「娘をどうする気だ……?」
浮浪者が、いや――箒の父がぽつりとつぶやいた。
それは消え入りそうで、周りの声に容易にかき消されてしまう。
しかし、不思議とよく響く。
「ふむ? 何もする気はないよ……こいつは役にも立たない」
冷たく返す奈落。
だが、わざわざ答えるのは彼の妙な律儀さゆえか。
「ふざけるな……! 貴様らが私にさせたことを覚えていないはずがないだろう。希テクノロジー総帥、神亡奈落」
「副総帥だよ。しかし、このような場所でも情報は入るものなのだな」
――副総帥。
実は総帥と変わりなかったりする。
そもそも会社において総帥などという役職はない。
実際には株主だ……それも個人所有の。
その状態だと株とは呼べないのだが、細かいことはどうでもいいだろう。
実は希テクノロジーとは神亡奈落の所有する会社だ。
現総帥である野呂瀬から丸ごと全てを受け継いだ。
奈落は彼に敬意を払い、現総帥として奉っているだけである。
野呂瀬が権力を振るいたければ、まずは奈落から所有権を奪い返さなければならない。
「貴様の言葉など信じられるものか……!」
「で? 私は餌を捕まえに来ただけで――師の友人と語らいに来たわけではない」
そういうことになるのだろうか。
この男は希テクノロジーで科学者を務めていた。
ならば、当時全権を握っていた野呂瀬ともつながりがある。
浮浪者のようなナリはしていても、主任であったのだから。
「友人……? 誰が――」
「とはいえ、私も慈悲もない破壊神ではない。少しばかり娘と話す時間をくれてやる。心残りはそれくらいだろう? どうせ……妻には人の言葉を理解する正気すら残っていまい」
「…….貴様がそれを――」
「父さん、母さんが正気ではないというのは……?」
箒がぽつりとつぶやく。
その声は悲哀に満ちていて、思わず耳をふさぎたくなる。
「そ、それは――」
「教えて欲しいか? 真実を知りたがるのは人間の業だ――しかし、私は止めはしないよ。知りたいなら話そう、それが自ら地獄へと足を進めることであっても」
奈落が言う。
優しい顔をしている。
本当に優しくしているのだろう――人外なりのやり方で。
だから、ピントがずれていると言わざるをえない。
「――奈落。教えてくれ……そこまで言われて、ここで引き返すなど私には……!」
「できぬ、と。ならば教えよう」
箒はうつむいてはいてもひざまずきはしない。
眼には光がなく、淀んでいる。
奈落はわずかにうなずいて続ける。
「やめろォっ!」
父が金切り声を上げる。
しかし、その声は娘にすら届かない。
「やめない――ラウラ」
「……っは!」
ISをまとったままのラウラがワイヤーで彼の首を締め上げる。
「かつて希テクノロジーは人体実験に手を出した。まあ、ここは割愛させてもらおうか――趣味の悪い話を聞かせるのはあまり好きではない。と、いうわけで実験をした、それだけで締めくくらせてもらう」
「実験を受けたのは千冬、束――他にも何十人と。まあ、生きて帰れたのはこの二人だけ。他のは二目と見られぬ死体となって破棄された。ギガロマニアックスを創るために、その大義のもとに多くの者が犠牲になった」
「ところで、箒……知っているかね? 君は3人目なのだ。3人姉妹の末っ子――長姉の束がいて末妹のお前が居る。では、真ん中はどうなったのだろうな?」
「――そう、実験の犠牲となった。そして、おぞましき遺体となった二人目を見た君の母親は発狂した。今も精神病院に入れられているよ。ま、そこにいる君の父はいわゆる自らの子すら生贄に捧げる
「この物語はこれで終わり。まあ、君の父はギガロマニアックス創造実験を主導した男だ――知識も相当。実践に至っては数知れず。アメリカも何をしてでも手に入れたいと思うさ」
「手に入れる、だと? 父さんはモノじゃない」
「関係ないさ。君のことなど、私にもアメリカにもね。私は君の知りたいことを教えてやっただけにすぎない」
「――っ! 父さん、奈落の言っていることは……」
「本当のことだ。私は取り返しの付かないことを犯してしまった。許してくれとさえ言う資格はない。だが、貴様らの企みに関わった身として――世界を好きにはさせない」
「そう。なら、頑張るといい。だが、今は娘との会話に集中したほうが良いのではないか?」
「そうそう、もしくはお母さんのことを治してあげるとか。箒がかわいそうだよ?」
気楽な調子でシャルが声を投げ込んできた。
しかし、調子と違って話題が暗い。
一瞬で場が凍りついた。
「――シャル」
たしなめるように奈落が言う。
あえてそこは言わずに置いたのに――と。
「どういうことだ?」
箒が聞き返す。
もはや毒を食らった――ならば皿ごとでも問題無いということか。
致命というならもう遅い。
彼女の心は傷つき、砕け散りそうになって震えている。
「いいよね?」
「やめろ――やめてくれ」
無様に懇願する。
だが、ここには聞き入れる人間はいない。
「よかろう」
「うん、じゃ――言っちゃうよ」
奈落が許可を出す。
もっとも、何に対しての許可なのか。
「そもそも君はね、そこの男が発狂した妻を無理やり抱いて産み落した忌み子なんだよ。だから、母親は君のことを知らないよ。今は妄想の世界で2人姉妹と仲良く暮らしている――君をのけ者にしてね」
「――は?」
瞳には同情と哀れみ。
君も僕もかわいそうな人間だよね――という仲間意識。
そして、自分だけは今……大切な人に愛されているという優越。
「だから、君はのけ者なんだよ。母の愛とかそんなんはそもそも――母は君のことを知らない。けれど、そう悲観した話じゃない。かわいそうけど、親の愛を受けられないのはよくある話だよ。ま、産んだ事実からして知らないのはそうそうないと思うけどね」
謳いあげるように言う。
その残酷な真実をまるでありふれた話のように。
実際、彼女もまた片親――父の愛情を受けられなかった。
「母さんは――」
「廃人だよ。言ったでしょ?」
「これが真実だ。救いも何もない。他に知りたいことは? 父に聞きたいことは?」
「――父さん、あなたは母さんを愛していたのか? なぜ家族に対してそんなことができるんだ……」
「愛していた……いや、私は今も彼女を愛している」
「そうか。では、愛とは何だ? ――もう、何もわからない」
とうとう、箒は膝をつく。
「さて、もう話は終わりかな?」
「待て、奈落……貴様に世界を支配などさせない」
浮浪者のような彼が言う。
「好きにしたらいい。だが、今はただの餌だ」