「なんで……こんなことになったんだ」
頭を抱える男性が一人。
見た感じでは年は30に届かないくらいだろう。
会社では新入社員でもなければ熟練でもない微妙なところ。
年を召した方には若造にしか見えない。
スーツ姿は薄汚れて、浮浪者の様にも見える。
「奴はどこに行った?」
「わからん。探せ!」
「あっちに行ったんじゃないのか」
「こっちだな」
「早く見つけろ」
「ぶっ殺せ!」
「希テクノロジーを許すな!」
びくっと体をすくめる。
男がいるのは裏路地に入ったところ。
1分もしないうちに、あの武装した集団に見つけられてしまうだろう。
そして見つかったら、その後は想像したくもない。
女じゃなくて良かった、などと気楽に考えることもできない目に合うのは目に見えている。
「ど、どうすればいいんだ」
少し前まではただのサラリーマンだったこの男に裏路地ルートの知識などあるはずがない。
ここまでも適当に逃げていくだけだった。
当然足音を消す技能なんぞ持っているはずがない。
ここから動けばすぐに所在地が知れてしまう。
いや、それ以前に――この荒い息が、早鐘の様にうるさい心臓が奴らに居場所を教えてしまわないだろうか?
「こっち」
声をかけてきた女は顔見知り。
とはいっても、あまりほめられたような出会いはしていない。
それでも見知らぬ暴徒たちに追われている彼には仏のように見える。
「あなたは――」
「話は後よ。今は奴らから逃げましょう」
女に連れられてきたのは場末の安宿。
いかがわしい目的に使われそうなそんなところである。
「もうチェックインは済ませてあるの。入りましょ」
「……用意がいいんだな」
「たまたまよ。あなたを見つけたのもたまたま」
「信じておくよ」
わーわーと言う声が遠く離れていく。
群衆はあらぬ方向へと向かったようだ。
彼女は煙草を取り出して紫煙をくゆらせ始める。
「ねぇ。なんでこんなことになってるのか教えてくれないかしら」
「それは君も知っているだろう。希テクノロジーが第3次世界大戦を起こしたってテレビでさんざんやってるじゃないか」
そう、今や希テクノロジーは悪者なのだ。
だからこそ彼は追いかけられる身になっている。
優良企業である希テクノロジーに就職できたから、それを吹聴していたツケが回ってきたというわけだ。
栄枯盛衰と言うにしても、いささか展開が急すぎるか。
なにせ、1週間前までは勝ち組であったのだ。
それがもはやテロリスト扱い。
彼でなくとも嘆きたくなる。
「今は事実関係を調査中って言ってなかった?」
「やたらめったら聞こえの悪い情報ばかり持ち出しておいて何が調査中だよ。ただの責任逃れじゃないか。何か言われた時のために明言を避けているだけだろう。裁判にでも持ち込まれた時のためにね」
噂を広めているのはテレビ局や新聞である。
ミレニアムが出した被害を数え上げた後に希テクノロジーの後ろ暗い部分をたとえ捏造してでも突いているのだから、狙いは明らかである。
つまりは悪者を作って、戦争責任を押し付けてしまおうというのである。
「ならなんで裁判所に行かないの? 偉い人は雲隠れしたって話じゃない」
「群衆の誰かに殺されるのがオチだよ。きっと、軍事教練を受けた一般人が頭を吹っ飛ばしてくれるさ」
ゆえに裁判はいけない。
世界各国首脳陣レベルでばらされてはならないことが多すぎる。
誰もが共犯者である。
世界は生贄を要求しているのだ。
まあ、もっとも――女性の言う通り生贄はすでに逃亡済みである。
「じゃ、あなたは希テクノロジーに言われて悪いことをしたの? 脅迫とか人体実験とか当たり前のようにやっていて、社員は皆加担してるってテレビで言ってたわ。いえ――明言は避けてたのよね、うん」
だからこそ彼は逃げた。
テレビの言うことを真に受けた過激派は希テクノロジー社員の弾圧運動を始めた。
やはり生贄が不在では民衆のおさまりがつかないということなのだろう。
「そんなことしてるはずないじゃないか。確かに脅迫まがいの取引もしてるけどね。けれど、そんなのはどこでもやっていることじゃないか。安くしなければ他の取引相手に乗り移りますよ、遅れたので料金は安くしろでなければ買わないとかね。いまどき、大企業でそれすらしてないのはデュノア社くらいのものだ。実質的にはもう潰れちゃったけどね」
だが、彼としては理不尽と言う他ない。
状況からみて仕方ないと言われればそうなのだろうが、だからと言って何の罪もない自分が暴行を受けて他人のうっ憤を晴らさせてやろうとはどうにも思えない。
だからこそ困っているわけだ。
キリストになりたければ紙切れになった社員証を振りかざせばよいのだから。
「へー。取引とかはよく知らないけど、人体実験はどうなの?」
「ああ、それかい? 僕は昔そういうものについて疑問を持ったことがあるんだ。人体実験の証拠写真には明らかに事実と矛盾しているものがあった。まあ、全部が偽物だなんていう確証はつかめなかったけどね」
「へぇ。でも、何の関係があるの?」
「希テクノロジーも人体実験の証拠だっていう写真の中には、俺が見たことがあるやつも紛れ込んでた。ちなみに、これはどこの支社で行われていたと思われるとか言ってやがった」
やはり世界は理不尽でしかなかった。
無理やりなこじつけでも弾圧の大義名分にはなりえるのだ。
そう、昔――肌の色が黒いということは虐待してもいい人間であることを示したように。
「実はあなたの会社がやったってことはないの?」
「ああ、希テクノロジーはかなり若い会社なんだよ。第二次世界大戦の陰で糸を引いていたとかいう自称識者もいるが、その頃には影も形も存在してねー」
つまるところそんなものだ。
事実関係が見つからないからって、ものすごく適当に悪事を作っている。
こんなんで騙される馬鹿がいるのかと思うが、そんな馬鹿は金属バットを持って群れている。
「さらに言うとだな。そいつらはうちの会社が武器の開発で成り上がったとか言ってやがるが、うちの会社が軌道に乗ったのは“ゲロカエルン”のおかげなんだよ」
「ゲ……なに?」
彼女が不思議そうな顔を見せる。
ゲロカエルン――製作者のネーミングセンスが疑われる名前である。
なぜ流行ったかも疑問なキモかわいい一品ではあるが、そんなものでも希テクノロジーの歴史の重要な部分を占めている。
「知らないのか? 女子高生を中心にかなり有名だったって話なんだけどな。まったく兵器から雑貨まで扱ううちの原点がたったひとつのキーホルダーだなんて笑えるだろ。ま、キ○ィみたいにバカみたいな数のバリエーションがあるけど」
「へぇ。そうなの。テレビなんてあてにならないものねえ。あ、そうだ――前代未聞の凶悪テロリスト神亡奈落ってのに会ったことはあるの? これもテレビで言われてたことだけど」
いきなり話が変わる。
「一度だけ。あの人は言われてるように人を何とも思わない人じゃなかったぞ」
「そうなの?」
彼は懐かしむような表情を見せる。
宝物のような記憶を反芻している。
少なくとも彼にとってはその経験はよいものであったことがうかがえる。
「あ、でも人の手柄を取るだけの無能はあの人が来社した翌日には居場所がなくなってたな」
「……クビ? やっぱり容赦ない人じゃない」
話題に上がっている奈落がやったことはただ一つ。
それは名指しであいつらは使えないから仕事を回すな、と直々に部長に言ったのである。
流石容赦の欠片も存在しない男である。
部長ごときでは社長より偉い奈落の言葉に逆らえるはずもなく。
上に睨まれている奴らは気に入られてないやつらは出ていってくれないかなぁ、などと考えていた。
もちろん隠そうとはしていたが、人間は本来そう言った感情に敏感であると相場が決まっている。
「でも、あの人が来てくれたおかげでうちの部署の業績は右肩上がりになったぞ」
「思い出すなぁ。あの人、アポもなしにいきなり来たんだ。自分の歓待なんて金と時間の無駄だからやるなって。そういう割にはその日の仕事がなかったから、多分上のほうで調整したんだろうな」
「で、あの人やってきたと思ったらNo1の人ガン無視でさ。視界にすら入ってなかったよ。だから、まあ最後のチャンスは与えてもらえなかったってことなのかな。どうやって会長が、そいつが他人の足を引っ張るしか能のない嫌な奴だって見抜いたのはわからないけど」
「あとはNo2、正直以前からこの部署はその人の手腕で持ってたんだな。その人とずっと話してた。で、そのあとは食事に招いてくれた。やっぱり居たほうがむしろ邪魔な同僚については話しかけられても無視してたけど」
「俺も少し話したよ。普通にしてればいいとか。どうせ人間は大したこと考えられるわけじゃないから、下手に悩むな。被虐趣味でもなければそんなことしてもつまらん――とか言われたよ。言われたとおりにあんまり考えずにやったら上手くいくんだよ」
「なぜか仕事は早く上がるし。余裕ができたら他部署との連携もうまくいくようになってさ。ま、横やりが入ってぶち壊されることもあったけど、その辺は気にせずに次のプロジェクトをだな。考えてみると会長に押しやられた連中とは真逆だな。仕事を回してもらえずに、なんとか他人の成果を横取りしようとして自爆する負のスパイラルに陥ってた」
「ま、こいつが俺の知る神亡奈落ってお人のことだ。色々あくどいことをやってるのは確かかもしれないけど、俺はあの人のことを信じたい」
「そうそう、食事は俺なんかじゃ行けない高級なレストランに行ったんだけどさ。こういうところは雰囲気を楽しんでおけ。こんなところに来る連中は味なんかわかっちゃいないってさ。俺から見たら自分もそういう人間なのに笑っちゃったよ」
目を伏せた。
その奈落がどうしているかなど彼にはわからない。
けれど、世界各国が放った暗殺者に追われていることは想像に難くない。
その暗殺者は実は奈落がどこにいるか全然わからなくて、右往左往しているだけなのは当然知る由もない。
「――ふーん。なかなかに複雑そうね。でも、なんでその人を会長って呼んでるの? なんか長ったらしい名前じゃなかった?」
「いや、それは役職名噛んだら会長でいいって……どうせ違いがないからそっちで呼べばいいって……」
「あっはっは。何ソレ? もしかしてかなりフランクな人だったの?」
「ううん。あの人は何というか――家柄じゃなくて能力で人を見るって感じだった」
「家柄って、いまどきそんなもん流行らないわよ」
「なら肩書きかな? 偉ぶってもなかった」
「それって嫌味じゃない? 偉いのに謙虚だなんてロクな人じゃないわよ」
「いや――謙虚ほどあの人に似合わない言葉もないよ。自分のことを偉いって自覚してて、そのことを軽く見ているっていうか」
「ふぅん。それで、この先どうするの?」
「どうしたものかな……?」
考え込む。
さっきまでは逃げるのに必死だった。
それで余裕が出てみると、お先真っ暗としか思えない。
「復活とかないの? 悪の総本山としてさ」
「それはないんじゃないかな。なんかもう悟っている様子だったよ。ミレニアムとの戦争が起こったあの日、社員はまとめて呼び出されて地下のシェルターにこもらされた。で、よくわからないまま終わって、今日までよく頑張ってくれたとか言われて退職届にサインさせられた」
「へぇ。で、退職金はもらったんでしょ? テレビでマネーロンダリングとか言ってたわよ」
「いや、社員に渡してどうすんだよ。マネーロンダリングはお偉方が金稼ぎにやるものだぞ。根本的に用語を知らないだろ、言ったやつ」
「んでんで? たくさんもらったって話も聞くけど」
「まあ、平社員で10年も勤めてない割にはかなりの額をもらったけどさ。それも20%は現金で――必要になるかもしれないからって」
「ところで私――今欲しいものがあるんだけど?」