ジナコさんinカルデア 作:クリシュナ実装はよ
半刻→四半刻に変更しました。
勝負を始める前から、足が竦んでいた。これまでとは違う恐怖を覚える。これまでは、生きるのに必死だった。勝ったときのことなんて考えない。ただただがむしゃらに、前に進もうとしていた。
だが、一度気づいてしまえば簡単に足が止まった。怖い。人を殺さねばならないということが、恐ろしくてならない。健康管理AIは、そんな私を嘲笑った。私は迷って、迷って、迷って、そして選んだ。
サーヴァントはマスターを狙えないが、マスターはマスターを狙える。私は致死に至る効力を持つコードキャストで、半ば騙し討ちで相手を倒した。それから然程経たずして、魔力を失ったサーヴァントは消失する。ムーンセルによる敗者への攻性防壁が、どこか虚しくその肉体を分解した。
翌日の早朝、ジナコたちは無事に目覚め、昨日エジソンのいた部屋へと招かれた。昨夜のうちに結局何もなかったのは些か拍子抜けだが、この部屋の空気を思えば、きちんと休めたのは幸運だったろう。
「もう一度、言ってもらえる?」
「私はこの特異点を切り離し、このアメリカを永遠とする。このままいけば大した損害をなしにアメリカを救えるのだ」
「…………」
立香はエジソンの言葉に唇を噛んだ。それが成功すれば確かに、このアメリカは救われるだろう。目の前のものだけを救う、現実的な一手。人類全てを救うには力不足でも、それならば少なくともアメリカを救うことは出来る。その行いが果たして悪なのか、立香には自信が持てなかった。
「いや、それは間違ってるっす」
「なら訊くけど、ジナコ、あなたは人理修復が失敗したら、その責任を背負えるの?」
「……」
「負えるはずがないわよね。だって、あなたは英雄でもなんでもない。世界よりも自分とその周りの小さなものを優先する、普通の人間なんだもの」
エレナの言葉は的確だった。ジナコに世界は背負えない。ジナコが守りたいのはただ、両親といつか訪れる未来なのだ。もし両親と世界を天秤にかけることになれば、ジナコは両親を取るだろう。それが自然な人間の選択というものだ。
「そりゃそうだな。こんなガキんちょにんなもんが背負えるかよ」
「少なくともここに残っていれば、貴方たちも命を投げ捨てることにはならないわ。それが賢い選択というものよ」
クー・フーリンの言葉に同調するように、エレナは言葉を重ねた。正しい選択が時に、大きな犠牲を生むことがある。カルデアがしていることは一世一代の大博打。エジソンがしていることは大きな代償の代わりに確実なものを手に入れることだった。
だがエジソンの提案は、犠牲の許容でもある。ジナコにも立香にも、それを理解する余裕はない。
「結論を急くことはないだろう。それは現状を説明してからでも良い」
「あら、カルナ。随分と優しいのね?」
「論点をずらすのは賢明とはいえない。オレが果たすべきことをするのは、筋を通してからだ」
ジナコもカルナの言うことは、随分らしくないことだと思った。かつてのマスターであったジナコに義理立てしてくれているというのならば、これほど都合の良いことはない。素直に言えば、嬉しくもある。ならジナコも、それに応えられるほどの結論を見つけなくては。
「なら、改めて現状について説明するわ。それで良いかしら、カルデアのマスターさん?」
「うん。お願い」
「ボクも、ちゃんと聞きたいっす」
エレナは二人のそれに面白そうに頷くと、アメリカについて語り始めた。
「この特異点はね、お互いにルールを決めて聖杯戦争をしているの」
「それは、普通の聖杯戦争、みたいに?」
「そう。お互いの良心を信じてルールを守る。それがこの戦争よ」
立香もジナコも瞠目した。この形式の聖杯戦争はルール無用。市街地を襲い、問答無用であらゆるものを破壊し尽くす。それがこれまでの特異点だった。それをジナコも立香もマシュも、カルデアで再認してきたのだ。それが覆されようとしている。
「戦争におけるルールは五つ。これは、お互いにルールを守ることになっているわ」
戦闘時間は午前十時から午後の三時まで。
その日戦争に参加するサーヴァントの数はお互い申告すること。アサシンも例外ではない。
一騎打ちをしている者を第三者が殺さないこと。攻撃を防ぐために横入りするのは例外と認める。
サーヴァント以外の非戦闘員を殺さないこと。
戦場は人気のない荒野にすること。
エレナはそう戦争のルールについて語った。ジナコは眉間に皺を寄せる。このルールは、エジソンが考えたものなのだろうか。
「これは、敵側が守る理由がありません。どうやってこのルールを飲ませたのですか?」
「マシュ、このルールを考えたのは私たちじゃないの」
「は……?」
マシュが思わず声を漏らしたが、驚いたのは彼女だけではなかった。立香も、そのサーヴァントたちも難しそうな顔をしている。それもそうだ。どうしてこんなものを守る必要があるだろう。どうせ世界を滅ぼすつもりなら、こんなルールを敷く必要はない。
「順を追って話しましょう。私たちが召喚された頃、この特異点に主だった異変はなかったわ。それぞれのサーヴァントがそれぞれに異変を探していた」
「それは最早特異点とは言えないんじゃ……」
「その通りよ。異変と言えばこの特異点に聖杯があることと、サーヴァントが召喚されていることだけだった」
ジナコの言葉にエレナは頷く。その聖杯も居場所が掴めず、最初の頃は苦労していたらしい。しかし、一つの異変が起こった。
「このアメリカの大統領が殺されたわ。私たちはすっかり油断してたのよ。このアメリカを滅ぼすなら、そのトップを狙うなんて当然のことじゃない」
「そう。彼らは我々の出方を窺っていたのだ。何を優先し、何を守るのか。そして我々は、あっさりとその行動を読まれてしまった」
「異変に応じて私たちはここ、ホワイトハウスに集結したわ。遅きに失したけれど、サーヴァントに対抗するにはサーヴァント。大統領の代行として、私たちはアメリカの進退を決める役目を任された」
ホワイトハウスを拠点にしている理由。それは当時の大統領の死によるものだったのだ。初代大統領の選出には少し時期が早いが、これもホワイトハウスと同じ理由だろう。殺害されたのは初代大統領、ワシントンだと思われる。
ジナコは複雑な気持ちだった。こうして快適な一夜を過ごせたのが誰かの死によるものだというのは、気持ちの良いものではない。
「そこに一枚の手紙が届いた。それは今回の聖杯の持ち主のサーヴァント、コノートの女王メイヴからのものだったわ。そこには時間と場所が指定してあって、私たちは警戒しながらもそこに向かった」
クー・フーリンの名前でどうして喜ばれたのか分かった。クー・フーリンはメイヴを生前に知っている。メイヴに関して、有力な情報が得られるだろう。
「そこでこの聖杯戦争に、ルールを設定することを提案されたわ。そしてルールに応じなければ、アメリカの人々を殺していく、ともね」
「我々には応じるしかなかった。被害が出れば、この国のトップを代行している我々に批難が集まる」
エジソンたちには分かってしまったのだ。提案を飲まなければ、他のアメリカの者たちにその旨を通告するだろう。エジソンたちでそれを握り潰すには、人手も資金も足りない。そしてエジソンたちが飲まず被害者が出れば、アメリカの民たちは憤る。それを鎮めるほどのカリスマを持つ者は、その場にいなかった。
かといって、メイヴたちをその場で潰すには戦力に欠けていた。キャスター二人は戦闘要員には程遠い。その場のサーヴァントを抑え込むには、余りにも力不足だった。それならば、この提案に乗りつつ他のサーヴァントを探すしか、エジソンたちには残されていない。
これで向こうがアメリカの民草を悉く滅ぼそうと襲っていれば問題なかったのだが、メイヴたちは大統領にしか手を出していない。それこそ、大統領の護衛を殺さないよう気を遣っていたほどだった。副大統領にして未来の二代目大統領、ジョン・アダムズさえ怪我一つないらしい。ただ件の彼は今、ストレスで寝込んでいるということだが。
ともかくアメリカを守るという名目上、エジソンたちは民草を戦に駆り立てることも出来ない。
「ま、確かに邪悪なやり口かもしれねぇが、メイヴらしくはねぇな。アイツは邪悪だが、無辜の民に気を遣うような質じゃねぇよ」
「そんなまどろっこしい手口は明らかに敵にとって役不足だね。そんなことしなくても、普通に滅ぼせば良い」
メイヴをよく知るクー・フーリン、戦争経験のあるブーディカがそれぞれの考えを口にする。結局はそこに尽きた。まるで敵に利点がない。
「そう、そこがおかしかった。だから私たちは騙し討ちを警戒したわ。けれど要求を飲んでみれば、敵は律儀に約束を守った」
「我慢比べさせよう、ということっすかね。精神的な疲弊が目的だった、とか」
もしそうであるならば、カルデアの到着を待ったエレナたちの勝利だろう。戦力を拡充すれば、充分に勝ち目はある。基本的に、魔神柱側とカウンター側の戦力は拮抗しているのだ。カウンター側の戦力を残さず集結出来たのならば、カルデアの味方した方が勝つに決まっている。
「いや、私たちはこれをメイヴの時間稼ぎと考えた」
「時間稼ぎ、ですか?」
「メイヴか誰かは分からないが、恐らく時間のかかる宝具の持ち主がいるのだろう。つまり、時間を与えれば負ける」
時間があれば勝てる。だからこそメイヴはこのルールを敷いた。であるというならば、一刻を争う事態だ。エジソンらはどうして攻勢に打って出なかったのだろうか。
「それは……」
「そして最初の話に戻るのよ。私たちは攻めても勝てない。時間をかけても勝てない。だから、現状を維持することにした。時間をかけたら思惑通りになるのは、私たちも向こうも同じだったの」
言い淀むエジソンに対して、エレナがすっぱりと真実を述べる。勝って聖杯を獲得するか、追い詰められるかの瀬戸際。そこにカルデアの戦力が加われば、確実に勝利出来る。それにはカルデアに戦力を提供してもらう必要があった。それがこれまでのこの特異点の流れだった。
後はカルデアがアメリカに骨を埋める覚悟をしてくれれば、エジソンたちの計画が成功する。
「分かってもらえた?」
「ううん。まだ諦めるのは早いよ。だって私たちがいる」
エレナの言葉を正面から否定したのは立香だった。ジナコはその勇敢さに驚き、思わず立香を見た。よく見ると、立香の手は震えている。恐ろしいほど健気な少女だ。ジナコは何も言えない自分の不甲斐なさに、歯を食い縛る。
「誰かを犠牲にしなくても、特異点を修復して、世界は救える。私こそ、皆に力を貸してほしい」
「……出来ない。そんなことは出来ないのだよ」
苦しげにエジソンが答える。エジソンも、立香の言葉に正義があるのは分かっているのだろう。それでもエジソンは頑なに頭を振る。
「アメリカを救う。それは私の、変えがたい使命だ」
「この特異点を修復すれば、アメリカだけじゃない、皆が救われる。私はその方がずっと良いって思うよ」
そして立香もまた、エジソンの言葉に揺らいでいた。全てを救えるのなら、その方が正しい。けれどここまで頑なであれば、その気持ちを無下にも出来なかった。
「とにかく駄目だ! 口では何とでも言える、そうだろう!」
「……言い過ぎっすよ」
ジナコは及び腰になりながらも、エジソンの言葉に反論した。しかしそれは、火に油というものだ。
「言い過ぎ? 言い過ぎだと? お前たちは何も分かっていない!」
「それは!」
「私の策は完璧だ! つべこべ言われるつもりはない!」
エジソンはジナコの言葉に、今までの鬱憤を撒き散らすように叫んだ。その痛々しさに、ジナコも立香も言葉を失う。
「もう良い。去れ。もうお前たちの力など借りるものか」
「良いのか、大統王?」
「カルナくん、彼女らを追い出してくれ」
「承知した。お前の癇癪に付き合おう」
カルナはそう言うと、槍を取り出しジナコたちへと向けた。月の裏側ではあれほど頼もしかったインドラの槍が、今はとても恐ろしい。ジナコは体を震わせながらも、立香を庇うように槍の前に立った。サーヴァントのいないジナコならともかく、立香を失うのは最悪だ。
「手荒い方法ですまないが、オレと戦わずに済むうちに立ち去ってくれ。無傷で追い立てることは出来ん」
「立香さん、ここはカルナさんの言うことに従うっす。カルナさんと戦うのは最悪の選択肢っすよ」
カルナのマスターであったからこそ、ジナコは誰よりも深く理解していた。カルナはやると言ったらやるし、一度戦えば損害をなしに済むことは出来ない。現代に近い英霊であるジキルから、真っ先に脱落することになるだろう。
「うん。分かった。ジナコはブーディカの後ろに隠れて」
「先輩、先導します!」
マシュが先頭に立ち、部屋から全員で飛び出ていく。撤退戦は難しいというが、追われていないのは幸いだったろう。ジナコもカルナの視線から必死に目を逸らし、出口を目指す。
未だかつてない、惨めな状況だった。
『周囲にサーヴァントの反応はない。無事に逃げおおせたようだね』
「先輩、お怪我はありませんか?」
「うん。ドクターも、マシュもありがとう」
ワシントンD.Cから逃走すること凡そ二時間。サーヴァントの脚力を利用し、ジナコたちはボルチモアへと逃げていた。治安の悪さに目を潰れば、ワシントンの状況を知るにもワシントンに舞い戻るにも丁度良い位置関係だろう。正直に白状すれば、偶々逃げた先がそこだっただけのことなのだが。
「しかし弱りましたね。現地のサーヴァントと共闘出来ないなんて……」
「他にもはぐれサーヴァントがいれば良いんだけど……せめて、どこの荒野で戦闘するのか訊いときゃ良かったなぁ」
荒野での戦闘、ということは、メイヴたちは西側を拠点にしている可能性が高い。しかしアメリカは広大だ。西側を隈無く探すなど、それこそタイムリミットが過ぎてしまう。そもそも、交通手段がジナコたちにはなかった。強いて言えば、ブーディカならどうにかなるというくらいだろうか。ライダーが一人しかいないという状況は心許ない。
「いずれかはメイヴたちは攻勢に転じるはず。だからそれを待つ、しかないんすかね……」
『AIのお陰で随分と作業が楽になってるから、アメリカ全土でサーヴァント反応を探してみようか。と言っても、精度の高さには期待しないで待っててほしい』
ジナコの不安げな言葉に、ロマニが提案する。サーヴァントの反応を探る、というのには期待しない方が良いだろう。太平洋で船に乗りながら、一匹しかいない幻の魚を釣ろうとするようなものだからだ。つまり、現実的ではない。
「うーん。何でエジソン、あんなに怒ったんだろ」
「エレナさんの策通り、ホワイトハウスに待機していた方がまだエジソンさんたちにとっても良いはず、ですよね」
マシュが打算的なことを口にする。その通り、エレナもカルナも立香たちを追い出すつもりはなかったことだろう。しかし、感情の問題はどうにも出来ない。ジナコにも身に覚えがあることだった。
「ねぇ、ジナコ。ジナコがカルナに頼んだらどうにかならないかな?」
「絶対ならないっす。天地がひっくり返っても立香さんが男になってもありえないっす」
ジナコの言葉は非常に強い口調だった。ジナコはカルナのその特性に関して、非常に身に詰まされている。カルナのその性質に救われたのは、誰よりジナコ自身なのだから。
「良いっすか。カルナさんはあのドゥリーヨダナにも従った。それは、カルナさんを最初に救ったのがドゥリーヨダナだったからっす」
「ん? どういうこと?」
何だか似たようなことを誰かに説明したな、と思いながらジナコは続ける。
「カルナさんは他人に対して、善悪とか上下の区別をつけないっす。けどそれって、要するに誰でも良いってことなんすよ」
「何が?」
「自分のマスターっす」
心なしか、清姫の視線が厳しいものになる。彼女は自分のマスター──安珍をこれと決めているサーヴァントだ。耳心地の良い話ではないに違いない。
「だからカルナさんはこうした。自分に一番に声をかけた者、自分の最初のマスターになった者に忠義を捧げよう、と」
「それは、マスターが悪人であっても、ということですか?」
「うん。そういえば、カルナさんは遠回しにエジソンのことを狂人って言ってた。でも関係ない。カルナさんにとっては、そういう考えも特別でもなんでもないんす。そういう人もいるよね、って」
クー・フーリンが納得したような表情をする。クー・フーリンもマスターには義理立てする方だ。好悪の感情はあるし、考え方ももう少し柔軟ではあるが。
しかし立香とマシュは受け入れ難いようで、不満を顔に出して首を傾げた。
「じゃあ、エレナは?」
「いや、エレナさんのことは流石に分かんないっすけど、エレナさんとエジソンさんは生前の友人。カルナさんはエレナさんにとって、インドの英雄として尊敬に値する人物。二人の意見には同意してもおかしくないんじゃないんすかね」
「そっか……」
ジナコも狙うなら、エレナの方が狙い目だとは思う。アメリカだけを切り取るというのは、魂の故郷、エレナの愛するインドを捨てる決断だ。それを受け入れるというのは、そう容易いことではないだろう。ジナコだって、ドイツを捨てろと言われれば怒りに震える自信がある。
ただ、そうしてエレナを取り込んでも、エジソンとカルナは協力しないだろう。それどころか、感情的になってこれ以上の不和を生み出す可能性もある。
考えうる事態として、完全な三つ巴化は最悪のパターンだ。カルデアで二方面作戦をするには、明らかに火力が足りない。エジソンとメイヴが潰し合ったところで割り込む、という楽な事態ならまだ良いのだが。
「正義の味方っぽくないなぁ……」
「戦争に正義も悪もあるかよ」
「いや、あるでしょ。ローマとかローマとか」
ブーディカがクー・フーリンの言葉を即座に否定する。それにクー・フーリンはひきつった顔をした。ブーディカはクー・フーリンより少し後の時代に名を残した英雄だ。当時、ブリトン人のイケニ族は王の死によるいざこざの末にローマに反抗しており、その旗頭こそがブーディカだった。それに対してクー・フーリンの民族であるケルト人は、ローマに降伏している。
その特異な宗教観により、バーサーカー民族であることで有名なケルト人だが、ブリタニアもそれに負けていない。それどころか、ケルト人が手を焼いていた相手なのだ。ローマの食事の豊かさに降伏したケルト人と、最後まで反抗したブリトン人。ブリタニアの方が血の気が多いのは真実の一つでもあった。いや、食事に目が眩むケルト人もどうかとは思うが。
「ブーディカって割りと面白いキャラだね」
「ダビデさんは楽しそうっすね……」
「それにしても、本当に打つ手がないね」
ジキルが物憂げに告げる。ジナコもこの事態に少しばかり憔悴した。憔悴しきってしまえば鎧の効果で全快するかもしれないが、ジナコはマゾヒストではない。そんな危ない橋を渡るのはごめんである。
そうしていると、クー・フーリンがぽんと手を打った。
「そういや、メイヴの魔力が分かるから、ルーンで探せるな」
「あ」
「そうでした!」
ジナコとマシュがクー・フーリンの言葉にはっとする。ベルカナのルーン。それを用いれば、失せ物探しにはぴったりだ。キャスタークラスの面目躍如と言ったところだろう。
「メイヴはルーンは使えなかったはずだが、聖杯の力で対策されてる可能性もある。一応警戒はしといた方が良い」
「でも、もうこれくらいしかないし、虎穴にゴーだよ!」
「ゴーしましょう!」
手立てが見つかったことで、場の雰囲気が明るくなる。若干女性のサーヴァント陣が恨みがましい目でクー・フーリンを見ているが、それはそれ。クー・フーリンがそこらに落ちていた適当な石にルーンを刻むと、石がひとりでに動き出す。
「よし来た! 追うぞ!」
「先輩、抱えますね」
「ジナコは私ね」
立香はマシュに、ジナコはブーディカに抱えられて移動を開始する。因みにブーディカの抱き方は子どもを抱えるような抱っこで、ジナコの抱っこ遍歴の中でも最も気遣いに満ちていたのだった。
ボルチモアに向かったときよりスピードアップしたものの、サーヴァントに揺られて凡そ四時間。サーヴァントに揺られるなど字面が凄いが、ルーンの案内した先までジナコたちは辿り着いた。
というより、ルーンは途中で壊すことになった。ロマニがサーヴァントの反応を見つけ、近くの岩影に潜むことになったからだ。
しかし荒野は開けている。サーヴァントたちとの距離はとても離れているものの、これより近づけば間違いなく気づかれるだろう。ジナコたちはクー・フーリンの遠見のルーン、ケイナズを頼りに敵を観察することにした。こういうとき千里眼のあるアーチャーがいれば良いのに、とジナコはアーチャーを恋しく思う。
「あそこにいるのは、エジソン、エレナ、カルナ、エリザベート……」
「何度も出てきて恥ずかしくないんすかね」
ジナコはエリザベートの名前を聞いた瞬間思わず口にしてしまう。何だかあの人の気持ちがよく分かったような気がした。問題はどちらの陣営か、なのだが。
「えーと、続けるぞ。メイヴ、セイバーっぽいの、アーチャーっぽいの、だな」
「そのアーチャーがカルナさんの同郷、ですね」
マシュがクー・フーリンの言葉に付け加える。アーチャーっぽいアーチャーとは何だか妙に安心できるフレーズだ。十中八九敵ではあるだろうけれど。
「陣形からするに、エリザベートはエジソン側、セイバーはメイヴ側だな。戦力はお互いにほぼ同等。いや、エジソン側が少し劣ると見て良いな」
「ランサー二人に対して得意な間合いではないはずのセイバーとアーチャーであっても、ですか?」
「カルナはともかく、エリザベートが力負けする。そもそもエリザベート・バートリーなんて戦士じゃねぇだろ」
これまでの特異点では余り目立たなかったが、エリザベート・バートリーは元々ただの貴族の少女だ。サクラ迷宮の低階層での彼女がそうだったように、本来の実力ではない──というか慢心しているサーヴァントにも容易く負けてしまう。
「しかもあのセイバーとアーチャー、とんでもなく格が高いサーヴァントだ。ちっ、声が聞こえねぇのが最悪だな」
「ねぇ、思うんだけど、それならエジソン陣営が弱すぎるんじゃないかな?」
立香がそんなことを口にする。これまで多くのサーヴァントに接してきたマスターだ。ジナコは立香が話すのを促すように口を噤む。
「カルナはともかく、他の人たちはどっちかと言えば近代の英雄でしょ? 何だかおかしいよ」
「カウンターサーヴァントを召喚できないように不正しているのか? いや、そんなことが出来るなら他の特異点でもやっているか」
立香の言葉にジキルが頭を捻るが、答えは出ない。しかし立香の発言には、誰も反論は出来なかった。いくら何でもエジソンたちが弱すぎる。
「しかもここに、ジナコさんのアーチャーが加わります。恐らく、エジソンの味方ということはないでしょう」
「っ!」
「そういや、そいつもいたな……」
ジナコはアーチャーが敵だと明確に告げられ、息の詰まるような思いがする。エレナにこの特異点の現状について聞いていたときから考えていた。アーチャーは果たして今、どこで何をしているのだろう。
「……いや、ちょっと待て。あの剣、どこかで見覚えがあるような気はしてたが──」
「セイバーっぽい人のこと?」
「ああ。何でかローブを着てたからすぐに分からなかったが、アイツは第一特異点のときのジークフリートだ」
それに立香とマシュが目を見開く。第一特異点は途中で離脱してしまったジナコは、立香たちの反応の意味が理解できなかった。
「どうしたんすか?」
「ジークフリートさんは、フランスでファヴニールを倒すのに協力してくれました。どうして……」
「……あ、狂化とか?」
フランスのことを思い出してか、立香がマシュの問いにならない問いに答える。いかな大英雄といえども、聖杯の狂化からは逃れ得まい。ジナコもそれに納得しかけたが、クー・フーリンが頭を振った。
「狂化してたらあんなに冴え渡った剣を見せられるかよ。わけわかんねぇな」
「ちょっと、真面目にしてるの?」
「マジもマジだ。このルーンを他人に使えたら良いんだけどなぁ」
ブーディカの言葉にクー・フーリンは疲れたように答える。魔術は自分にかけるより、人にかける方が難しい。魔眼ならともかく、シングルアクションのルーンでそれを行うなど至難の業だろう。まして魔術回路に手を出そうとすれば、しっぺ返しを食らうのは手出しした方だ。
「それで、どうするよマスター」
「私は、エジソンたちに加勢したい。駄目かな?」
立香の言葉に、ほとんどの者たちが難しい顔をした。敵に狙われるより、背後から味方に狙われる方がずっと怖い。しかしここで見捨てるのは、立香の気持ちが許さないだろう。
「私は、良いと思います。きっとエジソンさんも許してくれるはずです」
「ますたぁの言葉には従います。あのドラ娘にこんなところで死なれるのも、愉快ではないじゃありませんか」
マシュと清姫は早い段階で覚悟を決めた。この二人らしい決断力だ。
「僕も心情的には割って入りたいけど、リスクの方が高いと思う」
「オレは戦えるんならまあ、良いんだけどよ。だが、入るならあと少し経って──戦闘時間が過ぎてからの方が奇襲には良い、とは思う」
ジキルは消極的、クー・フーリンはタイミングを計りたいようだ。クー・フーリンの意見には、立香も納得したような表情をする。
「悪いけど、私は参戦するならエジソンが倒れた後の方が良いと思う。暗愚っていうのはさ、やっぱり何よりも悪いよ」
「僕はどちらでも。でも参戦するなら戦力を分けた方が良いね。ジナコにはサーヴァントがいない。これって凄くまずいことだよ」
ブーディカはなるほどらしい意見ではある。ネロという暗愚と戦った女王らしい意見だった。
ネロはブリタニアが女王を頭に据えていることを許さなかったらしいが、第二特異点で見たネロも女性だ。そこのところはどうだったのだろう。歴史家の怠慢が憎い。
ダビデの意見はどっち付かずだが、全員の意見を上手く取りまとめた形になったようにも思う。要するに、攻めたい人と攻めたくない人を分け、攻めたくない人をジナコにつければ良いのだ。
「フォーウ! キューウ!」
「フォウさんは何言ってるか分からないっすね……ボクはじゃあ、立香さんの背後の警戒をしとくっすよ」
ジナコの言葉が決定打となって、ダビデの意見が一応採用された形になった。
マシュ、清姫、クー・フーリンを伴った立香が割って入り、ダビデ、ブーディカ、ジキルがジナコの護衛だ。
火力のある清姫と、守りに長けたマシュ、生き残りに長けたクー・フーリンはそれなりにバランスの取れたパーティになるだろう。対して、守りの出来るブーディカ、遠距離から加勢出来るダビデ、いざとなれば気配遮断で敵の隙を作れる上に、バーサーカーとして火力も用意できるジキルは予備戦力として運用しやすい。
「んじゃ、オレが合図したら清姫はオレと同時に出ろ。マシュとマスターはそれに続け」
「うん」
そうしてクー・フーリンが静かに視界に意識を集中し始めて数分後、クー・フーリンは声を荒げた。
「今だ!」
その言葉と共に立香たちが飛び出す。戦場を見ることの出来ないジナコは、遠ざかっていく立香たちを祈るように見つめるのだった。
立香たちが戦闘を始めてから、凡そ四半刻経とうとしていた。今日の荒野での戦闘は、そろそろ終了になるはずだ。ジナコは立香たちの背後を警戒しながらも、息を潜める。
ジナコのいる位置からでは、立香たちの様子はよく見えない。それは、サーヴァントであるダビデたちでも変わらなかった。故に、ジナコはただその帰還を信じるしかない。
「それにしても、長いね。サーヴァントの戦闘としてはあり得ない長さだよ」
「クー・フーリンは持久戦が得意だし、カルナには鎧がある。マシュは盾のサーヴァント。そう易々と倒れはしないだろうね」
ブーディカとダビデは状況が見えないなりに、戦況を予測する。立香のサーヴァントである三人がいるということは、立香が倒れてはいないはずだ。しかし不安は掻き消せない。
「メイヴは聖杯を使って何をしようとしてるんすかね……」
「イケメンを屈服させて囲いたいとか?」
「ギャルのパンツ欲しがる豚みたいな!?」
ダビデの言葉は冗談のようで冗談にならない。何せあのメイヴ。男を囲うことに関して執念を見せることはあり得る話だ。
「女王仲間としてそこのところどう?」
「ケルトはローマに与した蛮族」
「駄目だこりゃ」
ダビデの発言は徒にブーディカを刺激してしまう結果となった。メイヴと一緒にされてはブーディカも嫌だろう。魔術師は皆コルキスの王女メディアのように嫉妬深いと言われるようなものだ。第三特異点の彼女は話が通じないという意味で実に恐ろしかった。
「でももし撤退するなら、僕らも戦闘の用意をした方が良いかもしれない。ルール違反だと思われていたら加勢しなきゃ逃げ切れないだろうし」
「メイヴはそういう追い詰めるの、得意そうだしなぁ」
ジキルがそんな提案をする。ダビデの返答は不吉さに満ちていた。聖書に出てくるような王の発言は預言としか思えない。ジナコは不吉な予想に身を震わせる。
「そうだね。私も戦車を……マスター?」
ブーディカも同意しかけたが、突然顔色が変わる。一瞬立香に何かあったかと思ったが、ブーディカだけが反応しているところを見るに、念話だろう。
「うん。……うん」
ブーディカは何やら立香としばらく話すと、立ち上がって戦車を実体化させる。他の者たちが首を傾げる中、ブーディカは口を開いた。
「マスターが増援に来て、って。うーん。ジキルが来て。ダビデは待機」
ブーディカは告げ終わるとジキルの服を掴み、戦車の中へと投げ込む。鮮やかな投げ技だった。ブーディカも乗り込むと、改めてジナコの方を見る。
「多分、すぐ撤退すると思うから、ちょっと待ってて」
「分かったっす」
焦っているのが何となく分かったので、ジナコは当意即妙な答えを返す。向こうで何か大変なことになっていなければ良いのだが。
ブーディカはジナコの返答に頷きを返すと、戦車に乗って疾走──失踪した。
「え?」
よく見たら隣のダビデもいなくなっている。ジナコは自分がおかしくなったのかと周囲を見回したが、やはり誰もいない。
となれば、可能性は限られてくる。魔法一歩手前の大魔術、空間転移。それを可能とするものといえば、ジナコには心当たりがあった。
「令呪……」
昨日、令呪が三画残っているのを見せてくれたのは立香だ。しかしこれはまずい。ジナコだけが取り残されてしまった。戦闘能力もサーヴァントもいないジナコは無力な少女に過ぎない。
「まだ隠れてた方が良いっすかね」
ダビデたちを追うことはジナコには選びにくい選択だった。心情としては、じっとしているのは申し訳なく思う。小心者のジナコは、何も出来ないことを苦痛に感じるのだ。
けれど、出ていったところで敵側にいるアーチャーに狙われるだけだろう。ただの人間なんてサーヴァントには良い的だ。そうなれば立香が確実に気に病む。
結局ジナコには隠れてやり過ごせることを祈るしかない。
「うう……神様は助けてくれないんだもんなぁ」
ジナコは太陽を見上げながら呟く。そしてふと、とある神について思い出した。太陽神スーリヤ。カルナの父親であるその一柱と、死後のカルナは一体化したらしい。聖杯戦争で神霊は召喚できないため、ジナコの知るカルナとは別物なのだろうが。
「ああ──でもカルナに施されるだけのボクでいるのはもう、止めたんだ」
ジナコは太陽に手を翳しながら、その光を見上げる。
「私はカルナに誇れる自分に、なれたら良いなぁ……」
ジナコは掲げた手をゆっくりと下ろす。最後に締まらない辺り、実にジナコらしかった。
思えば、ジナコの中には家族の中で一人生き残ったこと、優勝もしていないのに聖杯戦争で無事帰還したことを負い目に思う気持ちが少なからずあった。こうして、もう一度新しい人生を生きるチャンスを与えられたことにも。
だからこそ、再びカルナに会うことができた今が良い機会だろう。今ならカルナに、自分の価値を証明できる。
人間は間違えるし、怠惰になりたがるし、失敗する。それは必然であって、人生の価値を貶めるものではない。ジナコにはそれを理解してなお自分のことを好きになることはまだ出来ないが、努力することはできる。
そうして自分のことを好きになれたときこそ、ジナコはここにいる意味を見つけ出せるだろう。
「……立香さんたち、早く帰ってこないかな」
立香を待つ寂しさにジナコがそんな言葉を呟いた瞬間、身体にビリリとした感覚が走った。その怖気のような感覚に、ジナコの体は思わず硬直する。
そんなジナコの体にかかってくる影があった。
「させま、せん!」
ジナコの背後で、ガツンと大きな音がした。ジナコは跳び跳ねるようにその場から離れる。振り返ってみれば、そこにはよく知る二人の顔があった。
「な……」
「よりにもよってあなたですか」
ジナコは間抜けな顔だと自覚してしまうほど、ポカリと口を開ける。そこにいたのはアーチャーだった。昨日からさっぱり音沙汰のなかったアーチャーが、どうして今頃。そんなことを問うことも出来ないまま、二人の話は進んでいく。
「わたくし以外がどうしてあり得るでしょう。あなたを警戒し、疎み、恐れてきたわたくしが、あなたにつけ入る隙を与えるとでも?」
「そうですね。あなたはそういう人でした。己の主のためなら火中の栗すら拾ってみせる、おぞましいまでの愛情と献身。あなたは実にバーサーカーらしい、清姫」
清姫とアーチャーはお互いに睨み合う。清姫がジナコの危機に際し現れたのは、とても意外なことだった。清姫はマスターを重視している。その側を離れてまでジナコの元に来ることなど、ジナコにはとても考えられなかった。虚言癖のSGからして、ジナコとの相性は悪いはずだ。
「待って、何でアーチャーが!」
「ジナコさん、問うだけ無駄です。この男は最初から、嘘吐きだったのです」
「嘘は、吐いていないつもりだったのですが」
ジナコの叫びを清姫は切って捨てる。当然の判断だ。敵対している以上、油断も隙も見せられない。ジナコは緊迫感に後退りした。
「馬鹿なことを。主と思っていない者を主と仰ぐなど、愚かしいにもほどがあります」
「ふむ。そういうことでしたか。確かに私の失点ですね」
清姫の態度は辛辣で、心底忌々しいと思っているのが透けて見える。対してアーチャーは冷静沈着な態度を崩さない。その超然とした様子が、ジナコには恐ろしいものに見える。
「こんな嘘つきに振り回されるジナコさんに、心底同情します」
「生き長らえた対価としては充分だと思いますが」
清姫のジナコに理解を示す様子は、アーチャーに対抗してのものだったらしい。嘘吐きに弄ばれるのを見るのが我慢ならなかったのだろう。彼女らしい。
そしてアーチャーは気になることを口にした。生き長らえる。それはいったい何のことを言っているのだろう。
「何の……」
「炎の中で死の淵をさ迷うあなたを救ったのは我がマスターです。思い出しましたか?」
「……」
ジナコは第一特異点に向かう前の、炎に包まれた管制室のことを思い返した。それではあのとき、コフィンの外に投げ出され、朽ちかけていたジナコの肉体を修復したのはアーチャーのマスター、ということになる。ジナコは肉体の修復の原因を理解していなかったが、それは外から手が加えられていたのが理由だったらしい。
この様子からして、アーチャーのマスターはメイヴだろう。メイヴは何故ジナコの治療をしたのだろうか。
「なんで、ボクだったんすか?」
「あなたがコフィンの外にいたからです」
「嘘、ではないようですね。けれど、それだけではない」
清姫の指摘にアーチャーは押し黙る。ジナコという存在に対して、メイヴは何か含むところがあるというのだろうか。
「もう良いでしょう。清姫、あなたはここまでです」
「そう簡単に、倒れると思ったら大間違いです」
その言葉を皮切りに、お互いは足を踏み出した。アーチャーは弓を構え、清姫には強大な魔力が満ちていく。
「炎の神よ──」
「これより大嘘つきを退治します」
清姫が蛇へと変化し、その口から真っ赤な炎を吹き出す。
「転身火生三昧!」
ジナコの視界いっぱいに炎が広がり、ジナコは呆気に取られた。仮生から放たれたとは思えないほど輝かしい炎に、ジナコは魅入られそうになる。しかしそれは、長くは続かなかった。
「そ、んな……」
清姫の炎がどんどん押し返されていく。それはアーチャーの弓から放たれる炎だった。神の炎が仮生の力を焼き尽くそうと食らいつく。ジナコはこの能力を知っていた。これはカルナと同じ、炎の魔力放出だ。魔力に満ちているのだろうアーチャーの魔力放出は、ジナコがカルナと契約していた頃のものとは比べるのも烏滸がましい。
「清姫さん!」
「ジナコさん、離れなさい!」
思わず叫んだジナコに、清姫は叱り飛ばすように忠告する。清姫は理解していた。清姫の力ではアーチャーには勝てない。ならばせめて、ジナコを逃がすことに注力しようと考えた。
「長くは持ちません。アーチャーから逃げて、マスターの元へ!」
「そんな、清姫さんはどうするんすか!」
ジナコは答えを理解していながらも叫ぶ。ジナコは臆病者で、無謀に立ち向かう者を簡単に見捨てることは出来なかった。
「わたくしが安珍様を置いていくとでも?」
「……なんで」
嘘を嫌うはずの清姫が今、明らかな嘘を吐いたことにジナコは目を見開いた。置いていかれたことを憎んだ清姫が、愛する人を置いていく。そんなことはあってはならない。ジナコには、そこまでしてもらえるほどの価値はない。
己のマスターの側についていれば良いのに、どうしてこんなことを選ぶのか。ジナコは喉を突き刺したくなるほどの激情を抑えながら、どうすれば良いか考える。
ジナコには何も出来ない。前世でも、今でも、ジナコには大した価値も才能もない。ルーチンワークを永遠に繰り返すことは出来ても、全てをひっくり返す奇策は思い付かなかった。それでも考えるのを止めるわけにはいかない。ジナコにだって、何かを選ぶ自由はある。
「……アーチャー、ボクを殺したいんならボクだけを殺せば良い!」
「な……」
ジナコは清姫の近くに寄って立つと、アーチャーへと言葉を放つ。いくら自分のサーヴァントだったとはいえ、アーチャーにそんな言葉を投げ掛けたジナコの足は震えていた。ジナコだって死ぬのは怖い。けれど誰かを犠牲にして生きていくなんて、その方がずっと恐ろしかった。
「駄目です、ジナコさん! 今ならまだ間に合います!」
「清姫さんこそ、マスターを信じてあげて。こうしているうちに、立香さんは来てくれる」
呆れるほど楽観的な発言だったが、清姫は反論することを忘れた。ジナコは決して、立香が間に合うなんて都合の良いことは思っていない。人は簡単に死ぬ。ここにジナコという屍が一つ生まれることになるだろう。それでも、ここで清姫を見捨てる自分をジナコはこれから好きになることは、絶対にあり得ない。
「その身を差し出すと?」
「ボクには、それくらいしか出来ないから」
アーチャーはジナコの答えに思うところがあったのか、その弓を下ろし炎を小さくした。清姫はもう限界だったのか、変化が解ける。地面へと倒れ込もうとした清姫の体を、ジナコは咄嗟に抱き止めた。アーチャーはそれを見ながら告げる。
「では、そのバーサーカーから離れてください」
「分かった」
ジナコはアーチャーの言葉に大人しく従った。清姫を地面に優しく横たえると、彼女から距離を取る。ある程度離れたことを確認すると、アーチャーは弓を構えた。
「下手に避けようとはしないことです」
「分かってる。その前に、一つ確認させて」
「何でしょう」
ジナコは清姫の方をチラリと見遣ると、アーチャーに視線を戻した。アーチャーの黒い瞳がジナコを射抜く。
「清姫さんのこと、助けてくれるんだよね」
「必ず彼女に救いを与えましょう」
「そっか……良かった」
ジナコは安堵を覚えると共に、抑え込んでいた死の恐怖を思い出した。ジナコは決意が鈍らないよう、歯を食い縛って頷く。アーチャーは直ぐにジナコへと狙いを定めた。
「では」
ジナコはアーチャーの言葉と共に目を閉じる。でも、どうせ死ぬのならもう一度、カルナに礼を言っておけば良かった、と思いながら。
「これで、終わりです」
しかしその矢はジナコを殺めることはなかった。
ジナコは痛みの訪れない体に違和感を覚え、目を開いた。目の前には先程と変わらずアーチャーがいる。しかしその弓の矛先は、ジナコの方を向いていなかった。
「…………いや」
ジナコは自分の予想が当たるのを恐れながらも、ゆっくりと首を振る。そしてその惨状を見て、乾いた息を漏らした。
清姫の心臓に、一本の矢が刺さっている。サーヴァントであっても、心臓は致命傷。霊核を射抜かれれば、いかなサーヴァントといえども生きてはいられない。その事実を示すように、清姫の肉体は光の粒子へと変換されていく。
「そんな……」
ジナコを深い絶望が襲った。約束を破ったのは確かにアーチャーだ。けれどそれを簡単に信じてしまったのはジナコだった。
人は簡単に死ぬ。しかし今ジナコの目の前で彼女が死ぬことを考えなかったジナコは余りにも甘過ぎた。
「ああ──」
ジナコの自己嫌悪の表情を見ても、アーチャーは澄まし顔を崩さない。ジナコの悲しみを理解していながらも、それをどうでも良いと思っているかのような態度だった。
「さて、では少し、眠ってもらいましょうか」
「止め──」
ジナコは怒り狂うことも出来ずに、首元に衝撃を感じる。アーチャーによる手刀は仕損じることなく、的確にジナコの意識を刈り取った。