転生者達のせいで原作が完全崩壊した世界で   作:tiwaz8312

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 簡単な時系列
 
 ヘラクレス君。 十三~十七才
 想い人を殺してしまい自暴自棄になり暴れて、闘士(師匠)に鍛えられる。
 ヘラクレス君。 十七才
 十二の試練とクトゥルフ騒動。
 その後、聖域で修行。 十七~十八才
 闘士(師匠)の紹介でアバン先生に弟子入り。 十八~十九才
 亀仙人に弟子入り。十九才

 ヘラクレス君。十七才にして、十二の試練を乗り越える偉業を成し遂げる。


 なお、世界一の家庭教師アバン先生の自信を、粉々に粉砕すると云う偉業も、成し遂げる。


最新の英雄譚  その序章

 現代の秘境の一つ。ブラジルのサンパウロ州にある無人島に訪れていた現代のヘラクレスは、猛毒の蛇ハララカを気にする事無く、大地に寝そべっていた。

「あのジジイ......強いにも程があんだろうが......」

 五万匹にも達する猛毒の蛇ハララカが至る処に生息している為に、島への上陸をブラジル政府に禁止されているにも関わらず、平然と居を構えている当代の武天老師に挑む為に、世界最高の家庭教師として有名なアバン先生の紹介状を携えて泳いで島に上陸したヘラクレスは、武天老師に成す統べなく惨敗し、天を眺めていた。

「本当に二百歳越えてんのかよ......あのジジイは」

 ツルパゲで自分の半分の背丈も無い老人に惨敗したヘラクレスは、手も足も出なかった理由を必死に考えていた。

「聖闘士みたいに光速戦闘できるて、訳じゃないんだよなぁ」

 嘗て闘った聖闘士の様に、目で追えない速さで動いているわけでもないのに、一瞬だけ認識できない速さ動く武天老師に翻弄されてしまったヘラクレスが、「訳がわかんねー」と呟く。

 自身に音も無く近付く猛毒の蛇を握り潰し、アバン=デ=ジニュアールの名を継いだ当代のアバン先生の教えを思い出していた。

「緩急つけた動きは、時として......どうこう云ってた気がすんだけどなぁ」

 ボリボリと頭を掻き、「なんだったけか?」と首を捻りながら、師事してくれたアバン先生の言葉を必死に思い出そうとしていたヘラクレスは、「貴方の場合は、"考えるな。感じろ"を地で行った方が、より早く強くなれると思いますよ。とは云え、考える事を放棄するのはいただけませんが」の言葉を思い出し、体を起こす。

「アレだな。"バカの考えはズルやすみ"てヤツだ」

 冥府の最奥に囚われている恋人が聞いたら、即座に突っ込みを入れるであろう言葉を口にしながら立ち上がると、飛び掛かってくる毒蛇を叩き落とし、首をコキコキと鳴らす。

「もう一戦、挑んでから考えるか」

 島に上陸してから、武天老師に幾度と無く挑み、何度も口にした言葉を口の中で転がしながら、じゃれついてくる毒蛇を、叩き落とし、握り潰し、踏み潰して、武天老師が居るであろう岬を目指して歩みを進める。

 

「なんじゃ、もう休憩は終わりか?」

 毒蛇が跋扈する島で暢気に釣りを楽しんでいる、齢二百歳を越えているツルパゲで小柄の老人。武天老師は、ノシノシとやって来たヘラクレスを楽しげに見上げる。

「おう。何か掴めるまで挑ませて貰うぜ」

 拳と掌を打ち付けながら、何度も惨敗しても懲りずに同じ台詞を口にしながら挑んでくるヘラクレスに、全神話の戦いに関する神々に闘いを挑み、"お前こそが武の頂点だ"と認めさせた老人が楽し気に笑う。

「本当に呆れる程の頑丈さじゃわい」

 百を越えてから、挑み挑まれるのは当代の東方不敗だけで、最近の直弟子は悪魔のサイラオーグくらいだった武天老師は、星の大英雄ヘラクレスに本気で勝とうとしている現代のヘラクレスを鍛えられるのが楽しみになって来ていた。

 もしかしたら、本当に、あの、人類史上最強に、勝てるかもしれないと。

 人類史上、誰も成し得なかった偉業を成し得る可能性を持つ漢が、自分を踏み台に選んだ。その事が、武天老師には堪らなく嬉しかった。もはや、遺せるモノが何も無い。朽ちて逝くだけの搾り滓の老骨に、まだ、遣れる事が有ったのだと。

 

「さて、では始めるとするかの」

 垂らしてきた釣糸を巻き上げ、釣竿を置いた武天老師が、枯れ枝の様な両腕をダラリとぶら下げたまま、ろくな構えを取らずに、ヘラクレスと相対する。

 今度こそ、奇妙な速さと動きの正体を掴もうとするヘラクレスが、グッと身を小さく屈め、左足を一歩踏み出すと、半身に成りながら、顎と腹を守る為に両腕を持ち上げて構えを取る。

 ヘラクレスが構えたと同時に、武天老師がゆっくりと歩き出し、その歩みが早足程の速さになった瞬間。その姿が一瞬だけ消え去り、10歩以上離れていたにも関わらず、次の瞬間には、ヘラクレスに肉薄していた。

 目を凝らし、感覚を研ぎ澄ませていたにも関わらず、またもや、一瞬だけ見失ってしまったヘラクレスは、そのまま繰り出された小さい拳を払い除けようと、丸太のごとき太さの右腕を動かすが、枯れ枝の様な細い腕に絡め取られてしまう。

「ちっ」

 絡め取られた右腕をそのままに、短く舌打ちしたヘラクレスが、空いている左腕を使い、武天老師に掴み掛かる。

 伸ばした手が、後僅かで届きそうになった次の瞬間、ヘラクレスの巨体は宙を舞い、砂浜に叩き付けられた。

「ほい。儂の勝ち」

 軽やかに投げられて、天を仰いでいたヘラクレスの額を、武天老師の拳がコツンと叩く。

「あ~クソ。また負けた」

 大の字に寝転がっているヘラクレスが、悔しげに呟きながら立ち上げる。

「ジイさん。もう一戦だ」

 もう一戦してから考えると云う言葉を、すっかり忘れているヘラクレスに、武天老師は楽し気に笑う。

「逸る気持ちを抑えるのも修行。ほれ、昼飯にするぞ」

 そう言いながら背を向けて、自力で建てた掘っ建て小屋に向かう武天老師に、玩具を取り上げられた子供の様な表情を浮かべたヘラクレスが、「もうかよ。こっからだってのによぉ」と不満気に洩らしながら、その背を追って歩き出す。

 

 ブラジル政府との取引。血栓融解剤の材料になる猛毒蛇ハララカを狙う密猟者の捕縛と保護を担う代わりに、無人島に住む事を許されている武天老師の住まいに上がり込んだヘラクレスは、床に広げられた食事に手を付けながら、武天老師の講義に耳を傾けていた。

「つまり、此を行えば、"見えてる"のに"見えていない"と云う認識の齟齬を生み出せる。と、云う訳じゃな」

 心理学に基づいた知覚と感覚による認識の説明。そして、それを武術に応用する方法を聞いていたヘラクレスが首を傾げる。

「いや、見えてるなら見えてんだろ。知覚と感覚がどうこうて云われてもわかんねーよ」

 できる限り噛み砕いた説明をしたにも関わらず、不思議そうに首を傾げているヘラクレスに、『これ程の才を与えておきながら、何故、天はこやつに考える力を与えなかったのか......』内心でそう嘆いている武天老師は、どうしたらものかと考えながら言葉を紡ぐ。

「要は、"見ている"と"見えている"の違いじゃ」

 意識して目視している事と、意識しないで目に写っているだけの違いを説明する武天老師に、両腕を組んだヘラクレスは眉間に皺を寄せながら首を捻る。

「良くわかんねーけど、アレか? 師匠やアバン先生が言ってた"目と勘だけに頼るな"てヤツ」

 自暴自棄に成っていた自分を叩きのめし、様々な事を教えてくれた闘士(師匠)と、知識や技術の足りない自分に"アバン流殺法"の教えを、根気強く教えてくれた先生を思い出したヘラクレスは、「あれ?」と声を上げる。

「なんだっけか? ナンか思い付いたんだけどなぁ......」

 頻りに首を捻り、ムムム。と唸りがら考え込んでいるヘラクレスを見た武天老師が、弟子が殻を破ろうと足掻いている光景を楽しそうに見ていた。

 暫くの間、「なんだっけなぁ」とか、「あークソ。思い出せねー」と四苦八苦していたヘラクレスが、「ダメだ。思い出せねー」と言いながら、バタリと仰向けに寝転がる。

「もう少し、考えんか。考える力を養うもの修行のうちじゃ」

 その様子を呆れながら見ていた武天老師の言葉に、ムクリと身を起こし座り直したヘラクレスが、苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべ、「んな事、言ったてよぉ......苦手なんだよ」とボヤキながら食事を再開する。

「ジイさん。食い終わったら、稽古付けてくれよ。身体を動かせば思い出すかも」

 一分一秒でも早く強くなりたいヘラクレスの言葉。

 頭を使おうとしない弟子に対して、武天老師は深い溜め息で返事をした。

 

 昼食を食べ終わり、稽古を開始したヘラクレスは、当然の如く、惨敗し、大地に寝そべって空を見ていた。

「なぁ、ジイさん。実は光速戦闘ができるんじゃないのか? だから、一瞬だけ見失うんだろ?」

 一瞬だけ見失う。または、繰り出された攻撃が一瞬だけ加速する。その動きの秘密が分からないヘラクレスが、寝そべったまま武天老師を見上げる。

「アレは、コスモとか云う不思議パワーを身に付けた者だからできる芸当じゃよ」

 "体内に秘められた宇宙的エネルギー"だの、"肉体に宿る宇宙"なんて云われている良く分からない不可思議な力。

 "気"等の様に、"全ての生命の根源たる力"や"生命そのものの力"なんて解釈もされてたりするが、武天老師を始めとした"生命の力"を扱う者からしたら、何か違う不可思議パワーとしか云い様のないモノ。

 "心力"や"魔力"。もしくは、"理力"等の"精神の力"とも違う、本当に良く分からない不可思議エネルギー。

 そんな良く分からないモノを身に付けた覚えのない武天老師の言葉に、ヘラクレスは「だよなぁ」とだけ返す。

「しかし、良く聖闘士に勝てたの......」

 気等の力を身に付けているならともかく、それらを身に付けていないにも関わらず、光速戦闘が可能な聖闘士に勝って見せたヘラクレスに、武天老師が呆れた様に呟く。

「別に、難しい事してないぜ? 殴ったり蹴ったりしてきたのを掴んで、ぶん殴ったりしただけだしな」

 光速で飛んできた拳と蹴りを、感覚と勘だけで捌いたり掴まえたりしただけだと語るヘラクレスに、武天老師の頬が引き吊る。

「恐ろしいまでの才じゃのう......」

 通常は、何らかの方法で、刹那の瞬間だけ光速の動きに食らい付いて、何とか対処するしかない。それをせずに、力業で真正面から叩き潰したと告げたヘラクレスが勢い良く立ち上がる。

「どんなに才能が有っても、ヘラクレスに勝てなきゃ意味が無いんだけどな」

 そんな事をボヤキながら、ヘラクレスはコキコキと肩を鳴らす。

「続きをしようぜ。此方は早い所、最強にならないといけねーんだ」

 真剣な表情ではっきりと"最強になる"と言い切ったヘラクレスに、武天老師が「ふむ」と呟き、少しだけ考え込むと口を開いた。

「ならば、荒修行と往くか?」

 先代の武天老師に施された修行と云うなの過酷な荒行。己が武天老師の称号を継いでから、誰にも施さなかった"可愛がり"。

 未熟な部分が見られるが、目の前の漢ならば、乗り越えられるかも知れない。そう考えた武天老師の言葉に、ヘラクレスが眉を潜める。

「荒修行? 何をするんだよ?」

 荒修行と銘打って、師匠と呼んでいる闘士に、何時もの三倍の速さと高さで車田落ち(拒否権無し)をやらされたり。とても良い笑顔のアバン先生に、「貴方に必用なのは"アバンスラッシュ"ではなく、"無刀陣"です。頑張って習得しましょう」とボッコボッコにされた事を思い出したヘラクレスが、またかよ。とでも云いたそうな顔をする。

「なに、難しい事ではないわい。本気の儂と戦って生き延びるだけじゃよ」

 全神話の戦いに関する神々に挑み、武の頂点と認めさせた漢の本気。現時点で武天老師と対等に戦えるのは、東方不敗とムサシ。もしくは、ヴァスコ・ストラーダと堕天使であるコカビエル。そして、ぬらりひょんだけだと云われている。

 正真正銘、現代最強の一角。

 そんな化け物と本気で闘う。誰もが忌避する最悪の無茶振りに、ヘラクレスは嬉しくて堪らないと笑う。

「本当に、本気で、全力で、俺と闘ってくれるのか?」

 "武天老師" "東方不敗" "ムサシ" "ヴァスコ・ストラーダ" "コカビエル" "ぬらりひょん"

 最初から、現代最強達を、ヘラクレス(星の大英雄)に勝つ為に挑んで学ぶ(踏み台にする)と決めていたヘラクレス(最新の大英雄)が、獰猛に笑う。

「安心せい。お主が死ぬ事がないように、ちゃんと加減はするわい」

 そう言った武天老師が、ボソリと「仙豆も有る事じゃしな」と呟いた。

 

 それなりに数が居るとはいえ、血栓融解剤の材料となる猛毒蛇ハララカを無闇に減らす訳にはいないから、岬に場所を移す。との武天老師の言葉に、『あっ、やべ。俺、結構殺してる』と内心で慌てていたヘラクレスだが、岬に辿り着いた頃には、『バレたら......謝りゃなんとかなんだろ』と能天気な結論を出していた。

 

 武天老師の先導で岬に着き、逸る気持ちを押さえ付けていたヘラクレスは、立ち止まった武天老師が振り向いた瞬間。自身の胸が貫かれ、首がへし折られ、死ぬ光景を幻視した。

「は、ははは。すげぇ! 此が! 此が、武の頂点かっっ!!」

 自分の背丈の半分もない。腕は枯れ枝。体はヒョロヒョロ。足はガリガリ。

 嘗て闘った強敵達の様な闘気の圧も感じない。

 星の大英雄ヘラクレスの様な圧倒的な力を、全く感じない。

 それなのに──ヘラクレスの全細胞が"逃げろ"と"命乞いをしろ"と命じてくる。

 自然と下がりそうになる足を、無理矢理に前に動かした瞬間。ヘラクレスの目に映っていた武天老師の姿がぶれる。

「は?」

 気が付けば、ヘラクレスの左膝が、武天老師の前蹴りによって砕かれた。

 体を支えられなくなったヘラクレスが、バランスを崩し、倒れ込むよりも早く、小さな拳がヘラクレスの腹部に突き刺さる。

 それでもなお、闘志を滾らせていたヘラクレスが、左手で武天老師の右肩を握り潰そうと動かすが、枯れ枝の様な腕が触れた瞬間、その太い左腕が曲がってはいけない方向に曲がる。

 激痛による絶叫を噛み殺し、右拳で武天老師を殴り飛ばそうと足掻くが、肩を手刀に貫かれてしまった。

 何もできずに前に倒れ込むヘラクレスは、せめて噛み付いてやろうと口を開けるが、鼻っ面を強かに撃ち抜かれてしまい、仰向けに倒れ込む。

 攻める事も、守る事もできずに、天を見ているヘラクレスの顔面に、武天老師の拳が撃ち降ろされた。

 

 ヒューヒューと呼吸しているヘラクレスは、歓喜していた。

『これだ。この最強達と戦えば、俺は確実に強くなれる。ヘラクレスと戦える強さを......アイツを冥府から連れ出せるだけの力を手に入れられる!』

 だからこそ、この程度で寝ていられない。と、動かない身体を無理矢理に動かそうとするヘラクレスの口に、武天老師が仙豆を捩じ込む。

「大人しくソレを食べるんじゃ」

 吐き出す訳にもいかず、仕方無しにポリポリと仙豆を食べ飲み込んだヘラクレスの身体が、瞬く間に完治した。

「なんだこれ!? 怪我が治ったぞ??」

 痛みが完全に引いたヘラクレスが立ち上がり、砕かれた左膝をペタペタと触り、左肘を曲げたり伸ばしたりし始める。

「お主が食べたのは仙豆と云っての......」

 亀仙流の開祖が、親しい友人(生産チート転生者)から譲り受けたモノであり、あらゆる怪我を治し、一粒で十日分の栄養がある事を聞いたヘラクレスが、「便利なモンがあるんだな」と溢しながら、自分の両頬をパンと叩き気合いを入れる。

「うし。続きをやろうぜ」

 次こそは何かを掴んで見せると意気込むヘラクレスに、武天老師は愉快そうに楽しそうに笑いながら、ヘラクレスの抱える問題に気付き始めていた。

 

 その後、ヘラクレスは、両腕をへし折られ、背骨の一部を砕かれ、左目を抉られ、脇腹を貫かれ、内蔵を破壊された。

 何度も何度も惨敗し、幾度となく死にかける。

 それでも、ヘラクレスは、死にかける度に、仙豆を喰らい、武天老師に挑む。

 常人なら精神に異常が起こっても仕方無い状況下で、ヘラクレスは楽し気に笑う。

 強くなっている。負けるまでの時間が少しずつ延びている。何も反応できなかったのができる様になってきた。と、ヘラクレスは楽し気に笑う。

 アイツを迎えに行ける日が、少しずつ近付いてきた。と、ヘラクレスは愉快そうに笑う。

 

 日が落ち始める頃には、ヘラクレスは関節を破壊されない程に成長していた。

 緩急・静動を付けた武天老師の動きに、徐々に対応できる様になっていたヘラクレスの一撃が、始めて、武天老師の身体を掠める。

「うっしゃあぁぁぁ! どうだ! 今、掠めたよな!?」

 島に上陸して丸一週間。今の今まで、反撃らしい反撃ができなかったヘラクレスは、嬉しさの余り、思わず両手でガッツポーズを取ってしまう。

「集中力を切らすでないわい」

 嬉しすぎてガッツポーズをしながら破顔してしまったヘラクレスの弛緩しきった腹部に、武天老師の拳が突き刺さり、余りの激痛にヘラクレスが腹部を両手で押さえながら蹲る。

「ぬぉぉぉ......マジでいてぇぇ」

 腹部を押さえながら蹲る大柄の青年を見て、武天老師は『どうしたものか』と考えていた。

「もうすぐ日が落ちる。今日はここまでじゃ」

「このまま、夜間稽古といこうぜ」

 食い下がろうとする青年の言葉に、武天老師は首を左右に振る。

「よく動き。よく学び。よく遊び。よく食べて、 よく休む。それこそが、亀仙流の教えであり。亀仙流の極意じゃよ」

 どうか、この言葉を胸に刻み。この言葉に籠められた願いを、想いを理解して欲しい。

 そう願い祈った武天老師は、終の住みかに歩みを進める。

「............そんな暇、俺に有るかよ」

 ただの人の身で、星の大英雄が率いる英雄の軍勢とギリシャの神々に打ち勝たなくてはならない青年は、小さく苦し気に呟いた。

 

 自分より大分遅れて帰って来たヘラクレスが、グガーとイビキを掻いて寝ている側で、武天老師は当代のアバンの紹介状に、再び、目を通していた。

 其処に書かれていたのは、ヘラクレスの目的と現状。

 

 ヘラクレスは、自身を省みる事なく、早急に強くなる事に固執している。

 生まれ持った神器を忌避している。

 なにより、ヘラクレスは自分自身を赦せていない可能性が高い。

 そして、それらは、ヘラクレスの目的である女性でも、改善が難しい。

 ヘラクレスが語った、占い師と天使に、何か嫌なモノを感じた為、独自で調査を開始した事。

 もしかしたら、協力を仰ぐ事になるかも知れない事。

 

 それらに目を通した武天老師は、自分の考えが甘かった事を悔いていた。

 才能の事を加味しても、たった数時間で武の頂点と詠われる己と、ある程度とは云え打ち合える程に成長するは異常と云うよりなかった。

 そして、その異常な成長の根本に有るのは、最愛の女性への想いと罪悪感。

 武だけに人生を捧げてきた自分には、想像もできない想い(重荷)を抱える青年を、チラリと見た武天老師は、どうすれば良いか判らずに、深い溜め息を付いた。

 もしかしたら、終の住みかと定めたこの場所ではなく、終わりの地が別の場所になるかも知れないと。

 

 荒修行を始めてから4日。

 最新の大英雄は、武の頂点に食い下がれる程に成長していた。

 原理が分からないまま、一瞬だけ見失う移動や一瞬だけ加減速する攻撃に、ヘラクレスは"なんとなく"で対応できる様になっていた。なってしまっていた。

 

 繰り出した右拳を枯れ枝の様な腕が絡め取りに来ると、素早く肘を曲げながら引き戻し、その反動を利用して左拳を撃ち出す。

 撃ち出した拳が、武天老師を捉えるよりも早く、ソレが残像である事を直感的に見抜き、後頭部にジリジリとしたモノを感じ取る同時に、空を切るであろう左拳を強引に引き戻し始め、戻りきった右腕で守りを固めながら体勢を立て直す。

 守りに使った右腕に衝撃と痛みを感じながら、体勢を整えたヘラクレスが、飛び蹴りから着地した武天老師の前蹴りを予測して、それに合わせる様に前蹴りを放つ。

 武天老師の頭部を狙い放った蹴りが、あっさりと避けられる。しかし、ソレを予測していたヘラクレスは、蹴りを避けると同時に、ヘラクレスの後ろに廻った武天老師を迎撃する為に、蹴り出した足を無理矢理に地面に着け、その足を軸に前後を入れ替えつつ体勢を整える同時に、其処に居るであろう武天老師を目掛けて拳を振るう。

「本当に、たいしたものじゃわい」

 ヘラクレスの放った拳を、初めて手で受け止めた武天老師が、嬉しそうに、哀しそうに、そう呟いた。

「時間を掛け、じっくりと鍛えれば......次代の武天老師や東方不敗を名乗るのも容易かろうに」

 それだけの才覚を持っていながら、感覚と勘を頼りにする──まさに、獣の様な闘いのみしか身に付けようとしないヘラクレスを、武天老師は哀しんだ。

 そして、決意した。感覚と勘だけを頼りにする獣じみた闘法では、決して超えられないモノが有る事を教えなければならないと。

「悪いな。ジイさん。チマチマやってる暇は無いんだ」

 武天老師の決意を知らないヘラクレスは、下らない理由で殺してしまったにも関わらず、バカな自分を赦し、想いを受け取ってくれた恋人の為にも、足踏みをするつもりはないと、拳を振るう。

 それこそが、自分にできる唯一の償いだと固く信じているが故に。

 

 繰り出された拳に合わせて、後ろに大きく飛び退いた武天老師が、真っ直ぐにヘラクレスを見据える。

「お主は、コスモや気を感じた事はあるかの?」

 その問いに、小休憩かと思ったヘラクレスが、体を弛緩させながら息を整え始める。

「そりゃ。聖域で一年修行して、アバン先生の下でも一年修行してんだ。それとは別に、師匠には四年も稽古を付けて貰ったしな。そんだけやってり、分かるようになるさ」

 そう言った後、「分かるようになるのと、使えるようになるのは、別なんだけどな」そうボソリと呟きながら、『説明が分かりにくいんだよなぁ......アイツみたいに、俺にも分かるように説明してくれよ......』と心の中で愚痴る。

「なるほどのう、基礎を疎かにした弊害じゃな」

 天賦の才を有していながら、計六年も修行をして気が使えない理由を、武天老師があっさりと口にした。

「お主程の才があれば、五年。いや、三年。基礎を根気良く練り上げれば、気を扱える様になるじゃろうに」

 武天老師の言葉に、ヘラクレスがボリボリと頭を掻く。

「んな事言ったてよ......もう六年も待たせてんだぜ? 何時までも待ってるて言ってたけどよ。でもよ、俺が戦えるのは何時までだ? 何時から体力とか衰える? アイツを抱く為にも、最速で最短の道をいかなきゃならないんだよ」

 勘違いをしている某女神が聞いたら、体を抱き締めながらクネクネしそうな事をぼやくヘラクレスに、武天老師が嘆息する。

「儂の元で、五年間修行せんか? そうすれば、気だけではなく。界王拳やカメハメ破。舞空術も使える様になるじゃろうて」

 善意で言ってくれているのが分かっていながら、ヘラクレスは首を左右に振る。

「悪いな。ジイさん。これ以上待たせる気はないんだ」

 この一年の間に、最強達に挑み、二十を迎えたら、星の大英雄率いる英雄軍勢とギリシャの神々に戦争を仕掛けると決めているヘラクレスは、武天老師の言葉をすまなそうに断る。

「そうか......ならば、仕方あるまい。今のお主では、超えられない壁が有る事を教えてやろう」

 

 その言葉と同時に、武天老師の全身から、赤いナニかが立ち上ぼり、星の大英雄と相対した時に感じた圧が、ヘラクレスの皮膚をビリビリと突き刺す。

「はは、なんだこりゃ。今まで本気じゃなかったのかよ?」

 ビリビリと突き刺す圧に、気圧されながらも、ヘラクレスが笑みを浮かべる。

「本気じゃったよ。お主が対峙した聖闘士が本気で有っても、全力(命懸け)でなかったのと同じじゃ」

 武天老師の言葉に、ヘラクレスが「ああ、成る程な」と呟く。

「つまり、あれか? 全力で相手をしてくれるて訳だ」

 嬉しくて堪らないと、ヘラクレスがニィと笑う。

「ここまでするつもりは、なかったんじゃがのう......お主に基礎を無理矢理に叩き込む為じゃ」

 相手の動きを覚えて、少しずつ自分のモノにしているヘラクレスに、闘いを通じて、基礎の大切さを無理矢理に叩き込む事にした武天老師は、ヘラクレスに向かって一歩踏み出す。

 

 緩急・静動を織り混ぜた動きでもなければ、虚実入り交じった動きでもない。ただ、常に相手の前に陣取り、殴り蹴るだけ。ただそれだけの動きに、ヘラクレスは対応できなかった。

『なにがどうなってやがる!?』

 武天老師の全身から立ち上る赤いナニか、それが、アバン先生の言っていた"界王拳"だと当たりを付けたヘラクレスは、それ以外が分からずに成すがままになっていた。

 勘と感覚が警告を発するよりも早く、武天老師の拳と蹴りがヘラクレスを襲う。

 体の芯に響く打撃を堪えながら、必死に武天老師の動きに食らい付こうと足掻くが、苦し紛れに放った拳は、武天老師を捕らえる事なく空を切る。

 遂に耐えきれなくなったヘラクレスが、片膝を着くと、武天老師の全身から立ち上ぼっていた赤いナニかが消えた。

「これが、基礎を積み上げた者とそうでない者の差じゃよ」

 ひたすらに実戦組み手のみを積み重ねたヘラクレスと、地味極まりない基礎の基礎を長年積み重ねて来た武天老師。

 その明確な違いを教える為に、界王拳以外の奥義を使用しなかった武天老師の言葉に、ヘラクレスが悔しそうに歯を噛み締める。

 正面に陣取り、ただ殴り蹴るだけの動き。その実、積み上げてきた基礎の集大成とも云える動きに、着いていけなかったヘラクレスが、小さく「時間がねぇんだよ」と呟きながら立ち上がる。

「おっし。もう一戦だ。上手く言えねーけどよ。ナンか掴めそうなんだよ」

 呆れ返る程の耐久力と体力を持つヘラクレスの言葉に、武天老師は内心で『掴まれては困るんじゃがのう』と溢しながら、基礎の大切さを教える為に、再び界王拳を使う。

 

「何とか言うべきか......理不尽じゃのう」

 大地に寝転がり、ゼーハーと肩で息をしているヘラクレスを見下ろしながら、武天老師は嘆息する。

 基礎の集大成とも云える奥義・界王拳を使い、基礎の大切さを叩き込む筈が、基礎を最低限しか身に付けていないヘラクレスが順応していく現実に、武天老師は理不尽極まりないモノを感じていた。

 動きが洗練されたモノになっていく。それは、良い。しかし、勘と感覚を頼りにした獣じみた闘法のまま、動きが洗練されていくのはどう云う事なのか。多くの弟子を育てた武天老師には、何がどうなってこうなるのか理解できずに、溜め息を付く事しかできなかった。

 元々、武術とは、人類が理不尽極まりない人外に対抗する為に編み出されたモノ。だからこそ、万民が理解できる様に理論化されているのだ。

 ああすれば、こうなる。こうすれば、こうなる。

 こんな風に説明できるモノに磨き上げられているからこそ、"武術"もしくは"武道"と呼ばれる。

 だと云うのに、ヘラクレスの闘法は、説明できないのだ。

 

 ヘラクレス曰く。

 ナンかこう、ビリビリ。ジリジリ。チリチリ。と感じたら、攻撃が来るから、こう、ビッシとガードする。

 ナンかこう、ビビッ。ビッシ。ジン。と来たら、ズバンと攻撃する。

 

 そんな訳の分からない、勘と感覚に頼りきった闘法が、人類が悠久の時を掛けて研ぎ澄ませ磨き上げて来た"武道"や"武術"に迫る現実に、武天老師は嘆息するしかなかった。

「どうしたもんかのう」

 なんかもう、基礎とか教えずに、実戦組み手で鍛えた方が、早く強くなれる気がしてきた武天老師は、複雑な心境になっていた。

 とは云え、此から先、気が使えた方が有利に戦えるのは分かりきっている為、最低でも、舞空術ぐらいは身に付けて貰いたい。そう考える武天老師は、前途多難な現実に、ほとほと困り果てる。

「本当に、どうしたもんかのう......」

 今まで育てた弟子の中でも、一番の才能の塊。だからこそ、扱いに困る現状に、武天老師は深い溜め息を連発する。

 なんかもう、遥か上空からの自由落下を繰り返せば、何時の間にか気を使える様になって、勝手に舞空術を使える様になりそうな青年に、武天老師は本気で困り果てていた。

 

 出力を最低限まで落とした界王拳を使用した、実戦組み手を行ってから、二日目。

 ヘラクレスは食い下がれる程に成長していた。

「まいったのう......壁になれるか怪しくなってきたわい」

 殴りきってきたヘラクレスを軽くあしらい、海に投げ捨てた武天老師は、成長著しいヘラクレスをどう導くべきか未だ困っていた。

 界王拳の出力を最大限に上げても、食い下がれる様になりそうなヘラクレスに、どうすれば、基礎を学ばせて、気を扱える様にできるか、その方法が分からずに頭を痛めている武天老師を余所に、海から勢い良く出て来て、何故かドヤ顔をしているヘラクレス。

「ジイさん! 此、気ってヤツだろ!?」

 ゴッウと、全身から気を立ち上らせ始めたヘラクレスに、武天老師が言葉を失う。

「本当に、理不尽じゃのう......」

 長い時間を掛けて基礎を積み上げ、漸く扱える様になるモノを、ほぼ実戦組み手のみで使える様になってみせたヘラクレスに、『もう、どうすればいいんじゃ』と諦めの心境に至り始める。

「ジイさんを頼って正解だったぜ!」

 嬉しそうに笑っているヘラクレスを見ながら、もう、取り敢えず、遥か上空に打ち上げ続ければ、勝手に舞空術を体得するだろう。と結論付けた武天老師は、ヘラクレスに空を散歩して貰うことにした。

 

 ヘラクレスが優雅な空の散歩(上空からの自由落下)を始めてから四日。

 最初こそ、「ぬわぁぁぁぁ」とか、「死ぬ死ぬ死ぬぅぅぅ」とか、「ぐわぁぁあぁぁ」等と叫びながら帰還していたヘラクレスだが、徐々に慣れたのか、武天老師に高高度まで投げ飛ばされ、海に落ちるまで無言を貫ける様になっていた。

「おかしいのう......舞空術を使える様になる気配が無いんじゃが」

 ゼーゼーと荒い息を吐きながら帰ってきたヘラクレスが、稽古の続きだと云わんばかりに、武天老師に殴り掛かる。

 突き出された右拳をかわすと同時に、ヘラクレスを上空に投げ飛ばした武天老師は、キラリと上空に消えて行くヘラクレスを見送りながら首を捻る。

「アレかの? 危機感が足りんかもしれん」

 今度投げ飛ばしたら、威力を最小限まで落としたカメハメ破を撃ち込むか。と決めた武天老師は、ヘラクレスが帰ってくるのを静かに待った。

 

 実戦組み手+空の散歩中にカメハメ破を繰り返して三日。ヘラクレスが島を訪れてから二十日目。

「うっしゃ! どうだ!」

 理論とかガン無視したヘラクレスは、勘と感覚だけで舞空術を身に付ける事に成功していた。

「良くやったのう。うん」

 こんな方法で舞空術を使える様になったヘラクレスに、呆れ返りながら、『儂が教える事ナニも無くない? 組み手の相手をしてたら、勝手に学習して強くなるんじゃね?』と諦めの心境に達した武天老師は、ヘラクレスの気が済むまで、組み手の相手を勤める事にした。

 

 実戦組み手に、界王拳だけではなく、舞空術やカメハメ破を取り入れてから五日。

 舞空術の制御も問題なくこなせる様になり、気を拳に集中させる事もできる様になっていた。

「なんだかのう......」

 基礎を積み上げず、ここまでできる様になったヘラクレスに、武天老師が遠い目をする。

「どうしたジイさん。とうとうボケが来たのか?」

 稽古の最中にいきなり呆けた武天老師を心配するヘラクレスの言葉に、武天老師が「まだボケとらんわい」と短く返す。

「後、五日で一ヶ月。たった一ヶ月で、よくぞここまでと思うての」

 その言葉を聞いたヘラクレスが、驚きの表情を浮かべながら、両手の指を折りながら日数を数え始める。

「ん? どうしたんじゃ急に」

 日数を数え終えたヘラクレスが無言でその場に座り込み、頭を抱え始めるのを見て、武天老師が首を傾げる。

「やべぇ......後五日しかねぇのかよ」

 一年の間に最強達に挑み、二十を迎えたら恋人を迎えに行くと決めているのヘラクレスは、最強一人に一ヶ月と大雑把に考えていた。

 このままだと、あっさり期限切れしそうな現実に、頭を抱えたのだ。

「あのよ。ジイさん。後五日でジイさんを超えられる方法はないか?」

 頭を抱えながら、そう言ってきたヘラクレスを、武天老師がアホを見る目で見る。

「そんな方法が有る訳なかろう。簡単に強くなれれば、誰も基礎を学んだりせんわい」

「いや、そりゃそーなんだけどよ。一人一ヶ月て決めてんだよ」

「一人一ヶ月? なんの事じゃ?」

 一年で全ての現代最強に挑む為に、移動時間とかを考慮した結果。最強一人に一ヶ月のペースになったと話すヘラクレスを、武天老師が真性のバカを見る目で見詰める。

「無茶苦茶にも程があるわい」

 一人に付き一年でも頭のおかしいレベルなのに、一ヶ月と言ったヘラクレスに、呆れ返るしかなかった。

「よいか? まず、儂は稽古しかしとらん。試合をお主と行っておらん。そこは分かっとるかの?」

 武天老師の確認の言葉に、ヘラクレスが大きく頷く。

「そりゃ、それぐらい分かるさ。だから、挑んで学んでるんだ」

 後五日で学び終えられる気がしないヘラクレスが、立ち上がりながら両腕を組み。どうしたものかと頭を捻る。

「一ヶ月程度で、得られるモンなんぞ無い。と云いたい処じゃが......お主だからのう」

 下地が一応あったとは云え、一ヶ月未満で、気が扱える様になり、舞空術すら使える様になった規格外に、最近、溜め息が増えた武天老師が嘆息する。

「仕方あるまい。残り五日。みっちりとしごいてやるわい」

 その言葉を聞いたヘラクレスが、「やっぱ、地道にやるしかねーか......」そう呟くが、その呟きを聞き逃さなかった武天老師は、『何処が地道なんじゃ......ちゃんと地道にしてくれていれば、儂は苦労しとらんわい』と心の中で突っ込んだ。

 

 ヘラクレスが自身で定めた期間。一ヶ月最終日。

 加減をしているとは云え、界王拳を使った武天老師と、それなりに撃ち合える程の成長を遂げていた。

「本当に、なんなんじゃ。お主は」

 二百年以上の年月を掛けて、武を積み上げてきた武天老師は、目の前に寝転がり、「だぁー! なんで当たらねーんだよぉ!?」と叫んでいるヘラクレスを、驚愕を通り越し呆れ返った目で見下ろしていた。

「なぁ、ジイさん。なんで、避けきれなかったり、当たらねぇんだ? こう、来る。て感じるよりも早く、攻撃が来るんだよ?」

 何度も何度も説明しているのに、全く理解していないヘラクレスの言葉に、武天老師は嘆息するしかなかった。

「何度も教えたじゃろう。なんで、あの説明でわからないんじゃ」

 身ぶり手振りに加えて、実際にゆっくりと再現して見せても理解できていないヘラクレスに、内心で『どうすればいいんじゃ。本当に』と武天老師は頭を抱える。

「んなこと、言ったてよ......錯覚がどうとか、認識の齟齬がどうとか、脳や体の構造がどうとか、訳わかんねーんだよ」

 分からないなりに質問しても、理解できないヘラクレスが「頼むから、分かりやすく言ってくれよ」と溢す。

「これ以上、分かりやすく説明などできんわい......」

 武天老師の苦々しい言葉を聞きながら、冥府に囚われている恋人なら、「グワッとして、こうズバンてすればok」と分かりやすく説明してくれんのになぁ......と考えながら、ヘラクレスが立ち上がる。

「にしても、時間切れか。次は誰にすっかなぁ」

 立ち上がり、首をコキコキと鳴らしているヘラクレスに、結局、基礎を叩き込めなかった武天老師が肩を少し落とす。

「本当に行くのか?」

「おう。ヘラクレスに勝ってから、嫁とガキを連れてくるからよ。長生きしてくれよ」

 史上最強に必ず勝つと宣言するヘラクレスに、『この漢なら、本当に勝てるかもしれんのう』と思いながら、武天老師が「心配せんでも、五百迄は生きるわい」とカッカッと笑う。

「ほれ、紹介状をやるから、夕飯を食っていかんか」

 そう言って背を向けた武天老師に、「助かるぜ、実は腹ペコなんだよ」と笑いながら、ヘラクレスが続く。

 

 武天老師の勧めで、一泊して朝食を食べると、岬にやって来たヘラクレスは、全裸になり、旅荷を載せた大きめの桶から伸びる紐を腰に括る。

「じゃあな。ジイさん。おかげで強くなれた。ガキを抱かせてやっからよ。本当に長生きしてくれよ」

 ニィと笑うヘラクレスの言葉に、「その時は、基礎の基礎から叩き込んでやるとするかの」と武天老師が笑う。

「そんときゃ、ガキと一緒に頼むぜ」

 そう言い残し、ジャブジャブと海に入って行くヘラクレスを見送りながら、武天老師は「儂が昨夜に言った事を忘れるではないぞ」と声を掛ける。

 その言葉に、ヘラクレスが立ち止まり、武天老師の方を振り向いた。

「分かってるよ。"旅を続けろ"と"よく動き。よく学び。よく遊び。よく食べて、 よく休む"と"道具は使う者次第"だろ? ちゃんと覚えてっから安心しろって」

 再び前を向いて歩み始め、遂に対岸目指して泳ぎ始めたヘラクレスを見ながら、武天老師が「覚えてるだけではなく。意味を考えて欲しいんじゃかのう......」そう小さく呟いた。

「まぁ......東方不敗なら、なんとかしてくれるじゃろ」

 東方不敗宛の紹介状──自身がヘラクレスに感じた事を書き綴ったモノと、アバンから受け取った紹介状を添えてた物を読めば、なんとかしてくれるだろうと考えながら、武天老師は小さくなって行くヘラクレスを見送り続ける。

「問題は、アヤツが無事にギアナ高地に辿り着けるかどうかじゃな」

 才能に関しては文句無しの逸材で在りながら、色々と残念過ぎるヘラクレスが、無事にギアナ高地に辿り着けるか、ちょっとだけ心配な武天老師は、ここ一ヶ月で何度吐いたか分からない溜め息を、深々と吐いた。

 

 

 陸地に辿り着いたヘラクレスは、困り果てていた。

「ギアナ高地て、何処にあんだ?」

 旅荷からバスタオルを取り出し、海水で濡れた体を拭きながら、『出てったばっかりなのに、また、ジイさんに聞きに戻んのもなぁ』と思いつつ、どうしたものかと考えていた。

「あれだな。道を聞きながら行けばいいんだ」

 うん。うん。と頷き。我ながら名案だと自画自賛しながら、服を着たヘラクレスが背伸びをする。

「取り敢えず、東方不敗て云うぐらいだから、中国だろ」

 冥府に囚われている恋人が聞いたら、「ギアナ高地は何処に行ったの? 今、ブラジルなんだよね? そのまま、南アメリカ北東部を目指そ? なんで、中国なの? おかしいよね?」と言いそうな事を、自信満々で言いながら、「まずは、中国の場所を人に聞くか」と呟いた。

「歩いて行ける場所なら、いいんだけどなぁ」

 そう溢しながら、『泳ぐのも、トレーニングになるけど、腹が減るんだよなぁ』等と暢気に考えているヘラクレスは歩き始める。

 

 ギリシャを不正規の方法──つまり、歩きと泳ぎで不法出国して、歩きと泳ぎでブラジルに不法入国したヘラクレスは、パスポート無しに堂々と、中国を目指して歩みを進めた。




 巨大なホワイトボードに一杯の詳しい説明書きと、身ぶり手振りの説明をしながらの、アバン先生の詳しくて分かりやすい説明。
「つまり、ここはこの公式を使って、こうすると答えを導けるんです! 分かりましたか!?」
「いや、全然わかんねー。どうすりゃいいんだ?」
「私が、言いたいですよ......」

 一枚の紙に書かれた簡単な説明書きのみで、
「ここをズバズバとしたら、ここがシュババとなるでしょ? そうしたら、ジャババとすれば、答えが出るよ」
「つまり、答えは10か!」

アバン先生「私は......教育者として、やっていけるのでしょうか......」

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