冬木市の新都と呼ばれる地域、そこにそびえ立つビルの屋上に彼女はいた。
「どうだった?冬木の街は。異世界からきた貴方には中々新鮮だったんじゃないの?」
それはまるで独り言のようだ。
実際独り言としか思えない、そこには彼女しかいないのだから。
だが不思議な応えが返ってくる。
『ああ、そうだな。私の知るどんな街とも違う。これを見れただけでも召喚に応じた甲斐はあったというものだ。』
直接心に届くその声は、音としての声ではないのだけれど、とても澄んでいてそれだけで惹きつけられる。
それはおそらく彼が、
だが、そんなクラスは、今までの聖杯戦争では存在しなかったはずなのだ。
凛はため息とともに彼と初めて会ったときのことを思い出していた。
○
「ええそうよ…。私が貴方のマスター、遠坂凛よ。好きに呼んでもらって構わないわ」
その声を受け、瓦礫に腰掛けた少年は手元の竪琴を低い音でかき鳴らしながら応えた。
「なるほど、いい名じゃないか。それでは凛と。……ああ、この響きは実に君に似合っている」
それは客観的に見てとても際どいセリフだった。
そんな答えを受ければ、只人ならば何か思わざるを得なかっただろう。
しかし凛はただ沈鬱な表情でその子供の姿をしたサーヴァントを見つめていた。
「それで、あなたのクラスと真名は何かしら?いえ、わかってるんだけど、確認でね」
凛はそのサーヴァントの真名、隠されるべき秘奥を、わかっている、と語った。
だがそれはそのサーヴァントにとって不思議ではなかったようだ。
「はは、私を求めて召喚したんだろうから当然か。では応えよう。私のクラスと真名は…。」
彼は一息吸うと、それがとても尊いもののように語りだした。
「
「ストップ!!!」
凛は突然大声を上げると、自ら望んだ真名の開示を中断させた。
そして、彼女の意図がわからず目を白黒させるバードの前で、令呪の刻印された右手を掲げてみせた。
「令呪を持って命ず…!」
「り、凛?何をやっている?」
刻印の三画の一が消え、膨大な魔力がバードの体に叩き込まれる…!
「二度とその真名を口に出すことを禁ずる!」
令は成された。
バードのサーヴァントはその命令に逆らうことはできない。
おそらくこの聖杯戦争が終わるまでの間、彼の口からその真名が開示されることはないだろう。
しかしこれは、まったくもって
「な、何を考えてるんだ君は!?令呪の重要性はわかっているだろう!私は自ら真名を明らかにするような英霊ではないぞ!?」
「だって…!」
その言葉を受けた遠坂凛はまるで駄々をこねるように応えた。
そう、普段の彼女のを知る人物が見たら驚愕のあまり顎を外しただろう、彼女は瞳に涙すらたたえていたのである。
「だって恥ずかしいのよ!」
「はぁ!?」
バードは理解できないというように驚愕した。
「だって5年前よ!?私は中学生だったのよ!少しぐらい痛い名前を付けちゃっても仕方ないでしょう!?」
「な、何を言ってるのかわからない…。」
凛は地団駄を踏んでいた。
「でもリアルでキャラ名で呼ばれるなんて絶対無理!だからボイチャもオフ会もアウトできたのよ!」
「は、はあ…。」
どうやらバードは理解するのを諦めたらしい、それは正しい判断だ。
今は彼女に吐き出させるしかない。
彼はとりあえず瓦礫から降りると、サーヴァントとしての初仕事として、自らのマスターなだめにかかった。
○
凛はサーヴァントのための冬木市案内の〆として、自らの通う穂群原学園に向かっていた。
既に日は暮れ始めている。
彼女はバードが異世界に衝撃を受けてないか心配になり、一つの問を放つ。
「それで、バード。自分の状況は理解できたかしら?」
それへの応えはとても冷静なものだった。
『ああ、いくつか理解不能な点はあるが。つまり私は、無限に存在する平行世界の座から、君が描いた物語の主人公と合致するという条件に従って召喚されたのだな』
「まあちょっと違うけど、大体そういうことね。吟遊詩人らしい理解の仕方だと思うわ。」
そう、自分がこの世界においては、架空の存在だということは、バードにとってはいささかも不都合ではないらしい。
そして彼はひねくれた思念を凛に送った。
『だが残念ながら君は吟遊詩人には向かないようだ、主人公の名前すら他人に話せないようでは…。』
凛はそれにガンドの一撃で応えた。
もちろんそれは無意味なもので、からかうような気配は続いている。
だがそれは、学園が視界に入ると一瞬で消え去り。
そこには『戦い続けるもの』の気配が濃厚に湧き出したのだ。
「ど、どうしたの?バード」
「わからないか?目を凝らせ、マスター」
そして彼女は気づいた。
学園が、得体の知れない気配に包まれていることに。
○
「わかるか?マスター」
「ええ。これは、魔力を吸収するタイプのものね。それも、最悪の」
彼女たちは校舎の屋上にいた。
そしてそこには、余人には見えないだろう魔法陣が刻まれていたのである。
それからは、濃密な死の香りが漂っていた。
「ならばさっさと潰すに限る。」
「残念ながらすぐにはできないわね。おそらくこれはサーヴァントのもの、相応の準備が必要よ。」
そこで凛は自分の背後に実体化したバードを振り返って言った。
相変わらず彼の手には竪琴があった。
だが今それを爪弾くことは控えているようだ。
「でも貴方にならすぐにでも消せるんじゃないの?浄化の力を持つ、白魔法なら…。」
バードがその言葉に応えようとした瞬間。
予想外の、いや予想通りに声がかけられたのだ。
「消しちまうのか、それ。もったいねえな」
凛はハッとしたように声のした方を振り返る。
自分の前にはいつの間に移動したのか、バードが立ちふさがっている。
そして、屋上の給水タンクの上に、青いボディスーツを身にまとい、赤い槍を持った男が忽然と現れていたのだった。
○
「ランサーのサーヴァントか?わかりやすくていいな。」
「応さ、そのとおりよ。だがてめえは、よくわからんな。」
凛はその様子を見てすぐ察した。
『あ、こいつPvP狂だな。』
それは仲間と力を合わせて強大な敵と戦うよりも、同じプレイヤー同士で技を競い合うことをこの上なく好むタイプだ。
凛ももちろん嗜みとして
「構わないわ、バード。クラスぐらい教えてあげなさい」
「ん?いいのか、マスター?」
凛のサーヴァントは本来の七騎から外れたエクストラクラスと呼ばれるものである。
それを隠したならば、相手はこちらの手の内を読めない。
大きな利点となるはずだった。
だが、凛はその必要は無いと判断した。
「貴方の力はよくわかっているわ。クラスを開示したところで、貴方の本質に迫ることなど不可能よ。」
「ならばクラスのみ名乗ろう、私は今回エクストラクラス
ランサーは片眉を上げて反応した。
おそらく、期待はずれかとでも考えているのだろう。
「おいおい
バルド?それはケルト人社会における吟遊詩人の呼び名だ。
となればこの男はケルトの英霊だろうか。
そしてあの朱槍、ではこの男は…。
凛はそこで思考を中断した。
自分のサーヴァントが武器を構えたからだ。
それは、白く輝く宝石で飾られた双剣だった。
「さてマスター、どうもこの男は乗り気じゃないといいつつも交戦を望んでいるようだ。私も慣らし運転をしたいと思っていた。始めてしまってもいいかな?」
「そうね、でもここは狭いわ。ランサー!下に移動するわよ、構わないわよね?」
ランサーは嬉しそうに応えた。
ギラギラとした目を凛に向ける。
「まさか俺が戦いを呼びかけられるとはな。だが、もちろんだ。嬢ちゃん中々根性座ってるじゃねえか。」
彼はどうやらサーヴァントはともかく凛のことが気に入ったようだ。
一足先に屋上から校庭に飛び降りる。
彼は凛たち主従が騙すなどとは考えてもいないようだ。
「私達もいくわよ。あれ、でもバード。貴方の体格で私を抱えられる?」
「安心したまえマスター、これに乗るといい」
そういえって彼は凛の前にプロペラが複数ついた小さな船を出現させた。
いわゆるドローンに似ている。
その船には彼女が両足で立つギリギリのスペースしかない。
「ぐ、グローリア号?よりによって…。」
「安心したまえマスター、乗れば思ったように動いてくれる。」
バードからからかう気配が伝わってくる。
なんてやつだ、これではむしろ
バードは戸惑う彼女を置いて、既に地上に降り立った。
そして、人外の戦いが、彼女の聖杯戦争が始まる。