響と未来と三人で『デート』に出かけたクリスちゃん。
響に誘われて巨大迷路に挑戦してみたら――
それは、とある休日の出来事。
任務も無く、珍しいことに訓練も無い休日。
装者たちは皆、各々に休日を満喫していた。
そして、雪音クリスもまた同じく――珍しいことではあるが、立花響・小日向未来の両名と共に、彼女たち曰く『デート』と称するものに連れられて来ていた。
「あッ、クリスちゃん見てみて!巨大迷路だって!面白そう」
響は、通路に掛けられたポスターを見つけると、いかにもはしゃいだ風で声をあげた。
そこには、施設屋上に設けられた巨大迷路への宣伝文句がずらりと並んでいる。
「おまえ、好きそうだな……そういうの」
クリスはそんな響の様子に呆れたように、見るからにうんざりした表情でポスターを眺める。
巨大迷路など、年頃の娘のするものではない。
小さな子供の喜ぶような遊びだろう。
「いくならおまえだけで行って来いよな」と、手をひらひらとさせたクリスであったが、響はそれを許してくれそうになかった。
がっし! と握られた手に慌てふためくクリス。
そんな彼女へと、響は真っ直ぐな眼差しを向けて「一緒に行こう!」と手を無理やりに引っ張っていく。
「これは、もう行くしかないね」
未来はそんな二人を眺めながら、相変わらずの響の様子に苦笑するばかりであった。
「でッか!」
そう声をあげたのは、響ではなくクリスの方であった。
あんぐりと大きな口を開けて、スタート地点の高台から辺りを見回している。
驚きからか、隣でにやにやとしている響の姿にも気付かず、クリスは目を爛々と輝かせた。
思えば、幼少時代から血生臭い環境に放り込まれ、子供らしい事の何一つを行ってこなかったクリスである。
こんな巨大な迷路とて、これまで見たことも無かったのだろう。
「お、おい。さっさと行って終わらせるぞ!」
「え……ちょっと、クリスちゃん! 一人で行くと迷子に――」
待ちきれない様子で、一人早歩きで迷路に飛び込むクリスを響は呼び止めたが、その姿はあっという間に曲がり角の向こうへと消えていった。
予想外の姿にあっけにとられた響と未来は、二人して顔を見合わせると苦笑いをしながら手を繋いで歩き出すのであった。
曲がり角をいくつ曲がっただろうか。
行き止まりをいくつ引き返し、一体どれだけの距離を歩いただろうか。
巨大すぎる迷路に興奮していたクリスは、ふと冷静になって辺りを見回した。
同じ作りの壁が、辺り一面に広がっている。
あちらではすぐに折れ曲がった通路が、こちら側ではいくつも枝分かれしている。
時折聞こえてくる子供たちの声と、子供を探しているであろう親たちの声。
中には泣き声が混じる事もあり、クリスは僅かばかりに不安を感じていた。
――いや、さすがにあたしは大人だぞ。と、勇気を振り絞るように通路をひとつ、また一つと進んでいく。
自覚はあった。
理解はしていた。
自分の置かれた状況を、冷静に判断するだけの余力はあった。
――迷った。
そう、クリスは完全に迷っていた。
いや、巨大迷路というくらいである。
迷ってこそ当然ではあるのだが、それにしたって完全に、方向感覚すら失ってしまっているのだ。
どちらから来て、どちらへ向かおうとしたのか。
立ち止まれば今向いている方角も、先ほどまで向いていた方角も分からなくなってしまう。
まさかこのまま一生迷うことはあるまいと、それくらいは分かっていながらも、胸の内に不安がぢわぢわと湧いていく。
「そ、そうだ……あのバカはどこに行きやがった」
クリスは、はたと気が付いて響の声が聞こえてきやしないかと耳を澄ませてみた――が、普段騒がしいあの少女の声は、こんな時に限って僅かばかりにも聞こえては来ない。
いつもなら、「クリスちゃーん」と呼びかけでもしそうなものだが、どうやら未来と談笑でもしながらのんびりと歩いているのかもしれない。
「おい、嘘だろ……まさか、こんなところであたしが迷子になんて」
――恥ずかしい。という気持ちが涌きあがる。
あれほど、入る前は内心小馬鹿にしていた巨大迷路である。
それを、嬉々として子供さながらに飛び込んだ挙句、道に完全に迷ったなどと。
響に知られたら、笑い飛ばされるに決まっている。
そんな笑い顔を思い浮かべてクリスは歯噛みした。
「絶対に助けなんて呼ぶかよ……畜生、こっちか? それともあっちか?」
プライドと不安を天秤にかけて、クリスは必死に歩き出す。
――が、何分進んでも出口は一向に見えて来なかった。
そのうえ、見上げれば空はすっかり夕暮れの色に染まり始めている。
心なしか、子供たちの声も静かになり、辺りには夜の静寂が忍び寄りつつあるようにすら感じられた。
――もしかして。と、クリスの胸に不安がよぎる。
ありえない事だと頭では理解してても、孤独に曝された心が「見捨てられたのではないか」と、不安に震える。
あの響が――未来が、まさか自分を見捨てるはずなんて、あるわけがない。
そう自分に言い聞かせながらも、進んでは立ち止まり、立ち尽くしてはまた進み。
そうしてついに、クリスは一歩も歩けなくなってしまった。
疲れたのではなかった。
ただ、不安に心が押しつぶされそうで。
周りを取り巻く巨大な迷路のように、頭の中がぐるぐると回る。
不安の波に揺られて、荒れ狂う。
汗ばんだ手のひらを誤魔化すように、ぎゅっと握りしめ、辺りを見回す。
出口を――あいつらを探さないと。と、必死に視線を走らせる。
けれども、しかし、何一つ。
手掛かりになりそうなものは見つからなかった。
「……けて」
思わず、言葉が漏れた。
「たすけて……」
いや、言葉ではない。
本心が――ぽつりと。
一人は嫌だ、助けて欲しい――と、不安に紛れて零れ落ちた。
それは、大粒の涙を伴って、クリスは子供のようにしゃくりあげて泣き出した――と、ちょうどその時である。
「あッ! クリスちゃん見つけた!」
「大丈夫? どこかぶつけたの?」
その声の主は、紛れもなく響と未来のものであった。
心配そうに駆け寄る二人に、クリスは思わず縋り付き、わんわんと泣いた。
独りぼっちの寂しさを、いつの間に忘れてしまっていたのかは分からない。
けれど、響たちに会うまではずっと平気だったはずのそれは、思った以上に悲しくて、苦しくて、クリスは我を忘れて二人に縋るように泣いていた。
そんなクリスを、二人はそっと慰めるのであった。
――それから数分後。
涙を流すのは響の方であった。
「遅ぇんだよ!」と飛んできた拳骨は、響の頭を強かに打ち付けたのである。
「なんで? なんでわたし殴られなきゃいけないの?」
響は、さすがに理不尽だ――と言わんばかりに未来とクリスの顔を交互に見た。
後頭部がじんじんとしている。
さすがの未来も「それはちょっとひどいよクリス」と、窘める。
どうやら照れ隠しだったのだろうそれは、けれどもあまりに理不尽であった。
クリス自身、それは自覚していたらしく「わ、わりぃ……」と俯くと、両の手の指先を、もじもじと弄ぶ。
その指先が僅かに震えているのは、安堵からだろうか。
あるいは、未だ抜けきらぬ不安によるものだろうか。
「しょうがないなぁ……じゃあ、今度またここに一緒に来てくれたら許してあげる」
そう悪戯っぽく響が笑う。
それはクリスの胸中を察しての事だったのかもしれない。
クリスもまた、それに乗せられたのか、響の気遣いに気が付いての事なのか、悪態をついてまたも響を小突く。
かくして少女たちは、いつも通りの笑顔を取り戻し、夕暮れの街並みの中を、共に家路に着くのであった。