夜が更けた廃工場の外。そこで互いに睨み合う二人の男がいた。
一人は眼帯をして、身体に刺青を入れた男。もう片方の目から覗く眼光は目の前の少年の一挙手一投足を見逃すまいと睨み付ける。
もう一人は美少女と見間違うほどの美貌。闇に溶けるほど黒い髪、細い手足。だが、その顔にある二つの目はまるで獲物を狙う猛獣のように、闇夜に光る刀のように、睨んだだけで人を殺せそうな鋭さだ。
「うぉぉぉおおおおおおおお!!!!」
「っ…!!!」
大崎が雄叫びを上げ、玲は姿勢を低くしながら走り出し、そして大崎は蹴りを繰り出し、玲はそれを受け止める。それが開戦のゴングの役割となり、二人はお互い距離をとる。
(ちぃっ…、やっぱまだ残ってるか…!)
普段の玲ならば大崎は敵ではなかったかもしれない。しかし、玲は大勢の不良を相手にした事による疲弊と日菜を庇った際受けたダメージが足枷になっており、思うように動かせない身体に歯噛みする。
それでも大崎の猛攻は止まらない。玲は痛む身体に鞭を打ち、避けながらカウンター戦法で攻めていくが、それでも限度があった。
「げほっ…!?がっ…」
腹を蹴られた。頭を殴られた。視界が赤くなっている。殴られたときに額が切れ、流れた血が目に入ってきたからだ。玲も黙って殴られ血を流しておらず、お返しに急所を突くように手足を大崎の身体にめり込ませていく。
「ごはっ…、んのやろぉ!!」
大崎は痛みに悶えるも怯む様子はなく、身体を抱えたままタックルをして、そのままパンクしたワゴン車に叩きつける。
「うっぷ…おらぁ!」
大崎とワゴン車のサンドイッチにされた玲は腹の中にあるものが込み上がってくる感触を味わいながらも大崎の背中を殴る。そして大崎共々地面に転がる。
玲の戦い方は既に以前のような一撃必殺の鋭さはない。
殴る、蹴る、引っ掻く、噛み付く。雨宮から叩き込まれた戦い方を全て投げ捨て、ただただ大崎と殴り合いながら転げ回る。
その様子はまるで獣。互いに血に飢えた獣が喰らい合うような、互いの血で身体を染め合うような泥臭い戦いが繰り広げられる。
「玲ぃぃぃッ!」
大崎は玲の頭を掴み、そのまま後頭部を地面のコンクリートに叩きつける。
「う…っぐ!!」
玲はそのお返しと言わんばかりに頭を掴んできた腕に足を絡ませ、身体ごと捻る。
「ぐぁああああ!!?」
ごきりと嫌な音が大崎の腕から聞こえ、大崎は悲鳴を上げながら腕を離し、のたうち回る。
玲は叩きつけられ痛む頭を抱えながら立つ。しかし、おぼつかない足どりからは玲が満身創痍である事が窺える。
それでも玲は止まらない。のたうち回っている大崎の髪の毛を引っ張って立たせ、顔面に拳を何度も叩きつけていく。だが、黙って攻撃を受けている大崎ではない。最後の力を振り絞り、玲の拳を動く方の手で受け止めた後、蹴り飛ばす。
玲はよろめきながらもバランスを保ち、もう一度拳を握って大崎の顔面を狙う。
「うぉぉおおおおおおお!!!!!」
それに対する大崎も拳を握り、玲の顔面を狙い、振りかぶった。
「くたばれぇぇぇぇぇええええええ!!!!!」
互いの拳は衝突することなく交差する。どちらが勝ってもおかしくない満身創痍の戦いに決着がつこうとしていた。
「玲くん…大丈夫かな?」
氷川日菜は何とか大崎の部下を退け、今現在は玲の後を追いかけている。
服は所々破かれたり乱れており、下着が少しだけ見えている。捕まり、服を破かれるなど、無傷とはいかなかったが、最悪の事態は回避できた。これも玲や雨宮に教えられた護身術の賜物だ。その事に安堵はしつつも一息はつかず、玲の後を追いかける。
そして駐車場にたどり着いた日菜が見たのは、
「あっ!玲くん!」
大崎が倒れ伏し、玲が立っている姿だった。
決着がついた。最後は玲が最後の力を振り絞って放った拳が大崎の顔面にめり込み、大崎は吹っ飛ばされ、重力に従いそのまま仰向けに地面へと落ちた。
だが、玲は喜べなかった。喜ぶほどの体力が玲にはない。今にも膝は崩れそうなほど笑っており、全身がもはやどこが痛いのか分からないほど悲鳴を上げるようにズキズキ痛んでいるからだ。
「くそ…。また負けちまった…。」
仰向けで倒れた大崎がそうぼやく。玲はまだ油断をせず大崎を睨み付ける。大崎はゆっくりと上半身を起こして、打撲だらけの顔で笑みを作り、口を開く。
「だがな…、俺は何度も起き上がって、てめぇの大切な物をブチ壊してやる…。過去のお前のようにな。」
大崎のその言葉は、玲のトラウマをえぐる。おそらく、あの男から聞かされたのであろう。玲はゆっくりと大崎に歩み寄り、その顔面に蹴りを放った。
しかし、大崎は防御する素振りを見せず、そのまま口や鼻から血を吹き出す。
それでも玲の攻撃は止まらない。止まれない。殴る。殴る。殴る。
こいつのせいで巴とあこが怖い目に遭った。
こいつのせいで由美と友梨が無惨な姿になった。
こいつのせいでつぐみは身体をまさぐられ、純潔を汚されかけた。
こいつのせいで蘭が、蘭が。
「そうだよなぁ…。そうするしかないよなぁ?」
「そうさ!その目だ!お前に足りないのは相手を殺す覚悟だ!」
手が真っ赤になる。でも返り血だ。問題ない。死ね。
「お前はこれで完全に化け物になるんだ…!」
黙れ。死ね。
「さぁ、殺せよ!俺を殺して…!」
止めを刺すと言わんばかりに拳を振りかざす。
「本物の!怪物になっちまいなぁぁぁぁぁ!!!!」
「うあぁぁあぁああぁぁああああ!!!!!!!!!!」
玲は雄叫びを上げ、一線を越えようとした瞬間、突然横から何かがぶつかる衝撃を受け、バランスを崩し二、三度転がる。何が起こったか分からず頭を上げると、
「…ダメだよ、玲くん。それ以上は…ダメ!」
そこにあったのは今にも泣きそうな氷川日菜の顔だった。玲の身体をがっしりホールドをし、涙声になりながらも力を緩めない。
「それ以上やったら、玲くんは犯罪者になっちゃうよ!そうなったら、病院で一人、玲くんの帰りを待っている蘭ちゃんに何て言えばいいの!?玲くんが敵を殺して帰ってきたって言えばいいの!?嫌だよ…、そんなの…あたしは嫌だよぉ…。」
日菜は玲の胸に顔を埋め、泣き出してしまう。日菜の泣き顔を見ている内に、日菜の説得を聞いている内に玲の中にあるドス黒い感情が消えていく。
「…すまん。助かった。」
玲は冷静になり、泣き出す日菜の頭を撫でる。もし、日菜がいなかったら玲は殺人者の烙印を押されていたことだろう。もし、殺人者の烙印を押されたら、良心の呵責によって苦しめられ、自殺していただろう。本当に、自分には勿体無いくらいの人達だと、ぼやきながら空を見上げた。
「…………ふん。つまんねぇな。」
大崎は首だけを動かし、日菜の下敷きになっている玲を見て、つまらなさそうに視線をそらした。
大崎は万策尽きたと言っていたが、それは自分が無事である場合の事。最後の策は玲に自分を殺させて、犯罪者に仕立て上げる事だった。世間では玲は歯向かう輩は女子供ですら一切容赦しない冷酷な不良のボス、黒豹の名で通っている。
蓋を開けてみれば、攻撃しない限り無害な人物であるが、今回の騒動は事が大きすぎた。この情報化社会で、この騒動は注目されてしまい、玲の攻撃の手口まで分析された。
その結果、下手したらテロリストになる危険人物ではないかとの結論に至ってしまったのだ。この上、殺人容疑まで加わってしまうともう取り返しがつかない。大崎は自らの命を捨ててまで玲を陥れるつもりだった。
「……完敗だ。ちくしょうが。」
しかし、それすらも失敗してしまった。もはや大崎には攻める気力も起きず、ただ無感情に空を眺めた。町から離れた林の中の廃工場。光が少ないこの場所は夜空の星がよく見える。無数に輝く星空と、泣きじゃくるアイドルの声を無感情で聞いていた。
だからだろう。大崎は、誰かの足音が近付いて、自分の足元を横切っていったのに気付いた。
「じゃあ、玲くん。帰ろっか。」
少しだけ涙の後が残ってる顔で日菜が促す。気付けば廃工場から聞こえる声は既に静まっており、戦いが終わっていることを示していた。
「…おう。」
玲も日菜に抱えられながら立ち上がり、廃工場へ行こうとした。
「漁夫の利とは、正にこの事ですね。」
が、後ろから聞こえた声に日菜と一緒に振り向くと同時に、日菜が突き飛ばされ、玲は地面に押し付けられた。
「きゃっ!?」
「がっ、ぁああああああ!?」
大崎との戦いで痛めた身体にまたもや激痛が走り、悲鳴を上げる。抵抗しようにも力が入らず、首だけを動かし、押さえ付けた者を見ると、
「神前玲。少し署で話を聞こうか?」
病院で見た、切れ目の鋭い女性刑事の顔があった。