなんてことが出来るわけがないとでも言いたそうだな?」
敵意は健在、と。
私だったら、こういうタイプは――大歓迎だ。
友人であれば、だが。
「ヒィッ。し、篠ノ之さん? そんなに怒らないで欲しいのですが」
「っふん! お前がどうしてもというなら――その……教えてやらなくもない」
やれやれ。一夏も怯えてしまって。
まあ、今は只の人間なのだから仕方がない。
篠ノ之は人一人くらいは殴り殺せそうな鬼気を纏っている。
「じゃ、頼みます。篠ノ之さん」
「私を篠ノ之と呼ぶな。お前もだ、神亡奈落」
私も?
「ふむ、では箒と呼ぶことにしよう。それでは、箒、一夏をよろしく頼む。まあ、同室なのだからやりやすいだろう」
「「「え?」」」
全員がびっくりしたような顔。
本音にいたっては――ピカソのつもりか?
これは、まさか知らない?
学園側の不手際か、情報保護に関する配慮というやつか。
「まさか、知らなかったのか。私には部屋割りが届いているが、生徒には秘密か。よくわからない情報規制だな」
「――いや、ちょっと待ってくれ。それは本当なのか」
本当に決まっているだろう。
学園がこんなことで嘘をついて利することが一つでもあるものか。
どうせ、夜になったら一度調べ直すのだから。
「学園側が嘘を言うことは考えづらいな」
「なぜ私と一夏が同室なのだ?」
――篠ノ之。少しは嬉しそうな顔くらいしたらどうだ?
「箒が同室に選ばれた理由は知らんが、一夏が女子の部屋に行くのは準備がのろいからだ。特別製の部屋はいくつも空いてはいるが、特別製なだけに使えるようにするまで時間がかかる。大方、どこぞの許可でももらいに走り回っているのではないか?」
「いわゆるお役所仕事というやつか。まあ――それで私と一夏が同室になれるのなら……」
ふむ、本当に少しだけ嬉しそうな顔をしたか。
一夏には見られなかった。
…….一夏はこういう宿命を背負っているのだな。
「? 箒、なんか言ったか」
「い、いや。何でもない。――そうだな。うむ。一夏! ビシバシしごいてやるから覚悟するがいい」
うん。気付くわけがない。
一夏も、そして篠ノ之も。
「おう! どんと来い」
「よし。その意気だ。日本男子たるもの常に気迫をみなぎらせねばな」
拳など振り上げてしまって。やる気だな。
やはり――やれば出来る子じゃないか、一夏。
「わー。しのっち、古い~」
「そう言ってやるな。というか、聞こえてないぞ」
古い、か。
まあ、女が戦場を支配する今では古い考え方なのだろう。
「だから言ってるんだよ~」
「そうか。ま、一夏もあまりやつれないと良いがな」
なるほど。
聞こえていないのなら悪口も言い放題。
それに、ストレスの源は他にもあるようだし。
「へ?」
「これから一週間で授業と並行してISの基礎事項を学ばないといけないのだからな。わずかでも睡眠が取れると良いが」
心配といえば、それが心配。
こんな序章もいいところで、体を悪くして退場などするなよ?
「あー。うーん。ま、なんとかなるんじゃない~?」
「そうだな。懲罰は、織斑教諭次第か」
「大丈夫。きっとおりむーなら生きていられるよ~」
「そうだな。ま、殺されるはずがないか」
「そうだよ~」
「だな」
頷きあいながら、一夏と箒の痴話喧嘩を眺める。
和やかな気分になるのはなぜかな?