もはや<地下死体溜り>は、災害の
奇怪なる装束に身を包み、これまた普遍的な得物とは言えぬ<回転ノコギリ>を操る、<連盟の長>ヴァルトール。
対照的に一般的な狩装束を纏い、これまた彼ら<狩人>の得物としては一般的な<ノコギリ鉈>を操る名も知れぬ<狩人>。
今、彼らは地下死体溜りを縦横無尽に駆け巡り、嘗て無い大物狩りへと挑んでいる。その中心には巨大な一体の獣――――であった者。
姿形は悍ましき<醜い獣>でありながら、理性と信念を宿した瞳を彼らに向け、彼のみが携えた<
人より獣へと堕ち、そして如何にしてか人を取り戻した、正真正銘の
「狩人!」
「ちぃっ!」
ヴァルトールが狩人へと叫ぶが早いか、ルドウイークの聖剣がその身を屠らんと振り下ろされた。<加速>に乗った狩人は寸での所でその刃の軌道から身を離し飛び退くが、
『ハァッ!』
そこを狙い、ルドウイークの掛け声と共に振るわれた月光。その軌道は狩人の身体を断ち切るには些か離れすぎている。しかしその輝きの軌跡を写し取るように光が波となり狩人に襲い掛かった。
しかし狩人は<光波>による追撃を超思索の元予期しており、弾かれるが如くその場から飛び退いて回避。その間にヴァルトールはルドウイークの後方より接近し回転ノコギリを起動、ルドウイークの右後ろ脚を切り刻まんと突撃する。
『ムゥン!』
「ぬおっ!?」
その金切り音に気づいたルドウイークは体をズラし、振り払うかのように後方へと月光を向けた。たまらずヴァルトールは飛び退いて距離を取る。幾度目か解らぬ仕切り直し。狩人とヴァルトールは未だ大きな傷もなく健在だが、両者ともに疲労の蓄積は隠せていない。対してルドウイークは静かに彼らを見据え、聖剣を油断なく構えている。
「……ヴァルトール、あの剣は一体?」
いつの間にかヴァルトールの横にまで駆けて来ていた狩人が、呼吸を整えつつ問いかけた。それに、息を切らしながらもヴァルトールは口を開く。
「俺とて、知る事と知らん事が……いや、いつか聞いたことはある。『ルドウイークの剣は刃に非ず』と」
「真なる<神秘>か。肌が
「……良く分からん。そも、かのルドウイークとこうして相対しているのが信じられぬ事態であるが……」
先ほど<醜い獣>を狩らんとしていた時以上の警戒をもって聖剣を見据える狩人。聖剣は星を散りばめた宇宙、渦巻くような、吸い込まれそうになるような翠緑の輝きを放って地下死体溜りを淡く照らす。それは、中途半端に啓蒙を得たものであれば文字通り引き込まれ、前後不覚ともなりかねぬ生粋の神秘の塊だ。しかし、それを確たる意志で睨み続ける狩人に、今度はヴァルトールが問いかけた。
「狩人。何故、ルドウイークは仕掛けてこない?」
「…………恐らくだが、奴の剣技は人のそれだが、体は獣のままだ。
狩人の答えにヴァルトールは危機感を抱いた。ルドウイークが人を取り戻してまだ時間は経っていない。要するに、ルドウイークは獣の体で人の剣を振るう事に慣れていないのだ。そもあれほどの異形でありながら真っ当に剣を振るう事自体が相当な無茶であるのやも知れないが、それでもその技巧は脅威と言って余りある。しかしそれがもし『慣れてしまえる』ものならば、それは――――
『……夜にありて迷わず、血に塗れて酔わず』
ルドウイークの声がその思考を中断させる。獣からは聞こえるべくも無い、理性持つ人の言葉。
『罪知らぬ狩人達よ』
どこか懐かしむような言葉、それは嘗て、彼が英雄と呼ばれていた頃の名残なのか。狩人達は何時でも飛び出せる様腰を落とし、攻撃の瞬間に備える。
『獣は呪い、呪いは軛……その因果に挑むに足るか』
ルドウイークは月光を顔の横まで持ち上げ、その切っ先をこちらに向けた構えを取る。
『証明して見せろ』
その言葉と共にルドウイークが踏み込み、瞬間二人の狩人は片や超思索に、片や経験と直観に従い跳躍した。
『――――導きの月光よ!』
次の瞬間、<奔流>とでも呼ぶべき光の炸裂が彼らの元居た場所を轟音と共に吹き飛ばし、消し飛ばす。その余りの威力に、積み上げられていた躯の山もその存在が不確かな物であったかの如く消え失せ、目に見えて<死体溜り>を満たす血河の嵩が増している。だがしかし、血煙漂うその跡地から飛び出す影一つ。
「オオオッ!!」
ぶちまけられた死体の血と臓物に
『ヌウッ……!』
「語るはそれだけか、<聖剣の狩人>」
<鋸>を<鉈>と成し、更なる連撃を見舞いつつ狩人が凄む。<加速>の最中より繰り出される間断無き連撃。時に鉈による大ぶりな一撃を、と思えば突如折り畳まれた鋸による重心の変化を利用した連続攻撃。その変幻自在な攻めにルドウイークは一転、防御に回る。
それを見逃す狩人ではない。右上からの振り下ろしで鋸を鉈へと変形させつつ、勢いそのまま反時計回転。裏拳じみた動きで散弾銃を向け発砲しルドウイークの動きを制限すると、更に右腕を伸ばして遠心力を最大限に生かした横薙ぎに繋げる。その破壊力は、宇宙色の煌めきによってそれを防いだルドウイークの巨体を数歩後退させるほどの威力であった。
「良い気魄だ!」
不安定な姿勢のルドウイークに、嘗て獣喰らいと呼ばれた異様の狩人が飛びかかる。
ルドウイークはその多脚を器用に動かし、崩れた姿勢のままヴァルトールの誇る牙より逃れる。そして振り上げた月光によって謎めいた顔を隠すバケツ兜を弾き上げた。
「がっ!?」
余りの衝撃に容易く吹き飛ばされたヴァルトールの体を、一瞬で切り返した月光を以って真っ二つに別たんとするルドウイーク。しかしそれは逆方向から飛びかかった狩人の攻勢によって中断され、再び彼は引き下がる。
それを見逃す狩人では無い。狩人は遺骨を掲げ、更に<加速>を延長し勢いそのままルドウイークに幾つかの狩り道具を投げつけた。ルドウイークはそれを空中で撃ち落とさんと月光を構えたが、咄嗟に月光を引いてさらに距離を取る。その目前に投擲物を追い越した狩人が迫った。
道具と加速を用いた時間差の二段攻撃。しかしこの連携を見抜いたルドウイークは足元に向け月光を振るい、その光の炸裂によって狩人を退けた。その後ろで地面に叩きつけられた壺が音を立てて砕け、中に詰められた油が血だまりに混じって広がってゆく。
仕切り直しか。ルドウイークが目を細めたその瞬間。
「狩人ォ! <ヤスリ>を寄越せェ!」
その声に反応した狩人は吹き飛ばされ血だまりを転がりながらも懐からそれを取り出し声の方向へと思い切り放り投げた。
そこにはかち割られかけたバケツ兜の割れ目からぎらぎらと光る眼を覗かせるヴァルトール。彼は変形させた回転ノコギリを振るい、機構を始動させながら宙を舞うヤスリにその横っ面を叩きつける。瞬間、摩擦により回転ノコギリは炎に包まれ、彼は松明の如き様相を成すそれで思い切り地面を削り上げた。
『これは……!』
その一撃により、既に脛まで嵩を増した血だまりに散った油が激しく引火し、削り上げられた肉と混じりルドウイークに襲い掛かる。しかし、それを易々と受けるルドウイークではない。既に獣の肉体への慣れを見せ始めた彼は、多脚による平行移動で炎の飛沫より逃れ、下手人であるヴァルトールに向けて月光の切っ先を構えた。それは、先程死体の山を吹き飛ばした<奔流>の構え。月光が深く輝き、その力を解き放つ。
だがそれは、死体の山の頂上から跳躍した狩人から放たれる凄惨なる殺意によって阻まれた。完全なる奇襲、だが自身に注意を引きつけんとするその殺気に電撃的な速度で反応したルドウイークが無理矢理に月光を振り上げ、狩人の振るうノコギリ鉈を凝縮されし神秘の放出によって死体の山の向こうへと弾き飛ばす。
しかし狩人は既にノコギリ鉈を手放しており、ルドウイークの眼前へと着地。そして迷わず足元の屍より肋骨を引き剥がしてその切っ先を無防備な腹へと突き立てた。
「……チッ!」
その決断的なる一撃を、ルドウイークは意にも介さぬ。一度は獣と化したルドウイークの皮膚は柔らかに見えてその実、生半可な鎧など比べ物にならぬ強靭さを誇っている。その皮膚は、狩人の武器でなくては到底傷つけられる物では無い。故に、そこに突き立てられた肋骨は、余りにも無惨に欠け折れた。それが狩人に小さな驚愕を生み、その驚愕がもう一瞬、さらに小さな隙を生み出す。
『オオッ!』
「ぐあっ!?」
それを見逃すルドウイークではない。振り上げられたままの月光、それを掴むのとは逆の人の形を失った片腕。その裏拳をもろに受け狩人は弾き飛ばされた。獣の膂力から繰り出されたそれは、
「狩人! くそっ――――」
『ハァッ!』
その様を見て、すぐさま狩人を救出せんと駆けるヴァルトール。その眼前を光の刃が通り過ぎて炸裂した。寸での所でバネ仕掛けの如く跳ね飛びその余波を回避したヴァルトールに、まさしく押し寄せる波の如く光波の嵐が襲い掛かる。
「おおおおおおおっ!!??」
先程とは真逆の方向へとひた走るヴァルトールの背後を凝縮された光の斬撃が断ち割り、着弾し解放され炸裂してゆく。その攻勢を前に狩人を救出する余裕など微塵も無い。ヴァルトールはごく僅かとも言える光波の間隙を潜り抜け、身を反らし、時に滑り込んで必死にルドウイークから離れてゆく。
ルドウイークはその姿を見つめると眼を細めた。侮蔑ではない。純粋に、その姿に機を見出しただけだ。如何に狩人らが常軌を逸した脚力を備えていようと、これだけの距離を取りさえすれば奇襲の危険は大幅に減じる。
故に、ルドウイークはヴァルトールへの追撃を止めると狩人が埋没した死体の山へと向き直り、高々と月光を掲げた。
「奴め、何を……」
死体の小山の陰で、ヴァルトールがそう呟いた次瞬。月光から一度波動が放たれ、周囲の血溜りを噴き散らした。その余波たる血しぶきを浴びながらヴァルトールは戦慄する。散らされ生まれた間隙に、再び押し寄せるようにして血が流れて込んで行く様と重ね合わせるが如く、虚空から現れた光の粒子が月光へと収束し、凝縮され、その輝きを凄絶な物へと増して行った。
それはルドウイークが、既に傷ついたその体で放つことの出来る最大の攻撃だった。それをヴァルトールも一目で見て取り、狩人を死体の山ごと消し飛ばさんとするその意図を一瞬で読み取って飛び出した。……しかし、距離が遠い。ルドウイークが万全の態勢でその一撃を放つのに必要な距離、それはヴァルトールは、自身の脚で以って稼いでしまっていた。
「狩人!!!」
ヴァルトールが駆ける。回転ノコギリを燃やしたまま稼働させ、ルドウイークの一撃を阻むために。だがそれには余りにも彼我の距離は離れており、それをルドウイークも、そしてヴァルトールも理解していた。
しかしそれはヴァルトールの足を止める理由にはならぬ。彼は<連盟の長>として、同様に<連盟>に誓いを立てた狩人の助力となる義がある。そう定義していたが故に、呼びかけに応じてこの場に馳せ参じ、此度の狩りへと赴いたのだ。
だが、そんな彼の奔走虚しく。ルドウイークの掲げた月光が、目も眩むような輝きを持って振り下ろされた。
凄まじい密度の光が、ルドウイークの前方を扇状に薙ぎ払う。それは『奔流』と呼ぶのもおこがましい、正に『濁流』とも呼ぶべき光の決壊。その光は、ルドウイークの前方に存在した全てを、無慈悲に、平等に、消し飛ばした。
「…………狩人」
絞り出すように、立ち止まったヴァルトールが呟く。その眼前には破壊しつくされ散り散りとなる死体と、荒れ狂う海の如く血が逆巻く光景、そして月光を振り下ろしたままの姿勢で硬直するルドウイークの姿。
次の瞬間、ルドウイークに向け再度ヴァルトールは駆け出した。狩人が、連盟の友が死んだ。その事への嘆きもある、憤りもある。だがそれは狩りの場に置いて何の意味も成さぬ。我らは狩人であり、故に成すべき事は狩りに他ならぬ。本来であればすぐさま涙を流し、弔いの言葉を述べたい所であった。だがこの強敵の前では、そのような事が許されるはずも無い。狩りの場で悲しみに溺れた者は、狩りに溺れる者よりも早く息絶える。それは狩人の鉄則だ。
故に。本当に散って行った者の事を思うのならば、遺志を継げ。成すべき事を成し遂げろ。
「おおおおおっ!!!」
ヴァルトールは、未だ火に包まれた回転ノコギリの機構を起動させ異音と火花を散らしながらルドウイークに迫る。その気迫に反応したルドウイークが大技の反動に疲弊する満身創痍の肉体を強いてヴァルトールへと対応せんとその首を巡らせた。
視線がかち合う。その場にあって二人は狩る者と狩られる者の関係には無く、互いに狩る者である事を直感的に理解した。そしてその関係が容易く狩る者と狩られる者の関係に戻るものであると
そのルドウイークの懐で、血溜まりの底からざばりと音を立てて人影が立ち上がった。
『!?』
驚愕するルドウイーク。しかしその驚愕を素知らぬとばかりに腕は人影――――狩人へと月光を振り下ろす。それは
狩人が身を屈めるようにノコギリを振り下ろし、その刃でもってルドウイークの右脛を裂き千切る。そのまま狩人は体勢を崩したルドウイークの月光をその姿勢でやり過ごして、踏み込みつつ返す刀で右へとノコギリを振るい、その力を利用して鉈へと転じたその刃で、ルドウイークの左腿を断ち割った。
『グオオオッ………!』
両前足を破壊されたルドウイークが、苦悶の声を上げ膝を着く。瞬間、既に狩人は一歩の
血に
『オオッ!』
その集中の隙をルドウイークは見逃さぬ。満身創痍の肉体に鞭打ち、無理矢理に戻した月光で狩人の頭蓋を打ち砕かんと狙いを定め、振り下ろす。自身を律するのに手一杯の狩人は回避する事は愚か、反応する事さえ出来はしない。
ルドウイークは、そこで泥の様に遅延した時間を体感する。
右手を引き絞る狩人の表情からは、余りにも深い<酔い>とそれさえも律する強靭過ぎる理性の
それは、幾度と無くルドウイークが後進の狩人達に見出したものだ。多くの狩人が夜の内に酔いに溺れ、その身を狩人から獣に墜とし、また狩人達により狩り滅ぼされ、その狩人達がまた酔い、獣に堕ちる。そんな彼らを、自身や当時の<狩人狩り>が滅ぼした無限の悪夢。
今ここで行われている狩りも、結局はその焼き直しなのだろう。だが、ここでこの狩人達を殺して、自身はこれから如何なる道を歩むのだろうか。もしや、今この戦いこそが、自身が人間性を保ったまま終われる最後のチャンスではないのか?
…………そうなのかもしれぬ。だが。だがしかし。この悪夢の正体を、<彼女>がああまでして守る秘密を――――私は暴けなかった。故に、許せ後世の狩人。私も、じきに其方へ行く。責めはそこで聞こう。そう、一瞬にも満たぬ感慨がルドウイークの脳を駆け抜けた瞬間。
その肩に、悍ましき異形のノコギリが突き立てられた。
『ガアアッ?!』
突き立てられたノコギリが回転し、その肩の肉を、腱を、骨を、派手に撒き散らし、抉り取った。力を失った月光の刃が狩人の真横に振り落とされ、小さな炸裂で血を吹き飛ばすが、極度の集中に入った狩人はそれを一瞥もしない。その姿を見て、咄嗟に回り込んでルドウイークの背を駆け登り肩にノコギリを叩きつけたヴァルトールは叫んだ。
「狩人、やれぇ!!!」
その声に呼応するように、狩人の右腕が正しく獣じみた異形と化しルドウイークの腹へと突き込まれた。そして、そのはらわたを探るように僅かに蠢かせ、次の瞬間臓物を引き千切りながら腕を引き抜き、同時に右肩でルドウイークを突き飛ばした。
その破壊力にルドウイークの巨体が大きく仰け反り、右腕の月光を取り落とす。そして、一瞬、時間が止まったかのような斥力と重力の拮抗を見せた後。頭を垂れるように狩人の眼前へと崩れ落ちた。
『ガアアッ……!』
轟音と共に倒れ伏し、苦悶の声を上げるルドウイーク。その眼前に、肩で息をしながら狩人が歩み寄る。その姿を見て、ルドウイークは最後の意地とばかりに、右手を伸ばし、触れた月光の柄を掴んだ。だが、そこまでだった。狩人が手に持つノコギリ鉈を己が夢へと仕舞い込んだ代わりに取り出し、大きく掲げ持った
『……それは、ゲールマン翁の…………』
狩人が手にしたそれは、巨大な大鎌。<葬送の刃>と名付けられし、<最初の狩人>の得物にしてあらゆる狩り道具のマスターピース。嘗てそれが振るわれる瞬間を、幾度となく目にした記憶がルドウイークの脳裏に過ぎる。
最初の狩人は、狩りを常に弔いであると考えていた。人を失い、獣と化してしまった者達への、厳粛なる儀式。故に彼はどれほどの高揚を味わおうとも、常に静かに、慈悲深く獣を狩り続けた。
故に、ルドウイークは自身のすべき事を理解してしまっていた。もはや、自分はここで狩られる以外に無いのだと。獣の如き抵抗を見せるよりも、人としてこの刃を受け入れるべきなのだと。
……そこで、ルドウイークに疑問が過ぎる。この狩人は、一体いかにして失われたはずの葬送の刃を手にしたのか。どのような思いでその刃を自身を狩る得物に選んだのか。単純にその殺傷力か、あるいは何がしかの想いを持ってこの場に持ち込んだのか。その疑問故にルドウイークは僅かに首を持ち上げ、狩人の瞳を、自身を終わらせる者の想いを汲み取ろうとする。
そうして見上げた<最後の狩人>は、先程見せた獣性が嘘の様に敵意も無く、害意も無く、ただ淡々と、穏やかささえ湛えた瞳でルドウイークを見下ろして、厳粛な声色で言った。
「眠るがいい、英雄。その眠りに二度と悪夢が訪れぬ事を、この私が保障する」
「…………そうか」
その言葉に、ルドウイークはその瞳を受け入れるか如くに静かに閉じた。そして、しばしの静寂の
そうして、ここに<聖剣のルドウイーク>は
<◎>
「――――今度こそ、本当に、終わったかね?」
「ああ」
その姿を気にも留めず、狩人は短く呟いた。その眼は彼らが狩りを繰り広げていた場所を少し上った所に現れた夢への灯りへと向けられている。釣られるようにそちらに目を向けたヴァルトールはしかし灯りを認識できず、代わりに疲れ切ったような溜息を
「……なあ、狩人。一体、あの光の濁流からどうやって生き延びた? あの死体の山を丸ごと消し飛ばすような技だぞ? 何か特別なカラクリでも――――」
「無い。ただ、私があそこに居なかっただけだ」
「何?」
その眼をますます訝しむように
「………………単純な話だ。私はルドウイークに殴り飛ばされて死体の山に突っ込んだが、随分奥まで突っ込まれたのでな。そのまま死体の中をかき分けて抜け出していただけだ。中途半端な深さに叩き込まれたのであれば、奴も私に気づいていただろう」
「成程。その後、血の中を泳いで逃れた上で機を伺ってたのか…………何と云うか、
「止めてくれ。あれはまるで、<血舐め>にでもなった気分だ。勢い良く忘れたい」
「ハハハ、君もそう云う顔が出来るのだな! 中々に愉快だぞ」
「止めてくれ……」
「ハハハハ……!」
勘弁してくれ、と云った具合の狩人をひとしきり笑った後、ヴァルトールはコキコキと首を鳴らしてバケツ兜のずれを調整すると、狩人に背を向けた。狩りは終わった、故に別れの時間が来ただけだ。
「では私は行くよ。話す事は大体、先程話してしまっていたしな」
「そうか。また必要な時はよろしく頼む」
「ああ、ああ。こちらこそだ。ではな狩人、また会おう」
「それでは、また」
ヴァルトールは最後に一度振り向いて<連盟>の証たる杖を高く掲げる。そしてそれを腰に下げると足早に外へと消えて行った。
それを見送り残された狩人は、一度足元に目を向け何かを踏み潰すような仕草を見せた後、踵を返して灯りへと向かう。……だが、その途中で足を止め、死体溜りの隅に転がるそれの前に立ち、小さく呟いた。
「……ルドウイーク」
狩人の前には、首だけとなり、しかしまだ息を続ける獣の頭部が転がっている。それに向けた狩人の言葉に、ルドウイークは血に塗れ殆ど見えていないであろう目を向けて、か細い声で問いかけた。
「………教会の狩人よ、教えてくれ。君たちは、光を見ているかね? 私がかつて願ったように、君たちこそ、教会の名誉ある剣なのかね?」
狩人はその質問になんと答えるべきか
「……そうだ」
だが最早、目の前の相手すら正しく見定められぬほど衰弱した
「おお、そうか……それは、よかった……。嘲りと罵倒、それでも私は成し得たのだな。ありがとう。これでゆっくりと眠れる。暗い夜に、しかし確かに、月光を見たのだと…………」
それを聞いて、狩人の
「スヒーッ、スヒーッ……」
安らかな寝息を立てるルドウイークを
「あんた、どうするつもりだ?」
その背に声がかけられた。この悪夢の中で、幾度か言葉を交わした<やつしの男>。いつの間にやら死体溜りに現れていた彼に、しかし狩人は何も答えない。狩人はそのまま獣の体に纏われた襤褸、嘗て狩装束であったそれから教会の象徴たる聖布を剥ぎ取ると、寝息を立てるルドウイークの首の上に被せ、そこに躊躇なく月光を墓標じみて突き刺した。
「………………」
その様を無言で見守るやつしの男の前でルドウイークに対し月光の刃を深々と圧し込んだ狩人は、もはや何をも語る事の無くなった英雄の墓標に一度狩人の礼を向ける。そして、懐から取り出したる古ぼけたオルゴールを開いた。
しばし、その陰鬱な音色に死体溜りが満たされる。そうして、オルゴールの奏でる音が止まるまでの間、二人はまるで、その音色に聞き入るように沈黙していた。
<◎>
「…………何故、あのような真似を?」
オルゴールの音が止んで初めてやつしの男が口を開く。その声色は狩人を問い詰める様な響きであったが、その実、狩人を試すような響きが半分ほど含まれていた。
「アンタにだってアレは扱えるはずだ。それに、あれ程の武器を英雄に託されたなら、この悪夢を暴くために使うのが筋ってもんじゃないのかい?」
「
ルドウイークの亡骸を見下ろして穏やかに云う狩人に、やつしの男は頭痛でも
「…………ハッ。獣狩りの夜の有り様を見てそう云えるとは。気でも狂ってるんじゃあないのかね?」
「同感だ」
それに自虐を以って応じると、狩人は帯びたノコギリ鉈にこびりついた血を狩装束の袖で拭い、最低限の手入れを行う。そして首だけを巡らせてやつしの男の目を一度見据えると、どこか遠い目をして肩を竦めた。
「それに私がやらずとも、貴公がやっていただろう」
「――――まあな」
狩人の言葉を否定せず、ルドウイークの元へと歩み寄り小さく狩人の礼を見せるやつしの男。そこに狩人は彼とルドウイークの間の知己を何となく見出し、しかしそれに触れる事も無く、灯りへと歩み寄り指を鳴らして火を灯した。
「さて、狩人。あんた、これからどうするんだ?」
「奥へと進む。まずは時計塔へ。これがあれば踏み入れるのだろう?」
やつしの問いに、狩人は懐から瞳の意匠を施されたペンダントを取り出す。それを見て、やつしは先ほどと同様に額の前に手をやって頷いた。
「ああ。ならば、その入り口までは同行させてくれ。そのペンダントが無きゃ、どっちにしろあそこまでは行けないからな」
「構わない。しかし、道中が安全とは限らないが」
「ああ、云って無かったか。俺も狩人で、ここは悪夢。そんな事は承知の上さ」
言ってやつしは背の曲剣を抜きくるくると曲芸じみて弄んだ。狩人は一瞬、その武器に興味深そうな目を向けた。が、すぐに気が変わったように目を逸らし、死体溜りの奥側にある階段を登って奥へと続く通路を見出す。
「気をつけろよ。この先は何が出るか保証できない。恐らく、悪夢に呑まれた同業達も控えているだろうしな」
「ああ……」
やつしの忠告、そして<瞳>の超思索によってこの先に待ち受ける困難を予見した狩人は忌まわし気に返事を返した。そして通路の前に辿り着いた狩人は一度首を巡らせ、二度と悪夢に目覚めることの無い英雄の亡骸を一瞥して目に焼きつけると、すぐに意識を切り替え、先の見えぬ時計塔への通路へと歩みを進めるのだった。
これから狩人とシモンのワクワク実験棟入口までツアーが始まるけど(続きは)ないです。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
良ければご意見ご感想、アドバイスを頂けると有り難いです。