ジナコさんinカルデア 作:クリシュナ実装はよ
抜けきらない虚脱感を抱えたまま、次に対峙したのはピエロだった。言動が道化だったわけではない。外見がピエロだった。しかしその在り方は、到底受け入れられるものではなかった。愛しいから食べたい。そんな性質はおぞましい。
私は目的意識ではなく、ただの拒絶を覚えて戦った。恐ろしくて、怖くて、ただ無我夢中で。一度目の時の丁寧なやり方とはかけ離れた、化け物に恐怖する小市民らしいやり方で、戦いは幕を下ろした。
そうして漸く気づいた。この戦いは生きるために、そして願いのために、誰かの命を潰さなくてはならない。私がこれからも生きて願いを叶えるには、他人を殺すしかないのだ。
懐かしい記憶が、頭の中を駆け抜けた。まさかあの時聞いた言葉がこうして現実になるなど、ギルガメッシュ以外の誰が予想出来ただろう。こんな未来を手に入れたなど、誰が信じられるだろう。それでもこれこそが現実で、ジナコにとって、かけがえのない日々だった。
そう、いつの間にかジナコが恐れていた未来は、ジナコにとって暖かな揺り籠にもなっていたのだ。大切に思う人がいて、自分を大切に思ってくれる人がいる。それがいつしか当たり前のようになっていた。知っていたはずだ。それはすぐにこぼれ落ちてゆくことを。それでもぬるま湯に使っているうちに、すっかり失念していた。
アメリカへのレイシフトで初めて目に入ったのは、一面の荒野だった。草木も多少は生えているが、その数は少ない。恐らく、土壌によるものだろう。辺りに人気はなかった。幻想種や魔物の類いもいない。一先ず、安全地帯だ。
そう思ってアーチャーに声をかけようとして、その姿が見えないことに気づいた。
「え……?」
ジナコは一人だった。今まで、立香やマシュたちとはぐれたことはあった。けれど、アーチャーがいないなんてことは初めてだ。
「そ、んな……」
現実が飲み込めなかった。アーチャーがいないということは、ジナコには戦力がないと言うことだ。ジナコに、攻撃的な魔術は使えない。もしも今サーヴァントに襲撃されれば、後に残るのはただの死体だけであろう。
ジナコはふと、自分の左手を見た。令呪を使ってアーチャーを呼び戻せば良い。そんな考えは、あっさりと潰えた。令呪すらなかったのだ。そう、三画のうち、一画が残っていたはずの令呪。ジナコにはそれを使った記憶はなかった。何故なら、令呪を全て失えばジナコは死ぬかもしれない。ジナコの契約は、月の聖杯戦争と同じものかもしれなかったのだから。
「嘘、でしょ……」
令呪がなくてもジナコが生きているのは行幸だったろう。しかしそれは、ジナコが何の選択肢も選べないということだ。アーチャーを呼ぶか、呼ばざるか。そんなことを選ぶことすらジナコには出来なかったなんて、笑い話にもならない。
「何かに巻き込まれた? ここは本当にアメリカ? それとも、アーチャーが自分で契約を切った? 分からない、分かんないよ……」
それは、酷い混乱だった。孤独は人を脆くさせるというが、ジナコは最早、何から考えて良いのかすら分からない。それでもジナコは狂いきることは出来なかった。ジナコの中にある、鎧の効果。それは呪いのように、最後の最後で踏み外すことを許さない。アンデルセンはそれを不幸だと言ったが、全くもってその通りだった。
「誰か……助けて……」
ジナコは絞り出すように声を漏らす。救援を期待するような気持ちは、ジナコには残っていなかった。故にそれはただの独り言だったのだが。
「了解した。お前が助力を望むというのなら、この槍を以て応えよう」
始めは聞き間違えかと思った。自分の頭が馬鹿な妄想を始めたのだと思ったのだ。だって余りにも都合が良すぎる。そんな神様がいてくれるなら、どうしてもっと早く現れてくれなかったのか。
「サーヴァント・ランサー。真名はカルナ。短い間だろうが、お前に手を貸すと約束しよう」
顔を上げた瞬間、分かってしまった。ジナコが彼を見間違えるはずがない。その整った顔立ちも、蒼白いほどに白い肌も、その神々しい気配も。ずっと会いたいと思って、ずっと感謝を捧げてきた、たった一人の相手。
「カルナ、さん……カルナさん!」
「ジナコ? ……まさか、オレが分かるのか?」
ジナコは思わずカルナへと飛び付く。カルナは動揺しながらも、ジナコを優しく抱き留めた。身長差が不格好ではあるが、それは麗しき主従の再会の光景だった。カルナはジナコの気持ちを察してか、ジナコの頭を優しく撫でる。
「分かるよ……忘れたことなんて、ない……バカ、バカ……」
「……なぜ罵る?」
涙ながらにカルナに言葉を投げるジナコに、カルナは頓珍漢な言葉を返した。ジナコは思わず、カルナの腹に一撃を入れる。
「折角会えたのに空気読めバカ!」
「相変わらず力は弱いな。いや、それより縮んだか?」
「ばーかばーか!」
カルナのあんまりにもな反応に、ジナコの対応はどんどん雑になっていった。まるで子どもの喧嘩である。カルナは困ったような表情を浮かべた。
「いや、痩せてもいるか。ジナコ、お前も己の体型に気を遣うことができたようだな」
「この! Leck mich am Arsch!」
「……正気か? お前が本当にそれを望むのなら吝かではないが」
「翻訳機能仕事しろ、アンド躊躇しろ!」
翻訳機能が真面目に仕事をした結果だった。しかし吝かではないのはどう考えてもおかしい。
まさか、カルナはロリコンという特殊性癖の保持者だったのか。それが本当であれば、最悪な真実だ。ガウェインと気が合いそうだな、などと恐ろしいことをジナコは考えた。
「この様子を見る限り、本当にジナコのようだな」
「あん?」
「その容姿でガンを飛ばされても誰も畏怖することはあるまい」
カルナはまるで小動物を扱うようにジナコの頭を撫で続ける。ジナコはペットか。只でさえ癖の強い髪が乱れていくのを自覚する。これが所謂下剋上。この体型であることをこれほど口惜しいと思ったことはない。
「
「なぜ怒る? 子どもは大人に甘えることを好むと聞いたが」
「ほんとはわかってやってんだろああん?」
悲報、ジナコ、完全にチンピラと化す、という名前のスレがジナコの脳内で立った。それもこれも全てカルナのせいである。ジナコは脳内で散々カルナの愚痴を吐き出した。
「それで、オレの助力を請うたのは何故だ?」
「あ。忘れてた」
「ジナコ……」
カルナはジナコに憐れみの視線を向けた。それもこれも全てカルナの仕業だというのに何という責任転嫁。騎手が役に立たなければ、馬の責任とでも言うつもりか。アダムはエバに責任を押し付け、エバは蛇に責任を擦り付けるとはこのことだ。
「そう、アーチャー! アーチャーがいなくなったんすよ!」
「それはお前のサーヴァントか?」
「そう!」
カルナはしばし押し黙って悩んでいたようだが、申し訳なさそうに頭を振った。
「力不足を詫びよう。どうやら近くに気配はないようだ」
「そっか……アーチャー……」
ジナコはその言葉に少なくないショックを受けたが、予想できていたことだ。目尻に少し涙は溜まっているが、気にするほどのことではないはず。それよりも、これからどうするべきかの方が大事だった。カルナと話しているうちに、ジナコは冷静さを取り戻していた。
「じゃあカルナさん、ボクのこと、手伝ってほしいんすけど」
「かつてはマスターだった誼だ。可能な限り手を貸そう」
ジナコはカルナの言葉を聞きながら、少し緊張していた。カルナの言葉から察するに、カルナには既に主がいるようだ。その如何によっては、敵対する可能性もある。
「じゃあカルナ。アンタは人理を破壊する者?」
「なるほど。それは重要なことだ。それには否、と答えよう。今のオレにそのつもりはない」
ジナコは安心したように息を吐く。つまりカルナはカウンター召喚されたはぐれサーヴァント。ジナコの味方になり得る者だということだ。これほど頼りになる相手はいない。
「そして、それを訊ねるということはお前は人理を保障する者なのだろう。こと次第によっては協力も叶うだろうな」
「状況はある程度伝わってるってことっすかね。ま、そのことは後で説明するとして、カルナさん、ボクをこの特異点で守ってくれるつもりはあるっすか?」
カルナの言葉からジナコなりに含意を汲み取りつつ提案をする。しかしジナコには、この特異点に関する情報が欠けていた。
「それがオレとの契約を意味するなら否。単にこの特異点で戦闘を避ける、という意味なら頷こう」
「戦闘を避ける? それって……」
「文字通り、この特異点の修復をしない、という意味だが?」
言葉足らずが多少は治っているのか治っていないのか。ジナコにもたらされた情報は余りにも恐ろしいものだった。つまりカルナは人理の崩壊に加担はしないが修復にも加担するつもりはないと言っているのだ。ジナコにはどういうことか全く理解できなかった。
「逆に訊くんすけど、正気っすか?」
「当然、正気だ」
「……じゃあ、アンタの主は?」
ジナコの問いに、カルナは驚いたような表情を見せた。そして朗らかな表情を浮かべると、ジナコに答える。
「そこまで見抜かれているとはな。その通り。オレの主は正気ではない」
「けど、頼まれたから?」
「ああ。ジナコ、オレのことに関して、お前ほど分かっている人間はいなかろう」
その言葉が全てだった。ジナコはカルナのことをよく知っている。頼まれたなら断らない。例えそれが悪であっても、破滅が待っていると知っても。そのおぞましさがここにあった。
「それは、間違ってるっすよ」
「だが、あの男には理がある。単純に間違いとも言えん」
「……分かった」
ジナコは拳を強く握ると、カルナの目を見て告げる。
「じゃあ、カルナの主のところに連れてって。それが本当に理があるか、確かめたい」
「良いだろう」
カルナはジナコの言葉を受け入れると、ジナコに背を向ける。そして進もうとして──立ち止まった。
「ジナコ、お前は足は速いか?」
「自慢じゃないっすけど、五十メートル走は十秒以上かかるっす」
「なら、オレが抱えた方が良いか」
カルナはそう呟くと、ジナコを俵のように抱えた。ジナコには嫌な予感がした。というか既に、嫌な体勢に入っている。
「舌を噛むなよ」
「ま──」
待って、という言葉を言い終わる前にカルナは走り出す。その速度は下手な車よりも速いのではないかと思えるほどだ。ジナコは目を開けることも出来ず、歯を食い縛りながら耐える。
こうして他の人に運ばれてみれば、如何にアーチャーの運び方が親切なものかよく理解できた。あれは絶対に女慣れしている。取り敢えず、カルナは後で覚えておけ、とジナコは思ったのだった。
そうして非常に不愉快な運ばれ方で辿り着いたのは、このアメリカの中枢とも言える場所だった。ホワイトハウス。アメリカの政治のトップ、大統領の居城だ。しかしこれは妙だ。この時代にはまだ、ホワイトハウスは完成していない。
「……」
「どうかしたか?」
「カルナさん、聖杯からの知識に違和感を感じたことはあるっすか?」
ホワイトハウスへと入っていきながら、ジナコはカルナに問いかける。何となく訊かねばならないような気がした。ジナコもどうしてこんなことを聞きたいと思ったのか、よく分からないのだが。
「いや、特にはないな。強いて言えば、あのムーンセルや通常の聖杯とは大きく違っているようだが」
「ムーンセル。あれって結構特殊だったんすよね」
ジナコは第四特異点のことを思い出す。幸い、そのことで誰かから問い詰められるようなことにはならなかったが、いつまでも隠し通せるものでもないだろう。
魔術というものに関わるのは酷く危険だ。もしジナコのこれまでの道程が知られれば、如何に信頼できるカルデアであっても実験材料にされてしまいかねない。
そしてジナコはカルナに会って、ジナコに記憶があるのがバレてしまった。ジナコがカルナに黙っておくよう頼めば、秘密を口にはしないだろう。けれど、それは相手がカルデアであれば。カルナの今の主に話すように言われれば、カルナが黙ってくれるとは思えない。
月の聖杯戦争に纏わる顛末は、この世界では無関係なことだ。けれど、ジナコの存在がこの世界で無関係なわけではない。そのことを思うと、ジナコは不安を抑えきれなかった。今はアーチャーもいない。ジナコを無条件で助けてくれる相手は、今どこにもいないのだ。
「ムーンセルに比べると、この聖杯戦争は自由度が高い。いや、これこそが本来の戦争なのだろう」
「それは確かに、そうっすね」
秘匿される争いではなく、一対一の決闘による勝ち上がりでもない。この特異点をどうやって利用するかは全て、この特異点の聖杯を握る者に委ねられている。これもある意味独立戦争だろう。一方的に力を持つ相手に立ち向かう。ルールの定まる前の原始的な戦争。
そうして歩いていると、カルナがふと立ち止まった。
「この先にある部屋に、オレの今の主はいる」
豪奢かつ長い廊下の先に、木製の美しい細工の彫られた扉がある。ホワイトハウスに入るなど早々出来る経験ではないはずなのに、ジナコには喜びよりも緊張の方が大きかった。カルナの今の主。それは一体どんな人物なのだろう。
「今なら引き返しても追うつもりはないが、どうする?」
「冗談。勿論、帰るつもりはないっすよ」
ジナコの言葉にカルナは目を見開くと、納得したように頷く。カルナはそうしてジナコを部屋に先導した。ジナコはその後を追い、部屋に入る。
「な、な、な」
ジナコは部屋に入った途端、あからさまに動揺した。そこにいたのは獅子の頭をした怪物だった。どことなくアメコミヒーローっぽいのは何事だろうか。取り敢えず、新しいシールダーの需要は今のところなかったはずなのだが。アメリカ的に。
「ジナコ、落ち着け」
「カルナさん、せめて仕えるのは神様か人間くらいにしといた方が……」
「彼は一応人間だ」
いや、それはない。ジナコは心の底からそう思ったが、獣にしてはおかしい。いや、何もかもおかしいのだが取り敢えずライオンは二足歩行しないだろう。
「おや、カルナくん、そちらはどなたかね?」
「大統王、彼女はジナコ=カリギリだ」
ジナコの動揺を放ってライオンにカルナはジナコを紹介する。ライオンはその言葉に表情を緩めた。
「おお! 彼女が噂の! 思ったより細いじゃないか!」
「流石のトドもずっと動かず過ごすのが苦行だと気づいたようでな」
ジナコの堪忍袋の緒が切れた音がした。なんて、会話をしてくれるのだこの獣どもは。
「トドって何よ! アタシだって女の子なのに! しかもライオンまで太いって! デリカシーって言葉を調べろばーかばーか!」
「女の子、というには年齢が……」
「うがぁー! 自害させてやろうか!」
ランサーは自害させるもの。その慣例に則ってこのランサーも自爆芸を覚えるべきではないだろうか。しかしジナコに令呪はなく、どちらにせよジナコ程度ではそこまでの強制力はないのであった。
大体年齢のことでとやかく言われたくはない。少なくとも今はまだ十一歳だし、『マハーバーラタ』をよく調べたらカルナはどう見積もっても三十歳以上だ。前世のあのときのジナコより年上ということになる。その恨みを忘れていると思ったら大間違いだ。
「確かにレディに対して失礼だったね。別に太ましい女性を差別するつもりはないんだよ」
「オレも以前のだらしないジナコに文句があるわけではない」
「喧嘩売られてる? これ明らかに喧嘩売ってるっすよね?」
ライオンはともかく、カルナは確実にギルティだった。ジナコの教えたことが全く役に立っていないではないか。
「というか、そもそも何でカルナさんはボクのこと言いふらしてるんすか!?」
「お前のような堕肉はオレにとって忘れがたいものだったのでな。どうやらつい口から出てしまうようだ。これほど怠惰な人間をオレは他に知らない」
「アタシをバーサーカーにするつもりかおどれは!」
このままでは怒りが天限突破し、バーサーカークラスの適正を得てしまうのではないかと思うほどだった。ジナコよりもスレを荒らせるのではないだろうか。煽りスキル的に。
「まあ落ち着きたまえジナコくん、何でも君はカルナくんの恩人だそうじゃないか」
「え? そ、そうなるの……そ、そっか……」
寧ろ恩人はどう考えてもカルナの方だろうと思ったが、否定するほど野暮でもない。もしや一言足りないという指摘が余程効いたのだろうか。ジナコの指摘が役に立っているかは本当に、ほとほと疑問ではあるが。
「ならば、ここは手を取り合っていくのはどうかな?」
「ちょ、ちょっと待って。今話が飛躍したっす。今すぐ頷けってのは厳しいっすよ」
「その通りだ。大統王、ここはまず説明が先だろう」
珍しくカルナがまともな発言をする。ライオンもそれに己の早計さを恥じるよう、顔を赤らめて頷いた。二足歩行なライオンのデレとかちっとも可愛くない。そんなことをジナコは思ったが、口に出すのは止めておいた。
「ふむ。それもそうだね。ではまず自己紹介から──」
「あら?」
ライオンが自己紹介をしようとしたとき、部屋の扉が開く。そこから出てきたのは幼い、薄紫色の髪をした少女と──ジナコのよく知るカルデアの面々だった。少女はきょとんとした顔でジナコを見つめ、立香たちは目を見開く。
「どうやら珍客が勢揃い、というわけね?」
「エレナくん、そちらのレディたちは──」
「ジナコ! 良かった! 生きてた!」
三者三様、ライオンは遮られがちだがそれぞれが思いのままに言葉を口にする。立香はその勢いのまま、ジナコへと抱きついた。柔らかい感触がする。これは女であっても役得というやつではないだろうか。ジナコのおっさん成分が首を擡げる。
「ジナコ……よしよし怖かったねぇ……」
「なんか一際子ども扱いっすね……」
「そのわりには嬉しそうだが。きょげんへきというやつか?」
カルナが余計な口を挟んでくるが、勿論スルーする。SGのことを口に出した者はギルティというのはこの世の真理。少なくともあと二人は同意してくれるだろう。
「せ、先輩、それよりエレナさんたちの話を聞きませんか?」
「おおマシュ、マシュも偉いね……」
「先輩……えへへ……」
「何このリア充サンドイッチ」
立香はマシュの頭も撫で出した。ジナコに抱きついたままで。確かにこの肉感は素晴らしいがリア充は爆ぜさせなくては気が済まないジナコの前で見せつけてくれる。
「悪いが、ジナコは他人の幸福を僻む質だ。解放してやってくれ」
「もしかして、と思ってたけど、やっぱり彼女が噂のジナコなのね?」
カルナの言葉にエレナと呼ばれた少女が目敏く反応する。ジナコはカルナの口をどうにかして封じられまいかと頭を捻った。
「頼むから全員、一旦座ってくれたまえ」
「さっさと事情を聞かせてほしいっす」
図らずして、ジナコとライオンの意見は合致したのであった。
それからそれぞれ、自己紹介をすることになった。カルデアの面々が自己紹介していく。ライオンたちはクー・フーリンが名乗った瞬間、なぜか嬉しそうだったが、好きなのだろうか。
エレナが改めて名乗ったときはざわついた。なんせ、アカシックレコードを世に広めた第一人者である。魔術師からしてみれば憤慨する類いのものだ。ジナコとしては、インド好きだったり、あのガトーと近しい生き方にシンパシーを覚えている。是非仲良くしたい相手だ。
そしてあのライオン。エジソンだった。トーマス・アルバ・エジソン。発明王の名である。大統王とは何かと思っていたが、なるほど発明王とかけていたらしい。全く巧くなかった。
生前からライオンだったのかといえば、そうでもないらしい。人の想念が生んだ無辜の怪物だとしたら、憐れだろう。当然、口には出さなかったが。
「よし、それじゃあ次で最後ね」
「ああ。次はオレだな」
いよいよカルナの番となった。余計なことを言わないよう祈りつつ、ジナコはその言葉を待つ。
「オレはラン……ランチャーのサーヴァント、カルナだ」
「えーと、どこから殴れば良いっすか?」
何故言い直す。そうジナコは心の底から叫びたかった。幸運値を自己申告で上方修正したりこのサーヴァントは案外詐称が好きなのだろうか。そんなジナコの気持ちを知ってか知らずか。カルナの態度はどこ吹く風だ。
「止めておけ。運動不足なお前の貧弱さでは無駄だ」
「あん?」
ジナコがガンを飛ばしていると、立香がガタリと立ち上がった。マシュも呆然と口を開き、何故か清姫が体をよろけさせる。
「か、カルナ!? マジもの!? 嘘!?」
「嘘ではない」
「あの川に流されたり呪いをかけられた末に鎧まで取られた?」
「その通りだ」
余りにカルナが淡々と答えるので、立香も直ぐに冷静になってしまった。自分の死の遠因に対してその態度はない。クー・フーリンまでどこか呆れたような様子を見せる。立香はしばらく不思議そうにカルナを観察すると、恐る恐る言葉を続けた。
「……あれ? でも鎧ある?」
「あ」
ジナコもついうっかりしていたが、今のカルナには鎧がある。これはどういう理屈だろうか。今もジナコの中には彼の鎧があるはずなのに。
「我が身はサーヴァント。ランチャーとしての霊格に収まる範囲の宝具は所持している」
「ランチャー……もしかして、槍も弓も持ってるの?」
「槍は持っているな」
立香はランチャーというクラスに疑問は持たないらしい。エクストラクラスを常に連れ歩いているせいだろうか。確かにランサーとアーチャーの合成っぽい。ジナコの命名した理由は単に彼がビームを放つからなのだが。
しかし鎧があるのはサーヴァントが分霊だからなのだろうか。それならばジナコを知っていることが不自然に思えるが、問い詰めたところでカルナに分かるような現象でないだろう。
「でも一度しか使えないんだよね……燃える設定なのに惜しいなぁ……見たかったなぁ」
「別に見せても構わないが」
「いや、そこは構って。カルナ、これは聖杯戦争なのよ?」
エレナの尤もな突っ込みが炸裂した。この面子の中で一番の常識人は彼女ではないだろうか。
「槍を使ってるのが見たいなら、マントラ使えば良いんじゃないっすかね」
「そういえばジナコはあの真言を好んでいたな」
「魔力の無駄でしょ……」
エレナはそう告げると少し拗ねたように唇を尖らせた。ジナコの折衷案は却下されてしまったようである。立香が残念そうに視線を下げた。
「それにしても、やけにカルナに対して反応が良いじゃない。カルナって、言っちゃえば『マハーバーラタ』の脇役。倒される側の英雄なのに」
「それもそうだな。私のような大統王ほど反応しているのは気になる」
「この厚顔無恥な男ほどの知名度はオレにはないだろうが、ジナコ、お前か?」
カルナに指名され、全員の視線が集中砲火する。ジナコは嫌々ながらも頷いた。これではまるでジナコがカルナを大好きみたいじゃないか。というか今然り気無くあのエジソンを貶めていなかったか。
「流石カルナの元マスター。お互いのことを話さずにはいられないのね」
「仲良きことは美しきかな! 素晴らしい!」
「………………すまない、ジナコ」
エレナがとうとう決定的な発言をしてしまった。カルナはジナコの意図を密かに汲んでいたのか、申し訳なさそうに目を伏せる。ジナコは責めることも出来ずに頭を抱えた。
『え? ジナコちゃんがマスター? あのカルナの?』
「そういうこと、でしたか……」
ロマニが動揺し、清姫が納得したように頷く。『マハーバーラタ』を散々アピールしたのが巡り巡って説得力を持たせてしまったらしい。
『え、つまり、それはどう言うことになるんだ? 冬木の聖杯戦争には参加してなかったはずだし……ええ?』
「このカルデア以外の聖杯戦争でのこと、でしょうか……」
ロマニとマシュが頭を捻るが、そんなものが分かるわけがない。この世界におけるカルナとジナコに、因果関係は一切ないのだ。
「なるほどな。違和感を感じてはいたが、ジナコ、お前はその可能性を算出するタイプの聖杯を使った聖杯戦争。それに参加したことがあるんだな?」
「……」
「ジナコはその事について話したくないようだ。訊くだけ無駄だろう」
クー・フーリンの言葉に、カルナが助言と言えない助言をする。しかし黙りこくるジナコの態度は、クー・フーリンにとって肯定にも等しかった。
「ジナコちゃんは子どもらしくないと思ってたけど、死線を乗り越えた結果だったんだね」
「しののろい、か。あのギルガメッシュの言葉がこうして巡り巡って来るとはな」
「ごめん、ボク、そのことは……」
寂しそうなブーディカの表情に心が揺らいだが、全て口にする気にはなれない。ジナコにとってそれは生命線でもあり、人生における不正の証だ。カルナの鎧によって、ジナコの人生は過剰なまでに保護され過ぎている。これではまるでケルト人の信仰だ。
「ジナコ、言いたくないなら言わなくて良いよ。私はジナコが大好きなカルナにまた会えたのに、辛そうにしてるのは見たくない」
「そうですね、先輩。ジナコさんのカルナさんを思う気持ちは本物です。カルナさんのために涙を流せるくらいジナコさんにとっては大切な思い出。無理矢理口にさせるのは本意ではありません」
「そうか……そうだったのか……」
立香とマシュがジナコを思って優しい言葉をかける。しかしそれはジナコにとって地獄の苦しみだった。誰が好き好んで涙を流した相手の前でそのことを話したがるだろう。カルナが少し微笑ましそうにしているのが更にジナコの心臓を抉った。全く居たたまれない。
「虚数空間に飛び込んでしまいたい……」
「ジナコ、今のお前が虚数空間に飛び込むのは危ない。鎧は要るか?」
「ばーか! ばーかばーか!」
こうなれば最早ただの子どもの癇癪だった。然り気無い施しサービスは止めてほしい。情けは人のためならずという言葉を知らないのか。あれは情けをかけられた方が恥じ入りたくなるという意味だ。そうに決まっている。
「凄いです、先輩。ジナコさんが年相応の幼さを発揮しています。流石あのカルナさんですね」
「カオスだなぁ……」
純粋なマシュに立香はとうとう思考放棄をしてしまった。周囲は皆生暖かい目でジナコを見る。とにかく話を進めてくれと何も言えないジナコは祈るしかなかった。
しばらくカルデアの方もゴタゴタしていたようだが、ジナコへの追及が止み、話が再開されることとなった。この特異点の現状についての説明、とその前に、ジナコのサーヴァントについて指摘された。
「アーチャー、この特異点に来た瞬間にはぐれたんすよね」
「デジマ?」
立香の問いに、ジナコは左手を上げて見せる。そこにあったはずの三画の令呪は、その一欠片も存在しない。アーチャーとのパスが完全に切れていることの証左だった。
『いやいや待ってくれ。それはおかしいよ』
「え? 何でっすか?」
しかしジナコの証明は、ダ・ヴィンチによって否定される。ジナコは思い当たるところがなく、ただ首を傾げた。
『カルデアの令呪は契約ありきのものじゃない。令呪ありきの契約。寧ろ、令呪さえ必然じゃない』
「はぁ……」
これも月の聖杯戦争を知るジナコとカルデアにおける認識の齟齬だった。ジナコは令呪が残り続けないことに、何の違和感も持っていなかったのだ。立香と同道することの少なかったジナコに、その事実はより露見しにくかった。立香と同道していれば少なくとも、カルデアの令呪が別物だということには気づけたろうに。
『良いかい? 令呪はサーヴァントを縛るもの。通常の聖杯戦争なら、一人につき一人のサーヴァントだから問題はないだろう。けれど、カルデアは違う』
「要するに、一人の契約に伴う令呪か、常に誰かしらを従えるための令呪か、ということですね」
月と地上の聖杯戦争では微妙に仕組みが違うが、どちらにせよ契約するサーヴァントは一人につき一人が原則だ。令呪もその都度再配布されたり、手が空いたときには完全にサーヴァントとの縁がなくなる。
しかしカルデアは事情が違った。本来は四十人近くに対して七人しか召喚しない予定ではあったものの、人手不足のためにそのルールを破っている。誰かが途中で命を落としても、全てのサーヴァントとの繋がりが断たれる訳ではない。
『全画を何かの間違いで同時に使ったとしても、痕が残る。それすら残っていないとなると、そもそも契約の方式が違ったということか……』
「ボクの令呪、あと一画でレイシフト中に使ったとは思えないんすけどねぇ……」
ジナコはひたすら意味消失に耐えていただけだ。その程度の思念で令呪が発動されるとはとてもではないが思えない。
『ん? 一画? ジナコちゃんが最後に令呪を使ったのって第三特異点って言ってなかった?』
「そうっすよ?」
『……ああ。なるほどね。もうそこから既に違ったのか』
ロマニの疑問に答えたジナコに、ダ・ヴィンチが悔しそうな表情をする。今までの発言を思い返してみるに、後一画しかないというのが不自然だったのだろうか。だが第一特異点で令呪を使っていなければ、ジナコはあのとき死んでいたかもしれない。あと一画なのはおかしくないと思うのだが。
『サーヴァントが一人だけで、ロンドンは霧の街だったから節約できていたのかと思いきや、まさか本当に三画しか令呪がないとは』
「それは何か、おかしいことなのか?」
カルナも疑問には思わないようで、ダ・ヴィンチの言葉に疑問符を浮かべる。令呪は三画──実質二画だというのは、月の聖杯戦争では常識のはずだが。
『おかしい。おかしいとも。そも、カルデアの令呪はマスターに刻み込まれる擬似的な魔術刻印。それは一日に一画ずつ、魔力を注ぎ込むことで回復させることになっているんだ』
「うん。だから私、今三画ともあるでしょ?」
「え……」
ジナコは立香の手の甲を見て、言葉を失った。それが本当だというのなら、ジナコの手に浮かんでいた令呪、そしてアーチャーは一体、何だったというのか。
「きな臭いことになってきたね」
「……やはり」
ジキルが顔を顰め、清姫は何やら心当たりがありそうな言葉を呟く。当然、それに触れられないということはなかった。
「清姫、君、何か知ってるのかい?」
「ええ。あの方は、アーチャーはとんだ嘘つきでしたから。それでもマスターを守る気概だけは一人前と思っていましたが……」
「おいおい。そりゃいかにもじゃねぇかよ」
問いかけたダビデも、清姫も、全員が表情を曇らせた。この期に及んで姿を消したアーチャー。それは余りにも怪しすぎる。一体何を企んでいるのか。どうしてこの特異点で姿を消したのか。アーチャーは不穏分子の筆頭格に上がってしまった。
「……」
別れ際に聞いた苦しげな声。あの声に悪意は感じられなかった。しかし信じたい気持ちと疑り深い気持ちはせめぎ合う。ジナコはアーチャーの名前すら知らない。大切な子どもがいて、それが碌でもない方法で殺された、というだけで、その名を知ることなど出来るはずもないだろう。
「アーチャー、ね。確かに敵のサーヴァントにアーチャーはいるわよ? それも、カルナと同郷であり、私の魂の故郷の出身の、ね」
「だが、それは違うだろう。あのアーチャーがそれほどこの特異点を空けていたことはない」
エレナの有力そうな発言は、カルナによって即座に否定される。それもそうだ。アーチャーはジナコと甲斐甲斐しいほどに共にいたのだから。
「その話をするにはこの特異点の現状を話した方が良さそうだね。エレナくん、頼んで良いかい?」
「ええ。でももう遅くなってきたし、話は明日にしない?」
ジナコが窓から外を見れば、美しい夕暮れのアメリカが広がっていた。カルナとの再会で色々と疲れたし、エレナの提案は受けても問題はないだろう。どうやら一時的な拠点として、ホワイトハウスを借り受けられるようだし。
立香もそう思ったようで、エレナの提案に頷く。何やら忙しそうにしているエジソンに代わり、エレナが手筈を整えてくれることとなった。素直にありがたい。
ジナコの第五特異点は不安を残しつつも、穏やかなスタートを切った。
「ジナコ、食事だが、どうする?」
「へ?」
カルナの問いに、ジナコはポカリとする。
ホワイトハウスの中のゲストルームへと案内されたジナコたちは、それぞれ部屋を割り振られた。男女に別れた中でも、立香とジナコ、マシュと清姫とブーディカといった具合だ。立香は今マシュのところに行っており、ジナコは家捜ししたり、荷物の整理をしたりしていた。
そうして日が沈んだ頃、カルナが部屋へと顔を出したのだ。ノックぐらいしてほしいと思ったが、カルナにはそんな気遣いは出来ないだろう。そうしてジナコを見て開口一番口にしたのが、そんな言葉だった。
「野戦食とか、そういう類いのやつでも大丈夫っすよ?」
「いや、ジナコ、お前に食事を運ぼうと思ったのだが……」
「へ? 何で?」
ジナコは本気でカルナの言葉が理解出来ずに首を傾げる。一応ジナコも携帯食は持っているが、現地で摂れるものなら摂るべきだろう。しかし、わざわざ運んでもらわなくても食べに行くつもりだ。
「お前は自堕落だ。食事は運ばねばなるまい」
「……ああ……そっか……うん……そうなっちゃうのか……」
「頭痛か?」
「うるさい」
完全に因果応報。自業自得だった。要するに、カルナはこう言いたいのだ。以前月の裏側では売店に買いに行かせていたのだから、今回も運ばねば食事をしないのではないか。過去の自分が恨めしい。
かといって素直に謝るのは癪に触る。ジナコはとても面倒臭い少女だった。いたたまれなさとカルナの愚直さに眉間を弄る。
「立香さんとマシュさんも食べなきゃならないんで、二人に声をかけるっす」
「ジナコ、友人をぱしり、にするのはどうかと思うが」
「それはアンタの勘違いだっつーの! 普通に食べに行くっす。というか、食糧に問題はないんすか?」
英霊がパシリなんて言葉を覚えていることには責任を感じなくもないが、その扱いは甚だ不本意である。ジナコは至極当然のことに話の方向性を変えた。
「港からの物資が減っている、とエレナが言っていたな。だが、街に飢えが蔓延している訳ではない」
「食べ物があるんならそれで良いんすけどね。このホワイトハウスで働いてる人たちはもう食べたのかな……」
「この時間なら、まだだろう」
淡々とした調子でカルナが答える。カルナの言葉からするに、このホワイトハウス付近の街は特異点になる以前の状態を保っているのだろうか。フランスのような事態になっていないからこそ、エレナは説明を翌日にしたのだろうが。
「よし。じゃあ荷物の整理もそろそろ終わるし、立香さんを探しに行こう」
「そうか。ならば、食堂まで案内しよう」
カルナも立香たちに着いてくるつもりらしい。だがカルナもサーヴァント。恐らく食事は摂らないのだろう。カルデアのサーヴァントたちも、食糧事情を慮って食事を控えてくれている。
ジナコは荷物の整理を終えると、カルナを伴って立香を探しに向かうのだった。
立香を探すのは苦労しなかった。立香はマシュたちの部屋の前にいたからだ。探し回る破目にならなかったことに、そっと息を吐く。
立香はジナコを視界に見つけると、何故か嬉しそうに微笑んだ。
「ジナコ、カルナと仲良しだね」
「はい。なんというか、お互いに信頼しているような感じがします」
マシュも立香に同意し、微笑ましそうにジナコを見る。これからカルナといる限りこういう視線を向けられるのかと思うと、溜め息しかなかった。
「ああ。ジナコはオレのことをよく分かっている。げーむの操作の癖まで指摘するくらいだからな」
「カルナ、ゲームが出来るんだ」
「いやいや、ちっとも出来ないっすから。それと仲良しでもないっす」
古の英雄が知識を与えられ、現代に召喚されたところで機械が弄れるようになるわけではない。現代の人間に突然宇宙空間で過ごせと言うようなものだ。あの金ぴかならもしかしたら出来てしまうかもしれないが、それは話が別だろう。あれは例外と言う他ない存在だ。
そうしていると、立香がにやにやとした顔でジナコを見る。
「うん。思ってたけど、やっぱりジナコってツンデレだよね」
「な──」
立香はとんでもないことを言う。それは噂の遠坂さんのSGであってジナコのものではない。頼むからその言葉をかけないでくれ、とジナコは心の底から思った。
「遠坂凛と比べれば、ジナコは気概に欠けると思うが」
「ツンデレの気概って何すか……」
「ダウナー系のツンデレってことじゃないかな?」
ツンデレにアッパーやらダウナーやらの分類があったことが驚きである。ツンデレの奥深さをジナコは垣間見た。
「ジナコさんはカルナさんのことをとても尊敬していますから、実際に会えばもっと粛々とした態度になると思っていました」
「ふん。カルナさんにそんな態度を取れないっすよ。ほーんと馬鹿なんすから」
ジナコは腕を組んで言い放つ。その態度は正しくツンデレだった。
そうしていると、思い出したように、カルナがホワイトハウス内の食堂に行くことを口にする。立香とマシュがそれに頷き、四人はいよいよ食堂へと向かった。
食堂とは言っても、元々そういった施設な訳ではない。絢爛豪華なこの一室は、このアメリカが特異点と化してから、アメリカの首脳陣に向けて解放された部屋らしかった。家に帰る間を惜しんだ者たちが、自ら料理人を雇っていることによるものだ。
「なんていうか、凄く至れり尽くせりというか……」
「ここまでの対応は第二特異点のとき以来ですね」
「それ、鉛の食器だったとかじゃないっすよね?」
一説には、ネロの頭痛は鉛中毒だったという話がある。鉛の食器で飲み食いすると、味が甘く感じる。甘味の少なかった当時の知恵の一つだったのだ。それが毒であると気づけなかったのは不運だろうが。
「それはエレナの策略だろう。情によって留めるというな」
「カルナさん、もっと言葉を尽くして」
「……エレナはお前たちという戦力をここに留めておくことに重きを置いている」
ジナコの容赦ない言葉によって、カルナは必死に言葉を紡ぎ出す。食事中の暇潰しに、カルナから話を聞こうというジナコの算段だった。
「エレナは暗殺と奇襲を警戒している。ここにサーヴァントがいるということは、防衛上、理に敵っているからな」
「なし崩し的に協力体制を張ろうって算段すか」
そのくらいはジナコも予想していた。エレナたちは立香たちに拠点と快適な生活を提供することによって、その代価に戦力を提供してもらおうとしているのだ。これはそのための布石。悪感情を少しでも減らしてもらうための奸智だ。
「明け透けに言えばな」
「え? それじゃあどうすれば良いの?」
「もらえるときにもらえるだけもらっときゃ良いんじゃないっすかね?」
それが分かったところで特に悩む必要はない。協力体制を取るかどうかは明日の話を聞いてから。今は客として、そのサービスを享受してしまえば良い。
「そっか」
「それに、あんまりエレナさんたちに期待しない方が良さそうっすよ」
「どうして、ですか?」
ジナコは第五特異点に来たときのカルナとの会話を思い出しながら答える。
「カルナさんの話からするに、そもそもボクらとエレナさんたちじゃあ目的が違う」
「うむむ……分かんない」
「そこのところを問い詰めるのが明日っすよ」
ジナコは何でもないように告げる。立香の態度が余りにも普通の少女らしいからか、ジナコはそれに却って冷静になってしまったのだ。ジナコを庇護しようとする立香と、立香に冷静さを覚えるジナコは、チームとして非常によく出来たコンビだった。
「彼を知り己を知れば、百戦殆うからず、ということでしょうか」
「孫子か。作り物らしからぬ言葉選びだな」
「カルナさん、言葉を選んで。……その点で言えば、エレナさんには上手く逃げられたっすけどね」
少なくとも今晩、ジナコたちはこのホワイトハウスに押し込められている。もしもエレナたちが敵であれば、飛んで火に入る夏の虫に他ならないだろう。聖杯を持っていないからと言って、油断は出来ない。ジナコたちはエレナたちのことを何も知らないのだ。
「でも、エレナはアメリカの人たちに手を貸してた。悪い人じゃないと思う」
「私も、そう思います。弱きを助け、強きを挫く。それは英雄に相応しいものです」
「……」
だがしかし、その善意が良いものとは限らないのも人間だ。ジナコはいつか、ダ・ヴィンチと話したことを思い返す。世界平和を求めるなら、人間をこの世からなくせば良い。なら、アメリカを救うなら、何をすれば良いのだろうか。
ジナコの中の疑問の種は、この一晩のうちにゆっくりと肥大化していくのだった。