二人で仲好くエレベーターに乗る。
「さて、何か聞きたいことはあるか? 邪魔者も消えたことだしな」
「世界を支配してどうするつもりだ?」
「その質問は的外れとしか言う他ない。無理やり答えを言うなら――世界を支配するつもりなど元よりないとしか言えない」
「ノアⅢはどういうものじゃないのか?」
「それができるという時点で我々の道を阻む者が出るのも道理だろう。しかし、私はそんな使い方はしないし――計画が進んで、もはやそちらに乗り換えるのは不可能だ」
「なら、何をするつもりなんだ?」
「一つの感情を励起する」
「……感情?」
「幸福と言う感情だよ」
「――それでどうなる?」
「世界が変わる。束が成したような表層が一新されるものではなく、真の意味で」
「それはお前が本当に望んでいることなのか?」
下についた。
エレベーターの扉が開く。
目の前には機械の塊。
吐き気を催す半球――白色は頭を浸食するようなおぞましき純粋色。
「あれが――ノアⅢ?」
「そのとおり」
奈落が折れた指を折りなおして拳の形に固めながら言う。
べきべきと言う音は拳を鳴らす音に近いが、真実指が折れる音である。
「――奈落!」
「……一夏!」
殴った。
一夏の右ストレートが奈落の顔面に突き刺さり。
奈落のクロスカウンターが頬にめり込む。
「お前らはこの世界をそんなにも変えたいのか!? この世界に満足できないのか!」
「よそものがこんな世界に満足などできるわけがない。一夏……俺もお前も、この世界の人間ではないだろうが!」
一夏が奈落の顔面を殴り飛ばす。
お返しとばかりに顔面にパンチをくれる。
「けれど、今はここにいる! 生まれた世界が違っても、受け入れてくれる人がいる」
「受け入れている? 違うね。それはお前がわからないふりをしているだけだ!」
一夏が腹を打つ。
奈落が膝を腹に沈める。
「お前のそばにだって人がいるだろうが!」
「虚人は苦難に巻き込まれる。世界は我らを排除する! 私がやっているのは彼女たちを危険に巻き込んでいるだけだよ」
頭突き。
「そんなものは跳ね返せばいい!」
「跳ね返した挙句に全人類を殺すつもりか!」
噛みつき……そしてひっかく。
「わかってくれる人がいるなら、そんなことにはならない」
「いいや。確かに我らに影響されて壊れる人間もいるだろうさ」
勝負はいよいよ泥沼の様相を見せる。
今はつかみあって、頭突きやら踏み付けを繰り返す。
「本音にシャルにラウラも、壊れているだけだって言うのかよ!?」
「人間は異物を受け入れられるほど器がでかくない!」
「それでなんで幸福を与えようとする? そんなのはまるで麻薬じゃないか」
「人間の卑小な器を埋めるのは嫉妬だ。すべての負の根源であり、それこそが人間だ!」
「だから消すと? 負でも、それは確かに人間の1側面だぞ」
「それが本質である以上ノアⅢで消せば人間という種は壊れるだろうし、そもそも嫉妬はなくなりはせん。けれど余裕はできる」
「嫉妬がどれほど人間の心を占めていると?」
「ほぼ全てだ! 7つの大罪を総べる闇こそ
「正義は! 愛は! 嫉妬から生まれたものじゃない」
「自由への嫉妬。特定の他者への極大嫉妬。一皮むけばそんなものだ」
「「――お前はァ!」」
奈落のストレートが一夏の顔面へと。
そして、一夏のクロスカウンターが奈落の頬に突き刺さった。
「……ふ。負けたよ。案外、悪い気分ではないものだな――喧嘩に敗れて上を見上げるというのは。上に青空が広がっていれば風情があったのだろうが……くく。はは――」
一夏はちらりと倒れて仰向けになった奈落を見て、ノアⅢへ近づいていく。
奈落はひとしきり笑った後に声をかける。
「おい、一夏。帰るな」
滅茶苦茶なことを言った。
が、しかし一夏は本当にエレベーターの横の階段を上っている。
もちろん上に行ってもどうしようもない。ノアⅢはこの地下にあるのだから。
「――は?」
「落ち着いて考えてみろ。お前は何を上っている?」
戸惑う一夏に奈落はからかうように声をかける。
これが【絶対守護】なのだと誇るように。
「それは階段に決まって――え?」
「当然の話だが階段を上ればノアⅢから離れることになるな」
「俺は……なんで?」
「【絶対守護】。聞いてなかったのか? まあ、これを説明してもわかってもらえるとは思わないから、わざとぼかしたのだが。お前がまさに今経験しているそれが認識をずらすということだ」
「この……!」
「おいおい――」
すごい勢いで駆け出した一夏はその勢いのまま壁に当たる。
壁に体当たりとかなにしたかったんだろうとか思われるかもしれないが、これが認識をずらすということ。
ノアⅢという相手を意識しても、いつのまにか他の何かにすりかえられる。
今回は壁の向こうにいると思わせたのだろう。
そして、壁に当たれば痛いということさえ忘れさせてしまった。
「ああ、そうだ――銃でもやろうか? 小さいが、まあ当たれば壊せるだろう。当たればな」
「――いや、いい。なんか嫌な予感がする」
「ん? そうか……泥でも詰めて渡せばよかったか」
「本気でヤメロ」
「さて、遊んでいるうちにあと30秒を切ったな。ここは諦めて私とともに世界が変わるのを待つのはどうだ?」
ニヤニヤと寝ながら笑う奈落を前に一夏は覚悟を決める。
「――
かつてミレニアムを滅ぼした力を出現させる。
「馬鹿な……! やめろ、そんなことをしたら確実に寿命が尽きるぞ! お前はそこまで私を否定するのか――お前までも!」
認めよう。奈落はこの可能性を頭から排除していた。
前回とは違う……彼の寿命は残っていない。使おうとすれば死ぬほどに弱っている。だから使えるわけがないと思っていた。
死を恐れないのと、寿命を削りきるのを躊躇わないのではまったく意味が異なる。
だからこそ使えるわけがないと思っていた力が発現してしまった。
「それでも、今の世界だって悪いものじゃないと思うんだ」
悟ったような顔。
恐れているようには見えない。
こいつは”やる”。奈落はそれが瞬時に理解できて。
「やめろォ――っ!」
「……ごめん」
這いずりながらも手を伸ばす奈落。
うつむく一夏。
「させるものかよ。ここに来るまでに何人踏みつぶしたと? ここで終わることなど許されん。我が寿命を喰らい、発現せよ
「――っ!?」
影が伸び、一夏を捕食する。
「声も出せなければ動けもしない。その中でディソードを使えるかな? まず影を消そうにも、それでお前の寿命は尽きるぞ。悪いことは言わん――食わんからそこでじっとしていろ」
「最後まで心配してくれてありがとう。けど、さよなら」
声を出した。
それは一夏が力づくで奈落の異能を破ったということ。いや、やったと言うのは違うか。影は彼を拘束対象とみなさなくなった。
彼の命は尽きた。
「――っ! 止まれェ」
奈落がさらに力を込める。
抵抗力を失った体が完璧に停止…..しない。
そのまま倒れた。
人間を縛り、喰らう影。
ではなぜ動けたのかと言うと、魂を失った身体は抜け殻に過ぎないから。これはあくまで意志を凍結させてしまうためのもの。
「死んでいる……? では――っ!」
振り返った先には変わらずに稼働を続けるノアⅢ。
ついに効果が発現した。
世界は変わった……はず。
だが、一夏を見ると不安が頭をもたげる。
自分ならばあのとき影を消そうなどとは思わない。
それで燃料が尽きるのだから、やるべきことに全力投球する。
そこで本来やるべきことの燃料が足りなかったら?
何もない。
それも十分あり得る話だ。
しかし、効果の1割でも使えていたのなら。
もしもそれが9割近かったら? それでは計画は失敗も同然ではないか。
「いや……ここでこうして埒が明かん。上へあがるか。私すらノアⅢに近づくことができない以上は修理もできん。やり方を考える以前の問題だ」
「一夏。ここに置いていくのも不憫か。千冬の元へ連れて行ってやろう。敵の私より、家族に葬ってもらったほうが貴様も報われるといったものだろう? いや、お前なら鈴音やセシリアに会わないと言った不義理はせんか」
大切そうに脆くなった一夏の遺体を抱えてエレベーターで上がる。
そこには全員が集合していた。
「驚いたな。まさかの全員集合とは。曲がりなりにも島に侵入したのが全部そろってしまったか」
「「「――っ!」」」
声なき驚きの悲鳴を上げる。
奈落はぼろぼろの有様だった。
身体は痣だらけで、顔は腫れ上がっている。
見るも無残な姿。
そして、それ以上に悲惨なのが一夏の遺体。
かさかさにかわいてひび割れた体はそれが死体なのだと強制的に分からせてしまう威力を持っている。
枯れ果てた老人の遺骸がそこにあった。
「結局、あんたの世界征服はどうなったの?」
「さて、正直――世界を変えられたのかはわからない。こいつが最後の力を振り絞って邪魔をしてくれたものでね」
やれやれ、と奈落が肩をすくめる。
そのはっきりとしない答えにここにいる全員が安心したような納得できないような想いを覚える。
「これからどうするの?」
「世界を回ろうかと思う」
「自分が支配する世界を見て満足する?」
「それもある。しかし、私と言うのは居るだけで厄介事を引き寄せてしまう人間でね。こんな私が定住したらどうなるか――IS学園の現状を見たらわかるだろう? これは呪いのようなものだ。もしくは人類の集合意識とやらが私を排除しようとしているのかな。ノアⅢの影響でこれも弱まってくれればよいのだが……」
「で、君たちはどうするつもりだ? なんでも好きなことをするといい。国家がなくなった今、法など過去の遺物に過ぎない。私にあれこれ言う権利はない。だからこれもただのお願いだ。別に聞く必要もない。だが、よければ教えてくれないかな?」
「あんたについていく。正直あたしの前でいちゃつかれるとぶっ殺したくなるけど、それはいい。これから変わっていく世界を見るにはあんたの後ろが特等席よ。きっと、たったそれがわずかな時でも一夏の伴侶だったあたしにはその義務があると思うから」
「なるほど。では、勝手についてくるといい――鈴音」
「で、セシリア。お前は? 答えたくないならそれでもいいのだが」
「鈴音さんと同じですわよ。同じ一夏さんの伴侶として、そこはゆずれませんわ。だって私――負けず嫌いですもの」
「なるほど。で、実を言うと存在を忘れていたのだが――箒、貴様は?」
「誰がお前なんかについていくか!」
「まあ、面倒くさいし罵倒も謙虚に受け止めよう。で、やりたいことは? やりたくないことを語っていても仕方あるまい。正直、私はそんなものは星の数ほどある」
「うぐ……しばらくは千冬先生の元にいる」
「なるほど。まあ、お前らしいと言えばらしい」
「貴様に何がわかると言うのだ!」
「で――貴女たちはどうする? シャルロット・デュノア、ラウラ・ボーデウィッヒ、虚仏本音」
「計画は成った。成功したのかは不安なところがあるが今更どうしようもない。私がしようとしているのもどうなったかを確かめるだけの自己満足だ。それにつきあう必要性はまったくない。好きなことをしろ。私に他人の行動を決める筋合いなどもはや欠片すらないのだから」
「けれど、私はそばに居て欲しいと――そう思うよ」
憑き物の落ちたような顔で奈落が言った。今まで彼を縛り付けていた意志の鎖が消え去ったようだ。
ゴールをくぐって燃え尽きた人間の顔だった。
「何言ってるの?」
「シャル――」
「ぶっちゃけると、僕たちは奈落の目的なんてどうでもよかったんだよ?」
「……は?」
「だって奈落についていっただけだもん。ここで放り出そうったってそうはいかない。僕は、死体にしてでもあなたのそばに居る。それだけは譲ってあげない」
「なるほど。私たちの関係にはふさわしいかもしれんな」
「別にこいつに同意するわけでもないが、嫁が出て行くことなど認めん」
「……ラウラ。その勘違いは誰から吹き込まれた?」
「らっくー? あなたについていくこと以外には私には何もないんだよ。だから、そんなこと言わないでほしい」
「そうか」
「なら、まずは後始末をしなくてはならんか。さて、鈴音。私についていくと言うなら一つ仕事をしてもらう。ヘルシング卿の遺体を抱け。敵に触られるのは矜持が許さないだろうから」
「――お前にとっては帰宅の道か。一夏」
そろってIS学園への帰途につく。6人と、2人だったモノを大切に抱えて。
完結まで付き合ってくださった気の長いお方にお礼を。